第一章
 「絶望入院生活」


 1-1 病院内探索




 多目的ホールを出、渡り廊下という名のトンネルをくぐり、ぞろぞろ本棟へと戻ってきたところで「あ」、と声を上げたのは多可村だった。

「“タカムラ”……って、俺?」

 まっすぐ伸びる廊下の右手にはずらりとドアが並んでおり、一番手前のドアの脇にそれはくっついていた。
 古めかしいドット絵調のキャラクターの下に、タカムラと書かれたこれは――おそらく表札。

 ピンポーン

 突然インターホンを鳴り響かせて皆を驚かせたのは……さっき消えたばかりのモノクマだった。
「はいはいその通り、ここがオマエラの個室です。ちなみに鍵は電子ロックだよ」
「あっ」
 多可村から電子生徒手帳を奪い取ると、ドアの持ち手付近にある装置にかざす。ピッ、という音と共に何かを読み取った装置のランプが赤から緑に変わった。

「ほうら、この通りのハイテクノロジー! 失くしても再発行はしないから、大事に使ってよね!」
 びょいん、と言うだけ言って消えたモノクマに、返せるのはせいぜいため息だけだった。床に残された手帳を拾う多可村のそれが一番深い。

「……とりあえず、一階まで行こうぜ」
「ソウマに賛成ー! 学園まで戻ろうよ! で、入学式しよ!」

 鈴木が諸手を挙げてくれたことで俺たちは再び重く足を動かし始めたが、しかし、すぐに知ることになった。
 一階まで行くことも、学園に戻ることも、何一つ叶わないということを。




 電子生徒手帳。
 上部のスイッチを長押しすることで電源が入り、大きな液晶画面にまずは持ち主の名前が表示される。
 俺の場合は“相馬 成実”だ。

 それが消えるとRPGのステータス画面のようなものが表れる。
 項目は上から“病院内見取り図”、“生徒名簿”、“院内規則”の三つ。

 見取り図は、階段の脇にあった案内板とほぼ同じ物が表示されるのだが……食堂で、俺はその図面とにらめっこをしていた。
 そこへ、影が落ちる。

「手帳にも、五階と四階しか表示されません」
 二ノ瀬。
 条件反射で目を瞠ってしまうも、すぐに何もないふりに努めた。
「……ああ」
「二つのフロアに、最初から閉じ込められてしまっていたようです」
「……だな」

 五階から上は、階段を上がってすぐのところで、鍵のかかった鋼鉄の扉に阻まれてしまった。
 四階から下は、階段すら使えなかった。格子状に組まれたシャッターが下りていたのだ。
 階段の横にはエレベーターもあるにはあったが、まったく起動せず。手動で扉は開いたが、天井パネルや非常用コンソールまですべて溶接されていて、そこはただの箱だった。

 つまり、二ノ瀬の言う通り……

 分かりやすい爆走音と、スニーカーのブレーキに顔を上げた。
 幼馴染みの陸上部員、逆巻の帰還だ。
「だーめだ! 相馬! 窓とかぜーんぶ鉄板はまっててビクともしねえ!」

 くっそーッ!! どっから出りゃいいんだよおお!! と天井に向かって吠える赤ジャージの後ろから、彼のスピードについてこれなかった堤と白鷺が遅れてやってくる。
「は、速いなー。さすが陸上部。うちの弟もサッカーやってるが、やはり本職は違うな!」
「単独行動は控えようと決めただろう……まったく」
 長男の称賛、フェンサーの呆れ。そのどちらも聞こえなかったようで、逆巻は近距離を爆走して俺の隣に座るなり手帳を覗きこんできた。

「なあ、これって本気でマズくねえか? やばいんじゃねえか?」
「……ああ。つまり、俺たちは」
「思う存分体を動かせねえ!! 体がなまる!!」
 そうじゃねえよ。
 無言でツッコむ俺の視界を、ふっくらした手が横切った。
「よろしかったらどうぞ」
「うお? サンキュー! えーとメイドの……」
「箱崎です」
 彼女がテーブルに置いたコップの出所を聞けば、食堂に併設されたキッチンだという。
「あれ!? これ、スポドリ!?」
「お水に砂糖と塩、レモン果汁を加えています。先ほどエレベーターを開けたり肉体労働をなさっていたので……あっ、勿論すべて先に毒味しておりますので、安心してください!」
 ここの食べ物なんて大丈夫か? と思ったが、その疑いをこちらが口にせずとも先回りして解決していたとは……さすがメイドである。


