第一章 「絶望入院生活」 1-2 (非)日常編 各自部屋を確認した後は、もう一度食堂に集まることになっていた。 女子の数人――生真面目そうな的目や白鷺、気の弱そうな美芝、箱崎辺りの反応はどこかぎこちなく、黒田は食堂に入りづらそうにしていたが、逆巻が無理やり引っ張りこんだ後はおおむねトラブルもなく俺たちは話し合いを終えることができた。 主な議題は、これからどうするか、である。 正体不明のモノクマによって、建物から脱出する術や連絡手段を絶たれてしまい、病院の2フロアに閉じ込められてしまったわけだが―― 誰か殺したら出してあげるよ! と、物騒なことを言われている以外、特に危害を与えられる気配はないのである。 「部屋はなかなか豪華だったな。いつも布団だからベッドは落ち着かないが、シャワーにトイレに冷蔵庫に、いたれりつくせりじゃないか」 太い腕を組んで感嘆したのは堤だ。 その制服の肘、膝部分にはアップリケがつけられ、袖口もカラフルな生地が継ぎ足されている。 シャワーやトイレというわりと最低限な設備にまでこうまで感心しているのを見ると、彼が普段どのような貧……いや、堅実な生活を送っているのか気になるところだ。 「キッチンにはたくさんの食材が揃っているのですが、それも切れる心配はないようです。えっと、夜時間? の間に補充されるとモノクマさんがおっしゃっていました」 「えーっ! ハコザキ、あのクマと喋ったの!?」 鈴木の食いつきに、ちょっと驚きながらも箱崎は頷いた。 食材のチェックをしていた時に、びよんっと現れたらしい。俺の時と同じで、どうせ監視カメラで箱崎を見ていたのだろう。 しかし、「いいなー!」 と手をバタバタさせる鈴木は、モノクマを遊園地のキャラか何かと思ってないか? 監禁犯だぞ。 「四階の売店にも、物資が豊富に揃っていたな。市販の飲料や菓子、文具や雑貨、簡単な物なら幅広く手に入るようだ」 そこで佐田が渋い顔をする。 「だが……すべての品物に、モノクマのイラストが入っている」 何それいらねぇ。 「ここで生活する分には、何不自由ないということですね」 メモをとっていた手を止めた二ノ瀬の冷静な結論に、的目が反論する。 「だからって、ずっとこんなところにいるなんて冗談じゃないわ! 学校もあるし、家族だってきっと心配してる……」 「行方不明扱いになってるのかな、俺たち……」 「誘拐事件とか、騒ぎになってるかも……」 「皆、生徒手帳にカレンダーがあるのは知っているか?」 沈み始めた場に、白鷺の声が通った。 「起動画面に時計が表示されているだろう? 今は、“19:38”……これをタッチするとカレンダーが表示されるんだ。見てくれ、四月八日の色が違うのは、これが今日だということじゃないか?」 希望ヶ峰学園入学式……俺たちが学園にやってきて、そして意識を失ってしまったのは四月七日のはずだ。まだ同じ日だと、無意識に思っていたが―― 「あれ、もう八日? あたしすっごい寝ちゃってたんだなー」 脳天気に笑う糸依は置いておく。 俺たちがいなくなって一日以上経っている。その時間は重要だ。 「にゃら、学園はアタシらが居にゃいってとっくに気付いてる……はずだね?」 紺色の髪をくるくる巻きながら、抹莉が余裕を窺わせる笑みを見せる。 「あの希望ヶ峰学園の生徒が集団で行方不明、にゃんて事件、警察も全力で捜索するだろうし、アタシらはここで待ってればそのうち助けが来るね」 「やったらえーけどなぁ」 「にゃにさ、えーと、由地クン? この国の警察は意外と優秀だよ?」 「あ、あの……」 そろり、と手を挙げたのは、やはり居たたまれないのか、皆から少し離れて座っていた黒田だった。 「僕も……その、楽観視は、しない方がいいと思うと、いうか……」 皆の視線に怯みかけるが、同じ意見らしい由地の「言うてみ言うてみ」 という声援を受けて黒田は続ける。 