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 一般車両の規制された幹線道路の真ん中で、沿道を埋め尽くした人々の視線を一身に浴びているとゼロ・レクイエムを思い出してしまう。
 もっとも、あの時ルルーシュ皇帝が鎮座していた車は演劇の舞台装置のように豪華に飾られていて、とても今自分が膝をついている、キャタピラ装甲車の上に鉄板を被せただけの罪人晒しステージとは比べられなかった。

 でも、よく似ていると思うよ。
 ゆっくりと動いていく移送車の上で、沿道からの罵詈雑言を聞きながらスザクは思う。
 それともかの悪逆皇帝は、わざと似せたのか?
 ルルーシュのゼロと、僕のゼロが始まる、二つの舞台を。



 シンジュク事変で停戦命令が出されてから、三日目の夕刻。既にクロヴィス殿下が殺害されたニュースはこの国を駆け回ったようだった。
 やっぱりイレブンは恐ろしい――
 名誉ブリタニア人制度なんていらないだろ――
 ナンバーズなんていなくなればいいのに――
 クロヴィス殿下を殺害したイレブン、として知らしめられた自分に突き刺さる言葉も視線も暴力的だったが、スザクは前の時も今回も、まっすぐ車の行く先を見つめていた。
 前は、これから移送される軍事法廷で無罪が証明されると信じていたから。
 今回は、それよりも前に、真実が明らかになると知っているから。
 そう、知っている。
 そろそろ、このゆっくり進む移送車が停止することも。

『全軍、停止!』
 移送車を囲む四機のサザーランドの内、先頭の機体からジェレミア代理執政官の号令が飛んだ。
 予定にない停止に、スザクの両脇で機関銃を構えている兵士は顔を見合わせている……が、その理由は数分もしない内に向こうから姿を表した。
 堂々と、真正面から。
 動体視力に優れたスザクは、当然単なる視力も良かった。取り調べの際に受けた暴力で多少目の周りにもあざはできたが、段々近づいてくる豪奢な車、故クロヴィス殿下の専用車のハンドルを握っている人物くらいは認識できた。顔は隠しているが……
 あの髪、カレンだ。

「出て来い! 殿下の御料車を汚す不届き者め!」
 ざわつく沿道、上空を飛ぶマスコミ、そして銃を右手に怒号を放つジェレミアに、紅月カレンらしき女性は萎縮しているように見えた。そんな彼女から、スザクの視線は一気に外れることになる。
 燃え上がり、一瞬で消え去った炎。
 そこにイリュージョンのごとく現れたのは、自分も一年間身につけた漆黒の仮面、漆黒の衣装をまとった人間だった。
 そして、彼は名乗る。
 これから世界を駆けめぐり続ける、反逆者にして、救世主の名を。

「私は、“ゼロ”」

 未だ戸惑う沿道の見物人やスザクの横にいる一兵卒とは違い、ジェレミア卿は突然の謎めいた来訪者を鼻で笑い飛ばした。
「ゼロ。もういいだろう。きみのショータイムはお終いだ」
 卿の上空への発砲を合図に、新たに四機のナイトメアが飛来する。ニセ御料車を取り囲まれ、しかしゼロはたじろがない。仮面を取れというジェレミアの声にも、思わせぶりに手をそこへやるという演出。
 辺り一帯がすでに彼の舞台となっている現状で、さらに、仮面から離した指を鳴らしたゼロは人々の心と行動を掌握していくことになる。

「ジェレミア卿、あれは……!」
 開かれたニセ御料車の後部を見て驚愕するジェレミアへ、後方のナイトメアから部下のヴィレッタが叫ぶ。
 あれは、テロリストが持ち去った毒ガス兵器。
 ……だとは、二人は口が裂けても言えない、そんな状況だった。沿道の一般人は、兵器の見た目など知らない。しかし知れば大パニック。知る者は冷や汗を流しながら、それでも口をつぐむしかないのだ。
 ちなみにスザクは。
 ……それにしても、情報ってやっぱり大事だなぁ、と一人呑気だった。
 違う、それには毒ガスなんか入ってない!
 と、前の自分は叫びたくて、しかし声帯の振動を感知して電気ショックを与える首輪のせいで声が出せず、とてももどかしかったなぁなんてスザクがしみじみ思い返している内に、観念したジェレミアは苦虫を噛み潰した顔で銃を下ろしていた。
「……分かった、要求は」