「走りたいならよ、ここでいいんじゃねえか?」
 お手製スポーツドリンクをがぶ飲みする逆巻に、俺は廊下の一つを指さした。
「50メートルは軽くあるだろ」

 この病院は、カタカナの“コ”の形をしている。
 食堂があるのが縦線部分。
 横線二本の部分には俺たちそれぞれにあてがわれているらしい個室が並んでいる。上……というか北側に女子、南に男子の表札が並んでいた。
 そして、コの字の開いている左側を塞ぐようにして建っているのが別棟だ。
 男子個室のある廊下から繋がっているそれには、モノクマと遭遇した多目的ホールがある。
 あとは食堂近くに階段やエレベーター、トイレがあるのを加えれば、それが希望ヶ峰記念病院五階のすべてである。

 ちなみに俺が示したのは個室前に伸びる長い廊下なのだが、逆巻は渋い顔をした。
「俺は! 外を! 走りてえの!!」
「あーそうかよ」
「お前はこう、いーっ! ってならねえの? 閉じ込められて、外に出らんないって分かったら、いーっ! ってさ! 無理やり押し込められてる分、体ウズウズしてこねえのかよ!?」
「そもそも、走れる走れないとかいう状況じゃねえっての」
「つんつんしやがって! 熱くなれよ! 相馬!」

 暑苦しい熱風をひらひらとかわす俺は、ふと、白鷺が目を細めているのに気がつく。
「仲がいいなと、思ってな」
 それに対して照れもせず「おう、幼馴染みで親友だしな!」 と言ってのける逆巻きを俺は叶うことなら今すぐ建物の外に出て土に埋めてやりたかったが、四階捜索を行っていた面々が帰ってきたので未遂で終わらせることにした。


 四階も、コの字型なのは同じである。
 縦線部分は開けたロビー(水槽のあった場所だ)とナースステーション。
 北側の横線は“特別病室”というものが並んでいるらしいが、どうやら俺が最初目覚めた部屋のようだ。
 南側の横線はランドリールームと売店が隣り合っており、その廊下の先は五階と同じく別棟への渡り廊下がある。その先は“宿泊施設”とあるが……

「患者さんの家族が泊まれる部屋みたいよ。ご家族の方へ、って注意書きとかあったから」
 四階を隅々まで調べてきた的目の注釈に、糸依が続く。
「あとさ、変なドアあったんだけど。あっかいドア」

「北側の、特別病室の先な。あそこにも渡り廊下あるみたいやねん。宿泊施設がそない広くなかったから隣にも部屋あるんやろうけど、そこへ繋がっとるんとちがうかな」
「だが鍵がかかっていたな。下の階同様、行くことはできん」
 由地と佐田がしたお手上げという報告に、逆巻がテーブルをがたんと揺らす。
「なあ、そんなの蹴破っちまおうぜ! シャッターは無理でも、ドアくらいなら!」

「赤ジャージくんは、入院規則を読んでにゃいのかにゃー?」
 そう言いながら食堂のドアをくぐったコスプレイヤー・抹莉を始め、多目的ホールや自分たちの個室内部を調べてきた数人が帰ってくると十六名全員が顔を揃えることになった。
 病弱な美芝とそれに付き添っていた箱崎……そして、探索のたの字も行っていない金髪碧眼は最初から食堂にいたのだが。

「はあ? きそく?」
 俺が逆巻にその項目を開いた手帳を貸すと、つられたように皆自分の手帳を操作し始める。
 “入院規則”
 そのページには、こんな八ヶ条が記されていた。