「モノクマの……自分が学園長だって言葉が気になって……それにこの監禁場所も、僕らの荷物の回収も、誘拐自体だって大掛かりで、モノクマとして出てきてる人物以上にその裏には大きな組織がついてると考えるのが妥当じゃないかな。それこそ希望ヶ峰すらどうにかできるような……。一定以上の力を持った組織ならあらゆる業界、階級、公的組織にも繋がりを持ってることなんてどこの国でもザラで、警察も圧力を恐れて手が出せないどころかウィンウィンの関係を築いている。もしそうならこの件もすぐに解決する保証は――」 「……」 「……」 「……ハッ」 唖然とする我に返った黒田の目が右へ、左へと泳ぎ、その顔がみるみる青ざめていく。 「えっ、あ、えっと……ふ、普通だよね、僕の言ったことなんて普通の男子高校生が言うようなこと、だよね? お、おかしくない、よね?」 ………… すまない黒田。 誰にもフォローができないようだ。 「殺し屋こえー」 食堂に満ちた微妙な空気を、まったく読まずにブレイクしたのはその場にいないと思われていた人物だった。金髪碧眼……長谷部ブライトだ。 「な、何よあんた、今ごろ来て!」 「うっせーな説教チビ女。水飲みにきたとこにお前らがいただけだろめんどくせー」 すらすら罵詈雑言を並べながら食堂を横切り、キッチンへと消えた、と思えばすぐにまた青い目を覗かせた。 「コップどこ」 「あっ、はい! お持ちします!」 メイドとしての条件反射なのか、箱崎が急いで駆け付けていく。 そんなやりとりを挟んで空気が緩んだのをきっかけに、 「とりあえず――」 超高校級の長男が、頼りになる風格でどしりと座り直した。 「メシにしないか。もう夜の七時だったな? 腹が減ってはなんとやら。イライラもするし、いい考えも出ないだろう?」 まぁ、たしかに……と皆が頷く中、なんと堤はコップを手に戻ってきた長谷部にも声をかけた。 「長谷部、お前もどうだ?」 「あ?」 「みんなで夕飯にしよう。と言っても俺だけじゃ作るのに時間がかかりそうだな……」 「あの、堤さん、私もお手伝いします!」 提案した堤と、手を挙げた箱崎を、長谷部はじろりと睨む。 「毒殺とかされちゃたまんねーんだけど」 毒殺って…… 毒なんてどこにあるんだ、と思わずツッコもうとしたが、 「でしたら、調理しているところをご覧になっていてください。ご不安なら毒味もいたしますよ」 ですので、安心してください。 にっこりと、まるで福の神のような笑顔で言う箱崎にも、長谷部は冷たい視線を返すだけだった。しかし、無言で椅子を引いて座ったところを見ると納得はしたらしい。 こうして俺たちは十六人全員で、堤と箱崎の作ったシチューとサラダで腹を満たすことができたのだった。 洗い物は引き受けよう、と手を挙げた白鷺に、料理に関してはこれからも役立てそうにないからと言って多可村と、それから俺も腰を上げた。 オレは腹ごなしに走ってくるぜえええ! と飛び出していった逆巻を思い出しては頭を痛めながら、白鷺がすすいだ食器を男二人で拭いていく。 「箱崎はメイドだし分かるけど、堤は意外だったよね。キッチン覗いた時も、すっごい手際良かったし」 「まあ、毎日作ってるらしいからなぁ」 夕食の評価は非常に高かった。特に大柄で見た目には不器用そうな堤がなぜ!?という驚きが上がったが、本人が“超高校級の長男”の由縁と共に話してくれたのである。 『ウチは二親共早くに死んで、俺が弟三人と妹二人を育ててきたんだ。だから家事は一通りな。貧乏だったけど弟たちには好きなことさせてやりたくて、やりくりして習い事続けさせてやってたらみーんな次期超高校級なんて呼ばれるようになってなぁ。で、それを育てた俺は“超高校級の長男”として学園から声がかかって……自分でもよく分からん肩書きだと思うが、授業料免除してくれるっていうからな、入学を決めたんだ』 自分のこれまでを語る堤の笑顔は、まるで苦労を思わせないほど朗らかで。 