3 空を奏でるつたないギター
「歌作るのには、弾けた方がいいだろ」
そう言ってギターと、それから五線譜への音階の書き方を俺に教えてくれたのは、マットだ。
マットは友達。
だが音楽に関しては、先生である。
「メロにまたへたくそって言われたー…」
夕食後、俺はギターを片手にマットの部屋に転がり込んでいた。
掃除と片づけを得意とせず、物も、メロとの喧嘩も多い俺の部屋と比べると、マットの部屋は随分と綺麗に見えた。
物が散らばっている点では同じだが、ノートパソコンもゲーム機も、散乱している雑誌の表紙を飾っているバイクの写真までも黒や灰色を基調としていて、オフホワイトの壁紙や木目の床は俺の部屋と同じでありながら、俺の部屋には無い妙な統一感がここにはある。
食べかけのスナック菓子も、この空間に置かれると一つのインテリアと化している。マットは携帯ゲームに視線を落としたまま、それに手を伸ばし、口に入れるとゲームの操作に戻るという動作を、さっきから繰り返していた。
「あーあ、毎日練習してんのになぁ…」
スプリングの効いた固いベッドもやはり黒。俺はそこに身を投げ出し、ぼやいた。
「何でうまくなんねーのかなぁ」
天井への独り言のつもりはなく、それはこの部屋の住人に話しかけたのだが……返答はなかった。
携帯ゲームのまぬけな電子音だけが、俺の耳にちくちく届く。
「…なぁ」
ぎしっ、とベッドに悲鳴を上げさせながら、俺は体を起こした。
「なぁって!」
「聞こえてる」
ようやくマットは返事をしたが、手元は相変わらずスナックを摘みながらゲームだった。晩飯食った後でお菓子なんて太るぞ! …なんて事は彼には無縁なのを思い出して口をつぐんだ俺に、マットはこう続けた。
「ついでに夕方のギターも聞こえてた。正直、メロに一票だ」
「え……えー!?」
「Fコードは相変わらず不協和音だし、他も違うトコ押さえてたし」
「…うっ…」
ベッドの上でギターを抱えて、そおっと弦を押さえてみた。人差し指で一度に三本を押さえなきゃいけないFコード……う、つる、マジで指つる。
悪戦苦闘した末にギターから手を離し、がっくりと落ち込む生徒を、先生は見もしなかった。見もせず、ゲームに夢中。俺はベッドから目一杯腕を伸ばすと、パッとゲーム機を取り上げてやった。
「あっ」
マットはすぐさま奪い返しにきた。しかし直後に、残念そうな効果音が部屋に響く。画面を覗き込んだマットは案の定軽く顔をしかめ、ため息をつきながらゲーム機を床に置いた。
「教えろよう、先生なんだから!」
その空いた手にギターを差し出す俺に向かって、マットはもう一度ため息を吐いた。
「教えがいのある生徒ならな…」
「な、何だよそれ、俺だって必死で練しゅ…」
「手」
そう言って、マットは右腕をまっすぐに伸ばすと、俺に見せつけるように手のひらを開いてみせた。彼が目で促すのによれば、お前も同じようにしろ、という事らしい。訳が分からないながらも、従った。マットの手に、自分の手を重ねてみた。
マットの言いたい事が、一目で分かった。
「指の長さはどうにもならない」
「ぐっ、うっ……せ、成長期だからその内なんとか…」
「なるか?」
「な、なるさ!」
「じゃ、なってからな」
合わせていた手をひらひらと振って、勝手に話を終わらせて、マットはスナック袋を拾い上げた。傾けて、残りを口に流し入れる。ポテトの揚げクズを美味しそうにかみ砕く音を聞きながら、俺は不満顔でギターを抱きしめた。
…教えてやるからって言ってこのギターくれたの、マットじゃんか!
