「はあああああ、エクストリーーーーム!! アドレナリンが五臓六腑に染み渡るううううう!!」

 二つに別れた逆巻の死体と、顔面を蒼白に染める俺たちと同じ空間で、モノクマは一人興奮に身をくねらせていた。

「まったく、この快感だけはやめられませんなぁ。希望の種が理不尽に踏みつぶされてパキッとその身を割る瞬間だけは……うぷぷ……あーっはっはっはっは!!」

「……この……外道が……!」
 最初に進み出て、敵意を示したのは白鷺だった。
「……こんな、ことって……っ」
「酷過ぎ、ます……」
 とっくに意識を失っていた美芝を抱えながら、的目と箱崎も喉を震わせて嘆く。
「人殺し……! ひどいよ! ひどいよ……!!」
 あらん限りの声で糸依と共に泣き喚く鈴木を見て、モノクマは「ん?」 とようやく興奮をおさめて無い首を傾げた。

「人殺しは逆巻クンだよね? 彼は多可村クンを毒で殺したんだよ? とにかく自分だけ助かりたいっていう自分勝手な動機で、何の落ち度も無い多可村クンを……あ、多可村クンも未遂だけど人を殺そうとしてたね。つまりあれだね。どっちも同情の余地無し、死んで当然の身勝手な殺人犯だったってことだね!」

「何を……っ」
「言っていいことと悪いことが……!」
 そう吠える佐田と堤に先んじて、柄に手をかける剣士がモノクマへと向かっていく。
「貴様だけは許さん……モノクマ!!」
 激高に身を任せて剣を振りかざそうとした白鷺の右手を、
「……!」
 俺は、掴んでいた。

 止めるな相馬、と白鷺は言いかけたが、その語尾は小さくなって消えていく。
 口々に嘆き、悲しみ、モノクマを非難していた他の声もいつしか無くなった。きっと俺が鉄柵に寄りかかりながらも立ち上がり、ゆらり、とモノクマへと歩み出たのを見たからだろう。

「なになにー? 相馬くんも『モノクマ、貴様、許すまじ!』 なんて言ってボクに襲いかかってきちゃう感じ?」
 両手を体の後ろで組んであざとく覗きこんでくるモノクマの姿が、ほとんど停止していた俺の思考に火を灯した。
 怒りの火だ。
 もう動きようのない逆巻は今もほんの少し視線を動かすだけで目に入り、白く弾けたその炎は自分の体内を焼き尽くさんばかりに燃え上がる。
 許せない。
 許せるはずもなかった。

「もうそういうのお腹いっぱいなんだけどなぁ。やれやれ、何度でも言うけど、人を殺したのは逆巻くんだよ? これはその報い。オーケー?」

 なにが、むくいだ。

「……お前がやらせたんだろ……!」
「ほえ?」
「俺たちを閉じ込めて、殺さなきゃ出さないなんて脅して……! 逆巻を刺して! 武器なんか配って……お前がこうなるように、仕向けたんじゃねぇか!」

 叫ぶほどに許せない、やるせない感情は膨れ上がって――しかし、モノクマは悪びれなかった。

「でもさぁ、相馬クンは誰も殺してないよね?」
「……っ?」
「同じ状況でも、オマエラは誰も殺してない。だけど逆巻クンと多可村クンは殺した、もしくは殺そうとした。この差がある以上、本人の問題なんじゃないの?」
「ふざけんな……! 状況って……そもそもこんな状況なのが異常なんだよ! お前のせいだ、お前の……!!」
 やれやれ、堂々めぐりだねぇ。
 と、モノクマは少しも堪えないように無い肩をすくめてみせる。
「で、相馬クンはつまりどうしたいの? ボクを殺したいの? 超高校級の陸上部員にしてキミの幼馴染みの逆巻クンを面白おかしくおちょくってビリでゴールさせた上に首ちょんぱさせちゃったボクを同じ目に合わせてやりたいとかそういうこと?」

 ハァハァ、息継ぎしないと苦しいよぉ、とどこまでもおどけた態度を取るモノクマ――諸悪の根源、最低卑劣な犯罪者に、俺の理性は消滅した。

 きっと、足を貫かれる直前の逆巻も、こんな激情に飲み込まれたんだろう。

 そんな妙な納得を最後に、俺はモノクマの首を力任せに掴み上げていた。
 許せない。
 逆巻を殺したこと。
 逆巻に人を殺させたこと。
 その上でのうのうと生き、人をおちょくっていること。
 こいつは単なる機械であり、操作している人間こそ本当の犯人――などというところまで思考は回らなかった。
 どうでもいい……なんだっていいから、その顔面に拳を叩き込んでやりたい……!

