4. 夜の砂漠の不協和音




 あの灼熱地獄と同じ場所だとは思えないくらい、夜の砂漠は冷えていた。
 レックスに借りたTシャツと、裾に編み上げ飾りのついた麻ズボンという薄着ではかなり寒い。あのエネルギッシュな太陽がなりをひそめるだけでこうも様変わりするのかと、は初めて見る場所のように首を回した。
 実際あの時は、意識も朦朧として景色なんてろくに見ちゃいないのだが。

 松葉杖の先端が砂に沈んでしまう。
 ケアルをかけてもらった右足首はほとんど痛まず、スニーカーを履かせたそれを軽く動かして確認した結果、この先は杖に頼らず、両足で歩くことにした。
 どこまで歩けばいいかなんて、あては無かったけれど。


 初めて歩くラバナスタは、舌打ちの連続だった。
 ゲームでは散々駆け回った街だったが、容量上行ける範囲は限られていたわけで、実際に歩けば入り組む路地に幾度となく方向を見失った。その上松葉杖に優しくない石畳、階段……酔っぱらって道を塞ぐシークども。
 あげく、何とかたどり着いた東門の門番にも『その怪我でどこに』 と足止めを食わされそうになった。しかし「いや……向こうで酔っぱらいのシークが暴れてて、どうにかしてもらいたいんですけど」 と機転をきかせ、そうして人払いをした門をくぐり、どうにか熱の奪われた砂漠へと足を踏み入れることができたのだった。
 一度、振り返る。
 冷えきった風に吹かれながら仰ぎ見たラバナスタは、かつて画面越しに見たそのままの悠然さをたたえていた。


 自分が倒れていた場所は、どの辺りだろうか。
 ……分からない。なのでできるだけ、どこを見ても砂漠、という地点までは歩こうと決めた。
 東ダルマスカ砂漠は、それ自体が眠りについたように静かだった。
 砂にとられる足音と、荒くなり始めた呼吸。そんな自分が無様に立てる音を除けば、あとは砂を弄びながら吹きすさぶ風の鳴き声だけだ。軽く、簡単に舞い上がる砂はスニーカーの中に容赦無く入り込み、だからレックスは鉄製の膝あての付いたロングブーツを履いているんだなと頭の端で学習した。
 靴の中の不快感が、足を余計に重くする。
 上がる一方の息に、右足首の鈍痛が重なり始める。
 ここは剣と魔法のワンダーランドだというのに、自分の体力はまんま帰宅部の高校生なのか。
 自嘲すると共に、は引きずっていた杖を思いきり砂に突き刺した。
 どでかい砂漠の真ん中で、しなだれるように、寄りかかる。

 ……この砂漠で倒れてたんなら、ここがウサギの穴だろ?

 鞄代わりにしていた三角巾から、内側に入れていた物を取り出す。表、裏。それぞれ一瞥して、雲が出て陰り始めた砂の上に放り投げる。
 取扱説明書だけが、ダウンジャケットに入っていたわけではない。
 今投げた製品ケースにちゃんとすべて収まっていたのだ、取説も――そして、なぜか真っ二つに折れていた、ゲームディスクも。

 ここがFF12の世界だって言うんなら、原因、どう見たって、これだろ?

 ケースと、閉まりきっていない口から覗くディスクの破片に砂がさらさら被さっていく。
 それを、顔を歪めて見下ろした。

 戻せよ。

 握っていた杖が、ぎしりと鳴る。
「戻せよ。もう、いいっての、こんな冗談」
 震えた語尾が、夜の砂漠に溶けていく。その情けなさも、鼻の奥が熱くなるのもかき消さんばかりに声を荒げる。
「さっさと戻せよ……なあ!」
 しかし、ゲームディスクはただただ黄土色の砂に覆われていくだけ。蹴り飛ばしてやりたいほどの憤りを覚えるが、あいにく砂にとられすぎた右足はいまや完全に痛みをぶり返し、杖と左足でようやく立っている状態だ。
 何一つ自由にならない状況に、歯噛みする。

 ……どうしろって言うんだよ、どうすりゃ……!

