第一章
 「絶望入院生活」


 1-6 非日常編 1



 鈴木にすがりつき、ずっと取り乱しているのは糸依だった。
「う、ううう、た、多可村、死んじゃっ……う、嘘……なんで、うぐ、う、ひっぐ、死ん、死んじゃった……? うう、嘘、嘘だあ……!!」
 その頭を抱え込むようにする小さな鈴木も、青ざめたまま多可村を凝視している。

 食堂の床に倒れたまま、動かない、多可村を。

「……何が……あったんだ」

 どうして。
 なんで、多可村が。
 どうして、死ん――

『うぷ、うぷぷぷ……』

 こらえ切れずに漏れだしたような笑いに、俺たちは漏れなく顔を上げた。
 視線が集まったのはモニターだ。

『うぷぷ、あーはっはっは!! ついに起きちゃいましたね、殺人、殺人ですよ!! たまりませんなああ、これでこそコロシアイ生活! はあああ、高まりますなああ!』
 さっきの白衣でふんぞり返る映像と違い、身をくねらせるモノクマは裸だ。
「さ……殺人って」
『ん? 言葉の通りだよ? 人が人を殺すこと』
 的目の呟きを拾った辺り、ライブ映像らしい。白衣を着た映像は録画なのだろうか――いや、今はそんなことよりも。
 まず詰め寄らねばならないことを、的目が先んじて叩きつけた。
「あんたが殺したんでしょ、モノクマ……!」

「そうだよ……! なんでタカムラ治療してくんなかったんだよ!」
「何か手を施していれば……!」

『はぁ? ボク今朝言ったよね? オマエラがどんなに困難でくじけそうでも助けてなんかやらないって。大体今回は理由も無いしね。逆巻クンはボクがやったことだけど、多可村くんを殺した犯人は、オマエラの中にいるんだからさあ!』

 …………は……?

「俺たちの中、って……?」
 茫然と、しかし何とか質問を口にした堤に、モノクマはおかしそうに笑う。
『うふふ……そうです! 超高校級のバスケットボール部員、多可村悠斗クンは、クラスメイトの誰かに殺害されたのです!!』

「は……? スズキたちの、誰かが……? そんなこと、するわけないじゃん!」
『ブッブー、そんなことあるんですー。ボクは監視カメラを通してぜーんぶ見てたんだから。……オマエラの中のある人物が、多可村クンを殺すところをね』
 ぞっとするような声音でそう言った後、一転して嘘くさい明るさを振りまいた。
『はい、というわけで殺人事件が起こってしまいました! つまりクロが出現したということですが、それにまつわるルール補足と、学級裁判についての説明をしておこうと思います。みんな、メモの準備はいいかなぁ?』

 クロにまつわるルール。
 思い当たるのは院内規則の中の一文だけだった。

 “仲間の誰かを殺したクロは“退院”となりますが、自分がクロだと他の仲間に知られてはいけません”

『院内規則にも書いたけど、殺した犯人、クロは、殺してすぐ退院ってわけじゃあないんだよねぇ。クロは、自分がクロだと誰にも知られちゃいけません。完全犯罪くらいやってくれなきゃあ退院資格は与えられないの。ならそれをどうやって判定するのか。そう、それこそこれから行われるスリルとショックとサスペンスに満ちあふれたイベント、“学級裁判”なのです!!』

「裁、判……?」
『うん、今回の事件で言うなら、多可村クンを殺したのは誰なのか、十五人で話し合って、推理して、自分たちの中からクロを暴きだす、それが学級裁判さ! うぷぷ、そのルールについても先に教えておこうかな。その方が、みんなのやる気も高まるだろうしね』
 モノクマの嫌な含み笑いは、いつもい良い話をもたらさない。
 それはもう分かりきっていたので俺も十分覚悟はしていた。
 はずだった。

