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 23. 飛行船 2





「思い出した事、ねぇ……」
 脚の長い椅子をギッと後ろに反らし、天井を見つめて考える。が、
「なーんにも」
 椅子をゆらゆらさせながら、ウルズは答えた。


 第四次試験、常闇の森、鈴を探していた時、気配を感じた。
 見つけたのは帽子をかぶった男。
 視界の良い日だまりにナイフを投げ、気を逸らし、鞭で捕らえて吊し上げる。あとは落下させて、失神させた。
 ナイフを回収し、そいつのポケットから鈴を奪って、そして──


 その後の記憶は相変わらずぷっつりだ。
 ただ、あの化粧女……ナナリナ、だったか。やはり彼女の姿が浮かんでは、すぐ暗闇に溶ける。ナナリナに気絶させられたのだろうか。しかし、その経緯や方法は全くもって思い出せない。

 あの時の事でさえこんな状態なのだ。それで昔の事はどうかなんて聞かれても、もう本当にごめんなさいと言うしか──
「……あ」
 ウルズは声を漏らすと同時に、勢いよく椅子を戻した。
「思い出したっていうか……」
「何?」
 食いついてくるシャルには悪いのだが、ほんの小さな事だ。それをまず断って、ウルズは話し始めた。
「夢、見たんだ、多分気絶しちゃってる時に。それがちょっとだけ……前より、ほんのちょっとだけ、はっきりした……かな?」
 いや、やっぱ分かんない、とどこまでも濁す。事実、夢の印象はかなり薄らいでしまっていた。きっと目が覚めるなり飛び込んできたシャルの姿の方が、強く記憶に焼き付いてしまったからだろう。

「夢って、どんな?」
「うん……この一年、たまに見る夢なんだけどさ、多分、昔の事だと思うんだよね」
 ちょっと生意気そうな幼い少年。その子は自分を"兄貴"と呼んで、お土産をせがんだ後、いってらっしゃいと見送ってくれる。でも真っ白なモヤがかかっていて、顔や場所は分からない──そんな夢の一部始終を説明しながら、ウルズはふと気付いた。
 そういえば、この夢の話を他の人にするのって、初めてだな。

「……自覚は無いけど、唯一頭に残ってる思い出か。夢として現れるほど、ウルズにとっては重要な記憶なのかな」
 初めて夢の話をした相手、シャルは何度も頷きながら聞いてくれていた。

 何だか、嬉しかった。

 思えば夢の話にとどまらず、自分の事をこんなに打ち明けた相手というのはシャルが初めてだ。
 土地から土地へ移り続ける生活の中では、数週間もすればさよならをするのが前提の出会いばかり。自分の事情を深く聞かれる事もなく、また進んで話す事でもないと思ったので、いつも外見は明るく、悩みは内にしまってきた。
 それでいいと思っていた。
 話した所で記憶が戻るわけでもないし、自分の悩みは自分で悩む、それでいいんだと思っていた、だから──この試験でシャルと話して、初めて知ったのだ。
 自分の事を話して受け止めてもらう事が、こんなにも嬉しくて、こんなにも安心するだなんて。記憶をなくして、一年間生きてきて……初めて。

 もし、このハンター試験を受けてなかったら、こいつとも会えてなかったんだよな……

「にしても、弟いたんだな」
「え?」
 感慨にも似た気持ちに耽っていたウルズは、その照れくささに顔を赤くしたまま、そしてそれを隠しながら答えた。
「あ、ああ、でも、兄貴って呼ばれてるだけだし……」
「そうだな、子分や舎弟かもしれない」
「……それ、嫌」
 ツッコミを入れたついでに向かい合った顔は、少しの間を置いて、同時に吹き出した。

 笑い合う声が飛行船の通路に響く。
 相変わらず真っ暗な海を描いた窓ガラスに、楽しそうに会話する二人の青年が映りこむ。誰かが通りかかったとしたなら、その人は決して彼らが三日前に出会ったばかりだなんて思わないだろう。

 この試験がどういう結果になったとしても、シャルとは友達でいたい。
 そう、ウルズは思っていた。
 できるなら、試験が終わった後も、ずっと友達で……

 ……あれ。
 友達だって思ってんの、俺だけじゃ……ないよな?
 そんな、つい過ぎってしまった不安めいた疑問が、ウルズにこんな質問をさせた。
「シャルは? 兄弟、つーか家族」

 すぐに返ってくると思った返事は、しかしその予想を裏切った。シャルは肘をついた手に顎を預け、んー、と窓の外を見ながらしばらく曖昧に時を遊ぶ。
 ……まずい事、聞いちゃったかな。
 話しにくかったら別に、とフォローしようとした時だった。それより先に、シャルが海か空か区別が付かない辺りを眺めながら口を開いた。

