7. いつかと願いながら




 雪の降る帰り道、トラックと正面衝突した自分は、あの時死んでしまったのだろうか。

 事故のことは思い出したが、その衝撃のせいなのだろう。どんなに記憶を辿っても、肝心なところはすっぽり抜け落ちていた。次はもう、砂漠で目が覚めたところからしか覚えていない。
 アスファルトに打ちつけられる寸前に、世界を越えてしまうようなことが起こったのか。
 それとも、あのまま、死んでしまったのか。
 だとすれば今ここにいる自分は何なんだ? と言い知れぬ不安が襲うが、不安になるだけなっても答えが見つかるわけではなく、はぁっ、と考えを振り払うように盛大に息を吐き出した。
 行きかう様々な人種がそんなを怪訝そうに見、たまに気さくな人が具合が悪いのかと声をかけてくるが、すべて無視か右手を振るだけであしらい、また息をつく。

 死んでいてもいなくても、おんなじだ。
 どっちにしろ、元の世界に帰る手立てなんて見当もつかない。

 ここ、商店通りの片隅に座って繰り返し考えている内に、気持ちは少しずつ落ち着いてきた。正直まだやるせない、が、少なくともゆうべレックスに当たった時よりは事実を事実と受け止めている。
 事故に遭ったこと。砂漠で目覚めてから、今までのこと。色々なことがいくらか冷静に思い出せるようになって、自動的に、ゆうべの自分の態度がいかに自分勝手で恩知らずか、思い知ってうなだれた。
 帰ろう。
 どこの馬とも知れない、あまつさえ散々迷惑をかけられた居候に、レックスが使ったのは『行こう』 ではなく、『帰ろう』 だった。まだ見捨てず、手を差し伸べようとしてくれたのに、自分の中で渦巻いていた憤りのまま振り払ったを彼はどう思っただろう。
 答えは明白だ。
 ……ヴァンも、怒ってたって、言ってたし。

 ちらり、と目をやったのは一軒の店舗。
 レックスの働いているという、ミゲロの道具ショップだ……が。
 ともかく謝らなければ、とヴァンとパンネロに連れてきてもらったはいいものの、気後れして、こうして店の前に座ったっきり入れずにいた。
『ジカダンパンだな!』
 そう拳を握りしめてヴァンが言った通り、今から謝るのは、怪我が治った後ももう少し置いてほしいという、打算ありきのような気がした。レックスは人がいいから、そんな謝罪でも許してくれるだろうか。いや、あの脳天気なヴァンがおののくほど怒っていたのだ、の虫のよさにいっそ軽蔑するかもしれない。

「…………」
 人の往来を見送れば見送るほど、迷ってきた。
 この期に及んで帰りたくなってきた。
 ……うん、まぁ、考えれば仕事中だろうし、ちょっと覗いて、忙しそうだったら……
 もはやすっかり逃げ腰で、まずは店の入り口をそろりと窺う。杖に体重をかけ、立ち上がろうとしたは、しかしそのまま固まってしまうことになった。
 店の横に路地があるとは知らなかった。それに面して勝手口があることも、そして当然、ちょうどアルバイト店員が木箱を抱えて出てくるなんてハプニングも知りえるわけがなく。

 こちらが動けずにいる以上に、向こうは驚いた顔をしていた。その表情のまま木箱を置いて歩み寄ってきたレックスは、よりも、その後ろや周りを気にしながら言う。
「……どうしたの? ヴァンは?」
 の答えを待つまでもなく、かすかに眉根を寄せた。
「ちゃんと付き添うように言ったのに……」
「あー……いや、俺が帰れっつったんだよ」
 第三者にいられるのは嫌だから、という理由は隠してそう伝えると、レックスは目を丸くし、そして最初の質問に戻った。
「……どうしたの?」

