第一章
 「絶望入院生活」


 1-4 武器回収



 翌朝、八時。
 食堂に重い足を向けてみれば、ぽつぽつと点在する生徒の全員がこちらを向いた。
 そしてすぐ、視線をさまよわせる。
 皆を仕切る的目も、おどけた調子の抹莉も、天真爛漫な鈴木も、飄々とした由地も、普段口数の多い人間さえ押し黙っているのも、今朝は仕方がないと思えた。

 ひときわ騒々しく声と音をまき散らす逆巻が、いない。
 そうなった出来事は、今の俺たちから希望を奪うには十分過ぎるものだったのだから。


「あー、辛気くせぇ」
 突っ立っていた俺に肩を当てて入ってきた長谷部は、
「コーヒー」
 キッチンへ注文を飛ばしながら定位置である端の席に座った。すぐに箱崎がキッチンから了承するのも昨日の朝と同様で、まるで昨夜何も目の当たりにしていないような長谷部に、眉間のしわを深めたのは的目だ。

「……あんた、何でそんな普通なの」
「あ?」
「逆巻くんが、あんなことになったのよ……なのに」
「だから?」
「……は?」
「ルール破ったら殺されるくらいのこと覚悟しといた方がいいんじゃねーのって俺言ったと思うけど。実際あーなるって分かったところでこの状況は変わらねーし普通にコーヒー飲んで何が悪い?」

「状況にゃら、変わったんじゃにゃいの」

 紺色の髪をいつものようにいじりながら、しかし笑みの無い表情で抹莉が言った。
 次いで堤が、
「…………武器、か」
 重苦しく呟いた。

「全員、それらしいものを配られたか?」
 堤が見渡すのに合わせて、食堂にいる全員――長谷部のコーヒーを運んできた箱崎も、硬い表情で頷く。
 そこでふと目立つはずの長身、多可村がいないことに気付くが、それを指摘するより先に、的目がまっすぐ上に右腕を上げたのが見えた。

「それについて、ちょっと提案があるんだけど」

「提案?」
 こくり、と神妙に頷いた的目は、つかつかと皆が見渡せる位置に移動すると、両手をテーブルに突き、学級委員長然として身を乗り出した。

「私には斧が渡されたんだけど……正直、あんな危険なものが全員に配られてるなんて気が気じゃないわ。バカなことする人がいるなんて疑いたくないけど、とてもじゃないけど安心しきれない……これはみんなもそうじゃない?」
「……うん……スズキもやっぱ、怖いって思っちゃうな」
「みんなが武器を持ってるって事実がある以上、不安になるのは当然よ。だから、こうしない? ――全部、回収するの」

 回収……?
 その詳細を尋ねる前に、ハッ、と嘲笑が響く。

「それってあれか、核が怖いからみんなで一斉に核を放棄しましょーってやつ? 核を持ち合うことでけん制になるって考えもあるんですけどそういう自衛手段もみんなで仲良く放棄しましょうっていう脳みそお花畑な平和主義者みたいなことをしようってわけ学級委員長サマは?」
「長谷部。あんたは黙って――」
 一蹴しようとして、ふと、的目は長谷部に向き直った。
「そうよ、みんな一斉に放棄するの。みんな一緒になら安全でしょ。それとも、何か回収されたくない理由でも?」
「あ? 別に……」
「ならいいじゃない」
 満足気に笑む的目は、瞳に力を宿らせる。
「武器の配布を無かったことにするのよ。それで、とりあえずは元通りよ」

「回収を渋るとすれば……心にやましさがある方、ケホッ、ですものね。皆が快く手放すことで、信頼、し合うこともゴホゴホッ、できますわ」
 美芝がつっかえつっかえ言った意見は最もだった。
 人を殺せるもの……俺で言うなら手術道具なんて、手放すことになんら抵抗は無い。そして全員がそれを示すことで、疑い合う理由は消滅するのだ。