こんな兄がいればそりゃあ自慢だろうなと頷きながら、彼の手製のシチューを味わった。 「しかし、弟妹のこと、心配だろうな……」 水を止め、蛇口に手を触れたまま白鷺が視線を落とす。 「元々全寮制だから離れて暮らすことになってたっていっても……状況が状況だ。連絡もとれないのは双方不安だろう……」 「まぁ、どうしようもねえけどな……」 夕食をとりながらの話し合い。 それは結局、今日のところは各自休もう、という先送り案に落ち着いた。これといった打開策が何もなかった、ということだ。 決めたことといえば、明日の朝、夜時間が終わった後の朝八時に食堂に集まること。 そこで相談するといっても、状況が何も変わっていなければ“建物内を調べながら助けを待つ”以外の案は出ないだろう。 「……どう、なるんだろうね……」 まだ水が流れていたなら、かき消えてしまいそうなほど弱々しい声。 多可村が吐く息は細く、震え――不意に、彼は色の悪い顔で振り向いた。 「何か甘いものないかな」 「甘いもの?」 キッチンを見渡してみても、野菜や肉ばかりで菓子類は見当たらない。 冷蔵庫の中に果物があるだろうかとしゃがんでそれを開ける俺に、多可村は申し訳なさそうに謝った。 「俺、昔からバスケの試合前とか……緊張とか不安に怖じ気づいちゃった時は、甘いもの食べないと落ち着かなくってさ。なんだろう、糖分が脳に行き渡るのがいいのかな、食べるとホッとして、試合にも臨めるようになるんだよね」 なら、今も不安なのか。 尋ねかけて、やめた。……そんなのは当たり前だ。今、不安のかけらもない奴なんているのだろうか。 俺がかける言葉に迷っている間に、動いたのは白鷺だった。彼女の腰の突剣が俺の目の前を横切り、戸棚の前で止まる。 「なら、食後のコーヒーか紅茶はどうだ? 砂糖をたっぷり入れれば甘くなるし、何より温まる」 「……うん、いいね。みんなで飲もう?」 甘いものにありつける安心からか、それともクラスメイトの気遣いにか。 染めた金髪の下に多可村らしい穏やかな笑みが戻ったことに、俺も白鷺も目を眇めた。 砂糖たっぷりミルクたっぷりのコーヒーを多可村が飲み干すのに付き合ってから、俺は食堂を出た。 多可村は売店で念の為に甘味を調達してから部屋に戻るという。 階段を下りていく彼と、女子部屋廊下へとブーツのかかとを鳴らして去っていく白鷺を見送って、俺も部屋へ戻ろうとした――のだが。 にっ…… ひきつりそうになった喉を、どうにかなだめ、咳払いをすることで不自然さをごまかした。 多可村と入れ替わりで、二ノ瀬が階段を上がってきただけだ。 何を動揺することがある。 「……売店か?」 二ノ瀬の持っているペットボトルを見て、当たりをつけてみる。 「はい」 「……」 「……」 会話が終了した。 く……確かに二ノ瀬は口数の多い方じゃないようだ。そして、俺も会話はそう上手くない。どちらかといえば聞き手、相手に好きなように喋らせておいて適当にツッコむというのが常だ。 ゆえに、この沈黙を破る術が、すぐには思いつかない。 「……あー……」 耐えかねた俺は……諦めた。 「……明日、食堂でな」 それだけ言って、逃げるように男子部屋廊下へ足を向ける。 そんな情けない俺の目の前に突然、 「っ?」 透明な液体の入ったペットボトルが差し出された。 「相馬くん。よろしければどうぞ」 「……水?」 「はい。部屋には手洗い場以外に水道がありません。それを飲み水にしても支障がないのであればいいのですが」 「あー……いや」 それは微妙だ。コップも、長谷部が食堂に取りに来たくらいだ、部屋にはないんだろう。 「……もらっとく」 受け取ると、二ノ瀬は残り一本を抱えたまま軽く一礼した。 部屋へ戻るのだろう彼女を、 「あ、二ノ瀬」 引き止めたのは、少しばかり会話が続いたからという、ただの勢いだった。 