「おやおやぁ? 初めての学級裁判を見事大正解で終えることができたのに、オマエラときたら顔色が悪いですよ? ビタミン足りてる?」 モノクマの声など、この場の誰にも届く余地は無かった。 自分たちの中に、犯人がいた。 仲間が、同じ仲間を殺した。 その事実の重さに崩れ落ちないのが奇跡的なほどだ。 きっと皆が耐えられているのは、自分よりも苦痛を感じている人間の存在を知っているからだろう。 皆の視線が、その一人に集まる。 ――俺に、だ。 逆巻、と名前すら呼べず唇を噛むのをやめられない俺とは対象的に、車椅子にふんぞり返る“クロ”はまったくの通常運転だった。 「あー! くそ、バレたバレた! うまくいくと思ったのに邪魔しやがってアホ相馬め!」 頬杖をついたまま、やけくそのように叫ぶ。 「で、あれだろ、おしおきすんだろ? さっさとやっちまえっての!」 「……理由、くらい、言え」 悪態をつく逆巻に、俺はようやく唇を噛む歯を解いていた。 苛立っていた。 どうしようもなく腹が立っていた。自分勝手に人を殺し、こっちの気持ちも考えないで、自分勝手に去ろうとしている幼馴染みに。 とはいえ、ここまで来てしまえば、見当くらいはついていた。 「……足か」 答えない逆巻に、駄目押しのように問う。 「治らねぇのか」 逆巻はそっぽを向いたままで何も言わず、 「……答えろよ」 それが俺の神経に触る。 「……てめぇ……ふざけんなバカ巻! 散々ケンカ売って、アホ相馬だとかぬかしやがって、都合が悪くなったらだんまりか!」 「……相馬」 「俺は許さねぇぞ。なんで多可村殺したのか、何も言わねぇままいなくなんのは……許さねぇぞ!!」 その時逆巻が見せた表情は、実に複雑な色をしていた。 驚いたような、悲しむような、それでいて――嬉しがるような。 最後には彼は何かを諦めるように苦笑いを浮かべ、詰めていた息を吐き出した。 「理由……は、まぁ、足っていやぁ、そうかな」 腿をぽんぽん、と叩く。 「でも、容態は今朝説明した通りだ、なんも嘘ついてねーよ。そのうち歩けるようになるし、リハビリ次第で走れるようにもなる。オレ的には勿論努力して努力して頑張り抜いて、予定通りオリンピックで金メダル取るつもりだしな!」 けどよ。 そうこぼした逆巻の笑顔からは、明らかに覇気が削げ落ちていた。 「けど……こんなところにいて、走れるようになるか?」 『リハビリ次第……?』 『そう! 今は動かせもしない、立てもしない絶対安静の状態だけど、そのうち歩けるようになるよ。その後のリハビリ次第で元の通り走ることも可能……だと思うよ! 医療技術の粋を極めた大手術に感謝してよね!』 『だったら……すぐにこんなトコから出せよ、モノクマ! まともな施設へ移せ!』 『失礼しちゃうなぁ。キミを助けてあげた病院じゃないか、こんな最先端の医療を備えた場所はそうないよ?』 『冗談じゃねー!! 医者とトレーナーは別なんだ、てめーに陸上の何が分かる! 走るスペースもろくにないこんな場所で、元通りになんか……!!』 『そんなにここから出たいんなら方法は一つ。仲間の誰かを殺して、退院するんだね』 『な――っ!』 『出たいんでしょ? 専門機関でリハビリ受けたいんでしょ? だったらやることは一つだねぇ』 『……っ』 『あ、これ逆巻クンの武器だよ! うぷぷ。みんなにも色々配ってるから、殺るならお早めにー。うぷぷ……アーハッハッハ』 『…………』 「こんなところでなんのリハビリができるっていうんだ……早いうちからちゃんと指導受けて、まっとうなリハビリしていかねぇとオレは世界最速に届かねぇ。予定が……ただの夢になっちまうんだよ」 だからって―― そう言いたげな的目の顔が目に入った。 俺も、そう思う。いくらまた走れるようになるために一刻も早くここから出たかったとしても、だからって、多可村を犠牲にしていい理由にはならない。 多可村もまた、誰かを犠牲にしてここを出ようとしていたが、 『俺も、リハビリ手伝うから』 同じ運動系部員だけあって、怪我がどれだけ致命的なものかは分かってくれていた。容態には触れず、ただ背中を支えようとしてくれた彼の言葉には何の裏もなく、それは繊細な多可村だからこその優しさだった。そんな相手を、殺して理由なんて無いのだ。 でも……俺は逆巻の幼馴染みだ。 だから、知っている。 逆巻出流が走ることにどれほどの情熱を捧げているか。 生きるということは走ること。