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 地下鉄が東京の動脈として動いていたのは、まだ日本が日本だった時代のことだ。
 戦争時に壊滅的被害を受けたそれはそのまま放棄され、よって光源など無い暗い構内の移動は暗視スコープ頼りだった。
 そうやって地道に歩いて探しているのは、テロリストの逃走車である。

 2017a.t.b.――やがてシンジュク事変という大きな歴史のターニングポイントにつながっていく事件の発端は、“反乱分子が、ブリタニアが極秘で開発していた毒ガス兵器を奪取した”というテロだった。
 そのテロリストが逃げ込んだ地下鉄内の探索が、スザク達、軍に志願した名誉ブリタニア市民……“イレブン上がりのサル共”に与えられた任務。
 ちなみに発見してもその位置報告までがサルの仕事。テロリスト確保は駆け付けた親衛隊が行うことになっていた。手柄など、そう簡単に上げさせるつもりはないのだ。
 今スザクが全神経を張り巡らせて探索に当たっているのは、何も、この任務を下した上官への忠誠のためではなかった。
 かつて経験してきた歴史の通り、自分が、逃走車の発見者になるためである。

 ナナリーは、ゼロ・レクイエムを起こさせるな、とスザクを過去へ飛ばした。
 しかし、突然そう命じられ、気付けば地下鉄にいて、やっと状況が飲み込めたばかりのスザクにはまだ判断がつかなかった。
 ルルーシュが望んだ、ゼロ・レクイエム。
 既存の世界を壊し、望みどおりの優しい世界を生み出したルルーシュの変革。彼が自ら命を捧げ、成し遂げたもの。
 それを阻む。
 ナナリーの鬼気迫る頼みといえど、それが果たして正しいことなのか。

 答えを出すには、時間が足りない。
 だから今は、歴史の流れを崩さないことに努めようと思ったのだ。もしこのままぼうっとして、誰かが先に逃走車を発見してしまったら。
 ……どうなってしまうかは、分からない。
 分からなくなってしまうことだけは、避けたかった。

「――!」
 聞こえてきた機械音。その方向をスコープで拡大すれば、逃走車であるトラック、並びにその後部コンテナに積まれた毒ガス兵器らしき物体が確認できた。
 スザクは任務内容通り、無線を通して発見の合図を送る。
 ほっとしていた。
 近くにまだ軍人はいない。
 いるのは、コンテナ内にしゃがみこんでいる、学生一人だけ。

 体が、目の辺りが、熱くなるのを感じた。

「ル……」
 手は無意識に防毒マスクをはずし、足は吸い寄せられるようにトラックへと向かっていた。
 幼なじみで。
 同級生で。
 親友で。
 敵同士で。
 憎んでも憎み足りない相手で。
 守るべき、主君。
 自分との関係を言い表す言葉はとても多く、それが増えるたびに、絆と因縁が深くなっていった少年。
「ルルーシュ……」
 一年前にこの手で殺した、もう二度と会えなかったはずの人。
 勝手に涙を流すスザクの瞳は、こちらに気付き、その濃紫の瞳を見開かせるルルーシュだけを映していた。

「ブリタニアの――!?」
 身構え、明らかに敵意を向けるルルーシュの、虚をつくような速さでスザクは駆けていた。その肩を掴みたかっただけなのに、勢いは止まらずコンテナ内で彼に尻もちをつかせてしまう。しかしそんなことは構いもせず、叫んだ。
「ルルーシュ……!」
 なぜ俺の名を、と警戒の色を見せるルルーシュは、間近で見るその顔はゼロ・レクイエムのその時よりもとても幼く見えた。時間的に、あれよりも一年と、半年ほど前だろうか。たったそれだけの期間で、随分きみは大人びたんだな、とスコープ越しに思った。きっと――たくさんのものを得て、そして失いすぎたから。
「誰だ、お前は……!」
 ハッと我に返ったスザクは、まだちゃんとした再会を果たしていないことに気付く。勿論、“十歳の頃に戦後のごたごたで離れてしまって以来”という意味での、だ。
 ふしかしながらそれ以上の歴史を抱えているスザクは、スコープを取るには少々ためらう事態に苦笑した。
 でも……仕方ない。泣き顔を見られてしまうことは、我慢しよう。
「僕だよ、ルルーシュ」
 スコープをヘッドギアごと取れば、コンテナ内の照明に照らされた、彼の驚く顔が見える。
「スザ、ク……?」
 が、すぐに険しい顔つきに戻った。
「……お前、ブリタニアの軍人になったのか」
 その非難の目に、スザクは胸を詰まらせた。

 ああ……思えば、最初に裏切ったのは、僕なのかもしれない。

 選択を間違ったとは思わない。しかしこの時ルルーシュは、辛かったのかもしれないとスザクは目を伏せた。
 自分もルルーシュも戦争でたくさんの物を奪われた。同じような境遇、同志。なのに、奪った側のブリタニアの駒として働いているスザクの行為は、ルルーシュにとっては裏切りに映ったのやも――