「何か」 こちらに向き直った二ノ瀬をまじまじと見てみても、短い髪に眼鏡、セーラー服、ああそうだ、タートルネックやタイツのせいで肌の露出が少ないところまで、夢で俺に平手打ちした女子そのもので。 「……あー、その……俺と二ノ瀬、さ」 あの夕空を脳裏に過ぎらせながら、ずっと気になっていたことを口にした。 「前に……ここで会う前に、どっかで会った?」 しどろもどろになってしまった俺とは対照的に、 「少し待ってください」 二ノ瀬の対応は事務的だった。軽く目を伏せ、自分の思考に埋没するかのように沈黙した彼女は――やがて、変化のない鉄面皮で簡潔に答えた。 「いいえ」 「……会って、ない?」 「はい。少なくとも私の記憶する景色の中に相馬くんはいません」 妙に遠回しな表現だが、しかし二ノ瀬にとっては言葉通りなのだということを思い出す。瞬間記憶能力。彼女は目にしたものを寸分の狂いもなく記憶し、写真を取り出すように思い出せるのだ。 「私が覚えていないということは、私とあなたは初対面だということです。ただ、ここへ閉じ込められる前、希望ヶ峰学園近辺で私を一方的に見かけた可能性などは否定することができません」 つまり……俺が二ノ瀬と会っていたとしても、それは俺が偶然見かけただけだと。 二ノ瀬には、俺を平手打ちした記憶などさらさら無いと。 「…………ああ、俺の……気のせいかも。悪ぃ」 「いえ」 二ノ瀬の目礼すら待たず、俺は踵を返した。 ようするに俺は…… 覚えはないがたまたま見かけた二ノ瀬を、夢の中に引っ張り出して、平手打ちさせてたってことか……? 通りすがりの女に、ぶたれたい願望? そ、それ……どんだけ、へんた…… ピンポーン 羞恥心に身悶えていたところに呼鈴が鳴り、部屋にいたまま応対できるインターホンも何もないので仕方なくドアまで向かう。 覗き穴(スライドドアには似合わない) でそれが帽子で表情が分からない由地だと知って、何の用だ、と訝しみながらもドアを開ける。途端―― 「なあなあ見とったで、何なんさっきの二ノ瀬との会話! 『どっかで会った?(キリッ)』 とか今時ナンパでも使わんで! しかもあっさりばっさり覚え無い言われとるしあかんウケるわ腹痛いわジブンめっちゃフラレとるやん……! えらい袖の振られ方やったけど落ち込んだらあかんで、って落ち込むわけないわな、出会おてたった半日足らずでアタックするほど猛者やもんなぁ! リベロやのうてスパイカーに転身した方がええんとちがうか相馬くーん!!」 うひゃひゃひゃひゃと泣き笑いする由地を、俺はスパーンッと締め出した。間髪入れずにドアを蹴り飛ばす。 由地……ぶっ殺す!!! 防音のせいで何も聞こえてはこないが、今もまだ廊下で関西弁ゲーマーが腹を抱えて笑っている気がしてならなかった。 『えー、院内放送です。22時になりました。ただいまより夜時間となりますので、食堂と売店は閉鎖され、立ち入り禁止となります。それではオマエラ良い夢を。おやすみなさい』 二ノ瀬から貰ったペットボトルに口を付けかけた時、黄色いモニターの電源が突然入り、俺はそんな放送を否応なしに視聴させられた。 胸くそ悪かった。 白衣に聴診器を身につけて、クマ型のレントゲン写真の前で椅子にふんぞり返るモノクマなんぞ誰が好んで見たいものか。 しかし、ずっとまとわりついている倦怠感も手伝ってか眠気は抗いようもなく訪れた。 夜時間は水が出ないらしいのでシャワーは朝に回し、とりあえず運び込まれていた私物から適当なジャージに着替えている間に限界を迎え、その後はベッドに倒れ込むように眠りについた。 夢は見なかった。 仮にまた二ノ瀬風の女子に引っぱたかれていたのだとしても、けたたましく鳴り響いたチャイムの音に吹き飛んでしまったのだろう。 ピンポンピンポンピンポンと、嫌がらせのように鼓膜を攻撃し続けるそれに、俺は耐えかねて掛け布団を引きはがした。 