2. 取扱説明書
残念ながら、二日経っても夢は覚めなかった。
寝て起きてもやっぱり目に入るのは低い天井で、おはようと言ってくれたのはレックスとヴァンだった。自分を取り巻いていた季節は冬だったはずが、気温は連日高く、ここでは年中だという夏のような日差しが窓にかかったダルマスカ特産の麻織り物の間から差し込んでくる。
……何の冗談だろう。
ただ、怪我の方は順調な回復ぶりだった。
脱水症状はすぐに改善されたし、背中全体に受けたらしい打ち身も、まだあざは残っているが痛みはない。
左腕の骨折は安静が必要だったが、あとの怪我は右足の捻挫だけで、それも松葉杖を使えば窓際まで歩いて行き、そこに置いてある丸椅子に腰を下ろすくらいはなんてなかった。
三角の布に吊るされている左手をかばいながら、窓枠へ寄りかかる。
ダルマスカの王都、ラバナスタ……だと、レックス達が言う街。
まだ出歩いたことはないが、窓から眺める限り、背の高い建物の多さが印象的だった。ファンタジーのイメージからすれば意外にも思えたが、さすが王都というべきか。色こそ無機質な灰色ではなく温かみのある石や土の色だが、そのひしめき具合は東京丸の内もびっくりの都会っぷりだ。
しかしながらそれが、がまだラバナスタの街を歩いていない理由でもあった。
土地の節約のためなのか、居住区も高層建築が多い。いわゆるマンション。この部屋も、そんな中の三階フロアに位置している。
危ないから、松葉杖で階段は禁止。
家の物は好きに使っていいと高待遇でお世話になっているが、唯一レックスに注意されていることだ。
おかげで、こうして窓際に座ることがにとっての数少ない情報収集方法だった。
居住区のはずれとはいえ、住人は多く、人通りもなかなかだ。
立ち話に興じるお母さん方。その傍を笑い声を上げて走りすぎていく子供達。それを諌めつつ、仕事に行く若いお兄さん。皆この気候柄、露出の多い服装だ。
ああ、あそこで水瓶を運んでるバンガも薄着だなぁ。日焼けも何のその、ウロコ丸出しの上半身裸で仕事に精を出し……
……だめだ、あんなすごい生物、やっぱりスルーできない。
もしここが本気でファイナルファンタジーしちゃってるというのなら、がこんにちはと話しかけた日には、あのアリクイみたいな生物はにこりと笑って会釈して、流暢な人語を操るというのだろうか。
疑いのまなざしで見下ろしていた先で、奥様方とバンガが気さくに挨拶を交わしたように見えた……のは気のせいだったことにしようとした時、路地から現れた見慣れぬ女性に気付いては視線を動かした。
ぱちぱちと、まばたきした。
こうしてラバナスタウォッチングを始めて、見たのはこれが初めてだ。そのレアで、キュートで、むっちりセクシーな姿に、引き寄せられるように腰を浮かせる。緩く口を開けたまま、窓枠に身を乗り出す。
視線の先で白いウサギ耳が、銀髪と、胸と、お尻と一緒に揺れている。
ゲンキンなことに、口を閉じるのと一緒に怪我してることすら忘れる自分。遠い距離を少しでも埋めようと目を細めるを我に返したのは、出かけているはずのヴァンの声だった。
「あ、落ちかけてる!」
ハッとして建物の影に消えていったヴィエラから視線を剥がせば、窓の下から指さして叫ぶ元気なヴァンと、同じような年頃の少女が見えた。さらに、少女とそっくりなハニーブロンドを持つ女性がゆっくりと歩いてくる。
ここへ来るのだろう彼女らに、色々見透かされていないことを祈りたい。
ヴァンの言った通りいつの間にか窓から乗り出していた体を戻し、羞恥心から居住まいを正して、取り繕うように部屋を見渡す。
と、そうして見つけたのは、ベッドの上に出しっぱなしにしてある携帯電話だった。
やべ。
慌てて、松葉杖を引き寄せる。
それは自分の持っていた、数少ない物の内の一つだ。
ジーンズのポケットに突っ込んでいた、薄い二つ折り。ここがラバナスタだと聞いたその日に開いてみれば、しっかり圏外だった。電波の通じない携帯なんてせいぜいただのデジカメ。それだって、充電アダプタの無いここではそのうち使えなくなるだろう。
こんなガラクタだけなら別にヴァン達に見られてもいいのだが(科学もわりと進んでるようだし)――それをしてしまうと、同時にもう一つの持ち物も見つけられ、根堀葉堀聞かれそうで、それは非常にマズイ気がするのでとりあえずベッドの隙間に隠す。
もう一つの、より見つかってはいけないような気がする持ち物と一緒に。
少しよれた、薄い冊子。
どうしてこんな物を持っていたのか。