 どうしたの、っつーか……
 こ、心の準備とかできてねーんだけど。

 表面上は冷静に、しかし頭の中は何から切り出せばいいものか、すっちゃかめっちゃかになりながらも何とか「ちょっと、話あって」 と繋ぐ。
「話?」
 オウム返ししながらもレックスはちらりと店の方を窺った。
「その……仕事中で」
「あ、ああ、いいよ、後で」
 ここぞとばかりに切り上げて、この場を離れようと杖に力を入れる。腰を上げるのをレックスはすぐさま手伝ってくれたが、しかし歩かせてはくれなかった。
「待って、一人じゃ……」
「別に平気だって」
「でも……ああでも、俺も終わる時間分からないし、待っててもらっても……」
「だからマジでへい」

「レックス、さっきのユグリんトコの注文票って……」
 勝手口の開く音と共に割り入ってきたのは、青い肌を持ったバンガだった。垂れた耳から覗く、左右の小さな目がこちらを捉えると、主にの方を見ながら近づいてくる。
「商品の箱に、一緒に貼っておきましたけど」
「そうか。いや、追加注文があったんでな……」
 そうレックスに返す間も、彼、おそらく道具屋店主のミゲロであるだろうバンガはこっちばかりを見ていた。
「おまえさんがか」
 ふむふむ、と意味深に頷かれ、何となく身構える。
「レックスに用か?」
 用はあったがすっかり帰るつもりだったは、いやぁ……と首を捻りながらモゴモゴし、次にミゲロの問うような視線を受けたレックスも、さぁ……と言いたげに曖昧に首を傾ける。
 見た目には同じ動作をしつつも、互いに目を合わせるようで合わせない。そんなぎこちない雰囲気にか、ミゲロはまた意味ありげに頷いた。その視線は、レックスへ。
「なるほど。今朝から落ち込んでるのはそういうわけか」
「えっ、そ……そんなことないですけど」
 長い前髪を触る仕草は、あからさまにごまかす風にも見えたが……そんなことは、ないんだろうなとレックスの言葉のままに思い直した。落ち込む? きっと不機嫌なのをそう見間違えたんだろう、とミゲロを見たが、彼は自分の指摘がまるで正しいと心得たような顔でレックスにこう告げた。

「品出しも終わったし、ちょっと休憩してくるといい」
「え……でも店番」
 レックスが言いかけたその先は、
「喧嘩の仲直りは早いにこしたことはないぞ」
 豆鉄砲を食ったようになった顔の内側に引っ込んでしまった。
「混む頃合になったら戻ってくれよ」
 そう言って尻尾をひるがえし店内に戻っていくミゲロを、レックスはどこかバツの悪い顔で見送っていた。
 もつられるようにドアが閉まりきるまで見つめていたが、やがて、遠慮がちに振り返るレックスと目が合って、う、と喉をひきつらせた。
 もしかしなくても、帰るという逃げ道がキレイさっぱり無くなっている。

「時間できたみたいだ」
 少しはにかんだが、レックスの視線は自然とから逸れた。
「話って?」
 その姿をどこかそっけなく感じ、朝の、医務室での事務的なやりとりが思い出された。その時の空気まで垂れこんでくるようで、つい、口が重くなる。
 ああ、もう、パッと流れで謝ってしまえば……
 ……でも、いくら謝られたって、散々自己中な態度とっておいてまた助けてくれなんて気分の悪い話だろうな……。
 面と向かうまでにちゃんと意思を固めておかなかったせいで、結局ぐだぐだと迷いがぶり返す。その間に長引きそうになっていた沈黙を、とりあえず断ち切ろうと言葉を継ぐ。
「あー……その」
 本当に継いだだけなのが、ちょっとみっともない。
 それでもまだ、ここまで来といてなんだ! と自分の尻を叩く思いはあった。
 言おう、さっさと、謝っちまえ。
 言い聞かせながら、手のひらのべたつきを上着でふき、ズボンでもぬぐいとる動作を繰り返す。そうやって意味の無い助走をつけている内に……
「あー……」
 着地地点がずれてしまった。

「……服、汚して、悪ぃ」

 きょとん、としたレックスの反応は、正常だと思った。自分でも自分に『謝んのそこじゃねーよ!』 とツッコんだところだ。
 確かに借り物の服は上下共に砂まみれ、上に至っては穴やら血やらでごみ箱行き決定だ。が、そんなことでわざわざ仕事場まで押しかけるはずもない。
 なのに、表情を柔らかく崩したレックスは律義に応えてくれた。
「いいよ、服なんて。それに……」
 少し、言い淀む。
 その表情が徐々に曇り、真剣みを帯びていくのに、動揺した。