「交換だ。こいつと、枢木スザクを」
 どよめく見物人達の声をも抑え込むように、ジェレミアは両断した。
「笑止! この男はクロヴィス殿下を殺めた大逆の徒! 引き渡せるわけが」
「違うな」
 この移送の様子はテレビ中継されている。
「間違っているぞジェレミア。犯人はそいつじゃない」
 ロイド博士はきっと今ごろ、身を乗り出して画面に食いついていることだろう。
「クロヴィスを殺したのは、この私だ!」

 スザクは、一人目を閉じる。
 ……ありがとう、ルルーシュ。

「……こやつは狂っている!」
 スザクを犯人にし、ブリタニア人だけが優遇される国にする。その計画に出現したイレギュラーに、焦れたジェレミアはもはや頭ではなく力でねじ伏せようとしていた。
 もう一度銃を向け、周りのナイトメアへの指示も兼ねて、ゼロへと攻撃の意を――
「いいのか? 公表するぞ、“オレンジ”を」
 示そうとして、だが怪訝に眉を寄せた。
 スザクを見張る軍人も首を傾げているが、スザクはこのゼロの劇場の中で一人観客気分で黙っていた。黙って、カレンに車を前進させて、ジェレミアと視線を合わせられる距離まで近づくゼロを眺める。
「私が死んだら公表されることになっている。そうされたくなければ――“私達を全力で見逃せ”!」
 ギアスをかけられるジェレミアの背中を、ちょっと同情の目で見ている自分がいた。
 ジェレミア卿、大丈夫です。
 僕と違ってその疑惑の真実は明らかになりませんけど、それが、誇りに変わる日がきますから。



 絶対順守の命令通り、ジェレミアは後にその信用をすべて失ってしまうほど全力でスザク達を逃がしてくれた。
 逃走用に高架下に用意されていた車は、ゲットーの廃墟へと走っていく。数人が待っていた建物の前で、車は止まった。

 首輪は、ここまで運転してくれたカレンの仲間、扇が工具で外してくれた。
 ありがとうございます、と礼を言えば、「ああ、いや」 と彼は微妙な顔で笑う。少し離れたところから窺っている彼の仲間の様子も合わせて、あ、と察してしまった。
 ゼロが言った通り、僕はクロヴィス皇子を殺害してなんか――
 という釈明はさせてもらえなかった。
「私はこの男に話がある。ここで待機していろ」
 扇に告げるや、スザクの腕を掴んで歩き出すゼロ。仕方がないので、スザクは頭を下げることで謝意を示し、ゼロについていった。

 ここは元は劇場らしく、先ほどいたロビーを抜けると何脚もの椅子に埋め尽くされた空間が待っていた。ただし、その荒れようは酷い。通路を通ってステージへとたどり着けば、そこから夕空を仰ぎ見ることができてしまった。
 雨ざらしの舞台は、当然朽ちてボロボロ。
 だが、そこにゼロが上がっていくだけでそんな背景すら絵になるように思えた。
「……相当手荒な扱いを受けたようだな」
 まだ舞台の下にいたスザクは、今までとは違う声にどきりとした。
 相手を掌握する話術ではなく、顔にいくつもあざを作るスザクを心からいたわるような、ルルーシュの声。
「……あ……」
「奴らのやり口は分かっただろう、枢木一等兵」
 その呼び方にスザクは我に返る。続きは心の中だけで思うことにした。
 心配してくれてたんなら……ありがとう。
 僕も……少し心配していたけど、良かった。きみやカレンが生きていて。
 歴史を、きみ達の人生や命をねじまげていなくて、よかった――
「……ブリタニアは腐っている」
 強さを帯びたゼロの口調に、もう一度スザクの意識はそちらへ引っ張られる。
「きみが世界を変えたいなら」
 そして、ここが大きな分岐点だと知った。
「私の仲間になれ」