「しかし……回収したとして、それをどうする? 一カ所に置いておくのも物騒じゃないか?」
 顎に手をやる白鷺に、鈴木がハイハイ! と両手を挙げた。
「ゴミに捨てちゃおーよ! 夜になれば持ってってくれるよ!」

「いやいや、斧とか、どう考えても燃えへんごみやろ」
「私に配られたのは弓矢だ。木製だが、これはどう考えても粗大ごみではないか?」
 由地と佐田が反論し、ふりだしに戻ってしまう。
 燃えないごみと粗大ごみを出せるのは日曜の夜――今日、四月十日は月曜であるため、まだ一週間近くあるのだ。

「捨てられないなら、誰も触れないようにしておければいいんだけど……」
「鍵付きのアタッシュケースに入れるとか?」
「そんな物どこにあるんだ」
 回収した武器をどうするか。
 悩む面々に、答えを出したのは二ノ瀬だった。

「宿泊施設に、ロッカーがあるのを記憶しています。鍵穴もあるようなので、そこへ保管しておけるのではないでしょうか」

「ああ、あったわね! 多分泊まる人の荷物置き場だと思うけど、かなり大きいのがいくつもあったから、入るんじゃないかしら」
 初めの日に四階を捜索した的目は大きく頷くと、
「よし、じゃあ今から各自武器を持って、食堂前に集合! 皆でロッカーにしまいに行きましょ!」
「……めんどくさ」
「全員参加よ! 長谷部もね!」

「待ってもらえるか、的目」
 長谷部では無いが、俺も今すぐその案に乗れない理由があった。
 全員参加なら、なおさらだ。

「逆巻が昼頃に目を覚ますらしくて……モノクマはあいつにも武器を配るって言ったからそれも回収したいんだけど」
「それが逆巻クン、なんとついさっき目を覚ましちゃってねぇ」
「まだ病室に入れないから少し待って――って、え?」

 俺の足と足の間の床に、黒い物体が生えているのを見て――飛び退くより先に詰め寄った。
「目を覚ました!?」
「うわっ、神出鬼没をウリにしてるボクを驚かせるなんて、やるね相馬クン」
「んなことより!!」
「はいはい。逆巻クンったら回復力まで超高校級とでもいうのかな。見立てよりもびっくりするほど早く意識を取り戻しちゃいました。武器も渡したし、会話ももうできるからお見舞いでもすればいいんじゃない?」

 四階の、特別病室へ。心ははやりかけたが、しかしまだ問い詰め足りなかった。
「……逆巻の容態は、どうなんだ」
 したかった質問が白鷺の口から出る。
 それに対する返答を俺はモノクマを凝視して待ったが、しかし、ひらりとかわしてモノクマは消え去ってしまった。
「本人から聞けば? じゃねっ!」



「……病室に行って来る」
 それだけ言って食堂を後にしようとした俺を「なら、みんなで」 と的目が引き留めたが、俺は首を横に振った。
 超高校級の陸上部員が、足を刺し貫かれたのだ。
 それを言葉にすると、表情を陰らせ、「……そうね」 と引いてくれた。
「なら、こっちは武器回収の方を進めておくわ。あとで相馬くんも宿泊施設に来て」

「あ、あの……」
 おずおずと黒田の手が上がる。
「僕、多可村くん、呼んでくるよ」
「ああ、そういや居にゃかったね、あのヘタレバスケ部」
 あんまりな呼ばれ方だが、抹莉の人間観察は正しくもあった。
 監禁生活に気を滅入らせていたのは、病弱な美芝……も辛かろうが、緊張と不安をミルクコーヒーで紛らわせていた多可村もそうだ。

「……武器のせいで、怖がって出てこれなくなってるのかもしれない。あんま刺激すんなよ」
「うん、分かったよ相馬くん」
「いや……だから」
「え?」
 首を傾げる“自称・普通の高校生”には、かなり言い辛いことだが……