『クロがその正体と犯行を暴き出されてしまった場合、そのクロは、ただいたずらに秩序を乱し、院内規則にも乗っ取れなかった重罪人として“おしおき”されます! 逆巻クンみたいに生かしちゃおかないよ? これは死刑執行だからね?』
「し、死刑って……」
『それから!』
 的目の言葉など上から塗りつぶすように声を張るモノクマ。ヤツが告げた続きこそ――俺たちを平穏な日常から突き落とす悪魔の宣告だった。

『クロを暴き出せなかった場合、間違ったクロを指摘してしまった場合は、皆を欺いたクロは晴れて退院となります。代わりに――クロも指摘できない超高校級のボンクラの皆サマはもはや入院している価値ナシとして、全員“おしおき”です!!』


 ざわついていた場が、一気に静まり返った。
 糸依でさえ嗚咽を止め、ひゅ、と息を呑んだのを最後に言葉を失う。

 クロ以外全員、おしおき?
 ……死刑執行?
 犯人を暴き出せなかったら、犯人一人を残して、俺たち全員、“殺される”……?

「そ、そんなの……」
『横暴よ! 人権侵害よ! 弁護士を呼んでちょうだい! ……ですか、的目サン? うぷぷ、どんなに泣いて喚いて文句を言おうが、ここではボクが法なのです! でも優しいボクは捜査時間や議論の場など、絶望の中にちゃーんと希望も用意してあげてるよね? だったらオマエラはやるしかないんじゃない? 絶望の海を希望の浜へ向けて、もがいてあがいて水を飲みまくっても泳ぐクロールするしかないんじゃなーい? アーッハッハッハッハ!!』

 ブツン、とモニターはあっけなく消え……またすぐについた。
『おおっと、盛り上がりまくって忘れるところだった』
 テヘペロ、と頭を小突く。……可愛くないとも、うざいとも思わない。心が何も感じない。
『裁判に備えてたった今からオマエラには事件の捜査をしてもらうんだけど、ド素人のオマエラにはそのノウハウも無いよね。というわけでこれを送信します。ザ・モノクマファイルー!! 電子生徒手帳に送っといたから。じゃ、捜査頑張ってねー』

 そこで今度こそモニターの電源は落ち、俺たちは音の無くなった食堂で青い顔を付き合わせた。


「……死刑って……」
「犯人を探せなきゃ、私たちが……?」
「モノクマサマの言うことはゼッターイ……って感じやなぁ」

「何よ……! なんなのよこれ……!」
 握りしめた拳をブルブル震わせ、ついに耐え切れなくなった的目が叫ぶ。
 皆のすりきれそうな心を代弁するように。
「閉じ込められて! 逆巻くんが刺されて! 多可村くんが……! それで今度は私たち全員殺すって……!! いい加減にしなさいよ、モノクマ……!!」

「……その四つの内、三つはモノクマの所行、またはモノクマが実行予定のものです。ですが残りの一つは」
「なによ……二ノ瀬さん」
「多可村くんを殺したのは、私たちの中にいる。そうモノクマが」
「あいつの言うこと信じるの!?」
 反論を受け、二ノ瀬は逡巡するように黙り、そして目を伏せた。

「……そう、ですね。情報の鵜呑みは危険です。モノクマの言うことが絶対に真実なのか否か、私には判断しかねます」
 そう言った二ノ瀬は、いつもの無表情に眼鏡をかけた二ノ瀬は、何故だろう、どこか頼りなげに見えた。
「二ノ瀬に当たってもしょうがないだろう、落ち着け的目」
 堤に肩を叩かれた的目が小さく謝っても、なお俺の目にはそう見える。だが二ノ瀬の様子ばかりを気にしていられる状況ではなかった。

 食堂には、残酷な現実しか無い。
 息絶えた多可村と、
 その犯人を探し出せなければ殺されてしまう俺たちしか。

「どうでもええけど」
 由地がキャップのツバをいじりながら、その現実に真っ先に触れた。
「ぐだぐだ言ってんと、そろそろ捜査っちゅーのせんでええの?」
「ぐだぐだって」
「どうでもいいって、どういうことよ!」
「あーもう、いちいち突っかかんのやめようや。埒あかへん。はよせな一定の捜査時間ってヤツ終わってまうで。ろくに調べもせえへんまま、自分勝手に多可村殺した奴のせいで死ぬのなんか俺イヤやわー」