ああ……そうだ、ここは……閉じ込められた病院の一室だ。 という起き抜けの再認識もそこそこに、棚のデジタル時計を見る。 六時。 まだ夜時間の、六時だ。 「おっはよう相馬!! 朝練しようぜ!!」 「…………」 ドアを開けて一番、ため息しか出なかった。 チャイム連打から予想はしていたが、赤いジャージにギラギラ燃える目が、何もかも予想通りすぎたからだ。 「逆巻……とりあえずうるせぇ。そんで時と場所を考えろ。朝練ったってどこで何やるんだよ」 「んなこと言ったって、朝一で走っとかねーと気持ち悪いだろ!? 狭い屋内練習しかできねーけどまずはストレッチ、柔軟だろ、そんでこの廊下で50メートルダッシュな、ほら早くやんぞ顔洗ってしゃきっとしてこい!」 「あのな、」 「コラーーーッ!!」 うお!? と飛びのいたのは、俺と逆巻の間、ちょうどドアの敷居の辺りからモノクマがにゅっと出現したからだ。もはや仕組みについてはツッコまないが、意表を突くのはやめてほしい。ドキッとするしイラッとする。 「病院内の廊下は走るなって、昨日も言ったよね? なんなの、逆巻くんの耳は馬にも劣る飾りものなの? 右から入ったものが左に抜けてっちゃう欠陥住宅仕様なの?」 ……どうやら、注意を受けるのはこれで二回目らしい。 あれか。夕食後の腹ごなしに飛び出していった時。 その爆走中に今のような大目玉を食らったのか。 「でもよ、早朝だし誰もいねーじゃん。 部屋って防音なんだろ? だったら起こすこともねーし問題ねーだろ!」 「あるよ! ああっ、これだから嫌だねゆとり世代は。人に迷惑をかけてないから何してもいいだろという風潮……ワシが学生の頃はもっと人目と規律を重んじたものじゃよふがふが」 「お前は存在そのものが迷惑だけどな」 「なんじゃい相馬クンまで……最近の子供は口も悪いのう。目上はもっと敬うもんじゃ」 「誘拐犯を敬う趣味はねぇよ」 「誘拐犯だなんてヒドイなぁ。ボクは善意で倒れたオマエラを病院に運んであげたっていうのにー。とにかく病院の廊下は走らない! 常識だよ! 三回目は無いからね!!」 言うだけ言って、キャラをブレるだけブレさせてモノクマがびょびょんと引っ込んだ途端―― 「よっしゃ、クマもいなくなったしストレッチから!」 「話聞いてなかったのか」 逆巻には手刀を降り下ろしておいた。 部屋で筋トレでもしてろと逆巻を追い返し、ゆっくり準備を整えた俺が食堂へ向かうと…… 「エスプレッソ。ミルクはいらねー、砂糖だけもってこい」 「はい、かしこまりました!」 横柄な客と真摯に接客するメイドが、そこにいた。 皆の朝食の準備を進めている箱崎は、あくびがてらの長谷部の注文にぱたぱたと走っていく。 一応同い年のクラスメイトのはずだが…… 使う者と使われる者に自然に落ち着いている風があるので何も言わないことにした。 「コーヒーくらい自分で入れなさい! 箱崎さんはみんなの朝ご飯を用意してくれたのよ?」 数人分のカフェオレをお盆に乗せてキッチンから出てきた的目がそう言って眉をつり上げても、長谷部はどこ吹く風。足を組み直してまたあくびをする金髪イケメンには何を言っても無駄そうだ。 「おっはよう! お日さま見れないけど、いい朝だね!」 「うー、ねむいー……」 ちっちゃな鈴木に引っ張られてやってきたのは、目をごしごしこする大きな糸依だった。 釣り師というと、暗い内から釣り場に出発したり、朝に強そうなものだが。 他の女子との会話を盗み聞くに、 「なんか部屋広くて眠れなくてさー……鈴木んとこにお邪魔して、やっとちょっと寝れたんだよねー……」 とのことらしい。 そうして食堂にちらり、ほらりと人が集まり始めた午前八時。 トーストとサラダ、ふわふわオムレツという十分立派な朝食をとりながら、俺たちの監禁生活二日目の会議は行われた。 とは言っても、前回の会議からは夜時間くらいしか挟んでいない。