1. 焼けつく砂の上で




 ここで、死ぬんだと。
 そう静かに諦めた。

 地を這うような獣の声が耳をなぶるが、逃げたくても、死にたくなくても、体はまったく動いてくれなかった。これは、今さら仕方がない。数時間前に目が覚めた時にはもう、右腕以外の感覚がなく、起き上がることもできなかったのだから。
 おまけにこの暑さ――真夏のようにじりじりと照りつける太陽と、その熱を余すことなく受け止め、湯気にも似た熱気を立ち上らせる一面の大砂漠。
 そのど真ん中にどういうわけだか放り出され、身動きのとれないまま過ごした永遠にも似た時間の中で、体力など根こそぎ絞りとられていた。
 同時に、精神力も。
 もう、どうにでも、なれ……。
 そんな思いで、まぶしすぎる陽光を目を閉じて遮断した。

 眩さだけが支配する視界の中で、干からびて死ぬのも、よだれを垂らして近寄ってくるオオカミどもに食われて死ぬのもそう大差ない気がし始めていた。
 オオカミ……だと思う。仰向けになっていた体に飛びかかり、肌を食い破ろうと犬歯を剥いたその猛々しさは、しつけの行き届いてない大型犬さえ可愛らしいと思うくらいに、獰猛で、野生的で。無我夢中で掴み取り、投げつけた砂で一度は後退させたものの、それでこっちの力は尽きた。
 今また近づいてくるいくつもの唸り声に、もう、虚しくて、怖がる気力も沸いてこない。
 人っ子一人通らない砂漠のど真ん中で、死の覚悟ならとっくにできていた。
 暑さで意識が朦朧としているせいもあるだろうが、なんでこんな所にとか、なんで動けないんだとか、そもそも――
 ここ、どこだ?
 そんな根本的な疑問すら、遂にどうでもよくなってしまった。

 どうせ、もう。

 飢えた獣が一吠えして砂を蹴り、まぶた越しに日の光を遮った瞬間はさすがに体中の汗が一気に冷えたが、どうせ、どうにもならないと固く目を閉じる。
 いっそ早くとさえ願いながら、諦める。

 しかし耳を突いたのは、オオカミの高い高い悲鳴だった。
 圧迫感が消え、再びまぶたに日が差し、戸惑う……のを待たずに、別の音が鼓膜を刺激した。
 何かが空気を切る音。そしてドッ、と砂に突き立つ音。
 首を右に捻りながらおそるおそる目を開けると、視界の中で垂直に広がる砂漠に、細い棒が突き刺さっていた。脱水症状でかすむ目では確認しづらかったが、先には薄っぺらい、白いものがついている。まるで矢羽……矢?

「レックス!」
 久方ぶりに聞いた人の声につられて上を向けばそこには、真っ青な空を背景に、矢を生やし、身をくねらせる獣のシルエットがあった。
 動きを止めたその物体は砂へと落ちる、が、新たに一匹が歯を剥いて飛び上がる。ひやりとしたが、仲間を射られて逆上するオオカミを対空で迎え撃つ者がいた。
 太陽に、その一閃がきらめく。
 その人物が振り上げたものはいかにも剣の形をしていて、斬り上げられたオオカミからは血のような液体が飛び散ったように見えたが――
 耳鳴りがひどくなり、ぼやける視界がさらにぐらつき始めた中、それは見間違いだと思った。

 砂塵を巻き上げて着地した細身のシルエットが、一匹を斬り殺してなお凛々しく剣を構える……なんて、まるきりファンタジー映画で。
 熱風になびくその絹糸のような髪も含め、果たしてこの光景は、現実なのだろうか。
 その答えを掴み取る前に、保つのに限界を迎えた意識は現実から切り離されてしまった。




『寒っ……』
 頭がぼんやりしてくるほど暖かかったコンビニから一歩出た途端、寒風は容赦無く肌を刺した。
 漫画雑誌片手にちょっと暖をとりすぎたらしい。ぬくもった体にはあまりに堪える気温の落差に、思わずダウンジャケットのポケットへ両手を突っ込み、首もファーの中へできるだけ引っ込ませる。
 遅れて出てきた友人も同じような動作をし、身を縮こまらせた二人の高校生は足早に家路を歩き出した。