 由地の言うことは全部事実だ……が、こいつもわざわざ人を食ったような言い方をしなくてもとは思う。……わざと? 散々からかわれた時から由地の好感度が地に落ちている俺から見れば、わざと人の神経を煽っているようにしか思えない。

「……よし……とにかく、だ」
 太い腕を組んで、堤が深く息をつく。
「捜査……は、しよう。多可村がどうして俺たちの目の前で死んだのか、そしてその犯人を……多可村のためにも、突き止めるんだ」
「私たちの中に犯人なんて!」
「なら、的目はそれを証明すればいい。私たちの中に犯人なんていないことを」
 白鷺の言葉に、的目の大きな瞳がさらに開かれる。
 そして強い意思と共に光が宿った。





 モニターは見ていただろうが、逆巻にも状況を詳しく伝えておきたいと俺が言うと、その役を白鷺が買って出てくれた。
「捜査や推理など、私には荷が重いからな」
「でもさ、一人で行くの、危なくない? 犯人が誰だとしてもだよ? スズキたちじゃないとしてもだよ? 人殺しがいる建物の中を一人で歩くのは危険だよ!」
 スズキの意見はもっともだった。
 そしてそうなると、動けない逆巻の身も不安になってくる――
「くそ……こんな状況で捜査なんか、できるわけねえだろ、あのポンコツグマ」
「相変わらずのひどい暴言! あんまりのショックに、院内規則を“ボクへの暴力・及び暴言を禁止します”に改定しちゃいそうだよ!」

 改定……。

「…………」
「…………」
「…………ああ、もう、分かったよ、あれでしょ、“捜査中の殺人は禁止”ってルールを作ればいいんでしょ!」
「察しええやないの」
「……ああ、そうしてまたオマエラの手助けをしてしまう意思の弱いボク……だって頼られると嫌って言えないボクだもの……うう、ボクを都合のいいクマ扱いして満足? 満足でしょ? 今回はルール追加しておいてあげるけど、ボクを軽いクマだとは思わないでよね!」

 実にナチュラルに現れ、捨てゼリフを吐いてなぜか食堂のドアから走り去っていったモノクマのおかげで、とにかく捜査中の命の危険はなくなった。

「こっちは大丈夫だから、お前は寝てろって言っといてくれ」
「ああ、了解した」
 白鷺を食堂から送り出し、俺は、皆へと向き直る。
 俺が自ら行かなかったのは、まず聞いておかなければならないことがあったからだ。
 俺は、食堂で起こったことを何も知らない。
『多可村がどうして俺たちの目の前で死んだのか』
 堤の言ったその詳しい状況を、俺は知る必要がある。



 見渡した食堂は、いつもとは少し違う装いだった。
 今朝までまっすぐ、等間隔に配置されていた長机が今は寄せ集められ、二つの大きなテーブルが作られている。椅子はすべて壁際に並べられているようだ。

 テーブルクロスやキャンドルは、売店から調達したのだろうか。
 みんなと信頼し合いたい。親睦を深めたい。
 そう言ってパーティを企画した多可村が設営をしたんだろう会場は、悲しくなるくらい、立派にいつもとは違う華やかさを備えていた。

 多可村が倒れているのは、二つあるテーブルの一つ。
 料理が盛られていた形跡のある大皿が並ぶ方ではなく、ティーポットやコーヒーサーバ、いくつものコップなど、飲み物類が置かれたテーブルのすぐ傍である。