 まっすぐ、スザクに差し出されたゼロの手。
 それを拒否した以前の歴史と、ナナリーの願いとの間でスザクはライトグリーンの瞳を揺らしていた。
 三日。
 たった三日で、世界が変わってしまうような決断ができるわけないじゃないか。

「どうした。まさか自分をはめた組織に戻りたいわけではあるまい」
「え、あ……」
 いっそ洗いざらいぶちまけて相談してしまいたい! という欲求がじわじわ広がってくるのは、頭が考えるのを拒否しようとしているサインに違いなかった。
 ……相談も何も、ぶちまけてしまった時点で歴史変わるだろ。
 逃げることもできなくて、さらに返答に窮したスザクは黙りこくる。

「何を考える必要がある」
 スザクは眉をしかめる。事情を知らないきみはそりゃあそう言うだろうさ。
「ブリタニアは、お前の仕える価値などない国だ」
 もどかしさを押し込めるスザクだったが、それと同じような感情をルルーシュの声に感じて瞳を上げる。仮面のせいで表情は分からない。だが、スザクには見えた気がした。
 彼の心が。
 言葉に偽りのないことが。
「私と共に、ブリタニアを、世界を変えるんだ、枢木スザク」

 ……そう。そうだったね。
 僕ときみの二人が揃えば、出来ないことはない。

 一度本当に世界を変えたんだから、違う方法で、二度目だって――

「……一つだけ、聞いていいかい?」
「何だ?」
「きみは、今、どんな世界を望んでる? 世界をどう変えるつもり?」
 スザクがルルーシュの思い描く世界のあり方に触れたのは、今を基準にすれば、かなり後のこと。シャルル皇帝の野望を打ち砕いた、その時だ。
 その時のルルーシュの展望には、恨みも憎しみも超えて賛同することができた。だが、今の時点でのそれがあの時と同じとは――
「……優しい世界に」
 聞きたかった言葉に、スザクは考えるのをやめた。
「誰もが虐げられず、不当に扱われず、平等に未来を拓いていける世界に変える。それが私の望みだ」

 同じ、か。
 つい笑みをもらしてしまったのを怪訝に思ったのか、ゼロは仮面を傾けた。
「ああ、いや、そんな怪しい格好の人から、優しい世界なんて言葉が出るとは思わなかったから」
「なっ」
 仮面という隔たりがなければきっと、ルルーシュの真っ赤な顔が拝めたんだろうなぁとくつくつ笑ってしまう。
 こんな風に笑って過ごしていた少年時代から、ルルーシュは妹、ナナリーを何よりも大切にしていた。誰よりも。自分よりも。
 だからこれも、ナナリーのための世界変革なんだろうなと感じ、目を細める。
 自分じゃなく。
 大切な人のための。

 そう、自分の何を犠牲にしても、守りたい。
 ――たいせつな、ひと。


「と、ともかく、枢木スザク。私に協力してくれるということだな?」
 咳払いした後のルルーシュの確認に、すぐには答えられなかった。
「……きみの」
 乾いた唇を動かす。
「きみの考えには賛同する。でも、軍を抜けることは、できない」
 ゼロの困惑が手にとるように分かった、が、
「僕はイレブンだから、名誉ブリタニア人だからクロヴィス皇子殺害の容疑者に仕立てあげられた。軍の純血主義の標的は今は僕一人だけど、このまま逃げれば、間違いなくイレブンと名誉ブリタニア人への弾圧が始まる」
「だから? 一人軍事法廷で火あぶりにされるつもりか?」
 ゆっくり頷くと、馬鹿か! と一蹴される。
「自分の正義に酔いたいのかもしれんが、そんなことをしても無駄だ。お前を処刑した後、結局イレブンは叩かれる!」
「そうかもしれない……けど、軍属としてルールは守るよ。卑怯な逃げ方はしたくないから」
「お前……!」
 苛立ちに震える声が、胸を刺す。自分が嘘をついている罪悪感からかもしれない。だが、うまく嘘をつけているんだなと安心もした。

 ルルーシュと二人なら、別のやり方でだって世界を変えられる。
 それは確信してる。

 だけど、ごめん。
 もう少しの間だけ、歴史を変えたくなかったんだ。




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