走ることこそ、生きているということ。走り続けられなくなることが、彼にとってどれほどの絶望か痛いほど知っている。 賛同なんてできない、してはいけない。 だけど、 「……っ」 その夢を、その生き様を、知ってしまっているから途方もなく辛い。 「出たかった。一刻も早く出なきゃと思った。毒入りキャンディ渡された時から、もう誰かに渡すことばっか考えてた。出たかったんだ。そのためなら、誰でも、殺せると思った」 ずっと気丈に話していた逆巻だが、 「……けど」 不意に、その声が揺れた。 「けど、よぉ……ずりーよ……」 滲む涙が、苦笑いが維持できなくなったのをきっかけに決壊して流れ落ちた。 次から次へ、ぼたぼたと。 初めて目にする友人の泣き顔に言葉を失う俺を放って、落ちる涙は際限無く逆巻の膝を、その上で握りしめる彼の拳を濡らしていく。 「誰かを殺せば、退院って、規則にはそれしか書いてなかったくせに、あんな、後から……!」 『クロを暴き出せなかった場合、間違ったクロを指摘してしまった場合は、皆を欺いたクロは晴れて退院となります。代わりに――クロも指摘できない超高校級のボンクラの皆サマはもはや入院している価値ナシとして、全員“おしおき”です!!』 「冗談じゃねーよ……俺がここから出るためには、俺以外全員……死ななきゃなんねーとか! 相馬も! 殺されるとか!! ふっざけんなよぉおおお!!」 ガシャンッ と、逆巻が殴りつけた車椅子の軋みが、俺の鼓膜を、心臓を揺さぶった。 「逆、巻……」 拳を叩きつけたまま動かない逆巻に、震える声で問いかける。 まさか、お前―― 「裁判で、勝つ気、なかった……のか?」 証言台に立つ皆がわずかにざわめいたが、だって、そうじゃないか。 裁判に勝って、退院すれば、他の生徒は死ぬ。それが受け入れられないなら、『冗談じゃない』のなら―― 負けて、自分が、死ぬ気だった。 そういうことじゃないか。 さっきまで慟哭していた逆巻は、時間をかけて息を落ち着かせると、少し目鼻を赤くした顔で笑った。 「だって……相馬は殺せねーよ」 俺の視界が滲んだのはきっと、その開き直った笑みが、屈託なさすぎたせいだ。 「裁判に勝って我々を殺す気など、なかったというのか……」 低くうなる佐田に、長谷部が小さく鼻を鳴らす。 「……我々じゃなくて相馬だけだろ。それ以外なら平気で見殺しにしてここから出れたってことだ。大体、ここから出るためには誰でも殺れると思ってたんだろ? で、実際多可村殺っといて、今更正義面されてもむかつくんだけど」 「……ですが……ですが、裁判に負ければ、命を落とすんです……それでも、相馬さんを殺せなかった逆巻さんを、私は……私は責められません」 「多可村が浮かばれなくてもかよ」 「…………はい……はい、私には、ぐすっ、誰も、何も、責められません……っ」 箱崎の涙に長谷部が黙った、その合間に、的目が苦しげに呟いた。 「……逆巻くん……裁判前から、ずっと、死ぬの、覚悟してたってこと、よね……」 それを聞き、俺は鼻の奥に痛みを抱えたままハッと顔を上げた。 裁判前、つまり、捜査の時から。 「捜査の時……お前がキッチンへ突っ込んだのって」 「あー、まぁ、多可村がさ、近くのごみ箱に捨ててねーかなって。キッチンに無かったら次は食堂のごみ箱に突っ込んでたぜ。……まー最悪見つかんなかったら」 ジャージのポケットから取り出したのは、手のひらに乗るくらい小さなもの。 白衣モノクママークが描かれた、飴の袋だ。 「こんなもん見つけたぜ! とか、証拠捏造してもよかったしな」 飴の袋……多可村を殺した凶器が見つかっていなければ、裁判は多可村がクロとして結論づけられていたかもしれない。 しかし逆巻はそれをよしとしなかった。 自分を追い詰めた証拠を手に、曇りなく笑う逆巻が腹立たしい。こっちの気も知らないで。こっちの感情が追いつかず、どれだけ千々に乱れているかも知らないで。 そうしてまた、逆巻は一人笑顔でこんなことを言う。 「オレがクロに決まって、こんな風にオマエに悲しまれんのも嫌だから、サイテーな殺人犯で恨まれて嫌われて終わりたかったけどよ…………けど、やっぱ、これで良かったぜ! 喧嘩したまんまってのも後味悪いしな!!」 「終わりとか、後味とか……そんなこと言うなよぉ……」 ずっ、と鼻をすすり上げながらぼろぼろ涙を零しているのは、感情駄々漏れの糸依だった。 