15. バスの中





 太陽の残光が、瞬く間に薄らいでゆく。
 辺りを染め上げていた赤は山の向こうに追いやられ、闇が加速度的に支配を広げる空の下で、二つのヘッドライトがその存在を示し始めた。大きな観光バス。それに乗るよう、達受験者は指示された。
 マチ、シャルナークに続いてタラップを踏むとまず、少し高い位置にある運転席に小柄な老人が収まっているのが目に入った。制帽を深く被り、胸まで届く長い白髭の上で骨と皮だけの細い両手を組んでいる。眠っているようだが……
 ……このじいちゃん、ちゃんと運転できるんだろうな?

 座席は通路を挟んで両側に二席ずつ、一番後ろが唯一四人がけになっていたが、その一番落ち着けそうな最後列は既に化粧道具の山によって占領されていた。あの露出度の高い女だ。
 手鏡を片手に戦闘態勢ばっちりな彼女を目に余らせつつ、二人がけシートの群れに目を移すと、先に入った受験者はそう多くないにもかかわらず空のシートは数える程しかなかった。皆一人ずつ、バラバラに座っているからだ。
 ったくもう。詰めてくれなきゃ後が座りにくいんだっつーの。
 ……とは思ったが、ライバル関係にある受験者達には無理な要求なのかもしれない。
 ともかく相席を頼めそうな人を捜して車内をぐるりと見渡していると、殺伐とした受験者達の中にふと、手招きが見えた。
 ヒソカだ。
 がそれに気付くと、手招きは自分の隣の空席を指差す仕草に変わった。

、ご指名」
「ご愁傷様」
 揃って茶化し、空いている二人掛けを見つけてさっさと去っていく薄情な後ろ姿をは無言で睨んだが、またヒソカに手招きをされ、その顔を苦笑いに変えた。


 車内はほぼ満席になった。ヘッドライトが遠目に切り替わり、バスは荒れ地を走り出す。しばらくすると一番前にいる案内役が、天井からぶらさがった四角いマイクを手にとった。
「ただ今より、このバスは第四次試験会場へと向かいます。到着は深夜になります。飲み物や毛布も用意しておりますので、ご入り用の際や、その他何かございます場合もお気軽にお申し付け下さい」
 まるで観光ガイドさんだ。
 座席といい内装といい、思えば車内はすっかり旅行気分な観光バスである。パーキングエリアのお土産屋でバイトした事があるは、よくそういう一団を目にし、時にはおばさん方にみかんやお菓子を分けて貰ったものだが──しかし今は、呑気に思い出に浸る気にはなれなかった。

 ……えーと。
 ヒソカさんが通路側に腰を落ち着かせているのは、俺が逃げられないようにするため……というのは考えすぎでしょうか。
 でも事実、ここはまるで牢屋のようです……。

 バス全体に沈黙が降りていた。
 アナウンスが終わってからというもの、車内を支配するのはエンジン音と、整地されていない路面がタイヤを叩く音だけである。
 ただし、の左耳にはもうひとつ、聞こえてくる音があった。
 前のシートの後ろ側に付いている折りたたみ机に、めくっては置き、めくっては置かれていくトランプカードが奏でる音。その単調なリズムは時間の流れを遅く感じさせ、牢にいながらもさすがに退屈さを覚えたはポケットからナイフを取り出し、暇を埋めるようにつなぎで磨き始めた。
 だが、
「ボクのトランプと、どっちがよく切れるかな
こちらを一瞥もしないで呟いたヒソカに、思わず手が凍ってしまった。

 ……ヤダ、俺、この席。

 確実に嫌な色を帯び始めた空気を取っ払おうと、は頭の中を引っかき回し、無理矢理話題を引っ張り出した。
「……そ、そういや、お前とマチ、三次試験クリアするのどっちが早かったんだ?」
「ボク まだ誰もいなかったよ
「……そりゃすげーな」
やっぱりこいつは色んな意味で恐ろしいな、とはあらためて思う。

「やっぱ、ヒソカが選んだ道も分かれ道だらけ?」
「ううん、一本道だった
「え、いいなぁ……じゃ、囚人とかは?」
「さぁ。でも人はいたよ他の道と合流していたからね、最大五人しか進む事のできないドアの前で 居合わせたのはボクを入れて十人

 はつい指を折りまげた。単純だが、とっても不吉な計算問題だ。
 いくらやっても円満な答えなど出ず、結局おそるおそる尋ねてみる。
「……で?」
「殺したよ ボク以外全員

