4 雨の日はレゴブロック
朝から雨が降っていた。
もしかしたら昨日の夜から降り続いているのかもしれないが、ぐっすり眠りこけていた俺がバケツをひっくり返したような雨音に気付いたのは、朝日が射し込んでこなかったために起床時間に起き損なってしまった後だった。
慌てて着替え、駆け込んだ教室は天気同様に陰気だった。特に窓際では外で遊び回るのを好む子達が、雨粒に絶えず揺らめく水たまりへと浮かない顔を注いでいる。
それに倣ったわけではないが、窓際、そして教室全体を見渡した俺もまた、表情を沈ませた。
メロの姿が、なかった。
授業はお昼まで。午後からは各自好きな事をするようにと時間が与えられ、子ども達はそれぞれ、自分の部屋やこのプレイルームで思い思いの事に耽っていた。
この前メロのシュートをくらって失神したコーサは、そんな事はもう忘れたように友達とテーブルテニスをしている。その彼と同い年のリンダは、白熱する試合をを見ながら絵を描いていて、そして俺は──
「ニア、見て見て」
コーサ達のピンポン球を叩く音を聞きながら、手のひらに乗せた物をニアへと差し出した。
いつもなら"雨の日は陰気さを歌い飛ばすに限る!"のだが、今日はそんな気分にはなれなかった。ギターの練習というのも気が乗らず、かといって他にしたい事も……とどんよりしていた俺の興味を惹いたのは、プレイルームの一角に現れた黄色い山だった。
傍に座り込んでいるニアと変わらない程の大きさを成すその正体は、よく見るともの凄い数のレゴブロックで、そこから少々拝借し、ニアの隣に居座って作り上げたのがこの記念すべき作品第一号というわけだ。
長方形のブロック二つを半分ずつ重ね合わせ、下側のブロックの裏に、ボールペンのキャップを無理矢理四つ差し込んだ物。
自分の周囲三百六十度にレゴブロックを積み上げていたニアは、俺のその力作を見るなりぴたりと手を止めた。
「……何ですか、それ」
「馬!」
「…見えません」
灰色のくせっ毛をくるりと指で巻きながらのニアの却下は、実に早かった。
「えー、何で? どう見たって馬じゃん? あ、競走馬じゃないぞ、足が太いからこいつは農耕馬だ!」
「見えません」
「何でだよー! 分っかんないなぁ、何で見えないかなぁ」
「…私からすれば、ブロックにペンキャップを突っ込むなんて発想が謎です…」
ぶつぶつ呟くニアをよそに、俺はふと閃いて馬を持っていない方の指を鳴らした。
「そうか、耳が無いからだな!」
「そういう問題じゃありません」
「確かピーナッツがお皿に……あった!」
「………」
「ん、ニア、何か言った?」
「…何でも無いです」
ため息と共にレゴブロックビル群の建設に戻ったニアに、俺は首を傾げた。
雨は朝からリズムを変えず、庭へと降り続いている。少し風が出てきたのか、プレイルームの大きなカーテンの向こう側で、雨粒が窓ガラスを叩き始めた。気になって、俺は馬の製作を中断した。
三階のメロの部屋の窓も、同じ方を向いている。きっとここと同じように、うるさく鳴っているはずだ。
俺がそう思ったのをまるで読み取ったように、ニアが口を開いた。
「今日は、朝からメロを見てません」
振り向いても、ニアとは目が合わなかった。だぼだぼのワイシャツの袖口から控えめに出した指先で変わらずブロックを積み上げるニアは、そのままもう一言続けた。
「どうしたか、知ってますか?」
…どう答えたものか、と迷った。
今朝は飛び起きたその足で教室に直行したので、メロとは話すどころか会ってすらおらず、だからいない理由を本人に確かめたわけでもない。
ないけれど……察しは付いていた。きっと間違いないだろうとも思っている。
もしメロが、昨日からずっと同じ思いで、同じ事をしているんなら──
「…部屋なんじゃないかな」
俺がそれだけ答えると、ニアはやはりブロックを積むのをやめないまま「そうですか」と呟いた。
かち、かち、とほぼ規則的にブロックは組み上がっていく。ニアを取り囲む建物群は、もはや街を形成していた。あの長細い建造物はもしやビッグベンだろうか?