「うひゃひゃひゃ……! 超高校級の殺し屋が行ってドア開けてくれるわけないやろ! 何のコントやねん!」

 ……由地。オブラートに包め。
 黒田が打ちひしがれて、壁に手をつかなきゃ立っていられない状態になってるじゃないか。






 先に手術道具を取りに自室に寄ったのは、病室も宿泊施設も四階にあるから、という効率を考えたからだけではない。
 いざ病室へ入れるとなったら、気後れしている自分がいたからだ。


 一番奥、真っ赤な開かずの扉のすぐ傍にある、特別病室。
 ジャージに逆立った髪という、逆巻としか思えないドット絵キャラの表札がついた部屋は、奇しくも俺がおととい目覚めた部屋だった。
 しかし単に体中がダルかった俺と違い、逆巻はきっと五体満足ではない。

『好きなことは走ること! 三度の飯を食う以外とにかく走ること! 陸上部の入部届けは入学式の前に出しました! 将来の予定はオリンピックの陸上競技で全種目金メダルをとることです!!』

 目を輝かせて宣言していたあいつから、それが全部、奪われたかもしれない。

 大勢で押しかけることはとてもできず、的目には遠慮をしてもらったが、実際、自分一人でさえこのドアをどう開けていいか分からない。
 なんて声をかけるべきかも……


 奥歯を噛みしめていた俺は、覚悟を決めてそれを緩め、スライドドアに手をかけた。
「……入るぞ」
 武器は回収しなければならない。
 ……それに。
 それに、逆巻を一人にもしておけな――


「よぉ! 相馬!!」


「…………は」
 あまりに予想外なその笑顔に、俺は数歩進んだ病室の真ん中で立ち止まってしまった。後方でドアがゆるゆる閉まり……カチャン、と音を立てたのをきっかけに、はっと我に返る。
「おま、お前、怪我は? 大丈夫なのか?」

「んー、大丈夫かって言われると、そーでもねーけど」
 リクライニングベッドにもたれて腕組みする逆巻は、いつもの赤いジャージは肩から羽織るだけで、袖を通しているのは薄い水色の患者着だった。
 足は――俺が思わず表情を歪めてしまうほど、包帯で厳重に覆い隠されている。両足共だ。

「まあ、この通り動かせねーんだけどよ」
 その姿に俺が絶句していると、しかし逆巻は俺を出迎えた時のようにニカッと笑った。
「でも、なんか完璧に手術してくれたらしくてさ。神経も傷ついてないし、しばらくしたら歩けるって。リハビリ次第では、走ることも出来るようになるってさ!」

「……ホント、か?」
「おう! まあ全部モノクマが言ってたんだけどよ」
 ……一気に揺らぐ信憑性。
「んー、でもレントゲンとかカルテとか色々見せてもらったし、俺は疑ってねーよ。それより燃えてんだ!!」
「は?」
「今はちっとも動けなくてストレス溜まるし、手術はありがたいけどそもそもやったのは当のモノクマだしすっげーぶっ殺したいけど……」
 ぷるぷると震わせる拳を、ぱしん、ともう片方の手のひらで受け止める。

「俺の足は、俺の努力次第でまた走れるようになるっていうからな! 死に物狂いでリハビリして、いずれまた超高校級の陸上記録を出す! そんであのクマにドヤ顔してやんだよ、テメーなんかに俺はぜってー負けねえぞってな!!」

 両足に自力で歩けないほどの怪我を負いながら逆巻は、ベッドの上でふんぞり返り、もうすでにドヤ顔をしている。
 陸上バカ。
 脳天気。
 猪突猛進。
 ……そんな変わらぬ幼馴染みの姿に、病室に入る前での戸惑いはすっかり消え失せていた。

