25. 勝利条件





 はすぐに、マチに合格の売値、それと貯金額を尋ねたが答えてはもらえず、
「あたしの事より、この次はあんたの試合でしょ」
 そう言われると、
「……そうでした」
 と引き下がるしかなかった。


 そう、確かに他に考えねばならない事がある。
 第二試合、ナナリナ対トルバラが始まって約十分。時計は無いが、大体カップ麺が三つできるくらいの時間が経った頃、マチから離れたは難しい顔でグラウンドにあぐらをかいていた。
 考え事のテーマは無論彼女の貯金額ではなく、この最終試験についてだ。

 三階建て、鉄筋造りのおんぼろ校舎。
 試合はその、ここにいる受験者及び試験官達から隔離された建物内で行われる。隔離と言ってもそう遠くなく、ここから手のひらサイズに見えるくらいの校舎まではせいぜい二、三百メートルといったところだろう。そう、今も何かが倒れる音が聞こえてきたように、校庭の乾いた風が中の様子を運んでくるのには充分な距離だ。
 あの中で戦って、決着が付いたと思ったらそこを出る。
 だが相手も校舎を出てきたら試合は続行。三十分経っても出て来なければようやく勝利が確定するが、相手の命を奪ってしまった場合はそこで失格。

 うーん、と背中を丸めて呻った。
 これではただのルールの羅列だ。問題はそこにどんな必勝法があるか、どうすれば合格できるのかという事なのに、頭はなかなか思うように回ってくれない。
 シャルなら……
 近くでマチと話しているその顔を窺いかけて、慌ててやめた。

 ああ、もう、最後までシャルに頼る気か俺は!

 ニット帽の縁から指を突っ込んで、煮詰まった頭をガリガリと掻きむしる。その手を今度は頬杖にして再びうーんと呻り始めた。最後くらい自分でと、意地で頭をフル回転させる。
 ……勝つ方法……このルールで、試合に勝つ方法と言えば……
 相手を、気絶させる。
 絞り出たのは、四次試験の森の中で帽子三人組の一人に使った手だった。やはりこれが一番オーソドックスで、かつ確実な方法ではないだろうか。ああでも、三十分以上意識が戻らず、かつ死なない程度となると加減が面倒──
 そこまで考えて、はハッとした。
 死なない程度。そう思って投げたナイフが相手を絶命させてしまった事を、まさか忘れたはずがなかった。……もしまた同じような事になれば。過ぎった不安が、校舎から響いてきた破壊音に更に煽られて際限なく膨らんでいく。もし、また──
 首を振った。嫌な想像を打ち消すように。
 あれはついつい手元が狂っただけだ。大丈夫、もうあんな事はない。
 ない……そうは思ったが、手に残る感覚はどうしたって消し去りきれなかった。僅かに残る不安、それから逃げるようには別の方法を探り始めた。

 他……他に考えつくのは、例えば……
 ピンときた二文字があった。
 拘束。
 三十分間相手が出てこれなければいいだけなのだから、何も気絶にまで追い込む必要はないのだ。三次試験で戦ったあの囚人にしたように、この鞭で手足の自由を奪い、身動きできない状態にする。そうして校舎を出ればいい。

 そうか、それだけでもいいんじゃんか。
 手のひらの上で笑んだ。どこかホッとしたのと、調子づいてきた自分の頭を褒めてやりたいのを混じり合わせて、にんまりと。
 その意気揚々してきた気持ちのまま他の方法も考えだそうとしただったが、ふとそれより先に忘れてはいけない手がある事に気が付いた。マチとルーイン戦。戦うのでは無く、話し合って片を付けるという手だ。
 しかし、いざ自分が使えるかと考えてみると、あまり現実的ではなかった。ハンターを目指してここまで残ってきた相手がそう簡単に引くとは思えないし、自分とて、マチのようにまいどありの一言でライセンスを諦めたりするつもりは無い。
 話し合いが役に立つのはせいぜい、散々痛めつけた相手に交渉して、敗北を、つまりこのまま校舎に残ることを誓わせる程度だろう。

 保留かな、話し合いは。話し合い、話──

 話。
 その言葉に行き当たってが頬杖を解いたのは、丁度試合が動いた時だった。
 第2試合を行っていた片方、受験者の中では一番年長に見受けられるトルバラが腕や足に傷を作りながらも単独で戻ってくる姿に、受験者やスタッフの視線は集まる。が、の興味がそちらに向く事は無かった。
 ナナリナを校舎に残した三十分が始まる中、はその表情を硬く変えていた。

 ……ヒソカ。

 それからトルバラの勝利が確定するまでは、とても早かった。今ヒソカを問いつめるべきか、試験が終わるまで待つべきなのか。次に始まる自分の試合ではなく、そんな葛藤ばかりが頭を占めていたせいであっという間に感じたのだろうか。
 答えが出る前に、ミニスカビキニの化粧女ナナリナは、黒スーツの男に担がれて出てきてしまった。だらんと下がった手は鎖鎌を握っているが、しかし彼女に意識はない。"気絶"のパターンのようだ。

 ……それより、あの鎖鎌。
 どこかで見たような?

