21. とまどい





 記憶には無いが、何故か脱げてしまっていたニット帽を被り直しながら歩いていると、前を行く二人が同時に振り返った。

、うるさい」

 一斉に言われ、びくっと立ち止まる。
 途端、うるさい原因である物がの胸ポケットで、りん、と音を立てた。何にも保護されていない鈴が転がっているのを一度覗くと、銀髪を帽子にしまい込んでからバツ悪く言った。
「……しゃーねぇじゃん。だって、鳴るんだもん」
「鳴らさないように歩けよ」
「そんな事言われたって……」

 ……あれ、でも、俺があの帽子くんから奪った鈴って、ちり紙と布でコーティングされてなかったっけ。
 なのにどうしてこの鈴は裸なんだろう、と再び胸ポケットを覗いていたがふと顔を上げると、すぐ目の前まで戻ってきていたマチと目が合った。彼女は真っ直ぐ、手を差し出していた。
「貸して」
 言われるがまま鈴を渡すと、マチは左手にくくりつけている針山から針を一本抜き、そして首を傾げるの目の前で不思議な動作をした。
 左手の人差し指から、右手に持つ針をゆっくり離していく。目一杯離すと、今度は左手で鈴の紐をつまみ上げ、そしてその周りに針を往復させた──ように見えた。実際は早すぎて目が追いつかなかったのだ。
 最後に歯で糸を噛みきるような動作をした、その一連の動きはにはまるで"お裁縫チャンピオン"と題されたパントマイムだった。

 驚いたのは、その後だ。
「はい」と彼女が放ってよこした鈴は、の両手の中に落ちても、全く、何の音を発しなかったのだ。そう、彼女がシャルに売った鈴と同じように。
「……て、手品?」
 目をまん丸に見開くに返答したのは、可笑しそうに笑うシャルだった。
「まぁ、そんなトコ」
 だが一方で、マチは何か気の毒な物を見るような目をしていた。
「……あたし、記憶喪失にだけはなりたくないな」





 周囲への警戒を怠ることなく進んでいたの前に、フェンスは案外あっけなく姿を現した。
 0時を回り、制限時間は残り24時間。闇が濃さを増した道中では"鈴を死にものぐるいで狙ってくるヤツ"の存在を気にせずにはいられなかったのだが……思いがけないほどあっさりと森は大きく開け、月明かりを優しく浴びる高い金網がの視界を占めた。

 目と鼻の先のゴールに安心しかけた、その瞬間に、
「気をつけろよ」
 そうシャルが囁いたものだから、はつい「はぁ?」とボリュームを抑えることなく聞き返してしまった。気をつけるって何に? もうフェンスを通るだけじゃん。
 そんなを戒めるように人差し指を口に当てた後、シャルは更に声を絞って続けた。
「合格する寸前の奴を狙うのが、一番効率がいい。鈴を奪って、フェンスの向こうへ飛び込めばこっちのもんだから」
「げ……マジかよ。すげー卑怯」
「そう、そうなんだよ、卑怯だろ? だからオレも──」

 言いかけ、だがシャルは続きを呑み込んでしまった。
 "オレも"? 何?
 の隣ではマチも同じように訝しんでいて、「……あんた、もしかして」と、勘の良さそうな眼を光らせた。
「ここで一回取られたとか?」
「え、いや……」
 図星らしかった。
「そうなの? シャルでもドジるんだ!」
 本屋のバイト中、暇つぶしに目を通した本にこういうのが載っていた。"猿も木から落ちる"、"河童の川流れ"。こういう時に使うんだ、なるほどなるほど、と学んでいた頭にぽかんとゲンコツが降ってきた。
「てっ! 何すんだよう!」
「自分だってぶっ倒れてたくせに」

「……あ、怒った?」
 そう下から窺い見てみると、
「別に」
 シャルは、それはもう綺麗な笑顔を浮かべてみせた。
 怖い。それが逆に怖い。やっぱり怒ってんじゃん。
「わ、悪かったって。それにどんな凄い奴でもそういう事はあるんだから、気にすんなって。河童も木から落ちるってヤツだよ」
「それを言うなら猿も木からだろ? それとも河童の川流れ?」
 ……やばい、シャルさんの笑顔がどんどん爽やかさを増していくよ。

「も、もう、そんな怒んなって! お前が殴るから忘れちゃったんだろ!」
「俺のせいにするなよ、忘れるのはの得意技じゃないか」
「ひ、ひでー! 俺、記憶喪失とは関係ない記憶力は良いんだぞ! 一度会った顔とかぜってー忘れないし!」
「どうだか」
「ホントだって、この一年に出会った人は看護婦さんからバイトの先輩、弾丸一パックおまけしてくれた店の店主さんとか、それから山賊だってしっかりと──」