「いると言えばいるし、いないと言えばいない。多分ウルズの概念からすると、いないんだと思う」

 よく、分からなかった。
 その複雑な言い回しをウルズが理解できていない事を、シャルも分かっているようだった。にこっと微笑み、
「そのうち、ゆっくり話す」
 目を見てそう言われてしまったウルズは、とりあえずそれで納得せざるをえなかった。

 でも、はぐらかされたってことは……もしや俺の友情は一方通行?
 シャルから視線をはずして、ガラス窓に難しい顔を映した。
 ……あ、でもでもそのうちって言うのは、これからも連んでようってことだよな!
 パッと晴れやかに笑う。
 うんうん、そうだそうだ。
 腕を組み、何度も頷く。
 しっかし、そのうち話すなんて何か意味深だなぁ……そのうちかぁ、そのうち話す……話す……

 話す?

「……ああーっ!」

 一人で百面相していたウルズは、突然叫び、椅子を倒して立ち上がった。ネテロ会長に自己紹介していた時以上の大声と突拍子の無さに、椅子からずり落ちそうになったシャルは指を差して抗議する。
「……もう、それ禁止!」
「忘れてた、すっかり忘れてたよ!」
「何、また記憶喪失グセ?」
「ヒソカ! 俺、あいつに話があるって言われてたんだ!」
「……ヒソカに?」
 仕返しとばかりに茶々を入れていたシャルも、その名前には目を丸くした。

「何の?」
「分かんねーけど、4次試験の前に『後で話がある』って言われて……マジで忘れてた、あいつどこかな……ちょっと行ってくる!」
 思い立ったが今、と急いでテーブルを離れ、
「あ、おい」
 呼び止める声にも振り返らず、ウルズは通路の角を曲がる。

 ……が、数秒後、引き返した。
「あのー……ついてきてもらえます? あいつと二人きりは、ちょっと……」
 苦い顔を角から覗かせると、頬杖をついたままのシャルにくすっと笑われてしまった。






 ヒソカは船尾にいた。
 どこかの部屋ででも休まれていたら捜すのに苦労しそうだと思っていたが、その心配は無く、彼はヘアピンカーブを描く飛行船最後尾の通路で、遠ざかっていく景色を背に手すりにもたれかかっていた。
 エンジンの音が一際激しく空気を揺らす中、その姿を認めた途端、ウルズは思わず立ち止まってしまった。
 まるで待っていたかのように、ヒソカの視線と笑みがこちらを向いていたからだ。

「やあ

「……お、おう」
 気後れを悟られないよう、平然としたフリで歩み寄る。
 後ろでシャルが窓際に寄りかかったのが音で分かった。ああ、ちょっと安心感。やっぱ一人で来なくてよかった。
 落ち着きを取り戻したウルズは、対等な関係を誇示するように、真っ直ぐにヒソカを見返した。
「あのさ、四次試験の時、話があるって言ってただろ? 何?」

「ああ
ヒソカは手すりから離れた。
反射的にウルズは右足を引く。
「そうそう、伝言があるんだ
ヒソカが足音を立てて近付いてくる度、ついつい身体を引いてしまう。
情けないと言われても、やっぱりコイツは苦手だ。いや、得意な奴なんていないだろ絶対。

 いたらそいつこそ変人だ、と考えるほどに足が引けていくが、だがぐっとふんばって、戒めるように心の中で首を振った。
 いかんいかん。よくは知らないけど、ヒソカは一応シャルの仲間じゃないか。底抜けに変人で性格の悪い殺人狂だけど、トランプ好きな人に悪い人はいないはず! って聞いた事ねーよ!

 混乱気味の一人ボケツッコミも、あえなく強制終了させられた。知らない内に足下を向いていた視界の中に、つま先の尖った靴が映りこんだのだ。
 驚いて上げようとした顔も、固まった。高い背を屈めたヒソカの、その口元がウルズの耳に触れそうな位置で微笑を作り、さらにウルズの身動きを奪うように、それはゆっくりと言葉を紡ぎ出した。

「"早く帰っておいで"」

「……え?」
 何か言いしれぬ感覚が、ざわり、と内側を駆けた。ハヤクカエッテオイデ? それは、それは──
 同じ声は、再び囁いた。


「イルミが心配していたよ






「──ウルズ?」
 シャルの呼びかけに我に返り、前、そして後ろと振り返った時には既にヒソカの姿は無かった。
「ヒソカ、何て?」
 それでも。
 自分が頭が真っ白になるような感覚に陥っている間にとっくに去ってしまったと分かっていても、左右、そしてまた前後とその姿を捜さずにはいられなかった。

「……ウルズ?」
 訝しげに呼ばれる声も、大音響のエンジン音も聞こえない。
 ウルズの耳にはただ、ヒソカの"伝言"だけが繰り返し響き続けていた。






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やっぱり知ってた人。