プロローグ 「希望ヶ峰記念病院」 0-3 モノクマ学園長 長い廊下にはいくつもいくつもドアが並んでおり、それが終わりを迎えると、突き当たりにそれとは異なる観音開きの扉が待っていた。 その先は渡り廊下。 ただし鉄板に囲まれたそれはトンネルのようで、建物から建物へと渡っている感覚など一切無いままに、俺たちは広い空間へと行き着いた。 さきほどの食堂よりも広く感じるのは、ほとんど物が無いせいだろうか。 “多目的ホール”。 言ってしまえば特に使用目的の決まっていない空間は、寂しいほどにがらんどうで入学式場とはとても思えない。 そんな場所なので、 「お、早いやんか。捜すこといらんかったな」 一番乗りした由地の言葉がなくとも、だだっ広い空間に佇む彼を見つけるのは容易かった。 彼自身が人目を引く容姿をしているのも大きい。 金髪に青い目、白いブレザー、そして気怠げにこちらを向いた顔は作り物のように整っていて、つい思う。なんだありゃ、超高校級のイケメンか? 「あなたも希望ヶ峰の新入生よね? 私は超高校級の学級委員長の的目小夜子。よろしくね」 「…………」 「あなたは? 確か……私たちが会ってないのは超高校級のフルート奏者だったわね。あなたがそうなの? 名前は?」 「…………」 「やっぱり私たちと同じ状況なのかしら。意識なくなって、気付いたら病院に?」 クラスを率いる責任感からか、真っ先にコミュニケーションを計った的目に視線すら合わせようとしないイケメンは――やがて、荒々しく息を吐き出した。 「……うざ」 「え?」 「あのさ……」 こちらへ動いた青い瞳が、冷たく的目を射抜く。そしてすぅっと息を吸い込み、 「アンタの口ぶりからして俺が新入生ってこともフルート奏者も分かってんだよねだったらわざわざ聞く必要ないだろっていうか学級委員長だか知らないけど仲間意識全開で来られるのマジうざいんだよね二回無視した時点で察してくんない無神経ちんちくりん女」 とてつもない勢いで落下してきた沈黙が、一気に広間を埋め尽くした。 いっそ、爆撃だ。 ノンブレスで言い切られた暴言に、 「……なっ……」 ふるふると体を震わせながらも、的目が声を出せたのは奇跡的だった。 「な、なんですって……! もういっぺん言ってみなさいよ……!!」 「お、落ち着いて、的目……!」 「無神経って誰のことよ!! ち、ちんちくりんって……!!」 「あー……うざ」 「お前も煽るな、初対面で言いすぎだぞ」 長身の多可村が的目を抑え、堤が下の子をたしなめるがごとく仲裁に入るが、正直雰囲気は好転しない。 たいして人当たりのよくない俺でさえ思うくらいだ。 こいつは、超高校級の毒吐きだ、と。 「コラコラー!」 収集がつきそうにない険悪ムードにまたもや仲裁者が現れたと思いきや、それは、そのネジが一本足りないような明るい声はあの院内放送のものだった。 「いつまでケンカしてるんだよ、ボクの出るタイミングがまったく無いじゃないか! いいですよ、もうボクタイミングで出ちゃいますよ!」 声はすれども姿は無い。 しかしホールの反響にジャマをされつつも聞こえてくる方向に徐々に見当をつけ、十六人全員の視線がホールの奥に集まったその瞬間に――それは飛び出した。 ぽつんと置かれた教卓のようなもの。 そこから、びよよいいいん、という謎の効果音と共に飛び出し、卓上に着地したそれは何かと問われれば、クマ、としか答えようがなかった。 白と、黒。 左右で色がきれいに分かれた、ツートンカラーのクマだ。 「……ぬいぐるみ?」 「それはそうだろう。生きてる熊には到底見えん」 「で、なんでぬいぐるみ?」 「ぬいぐるみじゃないよ! ガオーッ!」 突如教卓の上のクマが立ち上がり、襲いかかるポーズを決めてみせたのには俺もつい身構えてしまった。 「動いた!?」 「しゃ、喋りませんでしたか!?」 「やっぱ生きてんのかアレ!?」 「んー、ラジコンかロボットじゃにゃい? 人入ってる大きさでもにゃいし、声は内蔵スピーカーから出てるのかにゃ?」 コスプレイヤー、抹莉の指摘に、動揺していた面々が一気にそうか! と冷静になっていく。あらためてクマを見てみれば……身悶えていた。 「ハァ、ハァ……こんなにあっさりとボクのカラダの大事な部分がまるっと丸裸にされてしまうなんて……見ないでぇ、でもやっぱり見てぇ……!」 