「!」
 スザクの沈黙を裂くように、コンテナに積まれた物々しい装置が音を立てた。スザクは、とっさに開き始めた装置からルルーシュを遠ざけ、そして強烈な光から彼をかばう。
 手に持っていた防毒マスクで、自分も光から目を守った。
 これはブリタニアが極秘に開発し、テロリストに奪取された毒ガス兵器――と、末端の兵士にはそう伝えられていたものである。
 その実は、違う。
 あふれ出る光の中から現れた緑の髪の少女こそ、本当の機密。ブリタニア第三皇子にしてエリア11総督、クロヴィス・ラ・ブリタニアとその周辺が秘密裏に捕縛していた、毒ガスよりも危険な存在。
 ギアスを与える魔女。


「……なんなんだ、これは」
 意識の無い少女の肩を抱き、ルルーシュが言う。
「スザク。ブリタニア軍が探しているのはこれだろう? 一体これは!」
 少女の拘束具をほどいていくスザクは、その作業をやめないまま、“この時代のスザク”として答える。
「……毒ガスだと聞かされていた。でも、こんな、女の子なんて……」

「……なるほど。民間人には話せないということか」
 予想もしなかったルルーシュの指摘に、スザクは手をぴたりと止めた。顔を上げれば、彼はすべてを見通したような目でスザクを射抜いている。
「この装置が開いた時、お前は防毒マスクをつけようともしなかった。本当に毒ガス装置だと思っていたのなら、かばった俺に対しても、呼吸をしないよう指示したはずだ。しかしどちらもしなかったお前は、分かっていたんじゃないのか? 入っているのはただの人間だと」
 何の弁解も、反証も浮かばないスザクは、口をゆるく開けたまま沈黙するしかなかった。
 甘く考えていたのかもしれない。
 まだゼロでも皇帝でもない、いち学生のルルーシュ・ランペルージだと思って軽んじたのであれば、自分はとんでもない馬鹿だ。
 言葉一つも誤魔化すことができなかった。
 彼を前にして、自分が先の歴史を知っていることを隠しながら、その通りに事を運んでいく。そんなこと、生半可な覚悟じゃ――無理だ。

「このサル!」
 構内に響き渡った侮蔑の声を、スザクは昔、聞いたことがあった。
「名誉ブリタニア人にそこまでの許可は与えていない!」
 まばゆいライトと共にスザクに浴びせかけられた怒号は、さきほどの合図で駆け付けた親衛隊、この時のスザクの上官のもの。そして、自分がしてはいけなかったこととは――毒ガス兵器の中身を見たこと、だった。
 立ち上がったスザクは、ルルーシュに動かないよう手で示し、上官へと駆けていく。
「しかし、自分はあれを――」
「答弁の権利は無い」
 自分が従えるイレブンを、彼は駒どころか、本当に縄でつないだ動物のようにしか思っていないのだろう。スザクの言葉を両断し、だが、すぐにニヤリと笑った。
「だが、その功績を評価し、慈悲を与えよう」
 差し出されたのは、普段サルには持たされない、拳銃。
「枢木一等兵。これで、テロリストを射殺しろ」

 ルルーシュが息を呑んだのと、スザクが否定するのはほぼ同時だった。
「彼はテロリストではありません。ただの民間人で、巻き込まれただけです」
 その落ち着きぶりが気に食わなかったのか、上官の眉間にみるみる皺が寄る。
「貴様……!」
 背中に、ルルーシュの視線を感じる。
 憎悪の対象であるブリタニアに殺されるなんて。ナナリーを残して死ぬなんて。そんなわけには、だが――!
 背中越しに、ルルーシュの苦渋がありありと伝わってくる。
 でも。
 大丈夫だよルルーシュ。
「これは命令だ! おまえはブリタニアに忠誠を誓ったんだろう!」
「誓いました。でも、できません」
「なに?」
 スザクは一度息を吸い込み、口にした。
「自分はやりません」
 この返答がもたらす未来を覚悟して。
「彼を、撃つようなことは」

「では死ね」
 腹部に受けた衝撃に、分かっていた事とはいえ顔を歪めた。
 ぐらりと揺れる視界はあっという間に地面を映す。防弾さえまともにできない質の悪い防護スーツは、自分の命の安さそのもの。激痛に倒れ伏したスザクは、それでも、人知れず笑っていた。

 歴史をなぞろうと思うなら、生半可な覚悟じゃダメなんだ。
 そう、このくらいの事も覚悟できないようなら、誰も、ルルーシュも欺けない。

 遠くで、上官がテロリスト捕縛を残りの兵に命じている。
 痛みと出血で混濁しはじめた意識の中で、それでもこれだけははっきりと確信していた。

 大丈夫、僕も、ルルーシュもまだ、死なない。




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