各人に新たな収穫、発見などなく、結局のところ“これからどうするべきか”という議論は消極的な目標に決した。 “殺し合えなんてふざけたことを言うモノクマになど耳を貸さず、助けを待つ” “各々、何か新しい発見があった場合は全員に報告” それから、“朝八時の朝食、夜七時の夕食は皆で食堂で食べる” ――そうして俺たちはまた夕食の時にと約束をして朝食会議を終えたわけだが、いかんせん、日中にやることがなく俺は途方に暮れていた。 新しい発見、とは言ったものの、狭いフロアだ。もう隅々まで調べ終えてしまっている。 逆巻は素直に自室にトレーニングをするという。 俺もそれに倣って午前中は簡単なストレッチと筋力トレーニングで時間を潰したが、まさか部屋の中でボールを使った練習をするわけにもいかない。 というわけで腹の空きと共にトレーニングを切り上げたのだが、顔を出した売店で俺は盛大に顔をしかめた。 こ、これは…… 「言った通りだろう」 低い声の主は佐田だった。 コワモテをさらに険しくしながら、店頭のスナック菓子を一つ取る。 「あれもこれも、どれにもモノクマのマークが入っている。まったく趣味が悪い」 そう。 ゆうべの探索時にも佐田が言っており、そして二ノ瀬からもらったペットボトルもそれを肯定していたのだが……すべての商品に大なり小なり、モノクマが『うぷぷ』と笑っているようなイラストがプリントされているのである。 手にとる気がしない。 レジに“コロシアイ生活中の商品の持ち出しは自由です。夜時間中は補充のため閉店します” という紙が貼ってあるのでお金はいらないようだが…… モノクマ印……見ているだけでイラッとする。 「気にせず飲み食いしている者もいるがな」 俺と一緒に、佐田も溜め息を吐く。 「鈴木や堤、糸依などだ。まあ、いくつか開けて、品質に問題ないことは確認している。あとは気の問題だろう」 「毒味、か?」 「いや、匂いで判断した」 ああ、と思い当たる。佐田は調香師、香りに携わる人間だ。 「匂いだけで正確に判断……まあ、きるんだろうな、超高校級ってくらいだ」 「うむ。主に香水の開発に携わっているが、わずかながら警察の科学捜査にも協力している」 「ええっ?」 すぐさま警察官に手綱を引かれたドーベルマンが思い浮かんでしまったが、 「警察犬のように空気中の細かな匂いを嗅ぎ分けることはできないが、犬とは違い嗅いだものの成分を口頭で伝えることができるので時折相談が来るのだ」 否定されてしまった。 が、“警察犬”。佐田のイメージにぴったりだ。 「ぬふふ、見つけたよー、糸依っちー」 「うん?」 売店の隣、ランドリーをふと見れば、そこから出てきた糸依が怪しい笑みをたたえた抹莉に待ち構えられていた。 「サイズ……測らせてくれにゃいか!!!」 「うぇっ!?」 「!?」 「!!!」 行われた突然の暴挙。それを被った糸依以上に目を見開いたのは、売店前の男子二人……俺と佐田だった。 巻き尺をしゅるると伸ばした抹莉が、猫のごとき素早さで間合いを詰めたかと思えばそれを糸依に胸部に巻きつけた。 うまく釣り師御用達ベストの裏側へ潜り込んだそれは、巨大なな二つの水風船を適度に締め付け、そのトップのラインが露わに―― ――や、やめておこう。 俺の品性が疑われる! バッ、と目を背けた先で、俺は再び唖然とした。 「……ふむ」 異常なほど落ち着き払った様子の佐田が、まるで個展で絵画でも鑑賞するかのように、じいっ、とメジャーに計測される巨乳を凝視しているのである。 「乳は大きい小さいという概念では計れない。が、大きい乳にはそれのみが持ち得る豊かな魅力があるのは事実。猫耳娘が測らずにはおれなかった気持ち、分からんでもない」 お、俺は分からないからな!! 「ああ! イトヨリに何してんの!」 不意に暴挙に終止符を売ったのは、糸依に続いてランドリーから出てきた鈴木だった。