ぷーっと頬を膨らまる俺を横目で捉えたようで、ニアと長さは同じくらいだがこちらは全く癖の無い髪を掻く気怠そうな顔が、その体ごとこちらへ向き直った。
「とりあえず、はギターよりやる事あるだろ」
「?」
「勉強」
「……あ」
思わず開いてしまった口から、溜まっていた空気が逃げ出した。
「…そっか、テストあさってだっけ…」
ワイミーズハウスでは恒例となっている、月末の筆記テスト。中身は学力を問う問題や知能そのものを計る物と様々だが、こと、この施設では重要な意味を持つテストだ。
「先月はさんざんだったんだろ。またリンダに負けても知らないぞ」
「この前はおなかも痛かったし…今度はきっと…大丈夫だよ、うん」
そのまま言い切ろうと思ったが、結局俺は、最後に「多分」を付け加えた。正直言ってここ最近は、思いついたメロディを楽譜に書き起こせるようになった事が嬉しくて、そちらにばかり時間を使っていたのだ。音楽の問題は……出てくれそうになく、俺は更に「大丈夫だと…思う…」と自信なさげに追加した。
しかし自信の無いテストに落ち込む以外にもう一つ、心を陰らせた事があった。
普段なら、ここにメロがいる事も多かった。でも今日はいない。夕食の後、食器の片づけも俺に押しつけ、メロはさっさと部屋へ戻ってしまったのだ。
メロがそうする事は決して珍しい事ではなかったので気付かなかったが、今テストの事を知って、あらためてああそうか、と思った。
きっと、今頃、いつにもましてメロは──
ギターはベッドの脇に立てかけて、俺は仰向けに寝ころんだ。
頭の後ろで手を組んで、白い天井をぼんやり眺める。真上というわけではないが、メロの部屋はこの上の三階だった。
このテストが全てというわけではない。だが、その点数が含まれる"成績"はこの施設においては大きな意味を持っていた。だから仕方がない、でも──こんがらがる頭が、天井に向かってため息をつかせた。
「……テストなんて、無ければなぁ…」
「Fコードの練習ができる?」
今度こそは独り言だったのに、それに限ってマットは食いついてきた。そうじゃなくて、と口を尖らせ、だがふと思って俺は寝返りを打った。その様子を不思議そうに見るマットに、尋ねる。
「マットは、"L"になりたい?」
一瞬彼は目を丸くしたが、すぐにああ、そういう事かと言う風に肩をすくめた。
「そりゃあ、目標だからな。俺達はそのためにここにいる。、それはお前もだろ」
「え、うん…」
「気のない返事だな」
「い、いや…Lの事、尊敬はしてるよ。凄い人だって思う、けど…」
けど…と、口ごもる俺の視線は真上へと運ばれた。
「…メロが無理すんのも、ニアの事敵視すんのも、そのせいだって思うと……」
…複雑。
そう思った自分を否定するように、俺は跳ね起きた。
「でも俺、Lは本当に尊敬してるし、それがなかったら俺達一緒にいないかもしれないし、でも、やっぱりみんなで仲良く……」
でもLを目標にするのを否定するわけじゃ…と堂々巡りになり始めた事に気付いた瞬間、俺の頭はショートした。
「あーっ! もう、わけ分かんねーっ!」
最後にバチッと火花を散らして切れた電球のように、後ろへ倒れ込む。が、しかし後頭部に目は付いておらず、ごつんっとベッドのパイプに打ちつけた。
声も出せずに身を縮こませる俺に飛んできたのは、絶対に苦笑しているようなマットの声だった。
「歌え」
突拍子もない命令に、涙目で振り向く。
「はぁ…?」
「歌っとけ。難しい事はそれで忘れとけ。お前にはそれが似合ってる」
「……暗にバカにして…」
「無いから安心して、エルバー=カイン"under the sky"」
こっちの不信感も頭の痛みも無視して、曲名を指定するマット。そうしておきながら、彼はごてごてしたシルバーアクセサリーを着けたパンクな女が表紙の雑誌をぱらりとめくった。
そのくせ、ギターを抱えようとした俺を見もしないで「それはいらない」と言ったマットを、先生と呼ぶのはもうやめようかと思った。
under the sky。俺が生まれる前の、古い歌。
相反するように見える憎しみと慈しみも、同じ空の下に存在する物だと歌ったこの曲は俺も好きだが、今ばかりはタイムリーすぎて、声が胸の所でつっかえるのを感じた。
──見上げる空は同じなのに、何でなのかな。
最後の音を伸ばし終えて、沈黙が流れる数分、その中で3ページほど雑誌をめくったマットがやっと、思い出したように顔を上げた。
「…あ、終わった?」
ちょっと殴ってやろうかと思った。
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