…分かってんのかな。
メロがいない理由って、ニア、お前なんだぞ。
毎月末に行われるテスト。その順位は、下位から中間辺りには多少の変動があるものの、上位二人の位置はいつも変わらなかった。
トップはニア。二番がメロ。
そしてそれは、二日前に行われたテストが返却された昨日も変わる事はなく、悔しげに歪んだメロの表情を、俺は見てしまったのだった。
窓を穿つ雨音を聞きながら、メロは今も、一心不乱に机に向かっているはずだ。ニアに負けたくない、負けるわけにはいかない、次は絶対に自分が一番に──そんな激しい対抗心で胸の中をいっぱいに満たして、一心不乱に、おそらくは寝食も忘れて。
…本当に、一睡もしてないかもしれない。
過ぎった不安に、目は自然とメロの部屋の方へと動いた。
昨日の夕食前から姿を見ていないし、今日の昼も食べに下りてこなかった。…まさか昨日から何も? もしそうなら心配だ、無理してないといいけれど、今回のショックの受け方は特に尋常じゃなかったから──
「食堂に、まだ昼食の残りがあると思いますよ」
驚いて、ニアを見た。ブロックの街はどんどん栄え、もはや灰色のくせっ毛をいじる指先くらいしか見えなかったが、そんな顔の見えないニアを俺はまじまじと見つめた。
やっぱりお前、人の心が読めるんじゃ…と尋ねたい思いにも駆られたが、それよりも俺はアドバイスに従う事を選び、レゴブロックを置いて立ち上がった。
「…うん、ちょっと行ってくる」
ニア、ありがと。
通り過ぎざまにお礼を言い、プレイルームを飛び出した。目の前にある階段は上らず、右へ曲がる。まずは食堂だ。
*
雨音は激しく、そばにいる子達のはしゃぎ声も大きい。の足音はすぐに聞こえなくなった。
聞こえなく──
ニアは、ブロックを乗せるのをやめた。癖毛をいじる。…が、それもすぐにやめて、しばらく何もせずに自らが作り上げたレゴブロックの都市を見つめていた。
不意に、座り直した。
ワイシャツと同じくサイズの大きなズボン。そこからやはり控えめに出ている素足を都市へと伸ばす。もうちょっと意思を持って足を押し出せば、それは大きな自然災害のごとくビル群を倒し、破壊してしまうだろう。そんな姿勢のまま、またしばらくニアはブロックを見つめ続けた。
何も言わなければ、は出て行かなかったのに──
足を押し出してしまおうか。こんなブロックの街、壊してしまおうか。
心にできた空洞が、そんな衝動を沸き上がらせる。
こんなもの、壊してしまおうか。こんなもの……
…しかし、ニアは足を引っ込めた。
元の通り片膝を立て、もう片方の足はぺたりと床につける。立てた膝に両手を置くと、その上に顎を乗せて息をついた。
心配事を抱えてそわそわするを、無理に引き留め続ける。
そんな事、私は、望んでない。
背の高いビル群の向こうを覗くと、そこにはに代わるように、ペンキャップが突き刺さったブロック──彼に言わせるところの"馬"が落ちていた。
ビルの上から手を伸ばし、ニアはそれをつまみ上げる。
しばらく手のひらの上で眺めた後、得に目立つ高いビルの、平らな屋上にちょこんと飾った。バランスが悪く前のめりにこけてしまった姿に、やんわりと口端を上げた。
少し前からとニア、二人の絵を描いていたリンダは、スケッチブックに隠れてくすっと微笑むと、また鉛筆を走らせた。馬とやらを描き足すために。
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