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 10.病みあがりウェイター




 祝、全快。
 というわけで、テツができる仕事の幅も広がっていた。うまくやれているかどうかは、また別の話だが。
 先日からの職場は、かの有名な砂海亭だ。


 ホールの笑い声が遠くの方で混ざり合うここは、酒場の厨房のさらに隅っこ。水流と陶器が騒ぐ洗い場だ。汚れた皿を洗ってすすいで拭き取って、手が空けば自分で皿を下げにもいく。そういう基本独りぼっちな場所を任され、一方でレックスがやっているホールの業務にあてがわれなかったのは面接の結果だった。
 ミゲロにも言われたことだ。愛想が無い。
 まぁ、文字での意思疎通に多大な不安があるこちらとしても、ぼっちな方が気楽だが。

テツー、二番と十番、下げてきてー」
 注文票を引っ掛けるついでに洗い場に声を飛ばしたのは、同じ砂海亭の店員であるトマジだ(ゲームで……えーと、出てきたような?)。テツより一つ年下だが、先輩なので呼び捨てはしょうがない。
 エプロンを外しがてらそれで手を拭いて、銀の盆を持ってホールに出る。
 二番テーブルはわいわいがやがや盛り上がっている一階にあるが、十番以降は二階のいわばVIP席。汚れた皿の片付けも当然こっちが優先で、テツはまっすぐ階段へと向かった。
 上がりきる前から目に入った十番テーブルの皿の量にうんざりしかかっていた時、おい、と呼ぶ声があって更にげんなりした。
 皿、接客、あと二番席の皿……ああダルイ。
 まずは客からか……と盆を脇に挟んでUターン、若い男の声がした方へ向き直る。

 もう一回、Uターンしたくなった。
 テツが固まっていると、男は後ろに慣らした前髪の下で怪訝そうに眉を顰めた。左手にいくつもはめたおもちゃの指輪や腕輪。色とりどりのそれを照明にさらし、人差し指だけで手招きする。
 渋々、平静を装って近づいていく。
 椅子にふんぞり返る、ラバナスタの住民ではないと一目で分かる都会的なファッションに身を包んだこのイケメン。

 ……っていうか、これ、バルフレアじゃね?

「レベイナー」
「は?」
 集中していなかったのに加えて、聞いたことの無い言葉だったためつい素で訊き返すと、それこそ『は?』 と言いたげな顔をされてしまった。
 その顔のまま、男は面倒くさそうに息を吐く。
「さ、け」
 そう、頭の悪い子に言い聞かせるように告げ、今度は犬を追い払うように手の甲を振った。
 は、何こいつ……。
 イラッ、という効果音を立てながら文句がせり上がってきたが、銀の盆の存在がそれをなだめた。お前今従業員だろ。……ああ。そうだ、残念ながらそうだ。
 仏頂面ではあったと思うが、形式的に頭を下げ、相手の顔を見ないまま踵を返そうとする。それを、ふと気付いたように男が引き止めた。
 見れば、指はピースサイン。
「グラスは二つ」
 ……相方のヴィエラでも来んのかね。
 やる気無く想像しながらまた軽く頭を下げて、注文を通すために階段を降り始める。
「……あ」
 やっぱり彼は、ここから見渡せる階下にその姿を認めていたらしい。
 ヴィエラ来たよ……。
 テツが思わず階段中央で動きを止めると、手すりに手をかけようとしていた彼女も上を向いた。いや、目を合わせても特に表情を変えないところを見ると、もっと早くからテツに気付いていたようだ。
 口元の微笑みを挨拶代わりに、淀みなく二階へ上がっていく彼女は――まぁ、何というか、後ろ姿を見送ってしまうほど、いい香りがした。


 *


「知り合いか?」
 開口一番そう訊ねてくるバルフレアに、少しね、とだけ言って椅子を引く。周囲から感じる、『人とヴィエラが相席? 恋人?』 というぶしつけな視線には慣れているが、今日はその相席の彼の目も似たようなものだ。
「お前が気にかけるようなイイ男でもなかったがな」
 目つきは悪い、愛想はねぇ、あげくに注文も通らねぇ。あれで酒場の店員が務まってるんならまったく恐れ入る。
 バルフレアの口から次々出る文句を区切りがつくまで聞き流し、静かになったところで口を開いた。
「どういう子かは知らないわ。名前さえ、ね」
 訝しむ彼をよそに、フランは足を組み、手すりの向こうの一階ホールを眺める。厳密には、そこにたゆたうミストを感じていた。

 土地によって濃度に差はあれど、普通、ミストはその場一帯に均等に満ちているものだ。ものの動きに合わせて絶えず流れるそれは、時には水に溶けたり、生き物の呼吸に混ざって体内に吸い込まれることもあるが、一カ所のミストが流動すればそこを埋めるように全体が流れ出し、満ち満ちて、また元通りたゆたう。空気と同じなのだ。
 完全にミストがなくなる空白地帯など、自然界ではできようもない。
 だが、今実際、それは存在していた。
 黒髪の少年が歩けば、ミストは二手に分かれて彼の両サイドを流れていく。手を伸ばせばそれに押されるように退き、腕を下ろせば元の通りに広がっていくが、決して一定以上彼に近づこうとしない。
 彼がミストを拒絶しているのか、ミストが彼を避けているのか。
 こんな現象を見るのは初めてで、いくら自然に近しいヴィエラとてその原因は分からない。
 しかし。