「とりあえず、多可村っちのおカラダあらためにゃいと、死因もにゃにも分かんにゃいよねぇ」
 言い方はあれだが、抹莉としては真面目な意見のようだ。

「青酸系の毒物による中毒死……」

 物騒な単語にぎょっとすれば、俺の隣でそう呟いた黒田もまた、わたわたと慌て始めた。
「あ、あの、えっと、大まかなことなら、モノクマファイルに……」
 黒田が示すのに従って自分の生徒手帳を起動させてみれば、あのクマが言っていた通り“モノクマファイル”という項目が追加されていた。


 被害者:超高校級のバスケットボール部員 多可村悠斗
 死体発見場所:五階 食堂
 死因:毒物による中毒死
 死亡推定時刻:午後19時40分頃


「推定時刻というか、我々がその瞬間を目撃しているのだがな」
「口抑えて、倒れて痙攣して……確かに毒殺っちゅー感じやったなぁ」
「あれ? でも、青酸系、なんてどこにも……」
「えっ、あ、その……」
 不審がる目を全員から浴び、黒田はうう……と観念するように縮こまった。
「その……多可村くんの脈をとった時、甘酸っぱい香りがして……青酸はアーモンド臭がする、ってミステリーではよく出てくるよね。それってアーモンドの花の匂いのことなんだけど、その特徴である甘酸っぱい柑橘系の匂いがしたから多可村くんの死因は」

 黒田はぱたりと言葉を止めた。
 唖然とする皆を見渡して、顔を青くした。
 …………また、普通の男子高校生への道が遠くなったようだ。

「あっ、美芝さん!」
 ドサリ、と大きな音がしたかと思えば、箱崎が倒れた美芝を抱き起こしていた。ひやりとしたが、どうやら貧血のようだ。
 人が死ぬ瞬間に立ち会ったり、毒殺や青酸なんて物騒な会話をしたりなど、深窓令嬢の美芝にはきつかったのだろう。
 捜査には参加できそうにない美芝が輪から離れていくのを見送ってから、俺は彼女には聞こえないくらいの声で頼んだ。
 その死にまつわることを、詳しく聞きたいと。
「ああ、相馬はパーティにいなかったからな」
「えらい啖呵切って逆巻んトコに詰めとったもんなぁ」
「……由地くんのせいじゃない」
 的目に指摘されても、関西弁ゲーマーは飄々としたものだ。

「それを考えると、相馬っちのアリバイは完璧かもねー。食堂に一切立ち入ってにゃいんだから」
「アリバイって……」
「おお、なんや推理モノっぽいなぁ」
 ……抹莉と由地のいっそ不謹慎なほどの緊張感の無さはどうにかならないのだろうか。
「……いいから、話聞きたいんだけど。できればパーティの最初の方から」
「おお、ええで」


 せやなぁ、と由地は、食堂の時計を見上げながら考える。
「パーティは19時にやるって多可村がみんなに告知しとったんやけどな。俺、小腹空いてもうて18時半頃食堂行ったんよ。そしたら箱崎と堤は料理作っとって、多可村は椅子運んどって、しゃーないから、売店で調達したっぽいポテチやらクッキーやら摘まみながら食堂の設営手伝ったんよ」
「から揚げやシュウマイもだろ」
「ごっそーさんです!」

 やっぱりどうも緊張感に欠ける語りで由地は続ける。
「19時前に一回多可村が抜けて……ああ、そっちにコップ取りにいったんやな」
「ああ」
「多可村が帰って来る頃にはみんな食堂に集まってきてて、『うわあごめん、今準備終えるからー!』 って慌てて取り皿並べとったわ」


「で、パーティ始まったけどさ、別に変わったことなんてなかったよね?」
「ご飯美味しかったことくらいじゃね? バイキングみたいでさー、超楽しかったー!」
 こんなことになんなきゃ楽しいまんまだったけど……と笑顔から一転涙ぐむ糸依を背伸びしてヨシヨシしながら、鈴木が思い出したように言い足した。
「あ、途中揉めごとはあったけどね。マトメとハセベの、恒例のヤツ!」