「……ああ、してやれよ」

 自然と表情が緩む。口角が上がる。
 ここへ知らぬ間に連れて来られたおとといから、俺は初めて笑った気がした。



 そうだ、と思い出して俺は逆巻に武器の件を切り出した。
 容態説明の際に一緒に配布されたらしく、逆巻は苦々しげな顔でベッド脇の棚から小瓶を手にとった。

「それって」
「うーん、俺がモノクマに蹴り飛ばしたヤツ……かどうかは分かんねーけど」
 瓶を振ると、からんからんと音がする。
「この錠剤の音、蹴った時にしたかどうか腹立ってて覚えてねーし……。でももしあの時の瓶なら、すげーむかつくな……! モノクマの奴、わざとだろ!!」
 おしおきされる原因となった物を、配布する……陰険この上ない。

「……ちなみに、その薬って……」
「毒。だってよ」
 顔をしかめる逆巻と同じ表情を、聞いた俺もしていた。
 紛れもなく武器である。
 サスペンスミステリーでは常連の、超ド級の凶器である。

 回収の件を告げると、逆巻は快く応じ、俺の手の中に瓶を放り投げた。
 ちなみにおまえの武器は? と問われて手術道具を見せると、何故かおお、と感心されてしまった。これらの道具に陸上生命を救われた者として感慨深いらしい。
「相馬くん、メス」
 などと真面目ぶって右手のひらを向けてくる逆巻は無視し、俺は毒薬と、手術道具と、多大な安堵と共に病室を後にした。






 コの字を描く建物をぐるりと回り、ロビー、ランドリー、売店を通り過ぎた先の渡り廊下。その向こうの別棟・宿泊施設には既に大半の生徒が揃っていた。
 ザッと見渡して――来ていないのは多可村、長谷部、二ノ瀬か。

「あ、相馬くん。……逆巻くんは? どう、だった?」
 遠慮がちに尋ねる的目に、俺は晴れ晴れと答える。
「今は歩けねえけど、リハビリ次第でまた走れるってさ」
 本人もいつも通りだったことを伝えると、場に一気に安堵のため息が広がった。
「ホント!? 良かったねサカマキ!!」
「ひとまず、安心ですわね……わたくしの動悸もおさまります……ケホ、ケホ」
「しかしモノクマ……許せない蛮行だ」
「足狙うとか、マジなくない?」
 心からの喜びや怒りを示す彼らに、まだ知り合って三日にも満たないが、俺は確かに親しみを感じていた。自分の幼馴染みをこうして心配してくれていた、彼らに。

「後でみんなも見舞ってやってくれ。……それで、武器の回収は?」
「ここにいる分は終わってるわ」
 的目が指さしたのは、長細い形のロッカーだ。
 患者家族宿泊用の二段ベッドやシャワールームらしき扉があるこの部屋で荷物置き場の役割を担っているようだが――今は鞄でも着替えでも貴重品でもなく、覗いた途端にぎょっとしてしまうほど物騒なものばかりが入れられていた。

 槍や斧、金属バットにサバイバルナイフ、弓矢一式が幅をとる隅で、黒い拳銃と弾丸まで転がっている。ここにいる分、つまり、十一種類。そのどれもが人を死に至らしめられる凶器ばかりだ。

 俺がそれに圧倒されていると、
「長谷部! 遅いわよ!!」
 的目の怒声が飛び、飛ばされた相手の鬱陶しそうなため息が聞こえた。

「でもエライね、文句言ってたけど、来てくれたんだねハセベ!」
 笑顔の鈴木に、長谷部はフン、と鼻を鳴らす。
「こんなことでグチグチ言われちゃたまんないしホラよこれでいいんだろロッカーにでもなんでも入れとけよ」

 ゴトン、と大きな音を立てたのは金属製の金槌だ。常識的に無造作に放り投げるべきでないことへの的目の非難も、長谷部はスルーだ。
 しかし、これまた殺傷力のありそうな……

