第一章
 「絶望入院生活」


 1-5 夕食パーティ


「くあーっ!! やっぱ堤と箱崎のメシはうめーなぁ! メンチカツうまっ! 肉うまっ!」
「……お前、いきなり普通の飯食っていいのかよ……しかも揚げ物……」
「問題ナシ!!」

 白飯に乗せた千切りキャベツとメンチカツの上からソースをぐるりとかけて、かっこむ。まったく患者らしからぬ逆巻を俺は呆れながら眺めていた。

 食べること自体は、食後に薬の服用を命じられているからには平気らしい。
 それでも最初はお腹に優しくおかゆとおひたしを届けてもらったのだが、一緒に持ってきてもらった俺の分のメンチカツ定食を『オレそっち!!』 とぶんどられたのである。

 幸せそうにモリモリ肉を食らう逆巻を見ながら思う。
 なんでこんな奴の心配なんてしたんだろう。
 それこそ皆に喧嘩を売ってまで、だ。


 がっくり肩を落としていると、病室にノックの音が響く。
 鍵を開けると、俺の分のメンチカツ定食を抱えた白鷺だった。
「……悪いな、二回も運ばせて」
「かまわないさ。それより、私も入っていいか?」
 見れば、彼女はトレイを二つ抱えている。
「昼食を共にしたいんだが、駄目だろうか」

「ひーへー! ふぁいへよ、ひふぁーひー!」
 飯粒を飛ばしながらなので何を言っているのかさっぱりだが、歓迎しているらしい逆巻をよそに、俺は少し困惑していた。

『俺が逆巻について、ずっと病室にいる。だったら……誰にも逆巻は殺せねぇ、そうだろ!』
 そんな啖呵を切った、さっきの、今だからだ。

 しかし、拒絶するようなことを言ったにもかかわらず、箱崎と堤は快く昼食を用意してくれ、白鷺もこうしてそれを届けてくれた。
 こっちのバツが悪くなるくらい良い奴らすぎて、俺は頭を掻きながら彼女を迎え入れた。


「しかし、手術直後に揚げ物など……本当に大丈夫なのか?」
「まぁ、食うこと自体は」
 俺と同じことを言いながらソファに座ろうとする白鷺を、なぜかじーっと、逆巻が箸をくわえたまま見つめている。
「あのさぁ?」
 やがて口を開いた。
「武器って、回収したんだよな?」
「言ったろ。ロッカーに入れて鍵流したよ」
「じゃあよ、それは?」

 逆巻が箸で指し示したのは…………白鷺の腰に下げられている、突剣。
 …………剣。

 し、自然すぎて気付かなかった……っ! でもどこからどう見ても武器じゃねぇか!!

「ああ、これなら皆に許可は貰っている。そうか、まだ相馬はロッカーに来る前だったな」
 白鷺はもう一度立ち上がると、しゃらり、とそれを抜いて見せた。思わず身構えるが、しかし俺の視界の中でそれは剣にあるまじき姿を見せる。
 彼女の指先一つで、剣先がぐにゃりと曲がったのだ。
「偽物だ。剣道が竹刀で試合するように、フェンシングも本物の剣は使わない。競技では攻撃を判定するために電気を流せる電気剣を使うが、これはその装置もない偽物なんだ。ただ、持ち歩いていないと落ち着かないという私の欲求を解消するためのな」

 なるほど、びよんびよんと揺れる様は、確かに人を殺せる代物ではない。
「へー! 剣、剣士か、フェンシングかっこいいな!! なぁ、俺と勝負しねぇ?」
「勝負?」
「百メートル走!!」
「走るのは専門じゃないが……運動神経はいいつもりだぞ?」
 控えめに笑う超高校級のフェンサーに、闘争心を煽られたのか逆巻がトレイをひっくり返す勢いで身を乗り出す。
「よっし、勝負だ!! あ、リハビリの後でな! 百パーセントの全力でぶっちぎってやる! 相馬も覚悟しとけ!!」
「いや、俺も巻き込むなよ……」