 入院規則

1.入院生活は無期限。外出も一切禁止です。

2.22時から翌朝7時までを“夜時間”とします。夜時間は閉鎖する施設があるので注意しましょう。また、夜時間にはすべてのシャワールームの水が出なくなります。

3.食堂のごみ箱は毎晩回収されます。ただし燃えないごみ・粗大ごみの回収日は日曜の夜のみです。

4.病院について調べるのは自由です。特に行動に制限は課せられませんが、施錠されたドアの鍵を破壊する行為は禁止です。

5.電子生徒手帳を破壊する行為は禁止です。

6.モノクマ病院長への暴力行為は禁止です。

7.仲間の誰かを殺したクロは“退院”となりますが、自分がクロだと他の仲間に知られてはいけません。

8.なお、入院規則は順次増えていく場合があります。


「……鍵壊すの、禁止だぁ?」
「禁止事項を破ると、確か、おしおきって言ってたよね……な、何されんだろ……」
「“殺し合い”と同レベルのもん考えときゃいいんじゃねえの」

 え、と凍りついた多可村だけでなく、皆が一斉に食堂の隅へ視線を走らせる。
 頬杖をつく金髪碧眼はそれらをだるそうに一瞥し、やる気なさげに息を吐いた後……すぅ、と吸い込んだ。
「超高校級十六人捕まえてこんな施設に閉じ込めて出たけりゃ殺し合えっていうイカレたサイコ野郎のやることなんざ理解もできないんだからルール破ったら死ぬくらいのことは覚悟しとけばっつってんの、まぁいっぺん試してみるのもいいんじゃねえのそこの単細胞赤ジャージ辺りでさ」

 ぽかん、とする逆巻に代わって、
「ちょっと、あんたねえ!」
 憤慨したのは一度彼に暴言を吐かれている的目だったが、彼女の神経を逆撫でするように一つ大きくあくびをする。
「――っ!」
 堪りかね、飛びかからんとする学級委員長をまあまあ、となだめたのは、多目的ホールの時同様、朗らか長男、堤だった。

「なあ、そういえばお前とは自己紹介がまだだったよな? 俺は堤潤太郎。そっちは?」
 暴言の主に対しても変わらぬ笑顔と気さくさ――だが、堤の質問には答えず金髪碧眼は気だるげに立ち上がった。
「あっ、ちょっと待ちなよ! 名前くらいいーじゃん!」
 鈴木が呼び止めるも、かかとを踏んだローファーをぺたぺた鳴らして食堂を出ていこうとする彼は振り返りもせず、こう言い捨てていった。
「全部生徒手帳に載ってるから見れば」



「……あ、うん。確かに載ってる……」
「載ってるけどさー」
 電子生徒手帳の“生徒名簿”の項目には、十六人の顔写真といくつかのデータが記載されていた。
 “長谷部ブライト(ハセベ・ブライト) 超高校級のフルート奏者”
 “8月4日生まれ 179cm 58kg”
 ……といった具合にだ。

「……そおおいうう問題じゃあ無いでしょおおお!!」
「ま、的目」
「私たち、非常事態なのよ!? 監禁よ? これは犯罪なのよ!? 犯罪被害者同士、一致団結しないでどうするの、強調性を大事にしないでどうするのよ!」
「放っておくしかあるまい、一緒にいても、争いになるだけだ」
「んー、けどさあ?」
 的目を数人がかりでなだめているところに水を差し……いや、油を注いだのは抹莉である。
「誰か殺せば助かるとか言われてる状況で、あーいうの放っとくのも危にゃくにゃい?」

 殺す、という言葉に俺も、皆と同様息を呑んでしまう。
 しかし、まさか。
 いくら閉じ込められてしまったとはいえ、“仲間の誰かを殺したクロは退院”と規則にも明記されているとはいえ、あんなクマの口車に乗って人を殺してしまうようなバカな真似をする奴なんか――

「……へ?」
 押し黙った食堂で、突然空気を壊したのは誰かのそんな間の抜けた声だった。

「……あ」
「ん? どうした?」
「え、ちょ、これ……」
「何? 生徒手帳が何よ、それよりやっぱり長谷部ってやつをどうにか更生――」
「ハセベなんかよりすごいよ! 名簿、マトメも見なよ!」

 鈴木が差し出した手帳を、訝しげに覗くなり、みるみる目を見開く的目。
 その反応に全員が生徒名簿の項目をさらっていく。
 そして。
 十四人は自然に距離を開け始めた。
 皆の輪から離れたところで、長めの前髪を垂らして俯く黒田圭介から。

