27. 赤い一閃
雨でも降りそうだな。
そうやって空を見上げていたのが、試合の行方を案じているように見えたのだろうか。隣にやってきたマチが、二百メートル程先の廃校舎を見やったまま呟いた。
「心配するだけ無駄だと思うけど」
「うん、してない」
空模様を眺めるのをやめて、シャルナークは微笑んで見せた。
相手のモズとかいう男は念能力者でもないようだし、綺麗さっぱり忘れているとはいえ念を修得しているが万一にも遅れを取ることはないだろう。
……だけど、四次試験みたいな事もあるからな、あいつは。
中でまた気絶でもしてるんじゃないだろうな、と苦笑いを校舎に向ける。今度は起こしてやれないぞ。
そんなシャルの様子に「してんじゃない」と呆れたように肩をすくめたマチも、再び校舎を──第三試合が始まって二十分、ずっと不気味な程の静けさを保っている試合会場へと視線を投げた。
静かだった。
いつの間にか風も吹かなくなった。体にまとわりついて離れない湿気った空気は、まるでこの場にいる者達に制止と沈黙を強要しているかのようだ。校庭……いや、その外に広がる荒涼とした大地までをも取り巻くこの異様な静寂に、嫌な感じがしないでもない。
常闇の森で倒れていた姿がちらつき、それを忘れるように念じた。
さっさと出て来い、──
その祈りは、突然の硬質な破壊音によって弾け飛んだ。
制止を解かれた人々の中、シャルは目を見はり、
「あ」
マチは沈黙を破る。
壊されたのは校舎正面の昇降口だった。ここからでは少々遠いが、はまっていたであろうガラス戸が外に向かって倒れている事、それから、それを踏み越える人物がモズではない事は充分視認でき、シャルの表情は自然とほころんだ。と、さっきまでの自分が可笑しくなってフッと息を漏らす。
やっぱりマチの言う通りだったな、心配するだけ無駄、か。
曇天の下、それが生み出す巨大な影の中を、作業つなぎを着た青年は歩いてくる。
こちらへ。試合が動きを見せた事に、それぞれ少なからず反応を見せている受験者と試験官達の元へと。
シャルはふと、現在時刻を確認した。どうせ試験官達が計ってくれるだろうが、『時計を用意して待っている』というのが彼との約束だ。
"11:02"。デジタル時計がその数字を一つ進ませた頃、彼はようやくギャラリーの中へと辿り着いた。
「」
呼びかけると、その引きずるような重い足取りがぴたりと止まった。
その表情は俯き加減な上、ニット帽に邪魔されて窺えないが──ああ、腰の鞭が無くなっている。やっぱりあれを使ったんだな。なら首尾は上々だろうか。
それでも相手に苦戦したと見えて、試合前よりも汚れた帽子の下で俯いたままの彼に、シャルはケータイ電話を示した。
「はい、今から三十分。ヘマやらかしたりしてないだろうな」
そう、言い終わるか終わらないかという時だった。
埃にまみれたの腕が動いた。しなった、とでも言うべきだろうか。その速さはまさに、練達した者の扱う鞭そのもののようで──
同じ瞬間、首筋に何かが触れた。
それが何なのか、理解する前にすぐ傍で誰かが地面を蹴った。マチだ。俊敏にの懐へ潜り込み、何を思ったか彼女は鋭い肘打ちをくりだした。
が、はしなりを見せた腕とは逆の手で難なくそれを受け止めると、一瞬の溜めもなくマチを、あのマチを十数メートルも押し飛ばす。
視界からフレームアウトした彼女の「くっ…」と呻いた声を耳にしつつ、シャルはそっと、自分の首筋に指をやった。
離して、見る。
血。
まだいまいち掴みきれず顔を上げると、だらりと佇むの右手に折りたたみ式ナイフが見え、そこでやっと理解した。
あのナイフの切っ先が、自分の首元を一閃したのだ。
ああ、そうか。マチはそれで飛び出したのか。
理解し、首の傷が赤い細線を描いた程度だと認識しても尚そのまま立ち尽くすシャルの前で、再び砂塵が舞い上がろうとしていた。
試合相手でも無い受験者を斬りつけ、また、吹っ飛ばした299番を、
「おい、何を……!」
審査委員会の権限で咎めようとした黒スーツの男三人。
その内一人が伸ばした手は、一瞬にして体から離れて宙を飛んだ。
そいつがそれに気付かない内に、はその姿を消す。二人目の背後に現れるなり、その首を両断。それに使った折りたたみナイフを、ようやく手首から先を切り落とされた事に気付いた一人目のこめかみにプレゼントすると、呆然としている三人目へと地面を蹴った。
そのスピードたるや、たった今彼が放ったナイフにもひけを取らない。三人目の男に後ずさる事もさせないまま、は袖に仕込んだ銀色の刃で、その心臓を貫いた。
もしもそれが他の誰かならば、その無駄のない鮮やかな所業に肩眉を上げ、ヒュウッ、と口笛の一つも吹いてやる所だ。
それが他の誰かなら──以外の人物なら。
しかし、絶命した男達から血塗れの刃を引き抜く青年、そのニット帽と作業つなぎという特徴は見紛いようもない。
でも──なぜ──
目の前の事実を、うまく取り込めない。取り込んで処理できない。全く自分らしくもないが、自分の今見ている物が、信じられなかった。
──?