「ん?」
 ハンマーに手を伸ばした俺は、ふと、それに嫌なものが描かれていることに気付く。
 モノクママークだ。売店の商品だけに飽き足らず、こんな物にまで。

「あー、それ、大体全部に描いとるで。白衣と聴診器のモノクマ病院長せんせーマークやな」
 ……なんだそれウザイ。
「む、しかし、売店では白衣を着たイラストは見かけなかったな? すべて裸体のモノクマだった」
 裸体って……

「裸体って言わないでよ佐田クン! ボク、ボク、これがクマの自然な姿だと思い込んでたけど……恥ずかしくなってきちゃうじゃないか! イヤーン!!」

「由地、さっき大体って言ったけど、付いてないのもあるのか」
「無視しないでよ相馬クン! キミっていつもそうだね!!」
 突然現れたモノクマを見なかったことにしたかったが、なんだか勝手に喋りだしてしまった。

「ふふーん、配布した武器には売店商品とは違う、白衣がカッコイイ病院長マークが付いています! 配布武器にしか付いてないよ! レアだよ! プレミアだよ! 手放しちゃうの惜しいよね! ロッカーなんかにしまいたくなくなっちゃうよね!」

「ロープとかには付いてへんで、病院長せんせー」
「……うるさいな! じゃあ君は描けるの、その細い縄飛び程のロープに! 絵が! でも描けるモノには頑張って描いたんだから! 評価してよね!」

 試しに手持ちの武器を確認すれば、手術道具を収納する革製ケース、錠剤の入った瓶にはちゃんとイラストがある。ある程度の平面があればいけるんだろう。


「すみません、遅れました」

 それは、遅刻などとは縁遠そうな二ノ瀬の声……だった。多分。何か重たい物を引きずるような音がそれをかき消さんばかりだったので自信がないが。
 しかし入り口を見ても、二ノ瀬の姿が見えない。
 甲冑を身にまとった鎧武者しかいない。
「…………」
「…………」
「…………え、二ノ瀬?」
「はい」
 甲冑の中から声がする。
 いやそんなまさか。
「まさか鎧着てるわけが……」
「着ています」

 どうしてそうなった。

「私に配布された武器がこれだったのですが、一度に持ってくるためにはこれがベストだと考えました」
 確かに……
 その兜の中央には、燦然と輝く白衣のモノクママークが。

「うぷぷ。防御は最大の攻撃なり! っていうかぶっちゃけそれで体当たりしたら圧死しちゃうと思うけどね。やれやれ、こんな攻守を兼ね備えたすばらしい武器でさえロッカーの肥やしにしちゃうっていうんだから」

 などとのたまうモノクマは全力で無視することにする。
「ロッカーに入るのか、その鎧……」
「バラバラにすれば、にゃんとかイケるんじゃにゃい? 武器には違いにゃいし、ちゃんと回収しにゃいとねー」
「レアマークついてるもんね!」
「レアとかどうでもいいけどな」

 何がレアなんですか?
 と首を傾げながらも女子たちによって脱がされていく二ノ瀬から、脱ぐといっても下はいつもの制服だし別にいやらしくはないのだがじっと見ているのもどうかと思い、目を――
 逸らそうとして、彼女の背後でぽかんと口を開けている長身を見つけた。


 十中八九、鎧に驚いているのだろう彼に、多可村、と呼び掛けると、我に返ってそろそろと近付いてきた。
「えっと、その……おはよう」
 朝、食堂に来なかった多可村は、そんな挨拶とバツ悪げな顔をする。

 結局誰が呼びに行ったのかと思っていると、
「来てくれたんだな、多可村」
 白鷺が穏やかに微笑んだ。

「……ホントに……回収してるんだね……」
 ロッカーをちらりと覗いた多可村は、その武器の量に気圧されつつも、どこかホッとしたように表情を緩めた。
「朝は……ゴメン。他の誰かに会うの、怖かったんだ……モノクマも、みんなにはもっとスペシャルな武器が配られてるかも、とか、脅してきたし……」