 名簿には生徒のパーソナルデータが、肩書きから身長体重に至るまで記されている。そう、頑なに自分の肩書きを隠してきた黒田も例外ではなかったのだ。

「ええっ? これマジ? 黒田、“超高校級の殺し屋”だって!」
 バカ正直な巨乳、糸依の場を読まない発言に、前髪に陰った黒田の瞳がゆらりとこちらを向いた。



「殺し屋って……あの?」
「依頼を受けて人殺す、漫画にやったらよぉ出てくるやっちゃなあ」
「人、殺すって……」
「じゃあ……」

 “退院できるのは、人を殺したものだけ”
 そのルールが頭にある以上、皆が黒田との距離をとろうとするのは仕方の無いことだった。
 でも、俺は覚えている。
『折を見てちゃんと言うから待って……!!』
 そう必至で懇願する黒田を覚えているのだ。

「黒田、お前さ……」
 何で、隠してた?
 何で言いたくなかったんだ?
 つとめて冷静に尋ねようとして――しかしこっちと違ってちっとも冷静じゃない黒田に続きはスパーンと跳ね飛ばされた。

「わあああああ違うんだ、違う、いや違わないけど、確かに僕はそういう肩書きで希望ヶ峰に入学したんだけど、でも違うんだ、僕はそういうんじゃなくて、みんなが思ってるようなんじゃなくて」
「ちょ、黒」
「でもいきなりそういう風に名乗ったらひかれるっていうのは分かってたし、ぐすっ、それが当たり前だと思うし、うっ、ぐずっ、でも誤解さでたくないじ、でもどうせいつがバレるって思っでだけど、でも言えなぐでええええ」

 ぐわしっ
 と、気付けば俺は取り乱す黒田の前髪を引っ掴んで、
「何言ってんのか、なんも分からん!!」
 苛立ちのままにその驚いて固まった顔を引っ張り上げていた。
「とりあえず鼻噛め! 話はそれからだ、誰かティッシュ!!」

「ふ……ふぁい……」
「は、はい、どうぞ……!」
 ぐずっと鼻を鳴らす黒田が、駆け寄ってきた箱崎からティッシュを受け取る。それを見届けてようやく黒田の前髪を離した俺は、なんだか失礼なことをコソコソ言い合う声を聞いた。

「え、こ、殺し屋相手に……」
「にゃにあのセンター分け怖い」
「相馬はツンツン鬼主将だったからな! 殺し屋なんて屁でもないさ!」
「ツンツンって……デレはないんかい」
「あったらオレが何年も無言で睨まれたり冷たいツッコミくらったり飛び蹴りくらったりしてないぜ!」

 とりあえず、逆巻は蹴り倒す。

 だがその前に、ティッシュを何枚か消費して落ち着きを取り戻した黒田に向き直った。
「なんで隠してた?」
 あらためて問うと、観念したように黒田は目を伏せ、ゆっくりと口を開いた。


「僕は……ぐずっ、物心つく前に両親が死んで、親戚にあたる人に育てられたんだけど、その人の職業は……殺し屋で……。その人について色んな国を転々としながら、殺し屋の知識とか、技術を仕込まれたんだ…………でもっ」
 黒縁眼鏡の奥の目が、すがるように細まる。
「実際に人は、殺したこと、ないんだ」

 勿論、そうは言われても皆の目は懐疑的だったが、「ほんとなんだ、ほんとにほんとに……!!」 と再び目鼻をぐずぐずさせる黒髪眼鏡を見ている内に、あれ……? というムードが流れていく。
 殺し屋って……もっとこう、クールでスマートなイメージで……
 なんだろう、この、黒田に漂う“コレジャナイ感”は。

「師匠がその筋では高名過ぎたから、僕にもこんな肩書きと入学資格が与えられたんだろうけど、その、僕は、殺し屋になんてなりたくなくて……せっかく日本の学校に通えるなら、普通の高校生として、学校生活、送ってみたくて…………だから、殺し屋ってこと、言いづらくて」
 目元をぬぐう袖口はべたべたで、殺し屋どころか、むしろ高校生よりも頼りなく見えて。
 果たして――これを恐れる必要があるのか。
 それが俺の結論だった。




 抹莉たちから聞いてはいるが、一応自分自身の部屋を調べておくため、それぞれ用意された個室に向かうことにした。
「相馬くん」
 黒田に呼び止められたのは、生徒手帳をセンサーにかざそうとした時だ。