 俺はため息をつき、
「やはり幼馴染みは仲がいいな」
 などと、くすくす笑う白鷺を見つけてジト目で睨んだ。
「あのなぁ」
「分かっているからな、相馬」
「……え?」

「きみがただ、友人を大切に思っていること。守りたいと思っていることは、みんな分かっている」

「……白鷺」
「うらやましいくらいだ。そんな親友のいることが」

「何の話? 相馬、何褒められてんだ?」
 とりあえず逆巻には、味噌汁のお椀のフタを全力で投げておいた。





 みんな分かっている。

 白鷺がそう言ってくれたことは、事実のようだった。入れ代わり立ち代わり、皆が逆巻の見舞いに訪れたのだ。

「やっほーサカマキ、意外と元気そうだね!」
「おおー、病室も広いじゃーん!」
「売店に生花が置いていなかったので、お菓子にしました」
「全部モノクマ印だから、迷ったんだけどね……」
「お医者様のお許しになるケホッ、範囲で、召し上がってくださいね」
「あの、僕は果物を……あ、うん、大丈夫、ナイフ使わなくても食べれるのにしたから!」
「ミカンは水分も栄養も補給できてとても良い果物ですよ」
「また走れるようになるらしいじゃないか、よかったな……!」
「患者着けっこうダサくにゃい? 縫ってあげようか」

 長谷部は性格上、由地もあのやりとりの後ではさすがに現れなかったが、それでもお見舞い品はみるみる積み上がる。そして最後の一つを積みにやってきたのは多可村だった。
 インスタントのカフェオレ粉末(売店モノクママーク入り)とコップ、そして電気ケトルまで持ってきてくれた彼は、それらを抱えて「入ってもいいかな……?」 などと尋ねてくる。悪いわけがない。

 お見舞い品を置いた彼は、遠慮がちに逆巻の両足へと視線を落としていた。
 大丈夫か?
 などと、容態は聞こうとしなかった。ただ、悲痛な表情で唇を噛みしめる多可村を見て、俺は彼もまた、超高校級と呼ばれるスポーツ選手であることを思い出していた。

「リハビリ……始められるようになったら言って。俺にできることなら、協力するから」

 きっと、他の皆より逆巻の状況を理解できるのは俺や多可村である。そんな彼の言葉に逆巻も一瞬目を瞠って……嬉しそうにはにかんだ。



「パーティ?」
「うん、そんなに立派なものは開けないと思うけど、ちょっと凝った夕食会みたいな……そういうの、やりたいと思ってるんだ」

 持ってきたカフェオレを飲みながら、多可村はそう俺たちに打ち明けた。
「俺、武器配られた時、ホントに怖くなっちゃって……でも、的目が武器の回収を発案したみたいに、俺たち次第で信頼はし合えるんだって思ったら、俺も何かしたい、しなきゃって思ってさ……!」
 湯気の上がるコップを、彼は強く握りしめる。
「今はまたちょっと、互いに警戒するムードが生まれ始めてるっていうか……表立って険悪ってわけじゃないけど、一人とか二人とかバラバラで行動してるのが多いから……やっぱりみんなで集まってもっと分かり合えればって思うんだ」

 確かに見舞いにも、全員一緒には来なかった。
 多くて的目、二ノ瀬、美芝の三人だ。それも、たまたま売店で見舞い品を選んでいたところに鉢合わせたと言っていたから、互いの交流は減っているのだろう。
 まず交流を拒絶したのは……俺だ。
「……悪い」
「え、あ……! 相馬のせいじゃないって! あんなことを言った由地……いや、由地だって好きであんなことを言ったんじゃない。警戒し合うように仕向けてくる、この状況が全部悪いんだ」

 不安を感じやすい性格だというのに、仲間を悪く言わない多可村はやはり夕食パーティを企画するに相応しい人物に思えた。ヘタレだと言うけれど、繊細な分人を思いやれるのだ。
 その彼が考えるパーティの肝心の内容を訊けば、こんな感じだという。
「箱崎や堤に手伝ってもらって、立食パーティみたいにして、飲み物もお菓子もたくさん用意して……色々互いのこと話せるような、親睦を深められるような、そんな場を作りたいんだけど……」