 モノクマめ……
 とその姿を捜すが、既にいなかった。ちっ。

「でも白鷺に、みんなで信頼しあうために回収するんだって聞いて……これ、俺のも持ってきた。しまっておいて」
 多可村が柄の方を向けて手渡してきたそれは、ハサミ。
 だが、一般的な文具用よりずっと大振りだ。刃先も鋭利で大抵のものは一突きで突き破れそうである。物でも、者でも。
 ロープと同様細身のフォルムに白衣モノクマが描き込めるスペースは無いようだが、立派に命が奪える武器だ。


 多可村のハサミと、それから二ノ瀬から切り離し終えた鎧を詰め込み終えたロッカーに、がちゃん、と鍵がかけられた。
 小さな札の付いた、ロッカーの物としてはごくありふれた鍵である。
「その鍵、どうするんだ?」
 俺が尋ねると、あちこちから案が上がる。
「誰かが預かる?」
「いや、それでは全員が武器を手放したことにならないんじゃないか?」
「なら捨てちゃえばいーじゃん?」
「イトヨリ、ナイスアイディアだね! 夜の内にごみ収集来てくれるしね!」
「しかし夜までまだかなりあるぞ。今すぐどうにかできないか?」

「……そうね、捨てちゃいましょう」
 腕組みをしていた的目が、一つ、大きく頷いた。



 そして彼女がみんなを率いて行ったのは、渡り廊下を戻った先の本棟、四階の男子トイレだった。

「トイレ……って、もしかして、的目」
「そうよ、流しちゃうの」

 言うと同時に的目は、はい、と俺に鍵を手渡してきた。
「え?」
「男子トイレに私が入れるわけないでしょ?」
「……別に、女子トイレに流せば」
「女子トイレの方が個室の利用率が高いのよ? もし詰まっても、そっちなら困らないじゃない!」

 ……合理的というか、横暴というか……
 とにかく俺と、それから堤と由地が俺が間違い無く鍵を流すかどうか見届けるために入っていく。
 一番手前の便器に、小さな鍵を放り込み、そして堤と由地に確認した後、レバーを倒す。盛大に流れ出したた水が異物を飲み込んで吸い込まれていき――

「コラ――――ッ!!」

 ゴッ、と最後の吸い込み音が鳴ったのと同時に、聞き飽きたクマの怒鳴り声がトイレに反響した。
「トイレに! トイレットペーパー以外のもの流すなんて! 常識を知らないにも程があるよ!! 何なの? 詰まっちゃったらキミたちが修理してくれるの? できないよね? ボクに頼るしかないくせに、詰まるようなことしないでよ!!」

 そんな説教を受けるみんなの目は、死んでいる。
 多分思っていることは、大体同じなのではないだろうか。
 気は進まないが、一番近くにいる俺が渋々代弁してみる。
「……お前さ」
「なんだよ、ボクはトイレを大切に使わないモラルハザードに激おこ中だよ!!」
「……出て来すぎじゃねえ?」
「……へ?」
「まー、それは俺も思っとったわ。ゆうべから今までもう四回目……えらいかまってちゃんやなーとは。おっと、暴言は暴力行為やないからおしおきは無しやで」
「……え」
「売店の商品のモノクママークを見た時から、自分大好きのナルシストだとは、思ってたけど……」
「…………」
「うざい」

 独り事のような長谷部の呟きがとどめとなった。ぷるぷると2.5頭身ほどの全身を震わせたかと思えば、
「もういいよ!!」
 短い両手を突き上げ、キレた。

「オマエラがどんなに困難でくじけそうになった時でも、ボクは助けてやらないんだからね!! その時になって、後悔にむせび泣くがいいさ! じゃあ、バイナラ!!」



「まあ、とにかく……」
 モノクマがトイレの床のすき間かどこかに消えた後、いつの間にか水の揺らぎすら止まっている便器を見て俺は息をついた。
「これで誰も、ロッカーを開けられなくなったな」
 満足気に的目が頷く。
「武器の配布も、無かったことになった。これで元通りね」