 ……うわぁ、そいつは計算外……。

 九つの死体を後に悠々とドアをくぐる、その場面を想像したが言葉を失ったために、自然と嫌な間が生まれてしまった。そこに蘇ってきたのはさっきの言葉だ。『ボクのトランプと、どっちがよく切れるかな』。そう、一次試験で一人、三次で九人殺したトランプとどっちが──
 寒気に、身震いした。
 ダ、ダメだ……この空気は極めて危険だ……!
 脳内の引き出しはもう開ききっていたが、それでももう一度漁る。漁りまくる。出て来い、何か出て来い、違う話題! 人殺し関連以外なら何でもいいから!
 その願いが通じたのか──
「……そうだ」
 は弾かれるようにある事を思い出した。

「何でお前、俺の事""って?」

 いつの間にか馴染んでしまってすっかり忘れていたが、最初にこの名前を呼んできたのはヒソカなのだ。あの時はトンパが来て訊きそびれてしまったが(そういえばトンパはバスにいない。いつの間にか落ちてしまったようだ。ジュースなんかで悪い事してるからだぞ)、どうして初めて会うなりそう呼んだのか、今思い出しても不思議でたまらなかった。
 ヒソカは、さらりと言った。
「似てるんだ
は息を呑む。

「ボクが子どもの頃好きだった漫画の登場人物に

 ………は……

「はぁ……?」
「ちなみに主人公の友達でね、素直で伸びそうな子なのに、一話で悪の親玉に食ってかかって殺されちゃうんだ
「………はぁ、そう…」

 何だか、気が抜けてしまった。……即死キャラですか、そうですか。
 ヒソカはその後も「もしボクなら、殺さず、美味しくなるまで待つのにな…」と1人楽しげに笑みを浮かべていたが、端から見れば怖いだけだ。
そんな彼とこの会話を続かせようなんて気は起きるはずもなく、自動的に、また沈黙がやってきた。

 もういい、このまま到着までやりすごそう──そう決めこみ、再び聞こえ始めたトランプの音など聞こえぬふりで、運転席の上にかかっているデジタル時計に視点を固定する。そうして数字が何回か変わるのを見ている内に、二日と半日眠っていない事がのまぶたを下げさせ始めた。
 到着は深夜だもんな、ここで寝ておかなきゃ次の試験にも響くだろうし、毛布借りようかな──思いつつ噛み殺したあくびに、隣の、トランプをシャッフルする音が止まった。
「眠いかい?」

 閉じかかっていたまぶたの裏にパッと浮かんできたのは、今横にいる殺人ピエロに殺された受験者の、トランプが刺さった死に顔だった。

「……い、いいや、全然っ!」

 俺のアホ!
 寝てる間に十一人目の犠牲者になる気か、バカッ!!

 手の甲をぎゅうっとつねるの隣で、ヒソカはとても可笑しそうに含み笑いを漏らし……運悪く通路を挟んで座っていた他の受験者が、それにびくっと肩を震わせた。



 *



「どんな会話してるんだか」
 バスの中程から聞こえてくるヒソカの笑い声に、シャルナークは最後列から1つ前の座席で苦笑した。
 三次試験中に度々あくびをしていただが、せっかくの移動時間にもどうやら睡眠を取ることは出来なさそうだ。
 姿勢正しく着席しているためにニット帽が座席からぴょこんと飛び出している。それを眺めながら心の中で大笑いしていたシャルは、ふとマチの視線に気付いた。
 どうやらさっきからずっと、こちらを見ていたらしい。
 何? と首を傾げてみせると、マチは一度前の方を見やった後、口を開いた。

「随分、仲良さそうね」
「ホントにね」
「違う、とあんた」
「オレ?」
 予想外の指摘にちょっと驚いたが、
「ま、半日一緒にいればね」
 すぐに笑みを消して窓の外を見やり、何でもないふうに答えた。

 だがマチの鋭さは、彼女が常備している縫い針並みである。
「それだけ?」
 鋭利に尖った先端が、シャルの、ごまかしがてら頭にやった手をつついてくる。
「あたしには、あんたの方があいつに興味持ってる気がするんだけど」
「そう?」
 きっといつもの"勘"なのだろうが──自分でもその精度の高さを分かっているのだろう、何の迷いも見せず頷く彼女に、シャルは肩をすくめて図星を表すしかなかった。