「ありがとう、その……話、聞いてくれて」
「別に……正直まだ怖がってる奴はいると思うけどな。女子の何人かと……あと多可村とか」
 一番奥の部屋に入ろうとしていたノッポが「えっ」 とバツ悪そうに振り向いた。
「い、いや、俺も、そんな……」
 しかし自分の心と上手く折り合いがつけられなかったのか、とりあえず部屋を見てくる、とそそくさと入ってしまった。

 傷ついたように涙目になる黒田をどうなぐさめれば、と困っていると、
「うひゃひゃひゃ、しゃーないやん。ジブン、バレるタイミング最悪やもん。笑かすわー」
 多可村の部屋の真反対、最も食堂に近い方から由地の笑い声が飛んできた。
「お前は平気なのか」
「いやいや、こんな要領悪い殺し屋に、そもそも殺される自信無いわ」

 手をひらひら振りながら部屋に消えていった由地に続き、
「肩書きなど、所詮一方向からの評価に過ぎんということだな……うむ、勉強になった」
「こっちこそ、追い詰めてしまって悪かったと思ってる。何かあったらいつでも相談に乗るからな、黒田」
 佐田と堤も、黒田に声をかけてから個室に入っていく。

 その最後の仕上げといわんばかりに逆巻が、ほとんど体当たりするように黒田に飛びつき肩に腕を回した。
「黒田って足、速ぇ?」
「えっ、えっ?」
「殺し屋ってなんかすごそうじゃん!」
「え、いや……まぁ、訓練は……色々、やって……」
 カッと瞳に炎を燃やし、よっし勝負しよう勝負!! と一人で勝手に盛り上がる逆巻から俺は距離をとり、足首を軽く回した後――
「ぐはあっ!!」
 飛び蹴りを食らわせておいた。
 体のだるさで本調子とは程遠かったものの、みぞおちを押さえて苦しんでいる逆巻を見る限り十分な威力だったようだ。
 呼吸を整えるのと、呆れの意味を込めて息を吐く。

「“普通の高校生”は、超高校級の陸上部員と張り合ったりしねえんだよ」
「っ……!」

 その後、会ってから初めて見せた笑顔で「その……ありがとう、相馬くん」 と言われたが、そんなに嬉しそうにされても返事に困る。
 頭を掻きながら、逃げるように手帳をセンサーにかざした。
 別に、ただ。
 殺し屋扱いは嫌だろうから、普通の高校生扱いしただけだ。






 ドアはスライド式。
 電気をつければ淡いグリーンと薄いブラウンのコーディネイトが目に飛び込んできた爽やかな部屋は少々落ち着かなさも感じたが、広さと設備は申し分無いようだった。
 クローゼットに飾り棚、ふかふかのシングルベッド、そこにはこの部屋も病室扱いなのかナースコールが取り付けられており、病室によくある物としては他にもベッド脇の小さな冷蔵庫や、見舞い客用の丸イスなんかがある。
 トイレ兼シャワールームを覗いて確認した後、俺はあらためて部屋を見回し、深くため息をついた。

 部屋自体はいいものだが、何とも、運び込まれている荷物を見ると気持ち悪さがせり上がる。
 棚に飾られたバレーボールも、壁に貼り付けられたユニフォームも、中学時代の写真をセロハンテープで留めてあるボードもすべて、希望ヶ峰の入学に際して、寮に送った物なのだから。
 私物まで回収してるなんて――
 そこで俺はハッと思い立ち、部屋のめぼしい場所をとにかく漁りだした。引き出し、クローゼットの中のジャージのポケット、その下にしまわれていたスポーツバッグ……しかし、徒労に終わった。
 携帯電話。あれば外と連絡が取れると思ったのだが……犯人がそんなミスをやらかすはずがないか、と諦めた。

 そう――犯人。
 これはもはや、れっきとした犯罪だ。的目も言っていたが、監禁事件だ。
 入院なんて表現を使っているが、俺たちはわずか2フロアに閉じ込められ、外の景色を見ることすら叶わず、連絡手段も絶たれてしまった。
 そして強要されたことといえば、殺し合い、だ。
 そんなことをさせて何が楽しいのかは知らないが、本当にそれが、それだけが目的なのだとしたら、この大掛かりな監禁の仕方にゾッとしてしまう。