 盆を片手に一階で立ち止まっている少年に、フランは厳しく目を細める。
 これによって彼が被る不利益は、いくらでもあるように思えた。
 魔法が使えない以外にも――いくらでも。


 *


 レベイナーとグラス二つ、という注文を頭で繰り返しながらカウンターに向かっていたテツだったが、後方からの声にぎくりと足を止めた。

 三番テーブルの三人はどうやら旅行者で、アルケイディアかロザリアかは分からなかったがいかにもセレブな奥様といった風情だった。入ってきた時から「ガイドブックに載っていたにしては狭いわねぇ」 「騒がしくて嫌だわ、個室無いの?」 「何か敷くものくださらない? この椅子に直接は座れないわ」 などとクレームに花を咲かせていたところも含めてだ。
 そんな奥様の声で「ちょっとあなた」 と聞こえたものだから思い切り顔が引きつったが、「はい」 と応対したのはレックスだった。
「隣、違う席に移るように言っていただけないかしら」
「え?」
 レックスと一緒に、テツも離れたところから『あ?』 と“隣”を見る。四番席で機嫌よく酒を煽っているのはバンガの二人連れ。垂れ耳を揺らして笑っているのを見て、奥様方は眉も目も口も、歪められるものは全部歪める。
「うるさいし、お酒臭いし、そもそも……やっぱりバンガとこんな近くで食事するなんて、ねぇ」
 現代日本人のテツとしては、バンガが近くにいると食が進まないというのは正直分かる。人語を操るとはいえ見た目は爬虫類。それが人間と同じ大きさなのだから、きっとカンザキ家の母や姉は卒倒することだろう。テツも、道具ショップで少しは慣れたが、まだまだふとした違和感は拭えない。
 しかしこの奥様方は、生まれた時からイヴァリースにいてこれが普通のはずなのだが。
 そこでテツが思い出したのは、ゲームプレイ時の記憶だ。
 そういえばアルケイディアは、ヒュムだけが特別、というお国柄だった気がする。

「同じ店にいることも本当は嫌なのよ。でも我慢してるんだから、お店側も少しは配慮してくださらないかしら」
 ……いや、いやいや。
 嫌ならわざわざ来るなよラバナスタ。バンガとシークだらけだぞこの街。
 奥様方の自業自得な言動自体にもだが、それに対してレックスが返答に困らされていることが一番テツを苛立たせた。
 ちなみにテツに、堪え性という言葉はあまり無い。
 彼女らを睨みながら、テツは三番席へとつかつかと――歩み寄ろうとしたのだが、「ちょ、あんたは行くな!」 襟首をひっ掴まれた。トマジだ。
「絶対話がややこしくなるから」
「はぁ? なんねーよ別に」
「じゃあ何しに行くんだよ」
「ひとこと言ってやるだけだ」
「何て」
「“だったら来んな”って」
 一つ年下の先輩に、大ため息を吐かれた。……むかつく。
「いいからレックスに任せとけって。お前と違って愛想あるし、おばちゃん受けする顔だし」
 都会のマダムには受けてる様子ねーけどな。
 トマジにシャツを掴まれたままテーブルに視線を戻せば、明らかに困り顔のレックスがトラブルの中で孤軍奮闘していた。

「あいにく席が埋まっておりまして、あそこしか……」
 レックスが示したのは、テツが皿を下げる予定の二番席だった。
 空いている二番、奥様方の三番、バンガの四番。連続する番号の席は当然そのままの順で並んでおり、バンガに移らせたところでやっぱ奥様方のお隣さんというこの無意味さ。
 テツもトマジも『あー……』 と残念な顔をしたが、レックスはちょっと機転を利かせて、彼女らの方によろしければ、とあっちの席を薦めた。なるほどちょっと遠ざかる。テツとトマジは『おー』 と感心したが、それで納得するようなお客様ではなかった。
「どうして私達がわざわざ? それに、たいして距離も変わらないじゃない!」
 確かに、と呟いてしまった。トマジにオイ、と突っ込まれた。
 他に席はないのかと詰め寄られたレックスが二階にまだ空きがあることを告げたが、それに別途席料がかかることも付け加えると奥様方はさらにヒートアップした。
「迷惑被ってるのにこの上余計なお金取られるの!? あなたそれでもサービス業!?」
 レックスが、もはやギブアップ寸前の表情でこちらを見る。
 助けてやりたいけど俺はこいつに行くなって言われて……という意味を込めてトマジに視線をやると、「店長呼んでくるかなー……」 とこの場を離れかけている頼りにならない先輩の姿が。オイ。

