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trip to memory box (No.15) ゆりは今日も、ネットの波に揺られていた。 彼女の趣味は、夢小説を読みあさる事。今パソコンの前に座っているのも勿論そのためで、中でも一番の目当てはやはり、大好きな漫画、ハンター×ハンターの夢小説だ。 流れ流れて、ふと、あるサイトの長編ハンター夢が更新されている事に気付いた。 そこの夢主は"記憶喪失のゾルディック家次男坊"という固定するにもほどがある男主人公なのだが、更新されたのはその話の続きではないようだった。 ん? 1万打記念夢? 昔から美容室の一周年記念の割引も、マラソン大会の参加記念粗品も、記念と付けば見逃しては来なかったゆりは迷わずクリック。ここの長編夢は既読だから本編のネタバレがあっても平気だしね、と至極気楽にリンク先を開いて── 目を疑った。 ……… ……えーと… 気のせいでしょうか。 何だか私、バスに揺られているような気がするんですが。 ところが、突然目の前に現れたシートは錯覚などではなさそうだった。ぺたぺたと触ってみると、折りたたみの机は固くてつるつるしているし、その下のエチケット袋の入ったネットは強い抵抗を手に与えながらビヨンと伸びる。ちゃんと、それがそこに在る感覚だ。そしてこのシートの仕様は、どう見ても遠足の時にチャーターするような観光バスで…… いやいやいやいや。 心の中で激しく首を振った。 私、今の今まで、自分の部屋でパソコンやってましたから。 しかしながら、どれだけ瞬きをしても目の前にある物はパソコンではなく折りたたみ机とエチケット袋。きょろきょろと動かした目が捉えたのも自室のカーテンや本棚ではなく、整然と並んだ座席群と、長細い天井に取り付けられた網棚、それから滅多にお目にかからない四角いカラオケマイクだった。 エンジン音、そして三半規管を麻痺させるような振動を体中に受け止めているゆりは、間違いなくバスに揺られていた。 数秒揺れに身を任せ、ふと思った。 ……もしかして、今までパソコンやってたのが夢だったのか? 人間の適応能力とはいかなる状況でも遺憾なく発揮されるものだ。 ああそうか。私は今からバスでどっかに向かう途中で、ついついウトウトしちゃったのかアハハハハ……って、夢の中でまで夢サイト巡りってどうよ自分。 1人で納得し、1人でツッコミを入れていたゆりだったが、その認識が間違いだという事はすぐに分かった。 分からされた、というべきか。 「キミ、どこから現れたの?」 耳元で囁かれた男の声、かつ明らかに故意に吹きかけてきた息に、ゆりは背筋を凍らせた。 ち…痴漢!? 変態!? すぐさま警察に通報する事まで意識を滑らせたが、しかし逃げるように身をよじった瞬間、ゆりはようやく自分が妙な所に座っている事に気付いた。 誰かの、膝の上だ、これは。 ああ、どおりで前のシートが随分低く見えたわけだ……って、これじゃあ私が変態じゃないか! 顔を真っ赤にしながら「す、すみま…」と、そこまで言って、ゆりは言葉を失った。 自分がちょこんと座ってしまっていた膝の主、その右頬には星、左頬には涙マークのペイントがほどこされていて、ゆるいオールバックに見覚えを感じつつ視線を下げると、お召し物にはやはりというか何というか、スペードとクラブが並んでいて…… しばしそれらを呆然と眺めていたが(勿論、膝の上で)、ぱちんと、弾けるように彼の名が浮かんだ瞬間、 「ヒ、ヒソカァーッ!?」 バスのエンジン音がかき消される程の奇声を上げながら、ゆりは座席…もといヒソカの膝から転がり落ちた。 名前を呼んでみたものの……にわかには信じられず、通路に座り込んだままゆりはもう一度まじまじと"道化師"の顔を見た。 道化師もゆりを見る。何やら興味深そうに。ゆりがパニック状態でなければ、それが原作にて彼がゴンに向ける目と似通っている事に気付いたはずだ。だが混乱を静めるために腹式呼吸にいそしみ始めたゆりにやはりそんな余裕はなかった。 落ち着け、落ち着け……落ち着いて整理をしてみよう、うん。 鼻から息を吸って、口からゆっくりと吐きだした後、目の前の座席に座っているヒソカをもう一度見つめる。そして──二次元の存在である彼が疑いようもなく"そこにいる"事を実感したゆりは、ついに結論に至った。 これは、夢だ。 ドリームだ。 