14.平和だと呼べる国
シモーネ。
キャスケットをかぶった、と同い年だという少年。
彼がいつから剣を握っているかは分からないが、少なくとも、ただの高校生だったが買ったばかりの剣で挑んでどうにかなる相手ではなかった。
というより、そもそもまともに素振りもできないが“手合わせ”なんてできるはずもないのだ。
振り下ろしただけの剣筋は、簡単に見切られ、避けられた。
映画や漫画、それこそゲームの見よう見まねで下から斜め上へと振り上げてみたが、簡単に弾かれてしまう。相当力を込めたはずなのだが、まるで飛んでる虫でも払うかのように相手の顔は涼しげだ。
むかつく。
こちらは息も切れぎれだというのに。
攻撃することに体力的、精神的に疲れたが剣を持つ手を止めると、そこにシモーネは刃をかち合わせてきた。驚いて身を守るように剣を構え直すと、そこにまた重い攻撃が二回、三回と打ち下ろされる。
相手はだ、他に隙などいくらでもあるだろうにわざと剣を叩いてくるのは、“手合わせ”っぽさを演出するため、そうとしか思えない。
剣撃の重さ、間近で響く金属の衝突音に気圧されて、ついには足を取られ、尻もちをついてしまう。瞬間、の剣は強く打たれて弾き飛ばされてしまった。
武器も、逃げ道も無いへととどめの一撃が降る――
目を閉じただったが、何の痛みも衝撃もやってこないので恐々様子を窺う。と、一振りの剣が目の前を横切っていた。まるでをかばうように。
その持ち主が、普段からは想像できないくらい低く言った。
「こんなの手合わせとは言わない」
「ああ……ごめん、手加減はしたつもりなんだけど」
いちいち癇に障ることを言う奴だ。
割って入ったレックスの後ろでは苦々しく思うが、あっちがすごくて、こっちがてんでダメなのは明白だったので何も言えなかった。手加減というか、彼なりの配慮をしたのも本当だろう。最後にに降ってきた剣は、レックスがかばうまでもなく、かなり上空で余裕を持って止められていたのだから。
「じゃあ次はレックス、お願いできるかな?」
シモーネの笑顔の要請に、レックスは何も答えなかった。何も答えないまま、少し離れて、剣を構える。
邪魔になる位置だったので、は急いで身を起こした。無言の友人を窺いながら、木箱まで離れる。
……レックスの言葉数が異常に少ない。
これは……
『いつもと違って何にも言わねーの。ああいう時は、兄ちゃんすっげー怒ってんの』
そう寒さに縮こまりながら力説したヴァンに、今やっとは共感していた。ああ……確かに、こえー……。
しかしを恐れさせたそんなレックスも、剣を叩き落とされる結果となった。
シモーネによるわざとではなく、必然的にぶつかり、弾き合う剣戟。それは幾度となく繰り返されたが、一瞬レックスがバランスを崩した際、シモーネはそれを見逃さなかった。彼に力強い打ち下ろしをくらい、そのまま手を離してしまったのだ。
二人の間に一体どれくらいの力量の差があったのかは、素人目にはよく分からない。ただ、終始表情に余裕が窺えたのは、シモーネの方だった。
彼は地面に落ちた剣を拾い、柄の方を差し出す。しびれているのか、レックスは右手を押さえ続けていたが、やがて小さく礼を言って受け取った。
「あまり馴染みのない剣筋だけど……きみ、ナブラディアの人?」
「いや……ダルマスカ。ほとんど我流だけど」
そこで、シモーネの表情がつと変わった。驚いたように、「ダルマスカ?」 と口にする。すぐに「そう」 と自己完結して頷いていたが。
「きみも?」
「え」
話を振られ、やや返答に窮する。
俺は別んとこ、と答えれば、面倒くさいことになるのは目に見えていた。『遠くの国』 『なんていうとこ?』 『ニホン』 『え? どの辺の国?』 『地図には載ってねぇ』 『どゆこと?』 ……疑問符のエンドレスだ。
「あー、うん、ダルマスカ」
一番簡単なところへ逃げてやり過ごそうとした。だが。
「本当に?」
しばらく首をひねり、を値踏むように見つめていたシモーネは短く疑問を発した。思いがけず疑われたは……すぐに折れた。
「……ごく最近、別んとこから来たんだけどよ」
手近な欄干にもたれかかり、シモーネはしたり顔をする。
「ダルマスカは過酷な自然に囲まれた地だ。騎士でも商人でも、総じてもっと体力があるはずだからね」
……悪かったなひ弱で。
ムッとするに、
「じゃあ、これはダルマスカへ最近越したばかりのに聞いた方がいいかもな」
皮肉を言った自覚がないような笑顔をシモーネは向けてきた。
「ダルマスカって、どんなところだい?」
「過酷な自然に囲まれたところ」