「別に揉めごとってほどじゃ……ただ、あいつが箱崎さんを自分の手足みたいにこき使って、あげくクレームまでつけ始めるから!」
「クレーム?」
「料理が冷めてる、変えて来いって。お店じゃないんだから保温しておける器具もないし、大皿に盛った料理が冷めてっちゃうのは当たり前じゃない? なのに!」
 的目がキッ、と目をつり上げるも、睨むべき長谷部の姿は無かった。
 え?
 あれ、本当にいない。さっきまでいたと思うんだが……。まあ、皆と協力して捜査する方が、長谷部らしくないかもしれないが。


「まあそういうごたごたもあったが、パーティは楽しかったな。俺も腕の振るい甲斐があったし、いつもの夕食よりずっと笑い声も多かった。……多可村のおかげだ」
「タカムラ、ビビリだったけど、優しかったよ」
「ビビるのは、繊細で敏感だということ。人の心や空気に気付けるからこそ、パーティを企画したのだろう。……惜しい人間をなくしたものだ……」

「ちょいちょい、これからやらなあかんのはお通夜やのうて裁判やでー。えーと、話を戻すとや。30分くらい飲み食いして、食後のお茶にしよかって頃やったな。料理取りに来ぇへん相馬に届けたろかって話になったんは」
「う、うん。それで、僕が……」
「黒田が料理届けに食堂を出てって……いくらもせぇへん時やった。食器の割れる音がして、俺が見た時には多可村は手で口を押さえてて、ごっつう悪い顔色しとったわ。一回咳いて、ふらついて、意識朦朧としたまんま受け身も取らんと前のめりに倒れて……数分後にジブンらが来たっちゅーわけや」

 そして多可村は苦しみと共に息絶えた。
 それが、すべて。
 由地たちの目の前で起こった殺人の、すべて、か――



 割れた食器、とは、マグカップのことだろう。
 うつろな顔だけを横に向け、うつぶせに倒れる多可村のすぐ傍に取っ手のついた陶器のかけらが転がっている。黒い液体がフローリングに染み込みもせず、細かいかけらと多可村の袖口を濡らしている……が、ふと不思議に思う。これ、何の飲み物だ?

 近付こうとする俺を、抹莉が制した。
「おおっと、むやみに現場を荒らすのは駄目だよ相馬っち」
「別に荒らしは」
「証拠を隠すんじゃにゃいかとか、変に疑いをかけられて困るのは相馬っちだよー? だから誰か、見張り役置いた方が色々安全じゃにゃい?」
「なら、俺がやろう」
 堤に続いて、糸依も手を上げる。
「アタシもー。捜査とか全然分かんないし、それに」
 屈み込んで、両手のひらを合わせる。
「多可村……かわいそうだから、ここでお祈りしてたいしさー」

 そんな大柄な二人に見守られる中、俺は液体に鼻を近付けた。
 ……コーヒー?
「えーと……佐田は、鼻が良かったよな?」
「うむ、超高校級と呼ばれる程度には」
 念のために調香師に確認してもらったところ、やはりコーヒーらしい。
「何の混じりけもない、コーヒー豆を挽き、ドリップしただけのブラックコーヒーだな」

 不安や緊張に襲われると糖分を欲さずにいられず、見舞い品にもカフェオレを選ぶほどの甘党である多可村にはまったく似合わない代物だが、確認してみると数人が多可村がコップを取り落とし、割った場面を目撃しているので彼の飲み物であることに間違いは無いようだ。

 飲み物。
 毒殺。
 毒――

 必然的に繋がるそれらに、俺は飲み物類の置かれたテーブルをあらためた。
 急須にお茶、ガラスサーバにコーヒー、ティーポットに紅茶、あとはペットボトルで複数の炭酸飲料が用意されていて、それらに対応してコップも数種類置かれている。
 湯飲みにティーカップ、マグカップ、ガラスのコップ。飲みかけの物、空の物――数は多可村と俺、逆巻を除いた十三個だが、誰が誰のものかはまったく分からない。

