2 灰髪の少年による黒髪の少年の分析





 歌はすぐに止んだ。窓を開けて、ほんの十数秒後の事だ。
 ニアは瞼を上げ、もう聴こえてくる気配の無い事を認めると、残念そうに目を伏せた。肩を落とし、ゆるゆると窓を閉めた。

 とぼとぼと崩れたトランプタワーへ戻ると、ぺたりと座り、百五十三枚のトランプをかき集めた。手に持ったままだった二枚を加え、再び噛み合わせの良いトランプ同士を山の形に重なり合わせ、立てていく。
 歌が聴こえてきたのは、この真上にあるの部屋だ。その前には派手な物音がして、その振動で一度タワーが崩された。間違いなくメロもいるだろう。
 ニアは片手で摘んだ二枚のトランプを、すとん、と器用に立てた。
 一方は表側、一方は裏側を見せ、同じだけの力を寄せ合って互いを押し合い、ぴたりと動きを止めているそれを、ジッと見つめる。

 とメロは、噛み合わせの良い二人だ。
 二人とも感情的といえばそうだが、細かく見るとまたタイプが違う。そこが上手く作用しているのだとニアは思っていた。



 は素直な性格だ。外からの刺激を真っ直ぐに受け入れ、真っ直ぐに返す。多角的な物の見方は出来ないが、それゆえ"思考する人間"には見えづらい物を天性の感覚で見つけ出す。そういう、直感で生きている人間である。

 三年程前、こんな事があった。
 ロジャーに渡された知恵の輪を、ニアは解いていた。場所はやはりこのプレイルーム。そして目の前には、寝転がって頬杖をつき、ニアの手元を眠たげに見守るがいた。
 四つは既にあっけなく解かれて床に散らばっており、この五つ目が最後だった。しかし、はずれない。もうかれこれ三十分、ニアは最後の知恵の輪と格闘し続けていた。
 考えすぎて泥沼にはまってるのは、自分でも分かっていた。見方を変えてみる事が必要だとも。が、その時のニアには難しい事だった。
 息をつき、手を下ろす。すると、それまで黙って、とうとう寝てしまったのかと思う程静かにしていたが指を差してきた。
「それってさぁー」
 求められるままに手渡すと、はなんと、組み合った銀色のくさびをするりと解いてみせたのだった。ニアが両目を、ついでに口もまん丸に開けて絶句してしまう程、いともあっさりと。
 他の四つは全く手が出ず、それこそさっきまでのニア状態だったというのに、ニアが苦戦した物だけをは何故か解いてしまったのだ。
 尋ねずにはいられなかった。どうして分かったのかと。
 は笑って答えた。
「何でかって訊かれてもなー。よく分かんねーや」
 そしてやっぱり、は他の四つは解けなかった。

 そこに鍵があると思って思考という名の穴へ飛び込み、はまって出られなくなった自分。そこへ通りかかったが、穴の縁に落ちていた鍵をパッと見つけたのだと、理解した。
 簡単そうに見えて、誰にでも出来ることではない。「そこの穴から鍵を探しておいで」と言われれば、誰だって穴の中を覗くのだ。そんな先入観というものを、おそらくは持たないのだろう。真っ直ぐに穴を見つめて、落ちていた鍵を拾った。本人にしてみればごく当たり前な事──だがそれは、極めて難しい。

 子どもだからなのかもしれない。
 同じ年齢ながら、しかし遥かに高い知能を持つニアは思った。疑いを知らない子どもは、大人には気付けない観点から度々指摘をするものだ。
 だがの真っ直ぐな感性は、十四になった今でも失われてはいなかった。その声質と共に彼が持つ、一種の才能だとニアは認識している。そう、才能だ。周りの人間を酷く惹きつけるその真っ直ぐで先入観を持たない性格は、そう言うしか無い。
 なにをかくそう、自分もその影響を少なからず受ける一人なのだから。

 三年前の時だってそう。玩具を相手に、黙々と頭と指先を動かすのを好むニアは、誰かと一緒に遊ぶという事をしてこなかった。いつも一人でいた。
 そんなニアの前に、は座った。
 他の子のように「外で遊んだ方が面白いのに」と言う事もなく、彼はそこへ座り続けた。ニアと同じ物を手に取って、時折笑顔を見せながら。
 変わった人だ──その印象は、最初に感じた時と今も変わっていない。ただ今はそこへ、もう少し特別な印象が加わっていた。