 友人が、赤い伊達メガネ越しに空を見上げて白い息を吐く。
『なんか、暗くね? 降ってきそうだなぁ』
『あー……面倒くさくなってきた』
『ウチ来るって言ったのだろー』
 ……まぁ、そーだけど。呟くように言って、自分も機嫌の悪そうに垂れこめる曇り空を仰いだ。吐いたため息が、真冬の空気に冷やされる。

 降らねーといいな……雪。





 ……いやなんだよな、たいや、すべるから……
 まだ夢に片足を突っ込んだまま、まどろみながらごちる。しかしごちた先から内容は薄れて消えていった。愚痴も、まどろみも、見た夢さえも、急速に浮上していく意識に置き去られていく。
 そうして覚醒した目が最初に映したのは、板張りの低い天井だった。

 低い。ずいぶん低い。
 それゆえ視界いっぱいの天井にちらちら踊るオレンジ色の光はなんだか幻想的で、その正体が分からないまましばらく眺めてしまった。
 あったかいし……火?
 ようやくそう思って視線を動かし、でもやはり天井しか見えなくて、今度は枕にどっぷり沈んでいた頭ごと横に向けてみる――と。
 ベッド脇に、こちらを覗く目が。
「いっ――!?」
 驚いて、反射的にその視線から逃げるように体が跳ねる。と、途端、背中に一瞬呼吸ができなくなるほどの激痛が走り抜けた。
 悲鳴も出ない。中途半端に起き上がった変な態勢のまま一ミリも動けなくなり、歯を食いしばって耐え、「……てえぇ……っ」 ようやく声を絞り出せた頃、慌てふためいた様子でベッドに身を乗り出す少年が目に入った。
「ダ……ダメだって、怪我してんだから! 兄ちゃーん!」
 結局おろおろするだけで本人は何も手を出せず、飛ぶように誰かを呼びに行ってしまった。見た感じ小学校高学年くらいなので仕方ないだろう。
 にしても……と、少し緩慢になってきた痛みの中、涙目で思う。
 金髪なんて……派手なガキ。


 少年が呼んできたのは、これまた日本人離れした髪の持ち主だった。
「動かないでね、そのまま」
 そう言って彼はさするように背中と左腕に手をあてる。その首筋には、やや長めの灰色がかかっていた。いや、銀色と言うべきか、色素の薄すぎるその色はさらに光沢のあるプラチナシルバーと呼ぶべきか。
 自分の黒い癖っ毛とはまったく次元の違う、つい見入ってしまうほどの糸のような髪にはおぼろげながら見覚えがあった。

 砂漠を見下ろす、暴力的な太陽。
 それを背景に剣を振るう、細身のシルエット。

 ……こいつ?
 と自分の体に触れている少年を肩越しに見るが、判断はつかなかった。あのシルエットを見た時、そのしなやかなラインが女の人のようにも見えたのが尾を引いているせいなのか……そもそもあれは現実のことなのかさえ曖昧で、自分の中で色々考えあぐねている内に結局訊ねるタイミングを逸してしまった。
「ゆっくり、横になって」
 触れていた手を、体を支えるように肩へと移動させた彼に恐々従う。すると、あれ、という戸惑いと共に体はすんなりベッドに吸い込まれていた。
 さっきまで、ほんの少しも動かせなかったのに。
「痛みは楽になったと思うけど、治ったわけじゃないから無理はしないでね」
 彼の言う通り、脈打つように続いていた全身の痛みも息苦しさも感じない。一体何をされたんだろうと眉根を寄せかけたが、注意を促す声の優しい響きと、男にしては可愛らしい部類の顔立ちを、くしゃりと崩して浮かべた笑顔にどうでもよくなってしまった。
 満身創痍だと思われる自分を、彼は親切にも助けてくれているのだ。

 続いて左腕の包帯を直してもらっている間(添え木がされていて、どうやら骨折しているらしい)、彼の弟であるらしい金髪の少年が丸椅子をずるずる引っ張ってくる音につられて室内を見渡してみる。
 いくつかの照明……レトロなことにカンテラが照らす部屋は薄暗く、アジアンチックなカーテンからも光は差していない。日は沈んでいるようだった。
 そのせいか、肌寒い。
 しかも掛け布団が薄手の麻布で、着ているのは黒い半袖Tシャツだけときた。包帯を巻かれていない右腕に夜風が触れてぞくりとする。
 やはり砂漠でのあの暑さなど夢だったように思えてくるが、こうして怪我だらけなのだから現実だったんだろう。暑さも、そして、オオカミに襲われたことも。
 あの時、追いつめられていたとはいえ死を受け入れようとしていた自分はとんだ馬鹿だ。干からびるのも、食い殺されるのも……今考えるだけでゾッとする。
 まだこうして命のあることに胸を撫で下ろし、助けてくれた(のだろう)彼には礼を言っておくべきか、と視線を移したが、一呼吸早く向こうが口を開いた。