理由は分からない。覚えていない。思い出せない。が、見つかってはいけない反面、今の自分にとっては願ってもない“カンペ”だった。
階下で、パチパチと火の音がする。
狭いながらここはメゾネットタイプの住居で、使わせてもらっているベッド際の小窓から玄関とキッチンが見下ろせる。そしてこのベッドの真上の天井が低い理由は、そこに三階へ続く階段があるから。つまりの生活空間は家の二階に位置していた。(建物全体がこうしてこまごまと分かれているのを想像すると、まるで蜂の巣のようだ)
レックスの階段禁止令は、が一度キッチンへ下りようとして杖が滑って惨事になりかけたのをきっかけに設けられたものだった。それ以来、食事は二階へ運んでもらっている。
そんな恒例を了解しているヴァンと、その幼なじみであるパンネロが、をベッドに追いやってこの二階でテーブルの準備を始めていた。
ヴァンが大雑把に配置する椅子を、パンネロが文句を言いながら後から後からテーブルと並行に直していく。と、階下からの匂いにつられてヴァンは最後の四脚目を放り出して駆け下りていってしまった。
「もう!」 とむくれるパンネロに、女の子が先に成長するという逸話はどの世界も共通なのか、としみじみ思いつつ、は枕の下から出した物を、彼女に隠れてそっと盗み見た。
ファイナルファンタジー12……そのソフトに同梱されている、取扱説明書だ。
「パンネロは……いくつだっけ」
うんせうんせと運んでいる四脚目を定位置に下ろし終えた小さな女の子が、ちょっとはにかんだ表情でこちらを向く。
「十二です」
敬語なんてしっかりしてんな……と感心しながらも、取説に記載されているパンネロの年齢が“十六”であることを過ぎらせる。
「ヴァンはその一個上だよな。で、レックスが……」
「十五歳。さんは、一つ上なんですよね?」
「あー、うん……十六」
高校一年、なんて言ったらぽかんとされんだろうなぁ……レックスに言って、されたみたいに。
「でも、真っ黒な髪って、珍しいです。生まれつき、なんですよね」
「まぁ……」
おざなりに答えるが考えるのはやはり、興味津々にこちらを見上げるパンネロの年齢についてだった。
取説のキャラクターと同じ蜂蜜色のブロンドを、後ろで一本の三つ編みにしているこのあどけない少女がパンネロ本人だと言うのなら、単純計算で今はゲームよりも四年も昔ということになる。
「ダルマスカって、戦争とか……」
ちっちゃいパンネロがきょとんとしたので、は慌てて続きを引っ込め「あーいや……ダルマスカって、いいとこだよなー」 と下手なごまかしに変えた。戦争、そんな言葉はまだ子供のパンネロには縁遠いのか、「怪我が治ったら、案内しますね!」 と素直にはりきってくれる。
そこへ食器をかちゃかちゃ言わせながら、「何の話?」 とヴァンが上がってきた。自分のいない間に盛り上がってたのが不満らしく少々口を尖らせている彼に、年下ながらおしゃまなパンネロが大人ぶってみせる。
「私とさんのひみつー」
「なんだよそれ、俺は?」
「こらこら、後ろがつっかえてるわよ」
お子様同士の微笑ましいケンカがまた始まるかと思いきや、遮る声と足音があった。
両手鍋から湯気を立たせて二階へやってきたのは、ジェナという女性。パンネロの母親だ。
「はい、さん、ジャム」
「スプーン使えんの? フォーク持ってこよーか?」
「あっ、塗った方がいいですよね」
「そーだ、あーんしてやろっか、あーん」
「何枚食べます? あ、ナッツのソースもおいしいんですよ!」
「ほら、あーん!」
「あー、もう!! 右手は使えんだよ黙って食え!」
交互に焼かれる過剰なお世話に、とうとう耐えかねて主にヴァンに向かって怒鳴った。パンネロはともかく、こいつは絶対ふざけてる。
「そんなこと言って、こぼすなよなー」
ヴァンはたいして堪えもせず具たっぷりのスープをすすり、パンネロはにっこり笑顔でナッツソースと柑橘系のジャムを綺麗に塗ったパンを差し出す。
マイペースなお子様達に、の対面に座るジェナがくすりと笑った。レックスとヴァンの両親が亡くなって以来、料理のおすそわけをしたり、こうしてパンネロを連れてやってきて一緒に食事をすることも多いらしいが、今日はとりわけ賑やかな昼食だという。
……まぁ、タダ飯食らってる身で、役に立てたんなら何よりだ。
ジェナに自嘲気味な笑みを返して、堅そうなパンを手にとった。