「けど?」
 段々と声の小さくなる多可村に首を傾げる。
「その……今夜やるってみんなにも今告知してるんだけど……」
「うん?」
「……緊張、してきちゃって」

 …………いやいや、言い出したのお前だろ。
 なんてツッコミは入れ辛かった。
 うん、多可村だからしょうがない。

「うまくやれるかなとか、喧嘩にならないかなとか、俺なんかの考えにみんな来てくれるのかなか、考え始めると……ちょっと、具合が……」
 足は動かないがメンチカツ丼をキャベツ一切れまで平らげた逆巻より、青ざめて腹の辺りをさする多可村の方がよっぽど病人然としている。だめだ、カフェオレでは糖分が間に合っていないらしい。
「な、なんか食え多可村。甘いモンなんでもあるから!」
「甘いモン?」
「試合前とか緊張する時は、それ食ってリラックスするんだってよ」
「なるほど! よっしゃ何でも持ってけ!」
 了解した逆巻が手の届く範囲に積まれた見舞い品を漁りだす。
 的目たちが置いていったチョコやらクッキーやら、大量にあるリラックス成分に多可村は申し訳なさそうに、だがホッとした様子で笑った。





 午後18時50分。
 夕食の時間、と俺たちの間で定められている19時まであと少し。そして今日は、箱崎と堤だけでなく多可村も食堂で夕食パーティの準備に忙しくしているのだろう。

 と、思っていたのだが。
 病室のドアをノックしたのは、当の多可村だった。
 どうかしたのかと尋ねてみれば、
「その……相馬、来れないかなと思って……」
 逆巻には聞こえないくらいの小声で、そう誘われた。

「……わりぃ。行かねぇの感じ悪いと思うけど」
「そう、だよな……心配、だよな。一人にするのは」
「それもあるけど……」
 病室の奥をちらりと見て、俺も一層声をひそめた。
「逆巻放って、俺だけ参加すんのも、純粋に悪い気がするしな」
「……そっか」

「ん? 多可村? おーい多可村、具合どうだー、甘いモン食ってもまだ緊張してんだったら、走っとけ! 走れば景色も悩みも緊張も全部すっ飛ぶぞ!!」
「バカ巻。モノクマに禁止されてるだろうが」
「くっ、そうだった……!!」

 逆巻の脳天気さにか表情を緩ませて、多可村は「うん、大丈夫」 と声を張る。
「あ、俺の分のコップ、取りに来たんだ。足らなくなったら困るから」
 ケトルの傍に置いてあったそれを逆巻から受け取り、帰り際に多可村はこう言い残していった。
「後で料理だけでも取りにきなよ。用意して待ってるから」




 多可村が食堂へと戻って行ってから、半時間と少し。
 19時30分。
 腹が減った、肉が食いたいと怪我人が騒ぎだし、果物やら菓子では黙りそうになかったため俺は腰を上げた。
 一人にするのは、不安ではある。
 けれど数分だ。
 それに食堂に全員が集まっているのだとしたら、万が一のこともないだろう。

 ……なんだよ、万が一のことって。

 一人軽く頭を振って、「肉な、肉!」 と念押ししてくる逆巻に手を振って病室を出る。
 黒田と鉢合わせたのは、廊下を歩いてすぐの四階ロビーだった。

 ラップをかぶせた二枚の大皿を持っているのを見るに、俺が取りに行くはずの料理を、どうやら持ってきてくれたらしい。
「わりぃな、黒田」
「あ、ううん、気にしないで! 逆巻くん一人置いては相馬くんも来にくいだろうし、お腹もすくだろうし、僕は暇だし、全然大丈夫だよ」
「暇って……お前、まだ、馴染めてないんじゃ……」
「えっ」
 黒縁眼鏡の奥でうろうろ泳ぐ目。図星らしい。
「まぁ……美芝とかは慣れねぇだろうけど、他の奴はお前が変に遠慮しなきゃ普通に接してくれんじゃねえの?」
「う、そ、そうかな……」
「そうだって」