 だったらやはり、言ってやろうと思った。
 望んでラバナスタ来といて、バンガでぐだぐだ言ってんじゃねーぞと。
 自分の中にそれを踏みとどまらせるものはなかった、が、足を途中で止めたのはテツより早くテーブルに近づく人物がいたからだった。
 彼女らの傍らまでやってきた彼は、目線を下げるために折った膝に、洗練された動作で片手を置く。その指に、カラフルアクセサリー。

「失礼、政民階級の方とお見受けしましたが」
 声の主に、一様に顔を赤らめた奥様方は見ものだった。都会のマダムは、やはり磨きのかかった都会的な若者にときめくのか。
「いえ、以前アルケイディスにいた期間がありましてね、その時……」
 彼の口元が、一人の奥様の耳に寄せられる。
 当然他の二人は真っ赤なトマト状態になるも、美形を近づけられた当の一人はなぜかみるみる青ざめた。彼女がこそこそと囁けば、友人二人の顔もこわばる。青年の存在も忘れたように顔を突き合わせていたかと思うと、ついには荷物を持ってガタガタと席を立ち始めるまでに至ってしまった。
 一人がお札(色合い的にアルケイディア札だ)をテーブルに置こうとし、迷って、やめた。あっけにとられるテツと大体同じ表情をしているレックスへ、なぜか隠すようにそれを押し付け、釣りはいらないことだけ告げると、そそくさと……

「あれ、帰ったのか?」
 空っぽのテーブルに、揺れるドア。
 何で? と言いたげなトマジに、さぁ……と首を捻りながらも頷くテツ。そんな二人に向かって、奥様方を見送った美形の男はつかつかと早足で近付いてきた。
 さっきまでとはうって代わって不機嫌そうに、まっすぐテツを睨んでいる。
「さ」 随分間をあけて、「け」
 通り過ぎざまに、言ったのはそれだけだった。
「酒って何だ?」
「……あ」
 すっかり忘れ去っていた仕事を、思い出したついでに今済ませようとトマジに告げる。
「レベイナーと、グラス二つ」
「……注文忘れてんじゃねーよ!」




「何て言ったの?」
 飲み物が遅いことに痺れをきらして降りていき、そして戻ってきたバルフレアは、椅子を引きながら答えてくれた。棒読みで。
「“あれは知ってるバンガなのですが、外民の出で、酷く特権階級を憎んでいます。指名手配もされていたはずだから、どうぞお気をつけて”」
「そうなの?」
「さぁ」
 バルフレアは飄々と肩をすくめた。
 嘘だとしても、自分達がアルケイディアのそれだと知られる前にそそくさと出ていった彼女らは、二度と来店することはないだろう。そして嘘だとしても、トラブルは消えて代金も貰え、店側としては大いに助かったに違いない。
「黒い頭のあいつ、やっぱりダメだぞ。遅いと思ったら案の定注文通してやがらねぇ」
 ぐちぐちと毒づく彼に、フランは目を細めた。
「その割に、助けてあげたのね」
「あん?」
 バルフレアは、心底不思議そうな顔をした。助けたなんてつもりは、本当に、まるっきりなかったらしい。
 組み換えたばかりの足を、居心地悪そうにまた換えた。その瞳はフランでも店内でもなく、遠い何かを見つめる。
「選民気取りが、目触りだっただけだ」
「そう」
 フランの短い返事を意味ありげに感じたのか、「何だよ」 すぐにそう噛みついてくる。大人びている、いや、大人びてみせようとしている彼だが、こういうところはまだまだ子供っぽい。所詮生まれてたかだか十八年だ。

「お待たせして申し訳ありません」
 酒とグラスを運んできたのは、見覚えのある銀髪の少年だった。フランを見て驚いた様子で会釈したため、こちらも軽く微笑み返す。しかし少年の本題は別にあるようで、すぐにバルフレアへと向き直った。
「あの、先ほどは……」
 その話はもういい、とばかりにバルフレアは手をひらひらと振る。
 礼を口にしそびれてしまった少年だったが、バルフレアの冷たさに特に嫌な顔をすることもなく、てきぱきと注文の品を置いていく。そして最後に、ナッツや干肉を数種類盛り合わせた皿を中央に。
「店からのサービスです」
 にこりと笑った顔は、ヴィエラの自分から見ても純粋で、澄んだもので。
 おそらくバルフレアも毒気を抜かれてしまったのだろう。どうも。そう口にする代わりに、グラスを持った左手を軽く上げた。


「彼、あの子の友達よ」
 他のテーブルの客に呼ばれて離れていく少年を盗み見ながら言えば、さっそくグラスに酒を注ぐバルフレアは興味なさげに答えた。
「それが?」
「いい子ね」
「いい店員ではあるな」
「知ってる?」
 フランも差し出したグラスに酒を注いでもらい、その液体越しに相棒と視線を合わせる。
「類は友を呼ぶのよ」

「……呼んでねえだろ、全然」




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