これは全ドリーマーが焦がれてやまないという奇跡の状況、 " 異 世 界 ト リ ッ プ " というヤツに違いない…!! つ、つつつ遂にこの身にその奇跡が…!? と、笑みを滲ませ体を震わせるドリーマーゆりであったが、ふと、ヒソカの隣にもう1つ、自分を呆然と見つめている目がある事に気が付いた。 ヒソカとは少し違う感じで、ゆりはその人物に見覚えがあった。いや、読み覚え、というべきか。 白いニット帽からはみ出した銀髪、ポケットの多い作業つなぎ、腰の鞭…… その男は誰かに似ている猫っぽい目を丸くして言った。 「ゆ…勇気あんなぁ…ヒソカの膝に座るなんて…」 苦くひきつったそいつと、ほぼ同じ表情でゆりはただただ、ぱくぱくと口を動かした。 ゾ……ゾルディック家、次男坊…? 唖然としながらも、脳内ではせわしなく原作コミックのページをめくっていた。最新刊までザッと思い出してみても、当たり前だがこういう身なりの人物はいない。次男坊もミルキだ。ならどうして私はコイツに覚えが──最後のページを閉じた後ゆりが思い出したのは、さっきまで見ていたマイパソコンであった。 自分は確か、トリップする寸前までとあるサイトの夢小説を──そう、そこの夢主は"記憶喪失のゾルディック家次男坊"という固定するにもほどがある男主人公で── 硬直した。 まさか 私がトリップしたのは原作じゃなくて……た、他人の夢小説……!? ──ゆりは脱力し、ぺたりと座り込んだ。床に手をつき、愕然とする。 ありえない。 せっかくのトリップで、 自分以外に夢主がいるって、どういう事だ。 「んな夢小説ねぇっつうの…!!」 思わず口に出た言葉を拾い上げたのは、ゆりの失望など、説明されてもさっぱり理解できないだろう天然主人公だった。 「…ゆめしょーせつ?」 …こんの…記憶喪失武器マニアめ! 二次創作の分際で、よくも私の異世界トリップの邪魔を…っ! 拳をふるふると震わせながら睨んだゆりの目に、パッと飛び込んできたのは作業つなぎにつけられた299と書かれた番号札だった。苛々しながら思う。ああ、はいはい、ニクキューでしょ! と、ふと自分を見る──何やら粘っこい視線を感じ、な、何だ?と首を振った先でもやはり揃いの番号札が目に留まった。ヒソカのその数字は、42。 そしてここはバスの中。 2人は隣の席同士。 …ちょっと待てよ。 確か、この夢小説にこういう場面あったぞ。確か3次試験から4次試験の移動中で… すると、もしかして、このバスには他にも── 「騒がしいな、どうしたの?」 それは、期待を裏切らない爽やかな声だった。 「あ、いやぁ、何かいきなりヒソカの膝に…」 そう説明を始めた夢主など、もはや眼中には無かった。ゆりはもの凄い勢いで身を起こし、今までのパニックやら失望やら恨みやらは綺麗さっぱり忘れたように目をキラキラと輝かせた。 「…シャ…シャルーッ!!」 原作通りのカッコカワイイ童顔に、もう心の中はお祭り騒ぎだった。 何の騒ぎ?とばかりに眉を寄せるマチの姿も後方に見え、ここが他人の夢小説の世界である事も忘れて「か、かわいい!」と更に心をときめかせる。 「…どこかで会ったっけ?」 名前を叫ばれた事をしっかりと訝しんでいるシャルナーク。ああ、そういう表情も素敵。うっとりしながらも、ゆりは熱情のままにまくし立てた。 「いいえ全然初めましてです、私ゆりと言いますよろしくお願いしますっ!」 ばっ、とシャルの右手めがけて差し出した両手は、しかし宙を切った。 …あれ? 移動した彼の右手を見つけると、もう一度両手を伸ばした。すかっ。また空振り。めげずに何度も健全な友好の印を求めるも、ゆりの両手はことごとくかわされてしまった。 …け、警戒が厳しい……さすが爽やか腹黒美青年の名はダテじゃあないわ。 などと妙な賞賛を与えていると、握りたくてしかたないシャルの手は腕組みの中だというのに、横から別の、明らかに握手を求める形をした手が伸びてきた。 少し骨張った所が男らしい、形の整った長い指。 ちょっとドキッとするも、その先の腕が作業つなぎに覆われているのを見て、ゆりはあからさまにがっかりした。 「ゆりちゃん、ね。君も受験者? 年いくつ?」 ………。 ……なーんで原作キャラに構われないで、 コイツに構われてんだ私は。 握手を無言で拒否していると、「あ」と彼はバツ悪げに頭を掻いた。 「色々聞く前にまず自己紹介だよな。俺の名前は…」 「ふん、あんたの偽名なんて聞きたかないわよ!」 「えええっ!? な、何で知ってんの!?」 うろたえる姿がまたゆりの気分を逆なでする。だが、 「知ってるっつーの! あんたの事なら大体ね!」 あんまり苛々したからと言っても、こう口走ったのはいけなかった。 