嫌味たっぷりに返すと、シモーネは端正な顔立ちを崩して噴き出した。いじわるだなー、とくつくつ笑う。どっちがだ。
「歴史や文化は勉強したし、行ったこともあるけど、実際に暮らしてる人の言葉で聞いてみたくてさ。特に、他の地から移住した人間に。だから聞かせてよ」
おねがい、と人なつっこい言葉で乞われ、は頭を掻く。木箱のうえに落ち着き、そこそこ歩き慣れてきたラバナスタを思い浮かべる。
「まぁ……いいトコ、かな。不便ねぇし。飯も辛くないやつは美味いし、ああ、あと、仕事もらえてんのは、助かる」
レックスが嬉しそうな顔をしているのが見えた。それは郷土愛だろうか。
しかしにしてみれば、ダルマスカがというより、レックスのおかげで不便なく過ごせている部分が大きいのだが……まあその辺のことは面と向かっては言えないので、照れ隠しにちょっとぼやいた。
「あーでもウルフ、あいつらがな……」
「ウルフ?」
「、三回も襲われたから……」
「トラウマってことか」
レックスの説明を受けて、シモーネがまたおかしそうに笑う。笑うな。内二回は大怪我だぞ。
「の国には狼系いなかったのか?」
「いるかよ、つーかモンスターがいねえよ」
「いない? ……ああ、の身近には? 結構都会ってことか」
引っ掛かられて一瞬まずいことを言ったかと思ったが、自分で納得してくれたようなのでまあいいかと放っておいた。
「なるほど、だから今まで剣持ったことなかったんだな」
シモーネの灰色の目が、またいたずらっぽく光る。
「でもお坊っちゃんなら逆に、剣術のひとつくらいたしなんでそうなのにな。あ、それとも銃でハンティングがご趣味ですか?」
「誰がおぼっちゃん……つーか剣とか銃とか持ってたら捕まるっての」
「つかまる?」
シモーネが眉を寄せる。今回は勝手に納得はしてくれず、仕方がないので噛み砕くことにした。
「あー、その、銃刀法ってほーりつがあって、違反したら警察にだなぁ……」
あれ、警察ってこっちにいないよな。通じねえか。
という心配をしたが、気を回すべきはそこではなかったようだ。
「じゅうとうほう?」
おそらく今まで『やっぱりイヴァリースとの世界は全然違うんだなぁ』 と納得してくれていたのだろうレックスまでもが辿々しく言ったことで、やっと、あ、ちょっと面倒くさいことになりつつある、と自覚した。ただ、“意味不明なことを言って変に思われる”、だけでは事は済みそうになかった。
「銃……“とう”は、刀? それを所持していたら、法律違反ってことか?」
ものすごく的確に言い当てたわりに、シモーネは困惑するように険しい顔をする。
「何だそれ……本当にそんなものが?」
「え、まあ……」
「刀に剣は含まれるのか? そうだよな、刀だけに限るのも変な話だ……刃物全般禁止? そんな横暴な法律聞いたこと……」
「いや、別にそんな」
「一体どういう意図で作られたんだ? の国は王政か? 議会政治? ……どちらにしろ民衆から武器を取り上げる法を通すなんて、権力の保持が目的としか」
「え、は?」
「いや、それでも政治が民のために機能し、軍事が民の安全を限りなく保障できたとすれば、それは一つの健全な国の形と言えるのか……その辺りはどうなんだ?」
「…………」
どうなんだ、と言われても、シモーネの言っていることの半分も理解できない。むしろ興味がない。何か答えるとすれば、知るか、だ。
だがきっかけは自分の口走った言葉である。
「あ、一つ確認するけど、軍隊とかその類には武器の所持は許されているんだよな? 有事の際には国民を守れるように」
それを棚に上げて突き放すのは随分だと思ってしまい、えーと、とは授業中はほとんど寝ている政経科目に取り組んだ。
だが。
「ゆうじ?」
所詮、赤点と平均点の間をうろうろするダメ学生である。
「……戦争とか、そういう際ってこと。当然武器を振るうんだよね?」
「まぁ、たぶん」
「多分って」
聞きたいことが百パーセント返ってこない苛立ちか、顔をしかめるシモーネの様子がにも伝染する。
「あー、もうどうでもいいだろ」
苛々が低く設定されている沸点を簡単に超え、荒々しく息を吐きだす。んだよ、こっちも分からないなりに説明してやってんのに。
「有事とか言われたって、戦争とかありえねーし」
「……ありえ、ない?」
身を乗り出し、目を見開くシモーネ。その過剰に思える反応にこちらが驚いた。
しかし、反芻してみてもそんなにとんでもないことを言ったつもりはない。
「ん、まぁ……そーいうの、他の国の話だろ」
「……そう」
の方へ詰め寄りかけていたシモーネは、何か考えるように黙ったのをきっかけに欄干へと戻った。もたれ、顎を落とし、考え込む。
俺、変なこと言った?