「もしかして、あんたもあいつの事知ってんの?」
「いいや──」
 あんた"も"、という言い回しに引っかかったが、すぐ思い当たった。それはシャルも感じていた事だ。いきなり名前を押し付けたヒソカは、の事を何か知っているのかもしれない。が、彼の性格を考えるとただの気まぐれという可能性も捨てきれないし、あの道化師に確かめてみたところではぐらかされるのがオチだろう。その辺りの事は広げてもムダ。というわけで、今は純粋に『の事を知っているのか』という質問にだけ答える事にした。
「全然。それに……」
「……何?」
 マチに相槌を許すくらい、「それに」の後は間が空いた。半ば口が滑った感じだった。滑らせてしまったからには別に言ってしまっても構わないのだが、もう少し自分の中に置いて熟考していたかった気もする──そんなちょっとした後悔は、軽く吐いた息と一緒に隅へ追いやった。

「……うん、それにさ。知ろうとしてみても、よく分かんないんだよな、アイツ。だから調子が狂ってるというか、もうちょっと情報が欲しい、かな?」

「分からない? あんたが? あんな分かりやすい奴もいないと思うけど」
 マチのその意見には、ある意味で同感だった。性格上、あんな単純で扱いやすい奴はない。言っては悪いがウボーやフィンクスと同じタイプだ。
 でも──
 頭か、心か……自分のどこかで絡まっている物を紐解くように、シャルナークは今分かっている事を挙げていった。ニット帽と作業つなぎを身につけた青年について。

「一年前から記憶喪失。武器マニア。単純明快で人懐っこい性格」

 突然何さ?と言わんばかりにマチは眉を寄せたが、しばらくして、納得したように首を一つ振った。

「記憶は無いが経験はいくらか生きていて、武器の扱いに長けてるのはおそらくそのせいだ。もしかすると下剤が効かなかったのも、電流浴びても平気だったのも同じ理由なのかもしれない」
「電流?」
 マチが口を挟むも、シャルはわざと答えずに「それか、生まれつきの体質だね」と続けた。これは会話ではなく、情報の整理、つまるところ独り言だからだ。
 諦めたのか、彼女はシートに深く座り直した。
「それから勘の良さはマチ並みで、あとは──」
 言葉を切り、シャルはを、そのシートから飛び出した頭の周りを"凝"視した後、言った。

「念の使い手だ」
 これにはマチも、眼孔を鋭くして頷いた。

「自分では全く気付いてなくて、多分"念"の概念自体忘れてるんだろうけど、体が覚えてるんだろうな、常に"纏"の状態を保ってる。オーラの淀みの無さからしても、結構な使い手だったと推測していいだろう」

「十分、色々分かってるじゃない」
 しばらくシャルが沈黙したのを"整理の終了"と判断したのか、マチが腕を組んだまま口を開いた。
「……あ、それとも、あいつが昔何者だったか知りたいの? それで興味あるわけ?」
「え? うーん……」

 実を言うと、の過去も、何となく察しがついていた。
 今挙げなかった事だが、それを知る材料はあった。地下通路を二人で歩いていた時である。あらゆる音が反響し、増幅するはずの場所なのに──ほとんど聞こえなかったのだ、の足音は。
 体が覚えてる。そこに原因を置くなら、は常時足音を立てないように歩いていたという事になる。
 誰かに気付かれないように、存在を悟られないように音を殺して、歩く。

 スパイや、殺し屋なんかに必要とされる能力だ。

「まぁ、そうかな。何者なんだろうなアイツ」
 マチにはそう濁しておき、シートにもたれた。


 『十分色々分かってるじゃない』
 『昔何者だったか知りたいの? それで興味あるわけ?』


 マチの言う通りなら、もう興味なんて無いはずだよな。
 斜め上空を仰ぎながら、シャルはあらためて思った。頭の中で再確認した後、頷く。そう、もう知りたい事なんて何もない。
 しかし、そうすると感じるのだ。自分の中のどこかで、また何かが絡まるのを。
 出そうとした結論に抵抗するように、ずん、と居座るその感覚。その正体が掴めず、困り果てたように頭の後ろで手を組み、ため息をつく。

 が分からない? そうじゃない。不可解なのはオレ自身だ。

 についての情報は得た、もう十分知って、結論も出てる、なのに──
 どうして、もっと知りたいなんて思うんだろう。
 一体、何の情報が足りないというんだろう。


 窓から、月が見えた。
 闇が深まっていく中、バスは走っていった。






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纏は取得済みらしいです。