「なんだ。お前の彼女か」 ………は? 意味がわからずぽかんとするゆりをよそに、シャルはこう続けてのけた。 「まぁ、お前が知らない所を見ると、付き合ってたのは記憶喪失前の事なんだろうけど。でも良かったじゃないか、お前の事なら大体知ってるってさ」 冷静沈着、頭脳明晰。蜘蛛のブレーンともあろうお方が、とんでもない勘違いをしてくれたものだ。 あまりの事にしばし呆然としてしまったが、 「アンタ恋人の事まで忘れたの? 最低だね」 というマチの非難にシャルがうんうんと頷く、恋人説がすんなり定着しつつある状況に、ようやく危機感がせり上がってきた。 じょ、冗談じゃない…! 「だ、誰がこんな二次創作と!!」 「にじ?」 一瞬首を傾げるも、すぐに夢主はその天然っぷりを発揮してくれた。 「って、それよりゆりちゃん、ホントに俺の事を知ってんのか? マジで、その……俺ら、付き合ってたの!?」 「だーから違うって…」 「ごめん!」 いきなり、骨張った両手がゆりの手を取った。そのままぎゅっと包み込まれ、ゆりは目をぱちくりさせた。 ええ、うん、握手はしたかった。とっても、とーってもしたかったさ。 ただしコイツではなく、シャルナークとだ。そう、断じてコイツなんかではなく。 「ごめん、俺、全然覚えてなくて…でもすんげー嬉しいよ! 俺に会いに来てくれて!」 ──ぷちっ ゆりの頭で確実に何かが切れた。ヒソカだけはそれを見抜いたようにニヤリとしたが、他の奴らは"昔の彼女との再会劇"にただただ興味津々のようだった。 手を握りしめられたまま、うつむき、押し黙ってしまった少女にバス中の視線が集まる。 「…誰が…」 やっと声を発したゆりに、皆の目が期待に踊る。 こっちの気も知らない、野次馬根性丸出しの輩達。そのミーハーな視線の中で彼女はとうとう── 「…誰が……!」 キレた。 「誰がてめーに会いに来たっつったよッ、こんの二次創作がッ!!!」 ゆりは、クルタ族ならまず間違いなく真っ赤に染まっているだろう怒りと恨みのこもった視線を、絶叫と共にその"二次創作"に突き刺した。 標的となった青年が、びくっと肩を震わせる。 「誰が昔の彼女だ! 何が悲しくて、原作キャラじゃないアンタとラブラブしなきゃなんないのよ! 普通トリップといえば、そう、例えば目当ての原作キャラが私を拾って、それで念能力なんて教えてもらっちゃったりしながら2人っきりであまーい時間を………って、いつまで手ぇ握ってんだよ二次創作!」 「す、すんません」とパッと手を離した作業つなぎの青年。彼はそのまま窓際まで後ずさったが、それでもおそるおそる、問いかけてきた。 「あ、あの、でも、俺の事知ってるのは…ホント…だよね?」 「あ?」 ガンを飛ばすと、彼はまた「ご、ごめんなさい」と条件反射のように謝った。ついでに回りにも飛ばしてやると、いつの間にか距離を空けていた受験生達が皆、面白いように更にゆりから離れる。ふん、野次馬どもが。見せ物じゃねーぞコラ! 「……"俺の事知ってるのは、ホントだよね"…?」 視線を戻したゆりは、とどめとばかりにビシッ、と人差し指を突き付けた。 「…そんなに知りたきゃ教えてやる! アンタはねぇ、ゾル──」 「──ディック家の次男坊で夢小説の……って」 人差し指をぴんと伸ばしたまま、ゆりは目を丸くした。 「…あれ?」 指先は、明々と光を放つパソコンのディスプレイに向けられていた。 周囲は見慣れた自室で、当然のようにエンジン音も、受験者達の視線も、あの夢主人公の姿も嘘のように消えていた。まるで、最初からそんな物はなかったかのように。 両目をまん丸に広げたまま、ゆりは軽く首をひねる。 …夢? 顔を斜めにしたまま、パソコンを見る。開いているのはあのサイト。記憶喪失のゾルディック家次男坊が夢主人公のハンター長編夢小説。 …今のは夢か? ここの夢小説を読んでる途中に寝ちゃったから、あんな妙ちくりんな夢を見ちゃったのか? それにしては嫌にリアルだったような…とも思ったが、ふっ、と吹き出した。自分が異世界トリップしていた? まさか! ありえない、ありえない。 全く変な夢を見たもんだ、と納得したゆりは、あんまりな寝ぼけようを思い出し、顔を洗うために自室を出て行った。 勿論、さっきまで彼女がいたバス内では、いきなり目の前から消え失せたブチギレ少女に、しばし騒然となったのだが──それを当の本人が知る術はなく、さっぱりして戻ってきたゆりはまた、ネットサーフィンにいそしむのだった。 back ------------------------ |