 『それに』?
 ヴァンの情報や自分のしてきた予想も相まって、悪い想像しかできずに息を飲む。『もう返してくれなくてもいいから』……とか?
 けれど、そう突き放されても仕方ない。
 自業自得だ、と覚悟を決める。

 ……が、そんなことはいつまで経っても起こらなかった。
「それに肩なんかは、俺がちゃんとトドメを刺していれば、させなかった怪我だし……」
 突き放すどころか、そう悔やむように言ってレックスは俯く。
「ゆうべのことも……謝らなきゃって思ってたんだ。でも朝は、言いそびれて……」
 ごめん。
 やがて彼の口から漏れた謝罪に、心臓が跳ねた。

 ごめん……って。
 それを言わなきゃいけないのはこっちだ。
 ひどいことしたのも、俺。
 なのに、なんで、そっちが謝るん――

 そうやって困惑していたのが、向こうには『ゆうべのことって?』 と訝しんでいるように見えたのか、レックスはおずおずと言った。
「ちょっと……ほら、怒鳴ったっていうか……」
 砂漠でやらかした小さな諍い自体はすぐに思い出した。互いに一言投げ合っただけの、特にレックスのあれを怒鳴ったと言うかは疑問だが、
は、すぐ……」
 砂漠でレックスが咎めるように言いかけ、しかし飲みこんだその続き。癇に障って『……何だよ』 と睨んでも彼が言わなかった続きを、はようやく聞くことになった。
「“別に”って、言うだろ?」

 つい、眉根が寄った。
 ……言ってるか?
 前を見ると、“言ってるよ”レックスは苦笑する。
「そんな……別にすぐ言っては」
 あ、と自爆に気付いたは、大人しく口を閉じた。聞いたことがある、なくて七癖。事実、いつ、何に対して“別に”と言ってきたのかすぐには思い当たらない……が。
は、あんまり自分のこと話さないよね。それでいていつも難しい顔してる。傷が痛むのかとも思ったけど、違うよね」
 それを聞いて、思い出した。
『痛む?』
 手当ての最中にそう訊いてきた時にも、レックスがふと厳しい顔つきになったことを。
 その時も、自分は“別に”と返したんだろうか。

「何か言ってくれれば出来ることもあるかもしれないのに。けど、別にって、関係ないみたいに距離を置かれたらこっちだってそれ以上何も……」
 少し感情的になりかけたのを冷やすようにか、軽く頭を振る。
「……ごめん。そんなの、ただの押しつけだよね」
 そんなこと、と口を挟ませてはくれなかった。

「ゆうべ、砂漠で、帰れるものなら帰りたいって叫んだあれがのずっと抱えてた気持ちなんだと思ったら、自分が情けなかった。……何、自分勝手に苛ついてたんだろうって」

 情けなくなんか、ない。
 好意で助けた奴が俺みたいなんじゃ、苛ついて当然だ。
 お前は何も悪く――

 だが、声にはならなかった。

「一番辛いのは、なのに」
 レックスがそう言ったから。

 ずっと、ずっと、分かってもらえるはずがないと決めつけて一人で不安を押し込めていた、その胸を射抜かれたから。
 目鼻を襲う熱さに、耐えなければならなかったからだ。

 結局レックスは、これでもか、というほど優しいのだ。
 彼が怒っていたのも、落ち込んでいたのも、こうして謝っているのだって、突き詰めれば全部、“のために何かしたい”という優しさからで。
「もし……何か、俺でも力になれることがあったら何でも言って。遠慮は、いらないからね」
 今だって、レックスを直視できないで俯かせた顔を、覗きこむようにしてそんな温かいことを言う。