そうならないよう口を抑えて堪らえているのが黒田と的目で、それに失敗したのが……俺だった。 これから行われるだろう“おしおき”を思えば、頬を流れた水の処理などどうでもよく、それより一言でも多く逆巻が話すことを聞いていたかった。 「なぁ相馬。覚えてるか? オレが、オマエに、なんか変だって言ったの」 それは脈絡の無い話だったが、俺は黙って耳を傾ける。 「えーとな、確か、ここに来てすぐだ! モノクマが出てくる前! オマエ見て、すっげー違和感あって、でも何が変なのかイマイチ分かんなくて……でもな、電子生徒手帳の名簿見てて気付いたんだ! 正直意味分かんねーけど、でもこれだ! って思ったんだよ!」 逆巻が興奮気味に訴えることはいまいち要領をえなかったが、 「白鷺、佐田、ちょっと肩貸してくれ」 両隣の二人に声をかけ、無茶で無謀でとんでもないことをし始めた怪我人に、黙って話を聞いていた俺もさすがに驚いて駆け寄るしかなかった。 動かない足を自分で床に引っ張り下ろし、 「ぐ、ううう……!」 あまつさえ、逆巻は立ち上がろうと両腕を車椅子に突っ張ったのだ。 「な!」 「くっ!」 慌ててそれを支える佐田と白鷺。その二人に半ばぶら下がるようにして目線を高くした逆巻は、 「てめぇ、何無茶なこと!!」 「伸びてる」 相当痛むのか、荒げる息の合間に一言呟き、詰め寄りかけた俺を一瞬ぽかんとさせた。 「は……? つーか、とにかく座」 「やっぱ、ハァ、身長、伸びてるわ、相馬」 身長。 その単語を聞いて俺は今度こそ言葉を失った。 その間に痛みが我慢を超えた逆巻が車椅子に倒れこむように舞い戻る。 「意味、ハァ、分かんねーけどさ、ハァ、オマエ身長、伸びてるよ、ハァ、中学ん時より、つーか、希望ヶ峰に行った日より? 並んで校舎見上げた時より、伸びてんだ、たった数日のはずだけど、ハァ、意味分かんねーけど……」 でも、よかったな!! と、脂汗を浮かべたまま笑う。 「リベロでも、身長あった方がいいもんな、バレー!」 「はいはい、そろそろベッタベタの青春友情ごっこはお開きにしてくれない? 後の予定が詰まってるんだからさぁ。もうテッペン越えちゃってケツカッチンなわけだよ」 俺が何か言葉を挟む前に、モノクマが玉座の上から間伸びした声を轟かせた。短い足を組み、イライラとタバコの灰を落としているそいつによって、俺は一瞬失念していた“後の予定”を否応なく思い出させられる。 「やめろ」 「さぁて、お待ちかねのおしおきタイム、行っちゃっていいよね? いいともさー! というわけで、病院内の規律を乱し、多可村クンを卑劣にも毒殺した超極悪犯罪者の死刑を執行したいと思います!」 「やめろ……!」 「相馬」 「“超高校級の陸上部員”である逆巻出流くんのために、スペシャルなおしおきを用意しました! それでは張り切っていきましょう!」 「じゃあな」 「おしおきターイム!!」 「オマエと十年近くダチでいられて、すげー楽しかったぜ! 走ることの次にな!!」 赤いボタンにピコピコハンマーを降り下ろすモノクマ。 車椅子の上で晴れ晴れと笑む逆巻。 押されるボタン。 その中で。 「やめろおおおおおおお!!」 俺の絶叫など、何の役にも立たなかった。 “GAME OVER サカマキくんがクロにきまりました おしおきをかいしします” 裁判場が真っ赤に染まった。 それが突然点灯した巨大モニターによるものだと、デフォルメされたドット絵の逆巻がモノクマに連行されていくアニメーションが流されているなどとは認知しないまま、俺はとにかく逆巻へと手を伸ばしていた。 突如逆巻の背後から現れた鎖が、車椅子をがんじがらめにし、元いた暗闇へと彼を引っ張りこんで行ったのだ。 それに手を伸ばす。 届かない。 白鷺離せ。 佐田も止めるな。 あいつを、あいつを連れていかせるわけには―― しかし結局手は届かず、何も止められないまま、俺はそこに立っていた。 陸上競技場の、スタンドだ。 逆巻は、車椅子に座ったまま、競技レーンのスタートラインで前を見つめていた。 俺はそれをスタンドから食い入るように見つめている。 ただし競技場内とスタンドを隔てるように鉄柵が張られており、俺があちら側へ行くことは叶わなかった。 俺は、俺たちは、逆巻に執行される刑をここから見ていることしかできないということだ。 競技場は一般的なものより少し小さく思えた。それはきっとここが地下で、この競技場もスタンドも嘘くさい青空もすべてこのおしおきのためだけの作りものだからなのだろう。 