6. 純真無垢な子供達
始発便を待つ客達をすり抜け、朝日に隅々まで照らされる外門前では目を細めた。すでに陽炎の揺らめいている砂漠を見やり、街の方へと進みかけていたヴァンを引き止める。
「なぁ、ちょっと、落とし物したんだけど」
どこに? とヴァンは尋ねたが、の目線の先に広大な黄土色があることに気付いてちょっと顔をひきつらせる。
「……どんな?」
「四角いケースと、割れた円盤」
「何それ……っていうか、むりむり、見つかりっこないって」
二つも下の子供から即座に、そして呆れ気味に言い切られたが、特別腹は立たなかった。見つかりっこないだろうなとも思っていたし、本気で探したかったわけでもない。
「どーせ帰れねぇし」
「はぁ? これから帰るんじゃん?」
ため息に乗せた独り言を、しっかり聞かれていたのにもうひとつ息を吐いた。
砂漠と、雪空、両方頭から振り払い、杖に体重を預けながら方向転換をする。
が、ヴァンはその動きについてこなかった。
「帰るって、の、ほんとのウチ?」
どきっとして振り見た少年は、朝っぱらから振りまいていた元気も、小生意気さもなりを潜めていた。
まだ低い太陽を背に長く伸びる影もあいまって、ズボンの生地をきゅっと握るその佇まいは寂しげに見える。
「怪我治ったら、、やっぱ帰んの……?」
……治っても、帰る方法なんてさっぱりなんだよ。
そんな愚痴を子供にこぼすのも、そこから『なんで方法ないの?』 と話が広がるのも気が乗らず、無言で門の方へと視線を戻す。
ターミナルの向こう側で、始発の飛空艇が高い駆動音を立てる。それがやがて空の彼方へ消えた頃、後ろから呟くような声がした。
「帰ったら、兄ちゃん寂しいと思う」
思わず眉を寄せ、体重移動の手間をかけて振り返る。
「嘘つけ。怒ってたんだろ」
直接言葉をぶつけられてはいないが、普通に考えて、レックスが気分を害している理由は自分に違いない。階段を降りることさえ禁じられていたのに勝手に砂漠をうろつき、あまつさえ怪我を増やして、いらぬ面倒かけさせて……
「俺に、愛想尽かしたんじゃねえの」
さすがのレックスも。
そう自棄ぎみに言い放つと、ヴァンは少し黙る。ゆうべやっぱり何があったのかな、と考えてるような顔だったが、すぐにやめて「でも」 と呟いた。
「寂しいよ」
「どうだか……」
「だから、寂しいんだって!」
急に強まった語気に、つい閉口してしまった。
近くにいた人やバンガやクエッと鳴く生き物がもれなく驚いてこちらを向く中、は、赤い顔をして言う“寂しい”の主語が、いつの間にかレックスからヴァンに変わっていることに気がついた。
ヴァンとレックスの両親が、一年前、流行病で死んだことは聞いていた。だから二人で暮らしているのだと。レックスが働いているのだと。確か昼ご飯を食べながら、ヴァンは何でもないことのように話してくれた。
今、門をくぐった先の大階段に座るヴァンも、
「ねえ、は親いんの?」
その時と同じような顔をして、軽い調子で尋ねてくる。
しかし、こうして人目を逃れて階段の隅っこに移動したきっかけ――『寂しいんだって!』 と声を大きくしたヴァンを思い出せば、答えには慎重になった。
「……いる。それと、姉貴」
「会いたい?」
その問いにはすぐに最良の答えが見つけられず、もたれた壁の溝を意味無くなぞる。するとヴァンは急かすように「寂しい?」 と問いを重ねた。
普段は鬱陶しいとさえ思っていた家族だが、突然会えないことを突き付けられると、その理不尽さに胸は鈍く痛む。
けれど、“会いたい”と里心を見せても、“別に”と冷たく言い捨てても結果ヴァンは喜ばない気がした。不自由な二択を持て余して、結局ボールを相手に投げ返す。
「お前は?」
言ってすぐ、バカか、子供の傷口えぐってどうすると後悔したが、
「うーん、わかんない」
答えがあっさり返ってきたことにホッとした。ホッとした半面、首を傾げた。わかんない?