「ほんまに元通り、やろか」
 凪つつあった湖に波紋を起こすように、水を差した由地に視線が集まった。


「確かに配られた武器はもう使われへんけど、人を殺せる道具なんかそこらへんにあんで? キッチンに行ったら包丁がある、カッターとかやと売店にも置いとったし、何人かがしとるネクタイでも絞殺できる」
「そ、そんなの、言い出したら……」
「キリないほどようさんあるわな。で、その標的にしやすい奴も――ひとり、できたやろ」

 キャップの下で薄く笑む由地に、みしっ、と心が軋みを上げた。

「……逆巻のこと、言ってんのか」
 肯定するように、由地は笑みを深くする。
「人一人殺すんは、考えてみたら大変やで? 抵抗されるかもしれん、それどころか返り討ちにおーてもたらこっちが終いや。その点、動かれへん彼やったら……簡単やんなぁ?」
「由地……!」
 俺が歯を剥くと、「うわ、ちょお待てって」 と両手で制止をかけた。
「俺は可能性の話をしとるだけやで? まだ殺す手段はある、狙われやすい怪我人もおる、それから――みんなの手前一緒に武器手放したけど、やっぱり一刻も早くここから出たい、自分だけでも助かりたい思ってる奴がおるかもしれんっちゅー可能性の話や」

「由地くん……どうして和を乱すようなことわざわざ言うの」
「警戒するにこしたことはないって話でしょ俺は賛成だね」
「長谷部は黙ってて!」
 的目が剥き出しにした敵意は、そのまま由地へ戻る。
「信頼し合うための武器回収なのよ。みんな快く手放した、これ以上何を疑うのよ!」
「視野は広く持たんとあかんで委員長」
「あ、あたしの視野が、狭いっていうの!?」

「ですが……キッチンには包丁が何種類かありますし、フライパンなども……金槌のように重いものです……」
 おずおずと上がった箱崎の意見に、抹莉が呼応する。
「まあ確かに、それを使うとしたら逆巻っちはイイ標的だね。動けにゃい、武器もにゃい、とっさの応戦もできにゃいんだから」
「ひょ、標的だなんて、そんな……!」
「事実だよー多可村っち」
「せやせや。それに、特別病室ってあれやろ。オートロックちがうんやない?」

 くるっとこちらを向いた由地が両目を覗かせて尋ねる。
「相馬くん、逆巻きくんってベッドから一歩も動かれへん感じ?」
「……今は、な」
「せやったら、自分で内側から鍵もかけられへんなぁ」

 誰でも、簡単に病室に侵入して、簡単に殺してしまえる。

 由地がそう言いたいんだと悟った瞬間、血が沸騰した。
 逆巻を殺せるなんて発想をする由地が腹立たしい。逆巻が死ぬなんていう考え自体不謹慎だ。
 大体そんなことをする奴がこの中にいるわけが……

 ……でも、もし。
 もし、誰かが殺そうと思えば、逆巻を殺せるのか。
 由地の言う通り、簡単に。


 もしも、誰かが、殺そうと思えば――


「…………くそっ!!」
 疑う気持ちを払拭できない自分が最も腹立たしく――気付けば俺は声を荒げていた。
「だったら、俺がついてる……!」
 由地だけでなく、この場にいる十四人全員へと。
「俺が逆巻について、ずっと病室にいる。だったら……誰にも逆巻は殺せねぇ、そうだろ!」

 俺の言葉を最後に、空気が、凍りついた気がした。

 当たり前だ。
 皆を信頼しているのなら、逆巻についている必要なんてない。

 俺は、『おまえらのことを信じきれない』、そう宣言したも同然なのだから。




  back  
------------------------