あの日、商人であるパンネロの父親は仲間と共にキャラバンを率いていて、そこにレックスも雑務要員として加わっていた。いや、加わろうとしていた。いざ東門から出発し、砂漠を渡っていた最中に、辺りを警戒していた彼は行き倒れていたを見つけたのだ。
行き倒れに群がっていたオオカミ……もといウルフに弓を放ったのは、同行していた雇われハンター。彼が叫んだ「レックス!」 は、既に走り出していたレックスに対しての「今だ」 と「気をつけろ」 の意を含んだもので。
やはり、がうっすらと見た人影は彼だったのだ。
しかし助けたはいいものの、砂漠の熱射と異様な厚着のせいで脱水症状のひどい怪我人を置いて行くわけにも、長旅に連れていくわけにもいかない。
そんな状況での恩人になったのは、一行のリーダーであるパンネロの父親だった。
ウルフを倒した二人に怪我人を街に運ぶよう命じ、一人には後から追いつくよう、もう一人のレックスには仕事はいいからそのまま手当てをするようてきぱきと指示してくれた彼のおかげで、はこの家で手厚く看護されているのだ。
パンネロの父親にはまだ会っていない。
大黒柱はまだしばらく商業の旅から帰らないので、今日もこの後夕食までいて、ここの家事をしてくれるという優しいジェナは、ふとスプーンを握る手を休めての後方に視線をやった。
「あの上着、まだ洗ってないんでしょう?」
「あ、別に、あれはいいです」
ダウンジャケットだった。
砂は払ったし、そもそもシーズンの終わりにしかクリーニングに出さないし、真夏のようなラバナスタでは必要性も感じなくて丁重に断った。あれはしばらく、携帯と取説の隠し場所にでも使おうと思う。
「じゃあ、そのズボンは? 汗吸い込んじゃってるでしょ」
「え、いや……ジーンズもあんま洗わな」
「着替えはレックスのを貸してもらいなさい。後で、ぜーんぶ脱いじゃうのよ」
「脱いじゃうのよー」
茶化すヴァンの頭を、ジェナの母親パワーにかたなしになっていたはここぞとばかりにはたいてやった。
それでも悪ガキがいししと笑い続けている隙に、ジェナが、その子の手の中の空コップにミルクを注ぎながら言う。
「でも、あんな服を着てるなんて、よほど寒いところに住んでたのね。ブルオミシェイスの方かしら」
未だこの世界を受け止めきれていないは、肯定も、かといって否定もできずに曖昧に返事をしてパンに手を伸ばした。ブルオミシェイスの出身ではないが、やはりどこか寒い地方に住んでいた。そうとでも受け取ってくれれば幸いだ。
けれど、への質問はまだ終わらない。
「どう? 思い出せた? どうして砂漠に倒れていたのか」
パンをくわえたまま、一瞬動きが止まってしまった。
それは……
考えこみながら、引っ張るように噛みきる。
「……さっぱり、です」
こればっかりは、嘘でもごまかしでもない。
あの日は二月の中でも特に寒く、天気予報で太平洋側でも積雪かなんて伝えられるほどの寒波が襲った一日だった。
かと言ってそれ以外はいつもと変わらず、ダウンジャケットを着たままうとうとと授業をやり過ごし、自分と同じく部活に入っていない友達と早々と帰宅の途についた。暖まりついで寄ったコンビニで雑誌を広げ、このゲームはイマイチだっただの、始まった新連載が何週続くかだのと喋りながら居座るのも恒例事項で。
いつもと何ら変わらない一日……だった、はずだが……
『なんか、暗くね? 降ってきそうだなぁ』
『あー……面倒くさくなってきた』
そんな会話をしながらコンビニを出た後、家に帰った記憶がない。
その時着ていた学生服は着替えているし、帰宅はしていると思うのだが……あの日に見た重苦しい雪雲が立ち込めているかのように、判然としない。
雪……
心配していたそれが降ったかどうかも、分からない。
「そう……ご家族、心配されてるわね、きっと……」
ジェナこそ心配そうな声音でそう言い、ぼんやり冬の景色を思い出していたの顔を上げさせた。
家族……父と母と、姉、それからマメシバ一匹。砂漠でどれだけ倒れていたのか分からないが、ここで世話になって二日、さすがに捜索願いでも出されているだろうか。
またぼんやりしそうになったが、それよりも先に、眉を下げてこちらを見つめるパンネロが目に入った。
……ヴァンみたいにガキらしく、ミルでもガブ飲みしてればいいのに。
だが母親そっくりの心配そうな表情が何と言えば笑顔に戻るのかも分からず、結局視線を逸らして無言でナッツバターにかじりついた。
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