って、そんなくだりはどうでもいいよ! と叫んだのは悶えていたクマ本人。こっちを置き去りの自己ツッコミを繰り出した後、やれやれ、と頭を振る。 「ボクが生きてるか死んでるか機械か地球外生命体かなんて議論に意味なんてないんだよ。重要なのは、このモノクマ学園長サマが、オマエラの入学式をありがたくも執り行ってやるということなんだよね」 「……“モノクマ”……」 「……“学園長”?」 かすかに広がるざわめきを楽しむように、そのクマ――“モノクマ学園長”は、うぷぷ、と笑い声を漏らした。 「さてさて、オマエラもお待ちかねだったと思うから、早速始めさせてもらうよ? えー、ごほん、本日の良き日に、我が希望ヶ峰学園にオマエラという新たな才能、新たな希望を迎えることができたことは大変喜ばしいことであります!」 クマが、学園長? という全員の疑問はスルーして、モノクマとやらは入学式らしい文言を並べていく。 「超高校級の才覚にして、人類の未来を担っていく“世界の希望”そのものであるオマエラには、今日から希望ヶ峰で明るく楽しく希望溢れる学園生活を過ごしてもらい……たいところだったのですが」 急に声のトーンを落としたモノクマは、「よよよ……」 とハンカチで、からっからに乾いた目元をぬぐう仕草をする。 「入学式を前にして、オマエラは……ある重大な病にかかっていることが分かったのです!!」 ………… ………………はぁ? 「このプリティでキュートなクマは愛らしい顔で突然何言ってんだ、とでも言いたげな顔をしてるけど、オマエラにも身に覚えはあるんじゃないの? 希望ヶ峰学園に来てすぐ意識なくしたでしょ? 今体にダルさを感じてるでしょ? それはね、その原因はね……世にも恐ろしい“絶望病”によるものなんだよ! ああ、なんて可哀想なオマエラ……!!」 と、いうわけで。 ぽかんとしっぱなしの俺たちを待たず、モノクマが高らかに言い放ったのは今までで一番理解し難い宣告だった。 「オマエラは全員、この“希望ヶ峰記念病院”に入院してもらいます! 希望ヶ峰病院長でもあるこのボクが、治ったと認めるまで退院させません、外出も不可! 一生入院していてもらいます!」 「ちょ……ちょっと待ってよ」 「はぁ!? 一生!?」 「入院って、そんないきなり……」 口々に声を上げる中、大多数とはまったく違うベクトルで驚愕している女子がいた。 「あたし病気……? 死んじゃうの……!? ゼツボービョーって死んじゃうの!? うわああああんどうしようううう!!」 大きな胸をたゆんたゆん揺らして動揺する釣り師の糸依が、いろんな意味で人目を集める。 バカ正直な性格のようだが……いくらなんでも度が過ぎる。こんな嘘くさいクマの言うことをそのまま信じるなんて。 「よく分からん病気で一生入院措置など、ふざけるのもいい加減にしろ」 「あ、あの……わたくしも、持病はたくさん持っておりますが……ケホッ、絶望病……なんて聞いたことが、ありませんわ……」 ドーベルマン佐田の後ろに隠れるようにして意見する病弱令嬢。しかしモノクマの地に轟くような一声で、美芝は細い肩をびくりと縮こまらせた。 「――いずれ絶望に至る病」 「え……」 「うぷぷ……オマエラはまだ初期段階だけど、予断は許さない状況っていうやつだよ、でも話はよく聞いてよ、治ったら外へ出すって言ってんじゃん。ボクが治ったって判断した患者にはすぐに退院してもらうよ?」 「なんでお前が判断すんだよ。医者を出せこのヤロウ!!」 吠えた逆巻を、モノクマは軽くあしらう。 「はいはい、所詮ボクは医師免許を持たないモグリですよ、だからみんなから不平不満が出ないように、退院許可について明確な判断基準を設けました」 「判断基準……?」 「そう。まずは隣を見てごらんよ。前を、後ろを、自分以外の十五人を」 言われるまま、俺たちは全員視線を彷徨わせる。数人と目が合った。同じくらいの身長の、黒田、糸依、由地、逆巻―― う、ふ、ふ 今までよりもいっそう薄ら寒い笑い声に、俺は教卓へと視線を戻し……耳を疑った。 「その中の誰かを殺すこと。それが“退院条件”だよ」 殺すと、言ったような気がした。 したが、そんな…… 「殴殺刺殺撲殺斬殺焼殺圧殺銃殺絞殺呪殺……殺し方は問いません。