20. 取り引き
『兄貴、仕事?』
ああ。
『またかよ、つまんねーの』
……拗ねるなよ……何か買ってきてやるから。
『マジ? じゃあライキの最新モデルシューズね。忘れたら絶交な!』
ああ……行ってくる。
『いってらっしゃい』
……おかしいな。
いつもは自分の声、聞こえないのに。
それに、もう一つ別の声もする。
『……い、……か……ろ』
誰だ?
『……ろ、、……きろ』
?
それは何?
『……りしろ、』
俺の、名前?
「……い、しっかりしろって。!」
「……あ……?」
いつ開けたかよく覚えていない目で、自分を揺する人物を眺めた。
淡い金髪、大きな目、童顔だが整った綺麗な顔立ち、そう、一見すると優男に見えるが実は驚く程の頭脳派で、その上囚人をひねりつぶせる力もあって……
「……シャル?」
はようやくはっきりと、安堵したような息を吐いた彼の顔を捉えた。
「良かった」
何が?
よく分からないまま、とりあえず起きあがろうとした。が、途端、こめかみの辺りに痛みが走った。小さく呻いて、草がまばらに生えた地面に逆戻りする。
俺……寝てた、いや、気を失ってたのか?
少しずつ自分の状況を認識しながら、今度はシャルの手を借りてゆっくりと上体を起こした。
辺りは真っ暗だ。暗い、森のように見える。生えている木全部が樹齢千年を超えているような、とてつもなく深い森だ。フクロウの鳴き声が聞こえる。夜、らしい。
ゲンコツをぐりぐり押し付けられているような頭痛と、平衡感覚がうまく機能していないような眩暈に額を抑えながらも、ようやくここがどこかをは思い出した。
……ハンター試験の、四次試験会場だ。
「平気?」
痛みが酷いので頭は振らず、声だけで「ん」と肯定した。
「一体、何があったんだ?」
それはむしろ、こっちが訊きたかった。気を失った覚えなど全く無いのだ。
と、シャルがおもむろにある方向を指差した。
「まさかコイツにやられたの?」
そこには、愛用の鞭を足に巻き付けた男が転がっていた。こちらもまた、気絶しているらしかった。
「あ……うん、こいつの事は覚えてる」
頭を押さえたまま、は低く掠れた寝起き声で答えた。
「鈴、奪ったよ、こいつから。で……あれ、鈴……」
確か胸ポケットに、と探るが、空っぽだった。あれ、おかしいな、とつなぎのありとあらゆるポケットに手を当てていくと、最終的に腰の左ポケットから、赤い紐に繋がれた小さな鈴が姿を現した。
……こんな所に、入れたっけな?
疑問には思ったがが、考えても頭痛を酷くするだけだったので納得しておく事にした。
「こいつ気絶させて、鈴奪って……で、その後……」
「その後?」
うーん……と、頭痛と闘いながら記憶の糸を辿ってみるも、駄目だった。"気絶している帽子男から鈴を手に入れた"、そこで糸はぷっつりと切れてしまっている。それが再び結び直されているのは、目の前にシャルが現れた所だ。
どうして気を失っていたか。どんなに頑張ってもその理由を見つける事はできず、は諦めて項垂れた。
「……思い出せません」
「記憶喪失グセ、ついてんじゃないの?」
言い返す言葉が思いつかず、は口をつぐむ。
そりゃまぁ、元から何にも覚えて無くて、今さらそれが一つ二つ増えたところで変わりゃしませんよ。……でもグセっていうのは酷くない?
「とにかく、無事でよかった。鈴も持ってるし」
「……そういや、何でお前、ここに? 鈴は? もう見つけたのか?」
そう訊くと、シャルは首の辺りを掻きながら目を反らした。
「それは……色々あって、まだ手に入れてない」
「マジ? 何で? 俺でさえこうやって鈴持ってんだよ? お前だったらもうとっくに合格しててもいいんじゃね? ……って!」
突然シャルからデコピンをくらい、は額と、ぐるんと揺れた頭を押さえてうずくまった。
「人の気も知らないで」とシャルは不機嫌そうな顔をしたが、あまりの鈍痛にそれを見る事もできなかった。いつまでもうずくまっているに、さすがにシャルも顔色を変えて覗き込んでくる。
「おい、ホントに平気か?」
「お、おう……なんか、頭だけガンガンしててさ。それ以外は大丈夫なんだけど」
「頭……」
顎に指を当て、シャルはそれっきり黙る。
気絶していたとしたら、一体どれくらい時間が経ったんだろう。
沈黙が無駄に時を刻み始めると、そんな焦燥が生まれ、は頭にやっていた手をはずして地面についた。力を入れる。
「鈴、無いなら早く探さねーと……」
だが袖を引っ張られ、またまた地面に戻ることになった。
「大丈夫。マチにも連絡してあるから、来るまでここにいよう」
「鈴、間に合いそうなんじゃなかったの?」
現れたマチは、木の上から飛び降りてくるなりシャルに毒づいた。
「ちょっとしたアクシデント、かな」
「……ま、こっちは助かるけど」
腕を組み、肩をすくめる彼女の勝ち気そうな瞳が、地面に腰を下ろしたままの男たちに降る。
「二人とも無いの?」
「あ、いや、俺は持ってる」
「そう。じゃあこれ」
マチは、帯から赤い紐を抜き出し、投げた。不思議とその鈴は何の音も奏でず、シャルの手の中に落ちる。
休んでいる内にだいぶ頭痛は治まってきたが、それでもまだボーっとしていて聞き逃したのだろうか、と首を傾げるをよそに、二人の取り引きは淡々と進んでいった。
「いくら?」
「そうだね。手間賃込みで五百万にしといてあげる」
「ごひゃ……!?」
思わず叫んだに、一瞬二人の視線が集まる。が、すぐ取り引きは再開した。
「オーケイ。後で振り込んでおきましょ」
「今。ここ電波通じるわよ」
「はいはい……残高どうだったかな」
後ろを向いてケータイをいじり始めたシャルから離れ、マチは、だらしなく座り込んでいるに歩み寄ってきた。
「あんたは鈴、手に入れたんだ。あいつから?」
マチが指差したのは、例によって気を失って転がっている帽子の青年だった。は頷いたが、すぐ付け加えた。
「……多分。よく覚えてないんだ」
「何それ。記憶喪失グセ?」
あはは……それ、二回目。
そこまで言われたらもうそうなのかもしれん、と半ばヤケで笑っていると、振り込みを済ませてきたらしいシャルがこちらへやってきた。それを見て今度はマチがケータイを取り出した。ああ、振り込みの確認か。
「立てる?」
目の前に差し出されたシャルの手を、は掴んだ。目が覚めたばかりの時とは違い、今度はその手の力にはあまり頼らず、ほぼ自力で立ち上がる。
大丈夫だ、二本足で地面を踏める、方向感覚もある。頭の重さも取れてきたし、無いのは記憶だけだ。うん、ある意味いつも通り。
つなぎをパンパンとはらう横で、シャルが落ちているニット帽を拾い上げながら言った。
「よし、とっとと合格しに行くか。マチはどうする?」
「ん?」
液晶画面の光で浮かび上がっている顔が振り向いた。
「一緒に行くよ。こんな森で、タイムアップまで時間潰すのなんてゴメンだし」
「え、棄権するって事?」
が問うと、彼女は当然のように頷いた。
「別に、ハンターになりにきたわけじゃないからね。収益はあったし、もう十分かな」
あっさりそう言い、さっさと歩き出したマチの後を追う形で、鈴を手にした二人も森の出口へと向かい始めた。
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