曲刀を提げた試験官が走り寄り、その死を確認した三つの亡骸。それらに、再び注意を向ける様子も見せず、は気怠げに佇んでいた。
当然、彼に声をかける者もいない。受験者と残りの黒スーツ達は一様に驚き、戸惑い、怖れるような面持ちで足を後ろに退いている。会長は表情こそいつもの惚け顔で何を考えているかは窺い知れないが、やはり動こうとはせず──なので、
ザッ……
悠々と響いたその足音に、皆の視線が集まったのは自然の流れだった。
もゆっくりと振り向く。帽子の下の目、普段の明るさなど微塵も感じられない暗くどこか虚ろな目を、足音、そしてシャララッと鳴るカードの音の方へと走らせる。
その人物の躊躇のない足取り。左右の手に踊るトランプカード。にんまりと上がった口端。それらを認めるなり、シャルの停滞していた思考は弾けた。
「……ヒソカ!」
制止を込めた叫びにも、ヒソカはまるで動じなかった。真っ直ぐへ向かっていく彼の体表で、独特の、禍々しいオーラが騒ぎ立つ。
戦うつもりだ、殺す気で。
そう悟った、その瞬間、シャルは駆け出していた。
後ろに吹き飛んでいく景色の中に一瞬マチが見え、何だかこう言っているような気がした。『団員同士のマジ切れ禁止』
ああ、そうだよな、分かってる、でも──!
キィンッ!
突如轟いた金属同士の衝突音に、シャルは急ブレーキをかけた。
舞い上がった砂煙の向こうではヒソカもその殺気を消していた。水を差された事に明らかな不快感を滲ませるその目は、曲刀を握り返す試験官を……そう、に斬りかかったが、難なく仕込み刃に打ち払われてギリッと奥歯を鳴らす彼を睨んでいた。
常闇の森、そしてこの最終試験を取り仕切る獣のようなその試験官は、曲刀の切っ先でを指した。
「……299番、貴様はこの場で失格だ」
失格。
自分の過去の手がかりを探してこのハンター試験を受けたにとって、それは何よりも辛い通告のはずだった。
だが、今ここにいる作業つなぎの青年は全く表情を変えなかった。ハンター試験失格。その事実がまるで自分には関係ない事のように、首を一つ、こきっと鳴らす。
試験官は眉間のしわを深めつつも、無理矢理押し殺したような声で続けた。
「失格理由は審査側の人間の殺害……よろしいですね、会長」
「ま、仕方あるまい」
その声だけは相も変わらず緊張感に欠けていたが、と試験官、両者の間のぴんと張った空気を取り払うまでには至らなかった。
シャルは思う。もしに味方したら自分も失格だろうか、ライセンスは正直惜しい、でも──
仕込み刃を腕と脇腹とで挟み込み、血を拭うようにゆっくりと引き抜く。
「……まだ殺し足りなそうだな」
などという試験官の皮肉など気にしない風に続いていたの動作が、不意に止まった。
の視線は、試験官が右手の中で器用に回転させる武器に注がれていた。
「……その曲刀」
それは校舎を出てきた彼が、やっと初めて発した言葉だった。
「いいな」
「……!」
シャルは息を呑んだ。常時"纏"の状態を保っていた彼のオーラが、呟きに呼応するように強さを増したのだ。肌が感じる。周囲が一瞬にしてその影響下に置かれたことを。
念能力が使える?
あいつ、まさか、記憶……
そう逡巡している間に、曲刀を握りしめた試験官が先んじて駆け出した。も仕込み刃を構える。切っ先まで引き抜かれ、黒スーツの男の血が拭い落とされた銀色の刃の腹が、きらりと標的を映す。
慌てて顔を上げたシャルの目の前で、みるみる両者の距離は縮まっていき、やがてゼロになったその瞬間──
事態は、一瞬にして収拾した。
右のすねで曲刀を持つ腕を止め、左の指で仕込み刃を受け止めた奇術師──ヒソカ。彼は間髪入れずの腹に、背中まで突き抜かんとする威力の右拳を叩き込みその意識を奪うと、今度はトランプを宙に舞わせた。
「ああああ……っ!!」
高速回転しながら試験管の顔面を抉った二枚のカードにより、事態はまさに、まばたきもさせない内に収束を見せた。
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来年は曲刀×4でカムバック。
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