しかしそれにしたって、どれだけの費用や労力がこれにかかっていることやら――などというくだらないことを考える暇も余裕も俺にはなかった。 トコトコ、とやってきたモノクマが台に上り、スターターピストルを掲げ、丸い耳を一つ塞いだかと思えば――ぱあん、と破裂音が鳴り響く。 俺たちの正面の電光ボードが告げていた。四百四十四メートル走のスタートだ。 ぎゅるん、と音を立てて、車椅子の車輪はレーンの直線に沿って爆走し始めた。反動でのけぞり、一瞬驚くような顔をした逆巻を見るに、そこに彼の意思は働いていないようだ。 走らされている逆巻。 その疾走を、意にも介さず追い抜いていく者たちがいた。 モノクマ……の等身大イラストが描かれた、木の板。それにラジコンカーのようなタイヤをつけたものが、第四レーンを走る逆巻の周り、第一、第二、第三、第五レーンをぎゅいいいいんとエンジン音を立てながら走っているのだ。 奇妙な陸上レース。 意味不明で、ふざけていて、これ以上なく人をおちょくった四百四十四メートル走。 だが、逆巻にとってはこの数日求めてやまなかった広い場所、勝負の場であることに代わりは無いようだった。 分かる。 車椅子をしっかりと握り直し、体を前にのめらせた逆巻の、ぎらりと光った目を見れば分かる。 歓声を上げるのもモノクマ、応援するのもモノクマ、芝生で審判を務めているのもモノクマ。 そして先行する他の選手もモノクマというレースは、数十秒後、最後のコーナーを曲がったところで佳境に差しかかっていく。 コーナーを立ち上がると共に遠心力から解放された逆巻は、開けた視界の先に運動会のごとき真っ白なゴールテープを見たはずだった。 瞬間、その目に燃え立つ炎が一層激しさを増す。 ゴール。誰よりも早くそこを駆け抜ける。それが超高校級の陸上部員、逆巻出流である。 テープなど普通の陸上競技では存在しない物であるが、その分かりやすい目印は彼の闘争心を煽るには十分だったようだ。 しかし、わざわざ二体のミニモノクマが台に乗って掲げるテープは、車椅子に乗る逆巻には少し、高いような―― 思った傍で、美芝が悲鳴を上げた。 俺も心臓を殴られたような衝撃に襲われる。 第三レーン、トップを独走していたモノクマ……が描かれた板が、ゴールしたその瞬間に首から上が跳ね飛んだのだ。 頭を失ったモノクマラジコンカーは、頭を失ったままトロトロと走り、やがてカタンと横倒しになった。タイヤだけがからから空走している。それとまったく同じことが、その後も続いた。 第二レーンのモノクマも、第一も、第五も、ゴールしたのと同時に板の首から上が跳ね飛び、下だけがゴールラインをとろとろと越えていく。 そして――ゴールテープはずっと張られたまま。 その意味が分からない者は、この場には誰もいないようだった。 俺は戦慄するままに、鉄柵にすがりつく。 あのゴールテープは、テープではない。 猛スピードで突っ込んでくる板を豆腐のように切り裂く、恐ろしいほどの切れ味を持った凶器だ。 爆走する車椅子の上で、逆巻も顔色を変えていた。 モノクマラジコンカーと車椅子の逆巻はほぼ同じ背丈。想像される末路も、言うまでもなく同じだ。 終わりを知った逆巻は、一瞬悔しそうに目を細め――しかし、すぐにそれを見開いた。 鉄柵の間から俺が見た限りでも、その両目がぎらりと光を放っているのが分かる。 逆巻はゴールを見据えていた。 走ることに日々を、生涯を、命を捧げ、今、不本意なりとも最後のレースに挑む彼はまっすぐゴールだけを見据えていた。 俺が叫ぶ声もきっと聞こえていないだろう。 車椅子は止まらない。 モノクマの歓声もやまない。 ゴールを捉え続ける逆巻の両目からも炎は消えない。 俺の懇願など吹き飛ばすように車輪は悲鳴を上げながら最後の直線を突っ走り――そして。 逆巻の首は、胴から離れた。 俺たちの目の前をひずんだ車椅子と赤いジャージと血しぶきだけが通過していき、やがて横倒しになる。 俺は分からなかった。 頭を失った胴体と、走る体を失った頭、どちらを見つめて泣けばいいのか分からず、鉄柵を握りしめたままずるずるとスタンドに崩れ落ちる。 ただ。 無残に跳ね飛び、転がってなお、未だ見開かれ続ける瞳を見て、あいつらしい、とだけ思った。 逆巻出流は、最期までゴールを目指し続けたのだ。 ← back → ------------------------ |