昨夜糸依が訪ねて一緒に就寝したこともあり、仲が良いようだ。 「ダメだよイトヨリ、ボーッとしてたらマツリに揉まれちゃうよ! エッチなことされちゃうよ!!」 「えええええ」 真っ赤な顔で鈴木の後ろに隠れ(きってはいないが)、恥じらう糸依に抹莉はからから笑う。 「やだにゃー、人を痴漢みたいに。そのニャイスバディの正確にゃ数値を把握しておきたかっただけだって。その体でまとってほしいコスチュームがいくつもあるんだにゃー」 ぬふ、と目を三日月型にして怪しく笑む抹莉に、女とは思えぬ不純さをひしひしと感じて戦慄していると―― 「ふむ、そのコスチュームとやら……興味深い」 そう呟いた佐田に、俺は、これ以上ここにいるのは危険だと判断した。興味が一切無いとは言わないが、断じて、断じて佐田と同レベルではない!! 自己保身のために佐田と距離を置こうと五階へ戻ってきた俺は、食堂の前で足を止める。 売店から持ってこれなかった昼食をここで調達しようと、中へ入った俺は、キッチンまでやってきて――愕然とした。 人の足。 それが、床に。 「っ! 大丈夫か!!」 血相を変えて調理台の裏に回りこんだ俺は、そこに倒れた美芝つばめの姿を見た。折れそうなほど細い体を上向かせれば、その顔色はひどく悪い。 「相馬くん、どうしたの!?」 俺の声を聞いてか駆け込んできた黒田も、状況をすぐに飲み込んだようで美芝の傍に膝をついた。 二人で数度呼び掛ける。 うっすらと、その緑がかった瞳が開くまでにそれほど時間はかからなかった。 「あ……ああ……平気、です。少し、貧血……いつもの、こと、で」 「起きんな、横になってろ」 土気色の顔で小さく頷いた後、美芝は体の力を抜いた。 「すみません、ご迷惑を……」 自室のベッドで、美芝は深々と頭を下げた。 「そんなのいいから、ほら、横になるの!」 美芝をたしなめ、掛け布団をかけたのは的目だった。 黒田が彼女を背負い、俺が預かった美芝の手帳でドアを開けようとしていたところを的目に見咎められたのだ。 『ちょ、ちょっと、あんたたち何やってんのっ!? 美芝さんに何したの!!』 ひどい濡れ衣だ。 まあ疑いはすぐに晴れ、的目も介抱に加わったのである。 「お薬の時間、でしたので、お水をいただこうと……ですが、もう少しという、ところで……」 「力尽きたのか」 もうしわけありません……と美芝は布団の中で口を動かした。 「薬って、常備薬とか?」 「ひっ……」 黒田の声と姿を認識した美芝が、分かりやすく肩を震わせた。 その理由を一番知っているのは……他の誰でもなく、超高校級の殺し屋、黒田だろう。 「あ……その、ごめん……」 ゆっくり、休んでね。 顔を伏せたままそれだけ言って、美芝の部屋を出ていく黒田。 俺は、その後に続くことにした。 女子の部屋に、いつまでもいるのも気が引ける。それに廊下で一人落ち込むのだろう黒田を、放ってもおけなかったからだ。 案の定、廊下に出た俺に力なく笑ったっきり黒田はまた下を向いてしまった。 ついては来たものの切り出す言葉が選べないまま俺が頭を掻いていると、閉めたばかりの部屋のドアがまた開く。 ひょっこりと顔を出して黒田を見上げたのは、的目だった。 「常備薬は、同じ物が部屋に一カ月分用意されてたって。だから当分は大丈夫よ」 目を丸くする黒田に、 「それと」 的目は続ける。 「美芝さんが、ごめんなさいって。助けてもらったのに、怖がってしまってって」 「そっ……そんな、いいよ、だって、僕が悪いんだもん! ころ……こんな、肩書きなんか持ってるから……怖がって当然だよ!」 眼鏡をずらし、大きな手振りで慌てふためく超高校級の殺し屋を見つめる的目の表情は……堅かった。 「私も、ちょっと怖い」 「……うん、それが、当ぜ」 「でもあなた、いい人だわ」 ニッ、と彼女が笑ったのを、殺し屋はしばし、ぽかんと見つめていた。 