 う、うん、そうだよね、僕が変なことしなければいいんだ、普通の高校生、普通、普通でいれば、普通の高校生みたいに、みんなと、普通の高校生みたいに――

 などと呪詛のように呟く黒田を「そういうとこが普通じゃねえよ」 なんてバッサリぶった斬ることはせず、
「とりあえず病室寄ってくか? 逆巻と話せば楽になるだろ。バカだから人によって態度変えねえし」
 助け船を出してみれば、黒田の瞳が輝いた。
 彼の口が、うん是非! の最初の“う”を紡ぎかける。
 しかし実際に了承の言葉を聞くことは無かった。

 女子の誰かの、甲高い悲鳴に遮られたからだ。

 声自体は微かだったが、静まり返った四階フロアに反響したそれは十分な異様さを帯びていた。
 肌を、寒気が撫で上げる。
 今、のは――
 よく理解しないまま黒田を見れば、乾いてしまいそうなほど瞬きを忘れた瞳が、茫然としたままこちらを向いた。
 おそらく俺も、似たような表情をしている。

 何かよくないことが起きた?

 思うやいなや、最低最悪の想像が頭を過ぎる。モノクマの声ばかりが頭に響く。誰か殺せば退院、コロシアイ、武器、コロシアイ、おしおき、コロシアイ――

「悲鳴……上の階からだ」
 同じ想像をしたとしか思えないほど黒田も顔を強ばらせていたが、しかし彼は冷静だった。
 行こう。
 言外に告げる彼に、俺は頷く。






 黒田と共に駆け付けた五階、食堂。

 そこには青ざめる者、へたりこむ者、泣き叫ぶ者――そして、床に倒れ伏す多可村悠斗の姿があった。

「多可村!! く、しっかりしろ! 多可村!!」
 膝をついた堤がその長身を揺り動かす。

 長身、性格に似合わない染めた金髪にピアス。
 つい半時間ほど前に会った時とまったく変わらない姿をしていながら、まるで様代わりした様子に俺は一瞬たたらを踏む。
 紫色に変色した唇に、うつろな瞳。
 本人の意思とは思えないほどびくり、びくりと大きく痙攣する体が、いくら堤が掴んでいても一向に収まる気配がない。

「ちょ、ちょっと! なんとかしなさいよ、モノクマ……!!」
「お医者さま、お願いします……!!」
 的目や箱崎が叫ぶが、白黒のクマが出てくる気配は一向にない。

「……っ!」
 痙攣が速くなっていくばかりの多可村に、俺は縫いつけられていた足の裏を引きはがし、食堂へ駆け込んだ。
「多可村!!」
 間近で呼んでも、焦点の合わない目はこちらを見ない。
「多可村くん……!」
 俺の横に屈み込んだ黒田に対しても、口をぱくぱくと動かすだけ。

 やがて、彼の体をでたらめに震わせていた痙攣はその動きを小さくしていく。
 まるで心臓がその活動を弱めていくのを知らしめるように。

 そして――俺たちが何もできぬまま、多可村は何も動かさなくなった。
「……多可、村?」
 指先も。
 まぶたも。
 何一つ。



『ぴんぽんぱんぽーん』

 騒然としていた場は一瞬にして異様なほど静まり返ったが、そこに場違いにも程がある放送が流れてきた。
 モニターが点灯する。白衣を着て、ふんぞり返っているモノクマがいまさらのように現れる。


『死体が発見されました! 一定の捜査時間の後、学級裁判を開きます!』


 し、たい?

 俺がその三文字の意味を理解したのは、黒田が多可村の手を取り、脈に触れ――黙ったまま俯いたのを見た時だった。


 死体。
 ……死んだ。
 多可村悠斗は、俺たちの目の前で、死んだのだ。




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