レックスに目で訴えるも、彼もさぁ、と言うように肩をすくめるだけ。
やがて、視線を地面にやったまま、彼はため息をつくようにつぶやいた。
「の国は平和なんだな」
「別に……こことあんまり変わんねえけど」
平和、平穏、変わらない日常、そんな言葉が故郷とナブラディアには共通しているように思えたが、それを聞いたシモーネは顔つきを厳しくしたように見えた。
鋭いまなざしが、湖を渡る。
「……ナブラディアは今、侵略の脅威に晒されている」
凪いだ湖面、美しい白緑宮。シモーネの硬い声に呼応するようにそれらに大きな雲影が落ちた。
「武力での併合をいとわない、アルケイディア帝国にだ。いくつもの国から領土と名を奪って、今は、このナブラディアに外交圧力を仕掛けてきている」
“政治的に揉めている”
昨日のハルモアの言葉がよぎる。多分、同じ事を言っているのだ。ただハルモアと違うのは、目の前の少年が、沸き立つ感情を咬み殺すように声を震わせているということ。
「向こうは軍事力に不安を持ってはいない。ただ時期を見計らっているだけだ。少し何かを間違えれば、今いるここが戦場になりえる。何か口実を与えれば、一夜にしてこの国の名前は変わってしまう。綱渡りの外交をしのいでいる状態なんだ」
一夜にして、というフレーズが、ある映像を呼び起こした。
話の難しさにやや置いて行かれ気味だったも、顔がこわばる。胸の中を、冷たい指で一撫でされると共に広がったのは――
ここ首都ナプディスが、“謎の爆発”によって滅ぶ映像。
それは物語の冒頭。戦争の始まり。
この湖も城下町も宮殿も、今ここから見えるもの全部が消し飛ぶナブラディアの最期。
勿論二年後のそれを彼は知る由もないだろうが、それでもその惨劇への危機感を、彼は確かに持っていた。
「……まあ、外患なんて、どの国にも存在すると思うけどね。武力的にか、経済的にか。民が心安く暮らせる平和は、それらの問題をどうにかいなして作り上げた、薄氷の上にしか存在しないんだ」
「がいかん、って……」
「……他国からの脅威ってことさ」
シモーネが厳しく細めた目に、は身構えた。
の国は、平和なんだな。
その言葉は、皮肉だったんだと今さら気が付いた。
憂いの種はどの国にだってあるもの。でもの国は、“の見ていたの国”は、何の心配事もない、お花畑みたいなところだったんだな――
上から目線で馬鹿にされているようで腹は立ったが、そういうことを何も考えずにいたのは事実だ。どうでもよかった。それで生きてこれた。戦争なんて過去の話だ、今、少なくとも自分の生活に迫る危機じゃ……
しかし。
ここの人々の生活は、一見して平和そのものに感じられた。そのナブディスに今危機が迫っているというのなら、自分のいた国は果たしてどうだったのだろう。
本当に平和だったのか、平和に見えていただけなのか。今のに知る方法はないけれど。
苦虫を噛み潰すとは裏腹に――もしかするとのその表情を見たからか、
「いや、すまない……言い過ぎた」
シモーネは後悔するように背を丸めていた。
「その……平和の揺らがないきみの国はきっといいところなんだろうな」
「……あれだろ、平和ボケって言いたいんだろ」
たまに映っているニュース番組を見れば、コメンテイターが辛辣に言うその言葉。たいして深く捉えていなかったが、自分のようにのらりくらりと学校に行くだけの高校生を断じていることだけは分かっていた。
しかしコメンテイターとは違い、シモーネはひどく申し訳無さそうに眉を下げていた。何か言いかけて、けれど目を地面に伏せ――ゆっくりと欄干から離れた。
「そろそろ行くよ」
「は?」
「同じ年の子と話せて、剣を合わせられて楽しかった。ちょっと言い合いみたいになったのはこちらが悪かった……でも、楽しかったよ」
ひらりと手を振る彼を、二人はぽかんとして見ていた。彼が現れた時のように唐突で、まだ言い足りなかったは「おい、ちょ……」 呼び止めるが、シモーネは湖を離れ路地に消えていく。
「んだよ、言い逃げかよ……くそ」
「……あ」
、、と手を振って一生懸命呼ぶわりに、レックスはではなくその背後の一点を見つめていた。眉を寄せながら振り向く。今は開店していない店舗の、横に張り出した一枚の看板。
“大衆酒場・シモーネ”
「……シモー……え?」
「女の人みたいな名前だとは、思ってたけど……」
「は? え、シモーネって……え?」
*
偽名を探し、目についた看板からシモーネ、と彼らに名乗った少年は、人知れず、落ち込んでいた。
熱くなった。
なってしまった。
は民間人だ。国に守られるべき民だ。それが少し政治情勢に疎く平和ボケしている風に見受けられたからといって、民間人を“守る側”である自分が一方的に非難するなんて。
同い年だから?