「美芝さんには私がついてるから、男どもは帰んなさい」 責任感を滲ませた言葉を最後にドアが閉められてからも、黒田はぼんやりとしていた。ぱち、ぱちとまばたきだけを繰り返す彼に、俺も頭を掻いた後、ようやくかけるべき言葉を見つける。 「昼飯、食いにいくか」 「え、あ」 俺の顔と、閉じたドア、両方を交互に見つめた後、黒田は嬉しそうに微笑んだ。 「うん」 「冷たいジャスミンティ。食後にはコーヒー、サーバーで持ってきて」 「はい、かしこまりました!」 午後七時、夕食時。 食堂にやってくるとまず、朝見たような光景が俺を待っていた。 昼間はまったく会わなかったし……俺、お客サマ態度で飯食ってる長谷部しか見てないな。 「あああー! ホント最悪だぜあのクマ! 俺になんか恨みでもあんのかっつーの!!」 キッチンで豚丼と味噌汁、サラダの定食セットを堤から受け取って俺の向かいの席につくなり、赤色ジャージはやかましく吠えた。 遠くの席から舌打ちと、「あーうぜぇうるさいのはジャージの色だけにしてほしいんだけどっていうか俺米いらない肉二切れとサラダと味噌汁でいーわ替えてきて」 「はい、かしこまりました!」 というやりとりが聞こえてきたが、何やら怒りに燃えている逆巻にはどうでもいいようだ。 「廊下は走るなって言われたろ? で、俺は考えたわけよ。筋トレもいいけど、もっと走って飛んで走りたいわけよ! そんで閃いたのが、多目的ホールだ!」 「……あー」 「多目的だろ? 使う目的なんでもいいんだろ? だったら走っても文句ねーよな! って行ってみたんだよ。そしたら……」 「そしたら?」 「“モノクマ都合により、現在使用できません”って、立札が……ヒドイと思わねーか!? 鍵までかけやがって! 蹴破ったらおしおきだし廊下走ってもダメだし俺はどうしたらあああ」 「とりあえず飯食えよ」 「そうだな!!」 豚肉うめえええ! と、逆巻の機嫌はあっという間に好転した。そういう奴だ。 「まあ気持ちは分かるけどな。俺かてゲームできへんのはつらいわ」 ……由地。 ゆうべの二ノ瀬関連の件を忘れていない俺が無言で睨むも、「隣えーかー」 とへらへら笑いながら椅子を引き、定食の盆を置いた。こんのデリカシーのない関西人め。 「飯も睡眠も交流も自由にさせてもらっとるけど、所詮俺らは囚われ人や。ホンマの自由はここには無い」 割り箸を割って、いたーきます、とウキウキ豚丼に向かう由地は、そんな様子とはまるで真逆の話をし続ける。 「なんもかもがあのモノクマの匙加減ひとつっちゅーこっちゃ。俺らの生活も、自由も、生死もな、んぐんぐ……あー、めっちゃ旨いわ、やっぱ人間、肉食わなあかんわ」 「殺し合い……ってやつかよ」 「まあ、どんだけ本気で言うとるか分からんけどな」 ずーっ、と味噌汁をすすりついでに口を開く。 「ぷはー。ええダシ出とるわ。堤の兄やんホンマ女子力高いのう。……ま、もしそれが冗談でもや。人質の生死は誘拐犯の手の中っちゅーのは、当たり前の話やろ。あんま呑気に入院生活送っとったらあかんで相馬くん」 「……お前にだけは言われたくねーよ」 うひゃひゃ、そりゃ失礼しましたー、とけらけら笑う姿にイラッとする俺の向かいで、だんっ、とカラの丼を置く音がした。 「よっく分かんねーけど……」 かきこんだ豚丼を咀嚼する逆巻は、飲み込んだ途端立ち上がった。 「肉が旨いってのは、同意!! 堤ー!! 箱崎ー!! 明日は牛肉焼いてくれー!!」 「ええなぁ逆巻くん、俺もノッたで。分厚いビフテキ俺にも頼んますー!」 ……あー、もう勝手にしろよお前ら。 口を挟むのにも疲れた俺が、自分とて嫌いではない肉にがっつこうとした時だった。 ぴんぽんぱんぽーん、と、夜時間より二時間以上早く鳴り響いた院内放送に体を固くしたのは。 ← back → ------------------------ |