 しかし、できなかった。
 どす黒い怒りは未だ頭から爪の先までうずまき続けているが、スカートのひだがモノクマの姿を隠し、俺は拳を振りぬく先を見失ってしまったのだ。

「どけ」
 それでも左手に掴み続けている怨敵をいっそう絞め上げながら言う。
「どけよ」
 目の前に立ちふさがる少女へと。
「邪魔すんな二ノ」
 瀬、と言い切る前に、左からの衝撃で視界がぶれた。


 何をされたか。
 考えるまでもなかった。頬を思い切り引っ叩かれるのは、俺にとってはこれで二度目なのだから。


 夢以上に熱さと痛みを伴って、頬がじんじんと痺れている。それを打ち抜いた手のひらはそのままに、二ノ瀬は無表情で俺を見据えていた。
「モノクマを殴って、死ぬのはあなたです」

「……別にいい、俺は、こいつを許さ」
「逆巻くんは」
 その名前に、俺は吐き捨てようとしていた言葉を呑み込んだ。
「逆巻くんは、相馬くんを死なせたくなかったと言いました」
 抑揚に欠けた声が、瞳が、俺に言う。
「なのにあなたは死ぬんですか」
「…………っ」


『だって……相馬は殺せねーよ』


 逆巻の声が甦る。
 視界の端にいる動かなくなった逆巻に、その声が重なる。
 俺を死なせないために笑って死のゴールへ赴いた逆巻は、そのすぐ後に俺が死んだことを知れば一体何と言って吠えるだろうか。
『はああああ? ふっざけんなよ相馬ぁあああ! 意味ねーし! オマエが死んだら、オレが死んだの意味ねーじゃねーかアホ相馬ああああ!!』
 ……そんな声がいとも簡単に脳内に生成されて、釣り上がり続けていた俺の目尻が緩んだ。

 涙で視界がぼやけるのに合わせて、左手からも力が抜ける。
 殴る気は――死ぬ気は、無くなっていた。

「もう! すぐに暴力に訴えるなんてとんだ問題児だよ! さすがは逆巻クンの類友だね、規則違反だね、おしおきだねおしおき!!」
 と解放されるなり喚き散らすモノクマを、
「暴力なんて酷いわー。モノクマせんせーに止まっとった蚊を、相馬くんが叩いてあげよーとしとっただけやでー」
 みえみえの嘘でなだめる由地や、それに次々賛同していく皆の声を聞きながら、俺はぼんやり、目の前の人物だけを見つめていた。
 モノクマではない。
 俺をこの世に引きとめてくれた、鉄面皮の少女をだ。

 ……二ノ瀬。

「…………わるい」

 果たしてそれをちゃんと言葉にできたかどうか、自分のことなのに俺には判断できなかった。
 視界がぼやけていたのは、涙のせいだけではなかったようだ。
 疑いたくもない人を疑って。
 暴きたくもない嘘を暴いて。
 失いたくないものを失って。
 メンタルは強いと思っていたが、限界だったんだろう。
 見つめていた二ノ瀬の姿が不自然に傾いたかと思えば、真っ黒に塗りつぶされた。逆巻が死んだ場所で、俺が覚えているのはそこまでだった。






 夕空。
 アスファルトに座り込む俺と、それを見下ろす二ノ瀬――によく似た少女。
 頬の痺れる俺に対して何かを言う彼女の声は頑として聞こえなかったが、聞き取れないまま、俺は何かに導かれるように少女から視線を外した。

 その先には、ドアがあった。
 アルミ製のたいして頑丈でもないそれがひしゃげそうな勢いで開き、俺は目を丸くした後、ドアの先から現れた人物に目を眇めた。
 汗に濡れる逆立った髪。
 肩で息をする赤いジャージ。
 ああ。
 なんだ、逆巻。
 お前もいたのか――






「グッモーニンッ! まだ夜時間だけど、おはよう相馬クン!!」

 夕空は消え、ドアから駆け込んできた五体満足の逆巻も消え、いつの間にか俺は白と黒に色分けされたクマを眺めていた。
「…………てめぇ……」
 目覚め方としては最低だ。
 寝ぼける間もなく逆巻の死を思い出してしまった俺は、枕に身を沈ませたままこちらを見下ろすモノクマを睨んだ。

「朝の挨拶もできないなんてゴアイサツだね。まったく、倒れたキミを担架で運んであげたのは誰だと思ってるんだい?」
 ぷりぷりと怒るモノクマの背後に見えるのは、ベージュ色の、もはや見慣れた希望ヶ峰記念病院の自室の天井だった。
 あのスタンド――逆巻を殺すために用意された嘘くさい競技場から、俺は気を失っている間に戻ってきてしまったようだ。

