2. 自己紹介





 カラザ市。
 その名が付いたカラザ空港は飛行船の離発着が頻繁で、市全体を見ても近代的な建物が多い。中でも中央部はオフィスビルが高さを競うように建ち並んでいて、これらがこの大都市カラザの経済発展を支えているのである。
 ……とまぁ、空港で自由にお取り下さいとあったパンフレットのそんな文章を読みながら、ニット帽と長袖つなぎの青年は、前を歩く十代前半くらいの少年──ナビゲーターについて歩いていた。

 ここはパンフレットには載っていない、載せるわけがないスラム街だ。狭い入り組んだ路地を、生気を失っていたり、ちょっとイッちゃってたりしている視線を浴びながら進んでいき、ある建物の前でナビゲーターは立ち止まった。
「ここだよ」
 えー……。
 思わず口をあんぐりと開けてしまった。
 看板こそかかっておらず、一見するとただのボロい雑居ビルだが……窓からは裸同然の女性が妖艶に微笑み、手招きしている。どう考えても、そこは売春宿だった。
 平然と中へ入っていく少年の後ろ姿に、開いた口はいつしか苦笑いになっていた。あはは、ハンター試験って、結構ユーモアがあるのねー……。

 少年が小汚い受付で「白い肌の娘はいるかい?」と尋ねると、脂ぎった中年店主は一度眉をぴくりと上げて、「沢山いるよ、髪の好みは?」と訊き返してきた。
「黒髪のストレートが最高だね」
 おそらく合い言葉といえど、まだ未成年(少なくとも見た目はそう)の少年にはちょっとオトナすぎる会話である。思わず良心が働いて、「子どもにはまだ早いっ!」と止めにかかりそうだ。
 が、青年は全く気に止めなかった。
 何故って、胸を押し付けて誘ってくる商売女さんを退ける方が急務だったからだ。

 店主の指示で通された部屋に、黒髪ストレートの白人さんの姿は無かった。少しホッとしていると、散らかったベッドの奥の壁の一部が、機械的な音を立てて自動ドアのようにスライドした。
 この先が、試験会場だという。
 ナビゲーターの少年に別れを告げ、青年は現れた階段を下り始めた。



 別れる時ナビゲーターが、ここまで辿り着くのは一万人に一人だと言った事を思い返して、首を傾げた。

 ……確かに色々あったけど、そんな特別な事、俺したっけ?
 飛行船の整備員のおっちゃんと意気投合して、紹介してもらったバスの運転手のお兄ちゃんとまた仲良くなって、そこに乗り込んできた子ども(ナビゲーターだ)にからんできた酔っぱらいとやっぱ仲良くなって……それくらいだけどなぁ。
 っていうか、それより、受験者ってそんなにいんの?
 応募カードとか案内通知とか、それだけでハンター協会の出費すごそうだなぁ。逆に郵便配達会社は逆に大利益ってか。もし試験落ちたら、今度そこでバイトしよっかな。

 階段を下り始めて二十分が経つと、いい加減考える事も浅くなってきた。無意識にため息をつく。
 っていうか、この階段、どこまで続くの?



 やっと最後の段を踏み終えてふう、と息をつくと、その声で近くにいた受験者達が一斉に振り返った。それだけで十数人。人の頭と薄暗さに邪魔されてよく見えないが、奥にはもっと先客達がしきつまっているようだった。
「はい、番号札です。第一次試験が始まるまでもう少しお待ち下さい」
 つなぎの袖をちょいちょいと引っ張られ、小柄なスーツ男に渡されたのは安全ピンのついた丸い札だった。
 299番。
 ニクキューだ!
 ……と、そんなアホな事より気付かねばならない事があった。ようするに299番目の到着。ここには既に298人がいるという事だ。

 ここに来るのが一万人の一人なわけで、299かける事の、299万人? ……郵便会社ボロもうけ! ハッ、受験者達を運ぶ航空会社もか! これぞハンター試験経済効果!
 またまた思考をおバカな方へと走らせていると、真後ろから二人分の足音が階段を下ってきた。
 反射的に、自分がそうされたように振り返る。

「あーあ、もうこんなにいるよ。あたしら何番目だろ」
「だから飛行船にしようって言ったのに」

 男女の二人組だった。
 仲間同士で受けに来るのもアリなんだな、と青年は一人感心した。サポートし合えるのは強みだ。あいにく一年の交際範囲しかない自分には、信頼し合える仲間というのはおらず、少し羨ましく思った。
 ちなみに自分の交友関係といえば、放浪中に立ち寄った街での短期バイトの人間がほとんどだ。はっきり言って、浅い。

「オレは300人目ってわけね」
「301番……何、これ、服につけなきゃいけないの?」

 二人とも若く、自分とそんなに変わらないように思えた。
 男の方は淡い色の金髪。優男といった感じで、やや童顔ながら綺麗な顔立ちをしている。
 女の方でまず目がいくのは髪の色。紫……ピンクと言った方がいいかもしれない。結いそこねたこぼれ毛が、気の強そうな顔にパラパラとかかっている。こちらも美形だ。
 ……と、長く見つめ過ぎたらしい。女の方と目があった。
「何」