 数と種類の多さに戸惑うが、落ち着いて考える。多可村のコップに入っていたのはコーヒーだ。
「コーヒーサーバ用意したのって……?」
「ほうほう、毒の混入経路ですかにゃ?」
 抹莉がニヤリと顔を覗きこんでくる。
「んー、でも飲み物系は多可村っちが全部持ってきたんじゃにゃかったかにゃー」
「そうだな。料理全部出し終えてからは、俺にも箱崎にもゆっくり食べてくれって言って、あとの仕事は多可村が引き受けてくれてたからな」
「食後のお茶は、多可村が自分で用意したのか……」

 俺は無意識にため息を吐いていた。
 多可村は毒を飲んだ。
 でも、それを誰が、どうやって多可村に飲ませたかなんて特定できるのか?


「……私、ちょっと四階を見てくるわ」
 的目が、そう言って輪から離れる。
「毒……なんて、配布された武器の一つとしか考えられないもの。ロッカー、開けられてないか確認してくる」
「ああ……なら、俺も行く」
「相馬くんも?」
「ここにいても手詰まりって感じだからな……」

「手詰まりねぇ」
 ニヤニヤとキャップの下で笑う由地を一瞥して、俺は的目に続いて食堂を後にすることにする。
 なんだよ……何か、見落としてることでもあるっていうのか?
 そんな小さな引っ掛かりを残したまま。


◇ コトダマ ◇

「モノクマファイル」
 被害者:超高校級のバスケットボール部員、多可村悠斗
 死体発見場所:五階 食堂
 死因:毒物による中毒死
 死亡推定時刻:午後19時40分頃


「死体の状況」
 うつぶせに倒れる多可村の傍でマグカップが割れており、ブラックコーヒーが床にこぼれている。
 マグカップは多可村が死ぬ直前、手から取り落としたことにより割れている。


「黒田の所見」
 多可村の死因となった毒は青酸系の毒物らしい。甘酸っぱい匂いが特徴。


「相馬のアリバイ」
 武器回収後、皆の前で啖呵を切り、以後ずっと逆巻の病室にいた。
 食堂には一切立ち入っていない。


「多可村の趣向」
 不安や緊張に襲われると糖分を欲さずにはいられず、見舞い品にカフェオレを持ってくるなど普段からも甘党である。


「夕食パーティ」
 多可村が企画した立食パーティ。
 18時30分:箱崎と堤がキッチン、由地、多可村が食堂で準備を進める。
 18時50分:多可村がマグカップを取りに逆巻の病室へ。
 19時00分:パーティ開始。箱崎と堤は料理を出し終えた段階で仕事を終えたようだ。料理にクレームをつけた長谷部と的目の間に揉めごとがあったようだが、おおむね和やかに夕食会は進んだらしい。
 19時30分:相馬と逆巻に料理を届けるため、黒田が食堂を出る。その後多可村が倒れ、黒田と相馬が駆け付けた直後に死亡。


 ◇ ◇



 宿泊施設のロッカーに、何の異常も見られなかった。
 鍵は下水に流されている。こじ開けられた形跡が無い以上、武器は取り出されていないということになる。
 毒薬……の入った小瓶。
 それは逆巻に配布された武器だったが、俺がこの手でロッカーにしまった。それも使われていないということだ。

「……じゃあ、毒なんて一体どこから?」
「……」
「青酸系の毒……なんて、ありふれてるわけないし……」
「……」
「……的目?」

「……誰も開けてないなら……だったら……しまう前から……」
 ロッカーに手を置いたまま俯く的目は、突然、何かを吹き飛ばすように頭を振った。
「……行きましょ、相馬くん」
「あ、ああ……」


 戸惑いながらも宿泊施設を出て、渡り廊下を戻ったところで前を歩いていた的目が立ち止まる。
 その前方の売店をうろうろしているのは、抹莉と――二ノ瀬だ。
「あ、相馬っち」
「何してんだ?」
「人間にとって有毒なものがにゃいか探してんの。もしかしたら、青酸とか? でもまぁ、ニャースステーションにもにゃかったものが、売店にあるわけにゃいってね」