“人を殺してまで外の世界へ出たいという強い気概”、それを示した人に、ボクは退院許可を与えるよ」 「な……なんで」 「意味が分かりません……!!」 口をつきかけた疑問が、黒田の、地味な印象にしては大きな声に遮られた。 眼鏡の奥の目を険しくし、なじるように叫ぶ。 「どうして、ころ……そんなことが、“病気が治った”ことになるんですか!」 「黒田クンは知らないの? 病は気からって言葉。“絶対に治りたい”、“生きたい”という藁にもすがりつく思いはしばしば現代医学を超えちゃうものなんだよ。信じれば願いは叶う(笑)、信じる心は奇跡を起こす!(笑) さあみんな、他者の命を踏みにじって、自分の希望を掴みとるのだ!!」 えいえいおー! 丸い拳を突き上げるモノクマに、黒田も、他の皆も呆然とするばかりだった。 俺もだ。 なんだ? こいつ、何、言って…… 「というわけで、人殺しをするまでこの病院で生活してもらうわけですが、入院規則をこれにまとめておきました」 じゃーん、とお腹のポケッ……ではない、背中から複数の電子機器を取り出す。 「電子生徒手帳ー!」 小型のタブレット端末のようだ。 「希望ヶ峰学園の手帳を、この生活仕様に改造しておきました。完全防水を施した像が踏んでも壊れない強度の手帳だから破壊しようとしても無駄だけど、一応禁止行為だからね。っていうか無くて困るのオマエラだからね」 などと言いながら、モノクマはすさまじい豪腕でその手帳を次々と投げていた。 一人一人に慌てて受け止めさせ終えると、ふう、いい汗掻いたぜ、と額らしき場所をぬぐう。 「禁止事項を破ると、エクストリーーームなおしおきが待ってるからね! それじゃあ、誰を殺すか頭を悩ませながら入院生活をレッツエンジョイ!」 びよん、とまた不可解な音と、不穏な言動を残してモノクマは教卓の向こうへ消える。 「あっ、待て!!」 と逆巻が猛スピードで回りこんだが、も抜けのカラだったようだ。 様々な爆弾をばらまくだけばらまいた本人が去った今、多目的ホールは元の……いや、それ以上の沈黙に押し潰されていた。 「……え、今の、にゃんの冗談?」 ようやく、おどけた調子で切り出した抹莉も、その笑顔はどこか堅い。 「えーと、まとめるとやなぁ。オレらは何やよお分からん病気で? 一生入院せえ言われたけど、こん中の誰か殺したら『そこまでやれるんなら治ったやろ』 ってみなされて退院できるっちゅーことか?」 「最初から最後まで、むちゃくちゃだよ……」 多可村が、上背を折り曲げてうなだれる。 「絶望病なんて病気、聞いたことありませんわ……存在するのなら、ゴホッ、主治医の先生から一度は検査を実施されているはずですもの……」 「新入生の私たち全員が、同時に病気にかかったっていうのも嘘くさいわ……」 「それを言うなら、クマが学園長ってところからだろう」 じゃあアイツは何者だ? 何が目的だ? そんな疑問が口をつきかけて、しかし同時にぞわり、と走った悪寒が俺を留まらせた。 あいつの、目的。 あいつが俺たちにさせたいこと。 その答えに戦慄する俺に気付くことなく、逆巻が苛立ちのままに頭を掻きむしる。そして感情のままに疑問を叫んだ。 「ビョーキだの入院だのぐだぐだ適当なこと言ってよお! あのクマ、何がしたいんだっつーの!!」 「殺し合い、じゃねえの」 その一言は、ホールを三たび静まり返らせた。 「学園長だの病気だの入院だの嘘みてーな理由と理屈並べ立ててでも俺たちをここに閉じ込めて何させたいんだっつー話だろ」 金髪碧眼の少年が一つ息をつき、皆の注目を集める中で言い放つ。 「人、殺せっつってたじゃん」 「やっ、やめよう!!」 また黒田が大声を絞りだす。その肩で息をする様、必至の形相に皆の意識が逸れた隙に俺は、「……とにかく」 仕切り直すべきだと思った。 「……とにかく、ここから出ようぜ。他に誰かいるかもしれないし、何が何だか分かんねーならとりあえず病院の外に逃げりゃいいだろ」 「外へ……ね」 金髪碧眼が意味ありげに呟かずとも、俺も、おそらく口を開かなくなった皆も、ひしひしと感じ始めていた。 晴れの希望ヶ峰学園の入学式を迎えるはずが、もはやそれとは程遠い、異常な事態に巻き込まれてしまっていることを。 ← back → ------------------------ |