 孤独と不安で冷えた砂の上に崩れ落ちそうになるをあざ笑うように、“自由にならない状況”はまた一つ忍び寄っていた。
 がその接近に気付いた時にはもう、こんな足で逃げられる道など残っていなかった。砂漠に慣れた四つ足で音もなく近づき、月の陰りに乗じて獲物を取り囲んだのは。

 また、こいつらかよ……っ
 あの時とは違いしっかりしている意識で相対したウルフは、大型犬となんて比べるのも生ぬるかった。涎も垂らしっぱなしにするほどの狂気じみた顔つき、どんな生き物をも食い破らんばかりに剥く鋭い牙――大きさだって、恐怖ゆえかもしれないが、虎かライオンくらいはあるように見える。
 それが、四、五……六匹。

 サファリパークの生き物に襲われて、逆にねじ伏せた人間なんて聞いたこともない。
 諦め気味に呼吸を震わせ、しかし前回とは違って少しは動く体で、は松葉杖をゆっくり引き抜いた。
 それだけでふらついたが、余計にやけくそ気分に火がついて杖を力いっぱい振り回した。ぶんっ、と風を切った鈍器に、ウルフ達は退きはするものの、しかしすぐさま獲物ににじり寄る。
 こんなもんじゃ無駄だ――分かってはいたが、唸り声の圧迫感に唯一の武器を振るわずにはいられなかった。

 死ぬしかないかもしれない……でも、死にたくない。

 帰れないかもしれない、でも、俺は、帰りたいんだよ――!!


 しかしひるまないウルフの一匹が砂を巻き上げ、絶望的なスピードで迫った。思わず杖を盾にする。総毛立つ体を丸めてぎゅっと目をつむる。
 ピィッ
 と、甲高い音が響いたのはその時だった。
 恐々目を開ければそこには、音に反応してスピードを緩めるウルフの姿が。そいつが気にする方向にも振り向くと、ぎゃんっと鳴いて空中に跳ね飛ぶ獣の、息絶える様子が目撃できた。
 飛び散る血渋きに、人影。
 既視感が脳裏を支配するも、返り血の付いた剣を払うのは、金髪を刈り込んだ見覚えの無い男だった。
 しかしその斜め後ろから、口元から指を離して駆けてくる少年こそ。
 思わず唇だけが無音で動く。
 レックス。

 なんでここに、と呆けている内に、先程のレックスの指笛に引き寄せられたウルフがまた一匹、金髪の男によって斬り伏せられていた。小柄な分を俊敏さで補うかのように、斬り上げる太刀でもう一匹。
 レックスも剣を抜き、鞘を投げ捨てる……が、彼はそれを振るわなかった。代わりに右手がぼんやり光を帯びる。
 魔法?
 と目をみはるも、発動の瞬間は見られなかった。
 すぐ後ろでおぞましい猛りが聞こえたかと思えば、は衝撃に前のめった。飛びかかってきたウルフに背中に爪を立てられたのだ。
 歪めた口から悲鳴が漏れる。
 なおも食いつこうとする獣と目が合って青ざめるも、突然、バチッと電気が弾けたような閃光と共にウルフは体をのけ反らせた。
 何が起きたか理解する間もなく、茫然とするのすぐ傍までやってきた金髪の男とレックスがそれぞれ一匹ずつ斬り払う。ウルフ達が唸らなくなった砂漠で、砂混じりの風に吹かれながら肩で息をするレックスを見上げている内に、ようやく、今のバチッてサンダーだったのかも……と思い至った。
 同時に、悟る。
 ……助けられたんだ。

「何考えてんだこのくそガキ」
 砂だらけのまま座り込んでいるの真後ろに、小柄な男が膝をつく。
「武器ナシ防具ナシおまけに片手も使えねえで夜の砂漠をお散歩だ? 頭イカれてんのかてめぇ、それとも何か自殺志願か」
 随分と口が悪い。が、その手はてきぱきとのTシャツをめくり上げ、背中の引っ掻き傷の止血を行っていた。しばらく布が当てられていた後はほんのり暖かくなる。ケアルだろう。
「まったく……こんなバカ外に出しやがって何が門番だ、あの野郎あとでシメてやる」
 舌打ちと荒々しいため息を繰り返す男の手当てを、は黙って受けていた。うつむいて、サンダーにやられて伏しているウルフの死骸を見つめていた。
 ただの物と化したその毛皮に、あの割れたディスクと同じようにさらさらと砂がかぶさっていく。わずかに唇を噛んで見つめていたのを、レックスの足が遮った。