 口げんかは、そこで強制的に終了させられた。

 闇に覆われている森、その枝葉の一部が激しく鳴った。おそらくは緊張感無く言い合いしているのを好機と見たのだろう、四人の男が高い位置から達めがけて飛び出してきたのだ。

 自分に向かってくる二人分の殺気を感じ、が後ろのポケットに両手を回した時には既に、一足早くマチに襲いかかっていた男が、逆に彼女に殴り倒されていた。
 敵の剣をひらりとかわしたかと思うと、次の瞬間にはミドルキックをねじ込んだシャルを手前に見ながら、は左右の手で2本ずつナイフを引き抜く。
 そして、まだ空中にいた残りの二人へと投げた。



「考える事は皆同じか」
 相手の歯でも折ったのだろう、拳に付いた血を振り払いながらマチが言った。
「ああ、しかもコイツら組んだんだな」
 シャルは自分が蹴り飛ばした男に歩み寄り、その哀れな失神面を眺める。
「互いに鈴を手に入れるまで協力し合うって事なら、探してみれば一人くらい、鈴持ってるかもよ」
 聞いたマチは、そう?とさっそく追い剥ぎ行為を始める。
 そんな二人の会話には加わらず──は一人、呆然としていた。

 目の前には、自分が打ち落とした男が二人、折り重なるように地面に伏していた。
 二人は同じ物を、同じ所に生やしている。
 すなわちが投げたナイフを、左胸と、首に1本ずつ。
 その様に、は激しく動揺していた。

 殺す気なんて、無かったのに。

 さっきシャルに向かって口走ろうとしていた通り、野宿中心の放浪生活では山賊や盗賊の類に遭遇する事が多々あった。が、は一度たりとも、彼らの命を奪った事はなかった。
 別に、不殺生を誓っているわけではない。
 殺らなければ殺られるほどの相手なら、自分もこの身を守るため、躊躇なくその急所に斬り込む事だろう。だが、弱い山賊相手にそんな事をする必要はない。人の命は、どんな人物であろうとも決して軽くはないのだから。
 今も、そうだった。
 太腿や肩口……そんな所へでも命中させれば十分だろうと思い、一瞬の事ながらそこを狙って投げたはずだった。
 なのにどうして──四本が四本とも、そこをはずれたんだ?

「そうだ、一度会った顔は忘れないって事だけど、コイツらはどう? 例えばバスのどこに座ってたかなんて覚えてる?」
 シャルが意地悪く言う声にも反応せず、は立ち尽くしたまま、心臓と頸動脈から血を流し続けている2つの死体と、そして自分の両手をまじまじと見つめた。

 いきなりだったから、手元が狂ったのだろうか。
 いや、ナイフはよりによって全て急所に命中している。言うのも何だが、獲物を息の根を止めるには非常に的確な位置だ、偶然当たった、なんて物ではない。
 かといって自分は、そこを狙ってなんか……
 殺す気なんか……

? 聞いてる?」

 ハッと我に返った。いつの間にかすぐ傍でシャルが怪訝な顔をしていて、は慌てて両手を下ろした。
「え、何? あ、シャルの言った通りじゃん、やっぱみんなここで待ち伏せ攻撃するわけね、なるほど!」
 ごまかすように無理にテンションを切り替えるも、それは彼の眉間の皺を深めさせるだけだった。
「どうした? 何か気になる事でも?」

「あ、あった」
 声に振り向くと、スッと立ち上がったマチの手で鈴が可愛らしく揺れた。
 それに気を取られたシャルがもう一度こちらに意識を戻す前に、は先んじて手をパンッと打ち鳴らした。
「よし、鈴も手に入れられたし、合格しちゃおうぜ!」
 首を傾げるシャルを残し、は足取りを軽くよそおってフェンスを押し開ける。

 やっぱり、急に襲ってくるもんだから焦ったんだ。
 ぶっ倒れてた影響で、上手く狙いが定まらなかったってのも多分ある。で、偶然、偶然あんな所に刺さってしまったんだ──うん、そうに違いない。

 そう思い込もうとした、が、
「ほっほっほっ、見事な手前じゃの」
 突然の明るげな声に、ぎくりとした。

 バスの運転手側の窓から、「よっ」というかけ声と共に何かが飛び出してくる。やがてそれは宵闇を照らすヘッドライトの中へ歩み出て、小柄な老体を浮かび上がらせた。
 運転手のじいさんだ。

 見事な、じゃ無いっつーの。あれはたまたま……
 そう言い返そうとして、しかし、はフェンスをくぐった所で立ち止まり、目を丸くしてしまった。
 あの横柄な態度の曲刀試験官が、妙に丁寧な言葉遣いでこう口走ったからだ。

「か、会長……まだ試験終了まで一日あるんですが……」


 ……かいちょう?






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会長、待つのに飽きた模様。