 でもね、と抹莉は、にゃいしょ話……いや、内緒話をするようにこそこそ手招きする。
「これ、ちょーっと妙じゃにゃい?」
 抹莉が指さしたのは、文具類の並ぶ棚だった。
 透明パッケージに売店モノクママークが入った商品が、棒状のフックに数個ずつかかっている。
 右から穴開けパンチ、ホッチキス、はさみ、一つ飛ばして、マグネットタイプのはさみ。
 ……一つ飛ばされているフックが気になるな。

「なんでここだけごっそり売りきれちゃってるのかにゃって。客なんてアタシたちだけにゃのに」
「しかも文具だしな……同じものがいくつも要るとも思えねぇし……」
 しかし、これが毒殺事件とかかわっているかと聞かれると、答えに悩むところだ。
 気にはなるが頭の隅に留めて置く程度にして顔を上げると、的目と二ノ瀬が、気まずげに顔を突き合わせていた。


「…………さっきはごめんなさい。変に、当たっちゃって」
「……いえ」
 二ノ瀬の返事は淡白だったが、的目の表情は暗く沈んでいく。

「……武器を集めて、ロッカーにしまって、私がみんなを疑心暗鬼から救ったんだからもう問題ないって、そう思ってた。けど、多可村くんは……殺されて。それは私たちの誰かがやったかもしれなくて」
「……それは」
「モノクマの仕業かもしれないけど、でも……!」

 自分たちの中に犯人なんていない。
 そう言った的目だが、彼女自身も揺れているようだった。しかしそれを明確には口にしないまま、とにかく捜査を続けるわ、と、覇気もなくロビーの方へと歩いていく。

 それを追うべきか――少し迷ったが、黙ったまま的目の背を見つめる二ノ瀬にまず声をかけた。
「……大丈夫か?」
「はい、私は何も」
 そこには何の感情も見えず、俺はがらにもなく心配をしてしまったことに後悔する。なら、的目を追って俺も捜査の続きをするか。そう思いかけたが、
「何も判断する力がない、それだけの話です」
 視線を思わず二ノ瀬に戻した。
 相変わらずの鉄面皮。
 だが今の言葉は、何度反芻しても弱音である。

「私には膨大な記憶があります。ですが、それを適切に引き出し、状況に照らし合わせて検討、考慮し、判断を導き出す……その力が足りないように思います。だから、誰が多可村くんを殺害したのか。それはモノクマによるものなのか――私には判断がつきません」
 それは、俺だって。
 言いかけたが、二ノ瀬の目がわずかに伏せられたのを見て喉が詰まった。

「何が真実で、何を信じるべきか――自分で判断できない私は、ただの記憶容量媒体(データベース)……人にも劣る存在です」

 ――そんなこと 
 反射的な速度で、それは俺の口をついて出た。

「人が死んだ時に、そういうこと言うな」


 ――人の悩みは人それぞれで、他人を引き合いに出されたって軽くなるもんじゃない。
 それは分かっているが、それでも、もう人として生きることのできなくなった多可村のことを思うと言葉が勝手に二ノ瀬の悩みを否定していた。
 生きてるだけで幸せだろ。
 そんな考えを押し付けるのは間違っている。
 生きていても辛いことは山ほどある。

 だけど、今は。
 生きられなくなった多可村が、どうしたって俺の心を締め付けていて。

「…………わるい」
 二ノ瀬が大きく目を見開いているのにようやく気付くまで、俺は謝罪の言葉も忘れていた。
「……いえ」

 ……傷つけただろうか。
 しかし、人に劣ると言ったが、データベースと呼ばれるほどの記憶力はやはりとてつもない才能である。
 判断に迷うくらいで、何もそう落ち込む必要は――
 そこでふと、ある可能性に気付いて俺は彼女をまじまじと見た。
 超高校級のデータベース、二ノ瀬市子。
 彼女は……大きな手掛かりへの、足掛かりになるかもしれない。