だからついムキになってしまったと?
そう自分に問いかけると、ため息が出た。そんなのは王族としてあるまじき浅慮さだ。
「彼の国の名前、聞けばよかったな……」
どこの、どういう国かも、その政治背景も何も知らずに声を荒げたのも褒められたものではない。
そういえば、どうしては国を離れたんだろうか。
色々な想像をするも特定はできず、しかし自ら出身を言わなかったことを考えると、言いにくい事情があるのかもしれない。そう至ったところでハッとした。
国の名前を言わなかったのも、何か言い渋るような事情があったのかもしれないじゃないか。
たとえば地図から消えた国なんていうのは――ナブラディアがそうならないとは言えない状況でこれを思うのは、胸が押しつぶされそうだが――両手の指では足りないほど存在するのだ。
『戦争なんてありえない』
の言葉を思い返されたその時、さっきは感じなかった寒気が背筋を走った。それは、もしや、もはや起こりえないという意味だったとしたら――
考えすぎ、かもしれない。でも、その通りかもしれない。
……戻って確かめるか。
いらぬことに立ち入ったことを謝罪するか。
いやでも今さら戻るというのも……
「恐れながら、ラスラ様」
うろうろと思いあぐねていたところに、声がかかった。
「お時間です。そろそろ、ご帰城を」
外部からもたらされた結論に、肩を落とす。とはいえわがままでふらふら街に出ている身だ。これ以上無理は言えなかった。
今日か明日にでも、彼らはダルマスカに戻るのだろう。
もう、話す機会はない。
後悔が居座る胸から息を吐き出し、控える騎士に了解の意を示した。
ナブラディア王国の第二王子が、一人で勝手に城を出るなんてことは許されない。しかし出たい。大好きな自分の国を、たまには自由にふらつきたいこともある。そういう時には父の信頼の厚い彼を供に連れることで許可を得るのだ。仮にもナブラディア騎士団の将軍職である彼を長い時間連れまわすことはできないのだが。
彼には、外ではあまり近づくなと頼んでいる。
何があろうと飛び出すな、と、無駄かもしれないが一応言ってある。しかし。
「レックスと手合わせした時は、止めに入るかと思ったよ」
彼、なかなか本気だった。
「いえ……ラスラ様には及ばないと判断しましたので」
それでも俺が衣服でも傷つけられようものなら、飛び出してレックスをひねり上げたんだろうなぁと苦笑いする。まあ、自分の方が強いと褒められたのは、嬉しく受け取っておいた。
でも、どんなに剣の腕が立っても。
どんなにこの手で、この剣で国を守りたくとも、
第二王子の俺に求められているのは、そんなことじゃなく――
……自分がわだかまりを抱えているからこそ、国のことでに熱くなってしまったのかもしれない。
やっぱり、もう一度会って謝っておきたいな。
「明日も頼もうかな、護衛。彼らまだいるかもしれないし」
それに少しでも多く、大好きなこの地を、街を歩いておきたい。
そんな気持ちも加えてそう言えば、隠そうとはしているようだが、勘弁願います……と言いたげな表情がにじんでいた。
やれやれ、とそれを笑い、ラスラは今日のところは帰城の途についた。美しい白と緑の王宮へと。
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