 ちょっとした既視感。だがそんな事に首をひねっている場合ではなかった。
「では、次は3番じゃ」
 ネテロの声に慌てて立ち上がると、くっついていた砂がパラパラと、落ちたそばから風に吹かれていった。更に砂埃を舞い立ててつなぎをはたいてから右手を挙げてばたばたとネテロへと走り寄っていくと、同じようにする人物がもう一人と目が合った。ただしその動作は、とは対照的に落ち着いていて淀みがない。
 試合相手とおぼしき彼は、より少し高い位置で口を動かした。
「お前か」

 散髪屋へ行くのをオススメしたいボサボサの長髪。同じ色の髭は顎を過ぎてもみあげへ繋がり、汚れた道着と合わせると、その男の出で立ちは今まさに山ごもりから帰ってきたようだった。もしかすると本当にその手の修行を積んでいるのかもしれない。事実、飛行船でモズと名乗った彼の体躯は見事に格闘家のそれだ。
 を横目で見下ろすモズの目には、飛行船内で見せたような敵意が滲んでいた。随分な余裕だな。今もそう言っているような視線に、やっぱやな奴、と睨み返そうとしたが、刹那、別の粘つくような視線がぞくりと首筋を撫でた。
 振り返らずとも予想はついたが、見るとやはりそこにいたヒソカは毎度のごとく──いや、今は意味深とも取れる薄っぺらい笑みをこちらに投げかけていた。

 早く帰っておいで
 イルミが心配していたよ

 ヒソカは伝言と言った。きっと、強調するように一音一音区切るような言い方をしていた最初の言葉が、その伝言とやらなのだ。
 "早く帰っておいで"
 思い出すたび、の心は激しく揺れた。

 そんな事を言えるのは……"俺"を知っている人間でしかないじゃないか。

 本当の名前も、家族も、故郷も、何から何まで失くしてしまった"俺"を知っている人間。この1年、捜しても捜しても巡り会えなかった"俺"を、知っている人間──

 ぐっと拳を握りしめる。昨夜のような気後れなどせず、真正面からヒソカを睨み返す。
 ……待ってろよ、試験が終わったら、絶対聞き出して──

 "早く帰っておいで"

 突然、頭に声が響いた。
 耳から入ってきたのではなく、頭の中の奥深くから湧き出るように聞こえてくるその声に、意識が内側へと引き寄せられる。早く帰っておいで。それはヒソカから聞いた伝言であるはずなのに、今響いてきたのは全く別人の声で、わけが分からず戸惑う反面、何か、何か覚えも──

 我に返ってすぐ、はヒソカを見た。
 今のは──?
 こちらの様子の変化に気付いたのか、三日月型を保っていた口元を怪訝そうに結び直した彼にそう問いかけても仕方のない事かもしれなかった。それでも、
 今のは、誰の──?
 そう訴えずにはいられず、はヒソカを見る……しかし、

「第三試合、モズ対、始め!」

 声がかかって、やむなく視線をはずした。
 ……そうだ、今は試合だ。
 試験官が右腕を上げるのに合わせて揺れた、その腰の曲刀。振り向くとまずそれが目に入り、何となく同じ位置に吊してある鞭に手をやった。その間にモズは先に歩き出してしまったが、は雑念を振り払うようにポケットの中のナイフにも触れる。
 伝言の事を考えるのは、後、後だ──
 目を閉じて言い聞かせる。不意にその後ろから、声援が飛んできた。

「時計用意して待ってるぞ」
 その意味を少し遅れて理解したは、友人の声に自分の心が落ち着いていくのを感じながら、肩越しに笑顔を返した。

 ……サンキュ、シャル。
 絶対、先に出てくるからな。

 そして前を向き、モズに続いて歩き出した。


 かつて校庭だった地面に伸びるの影が、徐々に薄くなっていく。
 上空にはいつの間にか重い雲が垂れ込んでいた。不穏な色をしたそれは青い空を、太陽を隠し、やがて全ての存在から伸びる影が途方もなく大きな影の中に飲み込まれた。






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やっとこさ試合開始。