「……モノクマ……」
「何? 何だいその、共に川を遡ってきた親友を熊に捕食されてしまった鮭のような目は。ボクに一矢報いちゃう? そしておしおきされちゃう? うぷぷ、ボクは構わないよ。ちょっと時間をくれれば、超高校級のリベロのためのスペシャルなおしおきを用意するからさぁ」

 ……違う。
 何もかも顧みずに手を出す気なんて、もう無い。逆巻が残忍な殺され方をしたのと同時に、あいつが、二ノ瀬が、皆が俺を生かそうとしてくれたのを俺は覚えている。
 ただ、訊きたいだけだ。
 これだけは――絶対に。

「……逆巻が言ってた話だ」
「うん?」
「それと……生徒名簿の、俺のページの間違いの話」
 それだけ言えば、モノクマは不自然に沈黙した。
 俺は確信を深める。
 あの時、逆巻が無謀にも怪我した足で立ち上がって“俺に感じる違和感”を告げた時、モノクマはまるでその件をうやむやにするようにおしおきを押し進めた。

「俺の身長は167センチだ。だけど、生徒名簿では175になってる。それを指摘すれば、お前は『間違いなんてない』と言った。お前の言うことだから俺は信用せずどうせただの間違いだって思ってたが……逆巻も言った。俺の背が伸びてる、と」

 死を覚悟した逆巻が、最後の最後でくだらない嘘などつくはずない。そもそもバカでまっすぐで走ることしか考えてないヤツだ、そんな嘘をつこうだなんて思いつきもしないだろう。
『よかったな』
 俺が170に届きたくてしょっちゅう家の柱で測ってたことを知っている逆巻は、そう素直に喜んでくれた。
 が、異様な話だ。
 数日前より伸びているとあいつが言った通り、最後に測った入学式前日から、たった五日で8cm――第二次成長期もびっくりだ。
「わお! 第二次成長期もびっくりだね! バレーボールで背の高さは重要だものねぇ、このまま行けばブロッカーにも転向可能なんじゃないうぷぷ」
「リベロが好きなんだよ! 誰が転向なんて……じゃなくてはぐらかすな! いきなり8センチもなんてありえねぇし、『間違いなんてない』って言ったお前ならなんか知ってんだろ!」

 かけ布団をはがして詰めよれば、「もぉ、一応キミ倒れたんだよ、安静にしてて欲しいんだけどねぇ」 と肩らしき部分をすくめた後……低い声で嘲笑した。

「うぷぷぷ……別にね、隠すようなことでもないんだよ。例えばこのコロシアイ入院生活を外から、まるで小説を読むかのように見ている人がいるとすれば、彼らにとってはそれはもはや謎でもなんでもないんだよ。いわば前提事項なんだよね」

 意味が、分からない。
 
「後生大事に引っ張るべき事柄ではないとは思うんだ。同じ展開、二番煎じ、そう言われるのはボクも本意じゃないし。だけど……意味が分からないって感じのキミの顔を見て、やっぱり今は言わないことに決めたよ。うぷぷ、どうせ言っても信じないだろうしね」

 こちらを見透かしながら、しかし俺からすればまったく見えない話を一人で続けるモノクマは、
「ねぇ、相馬クン」
 こっちが身構えるくらい、妙に静かな声で言った。

「オマエラを、絶望させるのなんて簡単なんだよ」


 ――それが、答えなのだろうか?
 俺が絶望するようなことが、たった五日で身長が伸びた理由?
 意味が分からない上に、ただただ気持ちの悪さが胸の奥にへばりつくが……問いただすことはしないでおいた。こいつに何かを求めるなど、労力の無駄使いだ。
 何も求めない。
 こいつは――立ち向かうべき、敵だ。

「絶望……なんかするかよ」

 俺はまだ生きている。
 歩ける。
 走れる。
 行動できる。
 この身でやれることがある以上、絶望なんてしない。できるわけもない。俺は今、多可村と――逆巻出流の分までここにいるのだから。

「絶望も、殺し合いも、お前の望むようなことは何ひとつしてやらねぇ……今いる全員で生きてここから出る、それがお前への復讐だ……!」

 その叫びは、モノクマに投げつけるものでもあり、自分に言い聞かせるものでもあった。
 絶対に屈しない。
 逆巻のように、前を向くことをやめない。
 そんな俺の目を見て一息あざ笑ったかと思うと、モノクマはぴょんとベッドから飛び降りた。

「はいはい、熱くなっちゃって、血圧上がってまた倒れても知らないよー。ま、せいぜいありあわせの布で繕った希望に向かって頑張ってよ。ボクがそれを絶望のハサミで切り刻んであげるからさ!!」


 そして誰もいなくなった部屋で、俺は拳を握りしめる。

 とめどなく溢れる憎悪を、抑え込み、そのすべてを希望への活力へと変えるまで――長い、長い時間、手のひらに爪を食い込ませ続けた。




 第一章 絶望入院生活 END







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