「仲間同士で受験する奴もいるんだなーと思って」
 青年はニカッと、歯を剥いて笑ってみせた。
 こういう人懐っこい表情や気さくさは、放浪中で出会った人達によく長所だと言われていた。この会場に辿り着けたのも、他人とすぐ仲良くなれるこの性格のおかげと言っても過言では無い。
 根っからの物なのか、それとも記憶を失ってから身に付いたのかは分からないが……後者の線が濃厚かもしれない。別に意識して明るく振る舞っているわけではないのだが、"会う人会う人みんな初対面"、そんな気構えが人と打ち解けやすい性格にしてくれたのかもしれなかった。

 そんな明るい青年に、女はまだ怪訝そうにしていたが、男の方は爽やかに表情を崩してくれた。
「初めまして。一人?」
「そ。今きたばっかりで知り合いもナシ。ほら、299番」
「お、一番違い」
 男は300番と書かれた番号札を胸につけ、少し上げて見せた。
 青年ほどではないが、彼もまた人当たりの良さを備えているようだった。
 ここに来た途端、突き刺さってきた敵を見るような視線……一握りしか受からない試験だから当然といえば当然だが、ぴりぴりしたムードの受験者達の中、こういう話しやすい雰囲気の人物に出会えると、少し嬉しくなる。
 青年は思わず「よろしく!」と手を差し伸べた。それは快く握りかえされる。
「こちらこそ。オレはシャルナーク、こっちはマチ」
「ちょっと」
 こっちはマチ、と指差された女の眉間の皺が深くなった。
「何勝手に自己紹介してんの」
「いいだろ名前くらい。情報交換のできる人間は多いに越したことないさ」
 シャルナーク、そう名乗った男は笑顔で女に説く。
 もしかして頭脳派なんだろうか。 あまりそうは感じないけどな(かと言って力自慢にも見えないが)──と不得意ながら分析のまねごとをしていると、男はまた爽やかに笑いかけてきた。
「シャルでいいよ。キミは?」

 ……う。

 言葉に詰まってしまった。そうして不自然に空いた間に、シャルナークことシャルは首を傾げた後、フッと笑った。
「ノーコメント?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど」
 この一年、出会った人間は数知れず。そしてその度に同じ質問をされてきたわけだが、大抵はその場のでまかせ、または用意している偽名を名乗った。
 しかし、コイツとは結構ウマが合うかも、そう思った人にまで偽名を使う事に、これまでも1、2度ためらった事があった。
 今と同じように。
 これまでの一、二度の時は、結局正直に事情を話してきた。
 仲良くなりたいなと思ってる相手に、いきなりこっちが嘘をつくのは──間違っている気がしたからだ。
 そして今、シャルナークに対しても、青年はそう思った。

「俺、名前、無いんだよね」

 シャルは少し目を丸くしたが、すぐに顎に指をやり考えるそぶりを見せ、言った。
「親無しってこと?」
「えーと、まぁ本名はあるんだろうけど……忘れちゃって。記憶喪失なんだ、俺」

 ……こんなことを打ち明けて、この後一体何て返ってくるだろうか。おそるおそる反応を窺う。
 ……が。
「でも偽名はあるんだろ? 例えばハンター試験の応募カードに書いたヤツとか」
 シャルは特に驚くでもなく、表情を変えるでもなく、実にさらりと指摘してきた。
「まさか"あああ"なんてつけてないよな? 呼びやすい名前だと助かるんだけど」

 これまでの一、二度は、まず驚かれたり、同情されたりしてきたのだが……
 今度は、こっちが面食らわされてしまった。
 段々こみ上げてきた可笑しさを抑えきれず、青年は口元をやんわり緩ませる。やっぱりコイツ、顔に似合わず冷静な頭脳派なんだ。

 もっと話してみたい。自分の中でそんな気持ちが沸き上がってくる。
 ああ、そういや俺、バイト仲間はいたけど"友達"はいなかったなぁ。
 ──なれるかな、コイツと。

 試験が終わるまでの短い付き合いかもしれない。それでも青年は心に期待を抱きながら、これから彼に呼んでもらう偽名をすがすがしく名乗った。
「アーチ。病院で呼ばれてた名前なんだ。カルテ書くのにも必要だから、身元が分からない患者には、五十音順で人名辞典からつけるんだってさ」
「へえー。じゃ、アー」



 三人の間に、声が飛び込んできた。
 青年、シャルナーク、マチ……聞いただけでその口端が三日月型に上がっているのが分かるような声の発信者は、無論この三人の中にはいなかった。
 ふと二人の視線が自分の背後に注がれているのに気付き、振り返る。
 ああ、コイツの声か。
 そう、すぐに断定できるような三日月型の口が、そこにはあった。

「ボクはキミのこと、そう呼ぶよ いいかい?」






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きっと原作では、シャルはもっと昔にライセンス取ってるんだろうけど……
ウチではこういう設定ということで。