 呆れるくらいお人よしで、呆れるくらい、自分を心配してくれる彼に――歯噛みする。
 自分の状況はどん詰まりで、三たび差し出されたこの手をもう振り払うようなことはできない。だから今から自分は彼の手にすがる。でも、それはまるでレックスの優しさにつけこんでいるようじゃないか。
 自分が嫌になる。
 “好意に甘える”ことが、こんなにも浅ましくて、泣きたくなるほど苦しいことだなんて、今、初めて思い知った。

 怪我が治るまで、居させてほしい。
 そう声を絞り出す前に、いや……、と考え直した。
「…………でたらめな話だと、思うかもしんねえけどさ」
 それでも、話そうと思った。
 自分の事情を何も言わないまま世話になるなんて、それこそ卑怯で、虫がよすぎて、そんな状況はいくらなんでも心苦しすぎて耐えられそうになかったからだ。

 事故に遭ったこと。
 雪が降っていたはずが、目が覚めれば砂漠で、そこは自分の暮らしていた世界とはまるで違う場所だったこと。
 ゲーム云々という話はどこから説明すればいいのか分からず、それに架空と言われて良い気はしないだろうと思い伏せたが、暮らしていた場所とここが、いかに気が遠くなるほど隔たっているかはできる限り言葉にした。
 元の世界には魔法なんて存在しない。自分だって使えない。
 種族だってこっちで言うヒュムしかおらず、バンガのような喋る二足歩行トカゲがいれば、世界中が大騒ぎだ。
 ええっと、他には……と辺りを見渡し相違点を探す。
 その最中に目に入ったのは、難しい顔をしているレックスだった。

 ……そりゃあ。
 そうだよな、こんなめちゃくちゃなこと……
 の口が次に小さく開いた時には、世界の違いではなく、「……別に」 という口癖が漏れていた。
「信じなくても、いいけどよ」
 
「ちょっと待ってて」
 え、と顔を上げた先で、レックスはすでに道具屋へと走り出していた。やがて、ミゲロか誰かに軽く頭を下げながら店を出てきた彼の手には、折り畳まれた紙が。
 の前で広げられたそれは、世界地図。
「この中に、のいた国は……無いってことだよね」
 控えめに問われたことに、すぐに返事はできなかった。地図に書き込まれた国名が、国名らしきものが、見たことのない文字で書かれていて読めなかったせいだ。
 だが、大陸の海岸線を隅々まで目で追っても、数ある島々を一つも漏らさず確かめても、馴染み深い列島の形を成したものは存在しなかった。
 分かっていたことだが、それでもあらためて気を落ち込ませながら首肯すると、そんなよりもっと辛そうにレックスは眉を下げた。

「……大丈夫。きっと帰れる。来れたんだからきっと戻れるよ」

 昨日の自分なら、何を無責任なことを、と腹も立てたかもしれない。
 けれど、レックスが放つその言葉すべてに“のために何かしたい”という思いが満ちていることを知った今は、嬉しくもあり、それ以上に申し訳無さが胸中を埋める。そして、そこにとどめを刺された。
「それまで、うちにいていいから」
 
 何やってんだ俺。
 それは、こっちから頼まなきゃいけないことだろ。
 それ以前に……結局謝ってすらねぇ。

 こんなに罪悪感でいっぱいなのに、なのに“ごめん”も、“ありがとう”も喉の奥から引っ張り出せない自分がもどかしい。情けない。殴りたい。
 そりゃあ、レックスやヴァンの素直さのひとかけらでもあったなら、そもそも昨晩の一件自体なかったかもしれないわけだが、それでも……

「…………わりぃ」
 頑張って、目頭の熱さを我慢してやっと絞り出したのがそんな礼とも謝罪ともとれない中途半端な言葉だなんて、内心ほとほと呆れてしまう。

 こんなどうしようもない自分でも……いつか、言えるだろうか。
 ちゃんと目を見て、ごめんと、素直に。

 いつか、いつか――帰れる、日までに。

「とりあえず、帰ろっか」
 地図をドア越しに誰かに渡し、戻ってきたレックスの“帰る”は勿論、ラバナスタ居住区の彼らの家を指していた。
 は無言で、頷く。
 そして差し出された手をとった。




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