「階段、禁止って言ったのに」
 片膝を折ったレックスは、長めの前髪の間から心配げな瞳を覗かせる。砂にまみれた服や三角巾を優しく払い、松葉杖を拾いながら問う。
「何で無理して、こんなとこまで?」
「……別に」
 目を逸らして、投げやりに呟いた。
 別に、話したって、お前には理解できない話だよ。
 話したところで……どうにもならねえし。

 そんなに対して背後から「まずは礼の一つでも言えねーのかてめえ」 とぐちぐち声が降ってきたが、正面からの声は無い。
 何も無さすぎるのが気になって視線を上げれば、いつもは“お人よし”を体現するように頼りなさげに揺れている灰がかったブルーの目が、にわかに眼光を強めていた。
 こちらもつい身構えてしまうような、相手を問い詰めるような表情……家で手当てされていた時にも、一瞬見た顔だ。

は、すぐ……」

 その続きも声に出したげではあったが、緩く開いていた口を引き結び、レックスは目を斜め下に伏せた。
 眉を寄せたまま、何も言わない。
 そんな態度に、自然とも眉間に皺を作った。
「……何だよ」
 苛つきを喉の奥に押し込めて問うも、レックスは何も返さない。それ以上こっちから声をかけるのは気にくわなくても黙りこくれば、そんな二人に業を煮やした金髪の男がわざと提げている鞘を大きく鳴らして立ち上がった。
「おいコラお前ら。たらたらしてるとまた寄ってくる、引き上げるぞ」
 彼に松葉杖を奪われたレックスは、視線を下げたまま言う通りに腰を上げる。そして、に手を差し伸べた。
「帰ろう」

 ……かえる?

 頭にぽつり、と浮かんだ疑問は、声に出ていたらしい。
 手を取らないに「あ? ここでのたれ死ぬか食い殺されるつもりか?」 と機嫌悪そうに返したのは既に歩き始めていた金髪の男だったが、
「……どこに」
 風にさらわれそうなほど小さなの呟きを、拾ったのはレックスだった。
「危ないから。ラバナスタへ戻ろう」

 再び身を屈めた彼が、手をさらに伸ばす。
 しかしの目に入るのは、その背後で物のように転がっている死骸だけだった。
 眉を顰めるのに従って、視界が歪む。
 ゲームディスクはすっかり砂に埋もれたしまったのか見当たらないが、それとウルフの死骸は同じなんだと思った。もう動かない。起動しない。どちらもこの世界において、砂にすら抵抗できないただの残骸。
 人ひとりを元いた場所に帰すなんて、そんな途方もないこと――

 できるわきゃ、ねーよな。
 そう諦め気味に息を吐いた瞬間、涙がこぼれ落ちていた。

 ラバナスタ? 違う、俺の帰りたい場所は……でも――

 次々と麻の生地に落ち、吸い込まれていく水滴を、追いかけるように喉に感情が込み上げてくる。それをせき止める気力なんて、もうどこにもなかった。

「……俺、だって……帰りてぇよ……!」

 嗚咽の混じった慟哭の合間にレックスの戸惑うような呼びかけが聞こえたが、そんなものでは止まらない。彼の手が肩に触れた気がしたが、ぶつけどころの見つからない憤りのままに振り払った。
「帰れるもんなら、今すぐ……っ! でもっ!」

 でも、どうしようもねーんだよ……っ!

 止めどなくあふれ出る涙に溺れかけた目が、風を感じてヒヤリと冷えた。
 それは悪寒となって全身に伝わる。
 息を詰めた。
 動かないと思っていた死骸が、レックスの電撃で死んだと思っていたウルフが、体を揺らしたかと思うとこちらを呪うような咆哮を上げたのだ。

 遅れて振り向いたレックスをすり抜けるようにして、大きく開かれた口が一瞬にしてに迫る。鋭い牙が執拗に、恨みをこめてこの身を狙う。
 殺される。
 死ぬ――

 しかし、を包み込んだのは戦慄ではない、不思議な感覚だった。

 眼前に飛びかかってきたウルフは、その背後の夜空ごと白く消し飛んでしまった。ホワイトアウト。そうした視界の中で、獣のがむしゃらな唸り声も、レックスの鋭く叫ぶ声も――何か、ガラスを引っ掻く音にも似た甲高い機械音にかき消されてしまう。
 これは、なんだろう。
 車?
 ……の、ブレーキ?




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