「俺はレックス。君は? この国の人じゃないみたいだけど……」
 やっぱり外国人かハーフなのだろうか。銀色の髪と、幼げながら整った目鼻立ちにはカタカナの名前が合っていると納得しながら、自分も答えるべく口を動かした。

「……?」
 目を丸くしてレックスがした反芻は、どこで切ればいいのか分からない、というようなイントネーションだった。やっぱり英語圏の人なのか? と言い直す。
「えーと、が名前。だから、……かな」
 口に出してみるとちょっと照れくさい英語表記。ネイティブティーチャーの授業のような恥ずかしさにひきつり笑いを浮かべてしまったが、レックスが理解したように頷きながら「」 と呼んでくれたのは救いだった。
 と、間髪入れずに椅子にちょこんとまたがる少年が声を上げる。
「俺、ヴァン! うち二人だけど、治るまでいていいからな、!」
 二人だけ?
 治るまでいていい?
 ……ガキのくせに呼び捨て?
 突っ込みどころの多い発言だったが、こんなに人なつっこい笑顔でされてしまっては詮索することも張り倒すこともはばかられ、とりあえず小さな少年がいっぱいに示す好意にあてられるように愛想笑いを作って返す。
 返しながらも、もう一つ、引っかかるところがあって微かに首をひねった。
 こいつ、ヴァンっていうんだ。ヴァン。で、兄貴がレックス……?

 なんか最近どこかで、と考えがまとまりきる前に、包帯の端を留め終えたレックスが訊ねてきた。
は、どうしてあんなところに?」
 というか……とレックスは部屋の壁に目をやる。ちらちら揺れる炎に、黒のダウンジャケットが照らし出されていた。
「どうして、あんな格好でダルマスカ砂漠になんか?」

 ……ごもっともだ、と心の中で返事をする。
 近くのテーブルにはさらにダークブルーのパーカーとカッターシャツが畳み置かれていた。それらと一緒にクソ暑い砂漠で身につけていたジーンズは、緩められているベルトと共に今も自分が履いている。大量の汗を吸った末、まだ生乾きのそれはとても冷たく、思えば肌寒さはこのせいもあるかもしれない。
 炎天下の砂漠で、こんだけ着てぶっ倒れてれば異様に思うよな……。
 俺だって五体満足ならこんなサウナスーツすぐに脱いでたさ。そもそも好きで砂漠になんていたわけじゃ……と、そこまでグチったところで、ん、と気付く。
 “どうしてあんな格好で”よりも、遥かに引っかからなければならなかったその後の言葉がリフレインし、思わず、訊き返す。

「だる……ますか?」

「そう、東ダルマスカ砂漠に、一人で、あんな厚着で、荷物も持たないで。自殺行為としか思えないよ」
「兄ちゃんが見つけなきゃ、干からびてるか、ウルフの餌だったんだぜ? 兄ちゃんがパンネロのおじさんについてく行くことなんてあんまりないし、ラッキーだよ、ホント」
「ぱん、ねろ……」
 自分の武勇伝のように語るヴァンの言葉の大半はスルーして、は自分の知識にある名前を反芻した。
 そう、この得意げな顔をしている子供だって、“ヴァン”だ。そして……。
 が未だ明確な答えを返さないせいか、心配そうな顔をしている“レックス”を見上げて訊いた。
「……ここは?」

「ラバナスタ。……の、俺とヴァンの家。居住区でもはずれの方で、狭っ苦しくて申し訳ないけど」

「…………はは」
 つい、口から心のこもっていない空笑いが漏れた。
 レックスが苦笑混じりにした謙遜に対しての、愛想笑いではない。
 ダルマスカ砂漠、ラバナスタ、ヴァン、パンネロ、レックス――
 自分がプレイしたことのあるRPG、その用語のオンパレードに、何だか可笑しくなってしまったのだ。

 やっぱりこれは夢なのかもしれない。
 そうでなきゃ、どんなドッキリだ。




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