の視線を浴びながら、ヴァンは段差から足を投げ出して体を反らし、子供っぽく空を見る。
「死んだ時は悲しかった。でも、病気だし、他にもたくさん死んだし、お医者さんも一生懸命みてくれたし、仕方なかったんだと、思う。それに兄ちゃんいたし、パンネロのおじさんもおばさんもいたし、まぁ、パンネロとか、ミゲロさんとかトマジとかカイツとかとか……とにかく、みんないたし」
慣れたよ、と門の影の中でヴァンは言う。それが本心なのか強がっているのか、掴めないうちに、少年は鮮やかな空から人の往来へと視線を落とした。
「でも、ご飯の時はちょっと、思い出すんだ」
何となく、親子連れを眺めているように思えた。
「大体兄ちゃんと二人で食べるんだけどさ。前よりお皿の数が少なかったり、椅子も二つ余ってたり、そーいうの見ると……」
息苦しそうに、胸に詰まったものを呼吸がてらに吐き出すヴァンに、年上としては頭のひとつも撫でてやればよかったのかもしれない。けれど機敏に動くことも、気の利いた慰めをかけてやることもできないままは壁に張り付いていた。
だって、何言えばいいんだよ。それに……ほら、この通りだし。
情けなくも怪我のせいにしようとした時、ヴァンと目が合って、ちょっと驚いた。たった今までの陰りを吹き飛ばすように、にかっと笑っていたからだ。
「ゆうべはパンネロとかと一緒に食べたけどさ、その前は三人で食べただろ? 俺と、兄ちゃんと、と」
「……あー」
頷きかけて、同時にあんまりよろしくないことを思い出して声が上擦った。その反応にか、ヴァンがにひひと笑う。
それは、が初めて食べるラバナスタの夕食だった。朝昼はパンやスープの軽食だが、夜はラバナスタ特有のおかずも食べるようで、それが……口に合わなかったという、それだけの話なのだが。
「ってばひーひー言っちゃって、そんなに辛くないのに水ガブガブ飲んで大騒ぎしちゃってさぁ」
「……お前らの舌が変なんだよ」
日本では罰ゲームなハバネロも、現地のメキシコ人はこういうリアクションなんだろうか。何だか口の中がひりひりしてきたような気がして顔を歪めると、ヴァンはまた笑う。あははっと声を上げて、しかし、ふと止んだかと思うとヴァンははにかんだ笑顔を頬杖に乗せていた。
「でも楽しかった」
昇り続ける太陽に、いつの間にかその金髪も照らされ、きらきら輝く。
「二階のちっちゃいテーブルに食器ぎゅーぎゅーに並べてさ、椅子三つ持ってきて、がぎゃーぎゃー言うの見て笑って」
「うるせーよ」
笑いを噛み殺すように肩を揺らしてから、ヴァンは続ける。
「あーいうの初めてで、賑やかなのも久しぶりで、パンネロのおばさんとか、女の人がいるのとはやっぱ全然違うくて、だから、がいなくなったら俺やっぱ寂しいっ!」
言うにつれてヒートアップしていく訴えは、最後にど真ん中のストレートを投げつけた。ヴァンの頬が上気しているのが、興奮なのか照れなのかは分からない……が、どっちかと言われれば間違いなくの方が照れていた。
まばたきの回数を多くするに、ぴょんと階段を飛び降りたヴァンが駆け寄る。
「兄ちゃんだって、同い年くらいの友達いないし、誰かがうちでご飯食べて寝起きしてなんて初めてだもん、絶対にいてほしいって思ってるって!」
汚れたシャツを掴み、真下から懇願の目で見上げてくる子供に……子供ごときに顔を赤くしてる自分は、何なんだろうと思う。
けれど、こんなストレートに『居てくれないと寂しい』 なんて、言われたこと、ない。
「の嫌いなおかず出さないから! これなら食べれるって言ってた果物の炒め物いっぱい出すから! 兄ちゃんとケンカしてんなら俺が仲直りさせるから! だから、もうちょっとウチにいてよ、ね? ね?」
「さん、帰っちゃうの……?」
上方からの声は、純真で真っ直ぐな子供がもう一人増える合図だった。
「だって、怪我、まだ」
ハニーブロンドに朝日を受けるパンネロは、中途半端に話を聞いていたらしく、今にも怪我人が東門から出て行くものだとうろたえている。見かねて「まだこの通り、どこにも行けねーよ」 と自嘲してみせたが少女の顔は変わらなかった。
「でも、怪我が治ったら……?」
「だからぁ、それを今俺が引き止めてんの……っていうか、パンネロ、いいのかよ」
片手でシャツを掴んだまま、ちょっと落ち着きを取り戻したヴァンはあっけらかんと言った。
「おばさんに、一人でと会っちゃだめって言われてたんじゃなかっ」
「ヴァン!」
パンネロは血相を変えて人差し指を口元に当てたものの、勿論にはしっかり聴こえてしまっていた。