 設備だけは十分以上に整っている病院に鉄板を張り巡らせて、私物までかき集めて、十六人もの人間を運び込む。こんなこと、ちょっと思いついたくらいで出来ることじゃない。
 俺たちの前に姿は見せていないがもっと大勢の実行犯がいるのではないか。はたまた途方もなく大きな力を持った組織の犯行か――
 そんな風に犯人を想像しようにも、しかし表に出てきている唯一の犯人がアレだけではいかんせん決め手に欠けた。
「あの、ふざけたクマだけじゃな……」

「はいはい、呼んだー?」
「!?」
 後ずさった拍子に足がもつれ、床に座り込んでしまった。
 結果、突如床から沸いてきたモノトーンのクマ、モノクマとの視線の高さが合ってしまう。不愉快だ。つーか呼んでねーし。

 苦虫を噛み潰した心地で、俺は天井の隅に目をやった。
「あれ……音声も拾うのか」
 黄色い枠のテレビモニター。その上に、ぎらりと光る物々しい監視カメラ。
 最初に見たロビーを始め、いくつもいくつも、この病院内で見かけてきた物だ。食堂にも多目的ホールにも、廊下を見渡せるような位置にも、ほとんどすべての場所に設置されていたそれは、この私室ですら例外ではないらしい。
 そしてやはり映像はモノクマによって監視され、さらには会話も筒抜けのようである……これを、監禁と言わずに何と言う。

「お前……俺らをどうする気だ」
「んん? 言ったでしょ? ボクは可哀想なオマエラに一日も早く退院してほしいだけだよ、うるうる」
「……殺す気のくせに」
「やだなぁクマぎきの悪い。ボクが殺しちゃったら意味ないでしょ? オマエラ同士が殺し合うことが大事なんだからさぁ。ボクは定められたルールを遵守することには定評のある、超クマ級の真面目っ子なんだから」
「誰も人殺しなんてしねーぞ」
「んん?」
「当たり前だろ」
「えー? そうかなぁ? 殺し屋も一匹狼もいるし、他の奴らだって今日初めて会った他人がほとんどなのにどうしてそう言い切れるの?」
「黒田は実際は殺し屋じゃねーし、大体会ったばかりって言っても、人を殺さないってのは常識なんだよ」

「うぷぷ……」
 モノクマの嫌な笑い方に、俺は眉を顰める。
「相馬クンは、バレーボールに触りすぎて世の中すべてのことがまぁるく、まぁるく、キレイに収まっちゃってるように見えるのかな? そんなわけないのにね。もし世の中が丸くて平和なら、警察も刑務所もいらないのにね」

「…………一緒にすんな」
 俺たちは犯罪者じゃない。ただの高校生で、クラスメイトで、しかもモノクマに捕まった被害者同士。
 もしも殺すとしたら――それは犯人、モノクマだ。

「もう、睨まないでよ、怖いなぁ。最近の高校生はキレやすくて困りますよ。っていうか、もう他に質問はないの? 優しいモノクマ学園長兼病院長が、どっちの立場でも答えちゃうよ!」
「別に……」
 そもそも呼んでねーし、といい加減追い払おうとして、踏みとどまった。
 質問ではない。これはクレームである。

「おい、この生徒名簿も、作ったのお前か」
「そうだよ、学園長として責任を持ってね!」
 何が責任だ。
「俺の項目、間違ってんぞ」
 生徒手帳を何回かタッチし、“相馬成実”のページをモノクマに突き付ける。が、しばらく無言で、置物のようにたたずんでいたかと思えば、粘りつくような声で笑い出した。
「間違いなんてないじゃないか。クマ騒がせにもほどがある」
「は? でも」

「間違いなんてないんだよ、相馬クン」

 ぼしゅん、と煙とともにかき消えてしまったモノクマに、俺は文句のつけ先を失ってしまう。
 ただ、やはり何度見ても納得できない名簿に眉根を寄せることしかできなかった。



 *



「うぷぷ……『誰も人殺しなんてしない』なんて、甘いなぁ、黄色いクマが毎日飽きずに舐めてる蜂蜜くらいゲロ甘ですよ。――まぁ殺し合わなくても、ボクが殺し合わせてあげるけどね」




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