「なあ二ノ瀬。お前、武器のことで何か覚えてるか? ロッカーにどんな武器がしまわれたか、とか、しまう時に何か怪しい点はなかったか、とか」

 突然の俺の質問に二ノ瀬は目を瞬かせていたが、やがて目を細めて沈黙。そして、返答した。
「申し訳ありません。私は……鎧の着用、移動のせいで時間がかかり、宿泊施設への到着が遅れたので」
「あ……そうか、見てねぇのか」
「はい、すみません」

 確か……俺が行ったすぐ後に長谷部が来て、二ノ瀬、そして最後に多可村だったか。

「ぬふふふ、到着後も盛大なストリップショーに忙しかったから、兜のレアマークも見る暇にゃいくらい余裕にゃかったよねぇ」
「まだいたのか抹莉」
「失礼だにゃー。勝手に二人の世界に入ってるのが悪いんだよ」
 入ってねぇし。

「レアマーク? とは、何でしょうか」
 睨む俺の横で、二ノ瀬が首を傾げた。
 それも知らないのか。
「長谷部のハンマーで気付いたことだからねぇ。それ以降に来た人は話聞いてなくて、知らにゃいんじゃにゃい?」
 なら……多可村もか。
「配布された武器には、ほら……こういう売店商品に付いてるモノクママークとは違う、白衣を着たモノクマのマークが入ってたんだ」
 近場に陳列されているポテチを指さして説明すると、なるほど、と二ノ瀬が頷く。
「ああ……はい、確かに私の兜にも入っていましたね。違いに気付けないとはやはり私は人より劣……いえ、まだまだ、洞察力が足りません」

 そうか、二ノ瀬は兜を一度でも目にしているから、後からでも見直して、新たに何かを発見することもできるのか。
 やっぱり凄まじい記憶能力だ――

「……なら、二ノ瀬」
「はい」
「パーティの様子……もっと詳しく知りたいんだが、覚えてるか? 誰がどこに立ってたとか、多可村がどういう行動をとってたかとか。まぁ、たくさん人いただろうし、なるべくでいいんだけど」
「覚えています」
「え?」
「私の目にしたことなら、それは記憶に残っていると思います。食堂の時計が視界に写りこんでいれば、その時の時刻も分かりますが」
「……!」

 その直後の俺の行動に、抹莉が「わーお、アグレッシブだねぇ」 と茶化した。手掛かりへの足掛かり、それを得たような気がした俺が、二ノ瀬の腕を掴んだのだ。

「協力してくれ。二ノ瀬」

 ぽかん、と口を開けた二ノ瀬をかまわず食堂へと引っ張っていく。つられて足を動かし始めた彼女は、やがてぽつりと呟いた。
「……私で役に立つのなら」



◇ コトダマ ◇

「宿泊施設のロッカー」
 的目の発案で、配られた武器を十六人分回収したロッカー。施錠後、鍵はトイレに流されている。事件後も開けられた形跡は無い。

「売店の商品」
 文具用品売り場の一つのフックだけ商品が空になっている。両隣には文具はさみと、マグネットタイプの子供用はさみが掛かっている。

「武器」
 モノクマが昨夜、個別に配布した武器。ハンマーや弓矢、銃に毒薬とその種類は多種多様。
 売店商品につけられたモノクママークとは違う、白衣と聴診器を身につけた病院長バージョンのモノクママークがついている。武器のために描き下ろしたらしい。ウザイ。ただしロープなど細身の物には描かれていない。

「武器回収の流れ」
 十一人がしまい終えた段階で、相馬が逆巻の武器を持って宿泊施設へ。
 その後やってきた長谷部のハンマーで白衣モノクママークに気付く。それ以降にやってきた二ノ瀬と多可村はこのマークのことを知らない。


 ◇ ◇




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