 トランプの手を止めて、窓を見る。少しばかりまだ期待していたのだが、やはりもう、歌は聴こえてこなかった。
 残念だ──肩を下げ、再びタワーへと視線を落とそうとした時、声と足音が聞こえてきてニアは振り返った。ニアの焦がれ待つ歌と同じ色を持った声が、上階から下りてくる。

「まだまだだな、そんなんじゃ路上で弾き語ったって、一ペニーにもならない」
「ぐっ……れ、練習するさ! で、いつかはスーパーギタリストになる!」
「はっ、何だそりゃ──」

 の部屋にメロがいた事は知っていた。だから、一緒に下りてきた金髪に黒い上下を着た人物の方と真っ先に目が合っても、ニアは驚かなかった。向こうは、一瞬足を止め、あからさまに顔を歪めて見せたが。
 その背後から、「メロ?」と訝しみながら、短い黒髪を持つ少年が顔を出した。
「あ、ニアー」
 白いワイシャツ(ニアのとは違ってダボダボではなく、身体に合った物)にサスペンダーで茶色の七分ズボンを吊り上げた、一昔前のロンドンっ子のような格好。は、腕を目一杯上げてぶんぶんと手を振った。
「もうすぐ夕飯の時間だぜー、来いよー!」

 ニアからはよく見えた。振っていた手を手招きに変えたの横で、彼をじろりと睨むメロの姿が。自分はメロに、快く思われてはいなかった。
「後で行きます」
 ニアはそれだけ告げると、背を向けてトランプを手に取った。
「何やってんの? トランプタワー?」
「行こうぜ
「うわっと…サスペンダーひっぱんなよ」
 ばちんっ
「いったぁ! メロ、このやろっ!」
 そんなやりとりが、廊下の向こうへと遠ざかっていった。


 メロは直情的な人間だ。したい事をし、言いたい事を言う。それは主にいたずらや暴言として現れていた。彼は、自分をセーブする方法を知らないし、また、そうしようとも思わないのだろう。
 周りもまた、彼をコントロールする術を持たなかった。ロジャーや院の先生も注意はするが、上から物を言われて聞くようなメロではない。かと言って下、メロがいたずらを働くような年下の子が抗議したとしても、それは彼をいたずら心を煽るだけである。
 メロをうまく操縦できるとすれば、それは、横にいる人間くらいのものだろう。

 そういう意味でも、は最もメロと噛み合う人間だった。
 同じ目線でやり合い、喧嘩をし、文句を言い合う。同じ方向を向く時もあれば、衝突する時も。それを繰り返してきた二人には確かな信頼関係が存在し、結果から受ける注意や叱責は、一方的に押さえ付けるよりも遥かに素直に、メロに受け入れられるている節が見られた。
 とメロ、二人が一緒にいるのが一番いい。
 だが──


 トランプを載せようとして、やめて、手を引っ込めた。
 一人遊びは好きだ。
 だけど、いつからだろう。玩具を挟んだ向かい側に短い黒髪の無い事に、物足りなさを感じ始めたのは。


 バラバラッ──という音に我に返り、ニアは崩れ落ちたトランプタワーと、それを引き起こした要因を同時に視界に入れた。
 さっき自分が開け、閉めた窓が開いていて、そこから侵入してくる少年が開口一番、ニアにこう尋ねてきた。
「何時だ?」

 また先生の目を盗み、バイクで走り回ってきたようだ。
 ため息をついてタワーの残骸をかき集めながら、窓を跨ぐ少年、マットへ返答した。
「18時25分です」
「ん、セーフ」
 夕食の時間に、という意味だろう。マットはプレイルームを突っ切ると、階段の上の自室へと戻るそぶりも見せずに右へ曲がろうとした。
 と、部屋と廊下の境目で一度振り返った。
は?」
「メロと食堂に行きました」
「そうか」
 マットがやはり右へ、とメロが行った方へと姿を消すと、ニアはトランプの山から手を離した。

 マットも、、そしてメロと仲が良い。
 だが彼ではメロのストッパーにはなりそうになかった。彼はそう、悪い方向へ向かおうとしているメロを、更にバイクの後ろに乗せて走って行くような悪友だ。
 やはりメロにはが……しかし──

「ニアー、もうすぐ夕食の時間だぜー、来いよー!」

 の手招きを思い出し、ニアは立ち上がった。誰もいない廊下を、子ども達の声ががやがやと聞こえる方、右へと曲がった。






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