レックスやヴァンがあまりに人が良く、あまりに親切すぎて忘れていたが……所詮、自分は素性のはっきりしない異邦人。
そりゃあ普通、警戒もするわな……。
「お、お母さん、さんのこと悪く思ってるんじゃないんですよ! やっぱりあのジャケット洗ってあげなきゃって張り切ってたし、でも、その……」
怪我人を心配するのと、娘の身を案じるのは別問題だ。
「あー、別に気にしてねーよ」
そう言うと、パンネロの必至の弁明は一時止んだ。ただ、申し訳なさそうな顔は消さず、ぽつりと続ける。
「私も、さんのこと悪い人なんて思ってません」
そしてタタッと駆け降りてきたかと思うと、ヴァンの隣で切実な目を上向かせた。
「私からもお願いします! 怪我が治っても、もう少しだけ……ラバナスタを案内するって約束もしたし、それにさんが来てから、ヴァン、すごく楽しそうなんです」
「な、なんだよそれ」
頬を赤くしてパンネロを睨むヴァン。……自分で楽しいと言っておきながら、他人に指摘されるのは恥ずかしいらしい。そうして突っかかるお子様を、やっぱり大人びたパンネロは相手にしない。
「さん、すぐに、帰らなきゃいけないんですか……? もし、そうじゃなかったら、もうちょっとだけ……」
「ちょっとじゃなくて、ずっと!」
「ヴァンっ、図々しすぎるよ、面倒くさい子って思われちゃったらどうするの!」
「じゃーパンネロは、ちょっとだけでもいいのかよ」
「うー……でも……」
ずっとって言ったらいてくれますか? という顔で見上げるパンネロ。
それに倣っての返事を待つヴァン。
こっちが動けないのをまぁいいことに取り囲んで、服握って、そんな目で見つめてほとんど脅迫じゃねえか。
しかし、嫌な心地は、しなかった。
幼稚園児だった従弟と遊んでやり、帰り際にぐずられたことを思い出してむしろ懐かしく、むず痒い。
勿論その時と同じように、“慕われて悪い気はしない”心情がバレないよう、は意識して作った仏頂面でそっぽを向いた。
それでも、四つの瞳は低い位置から頬を突き刺さしてくる。
必死な眼差しをひしひしと感じ、耐えるのは限界に思え、とうとう息を吐いた。その反応に良い返事を期待したのか目を輝かせたパンネロはいい子過ぎるので、
「つーかよ、ヴァン」
苦しまぎれに攻撃する相手には生意気坊主の方を選んだ。
「人に頼みごとすんのに、呼び捨てかよ」
「えっ、えー、だっては……」
「ヴァンっ」
肘で押され、よろけながらも口を尖らせる。
「やだよ俺、パンネロみたくさんとか呼ぶの」
「失礼なことばっかして、さん帰っちゃってもいいのっ?」
どうも、“が帰りたがってる”というのが二人の子供の間で一人歩きしているようで、当の本人はバツの悪い気分だった。実際は、帰れと言われても途方に暮れざるを得ない状況なわけで。
「うー、じゃー、兄ちゃん、兄! これでいい?」
あー、まあ、と返事をすれば、今度はパンネロが拗ねたような顔をした。
「…………なんか、ずるい、ヴァンだけ。あの……私も兄さまって」
「真似すんなよなー」
「真似ってわけじゃ。……ダメですか?」
ヴァンに対してと同じようにおざなりながら許可すれば、少女の顔がピンク色にほころぶ。
「何だよ、兄ちゃんのことはレックスさんって呼んでんのに。変なの」
「へ、変じゃないもん……ヴァンの真似しただけ! もうっ、いいじゃない別に!」
「何怒ってんだよ……」
「怒ってないもんっ」
やいやい言い合う二人の子供に、はなっから帰るあての無いことを黙っているのは騙しているような気にもなったが、だからと言って自分のそういう事情を年下相手に愚痴る気にはなれなかった。
自分を慕ってくれているらしい彼らは話せばきっと純粋に心配してくれるだろうが、その構図は、想像しただけで格好悪すぎる。
なので黙って、口を挟まず、少しだけ目を細めて二人の言い合いを見下ろしていた。
一体この先どうすればいいのか途方に暮れていたけれど。やけにもなりかけていたけれど。
こうして引き止めてくれるなら、それに、甘えてしまっても……
しかし、たとえ自分が子供達の懇願に引きずられたとしても、それだけではどうしようもない問題があった。
『帰ったら、兄ちゃん寂しいと思う』
ヴァンはああ言ったが……最も迷惑をかけ、怒らせたあげくに逆切れしてみせた、そんな相手がまだ自分を受け入れてくれるとは、とても思えない。
「、にいさま?」
下方からのちょっとためらいがちな呼びかけに、何でもないよ、そう笑って返せるほど出来た人間だったら、レックスを怒らせることもなかったかもしれない。
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