29. 飛行船 3





「……?」

 目の前に現れた景色が、不思議でたまらなかった。
 半球型の照明が貼り付いているところを見ると、それは天井なのだろう。手を伸ばせば届くんじゃないかと錯覚する程にそれは低く、四隅は視界に収まってしまう程に小さい。
 不思議だった。
 どうして、こんな見覚えのない部屋にいるんだろう。
 体を包む妙な心地よさも不思議だし、それからこの音は何だろう。ごうん、ごうん……と背中を叩く重低音……いや、これは聞いた事がある。そう、これは飛行船の……

? 分かるか?」

 エンジン音を遮った、その人物の顔を見るなりのまどろみは吹き飛んだ。
「シャ……」
 名前を呼ぼうとして、ふと、既視感を覚える。前にもあったな、こういうの。確か森の中で──
 第四次試験、常闇の森。
 二つのキーワードを思い出すなり、の頭の中で一気にここ数日の出来事が溢れ出した。ハンター試験、そうだ、閉じこめられたり、テストやったり、地下やら森やらを彷徨ったり、飛行船で廃校に連れていかれたり──廃校、そう、そこで試合を──

 跳ね上がるように上体を起こした。
 途端、激痛が腹から背中に向かって突き抜け、思わずへそを抱え込むようにうずくまった。柔らかい掛け布団が頬に触れる。あー……、さっきまでの心地よさの正体はこれか。
 ひとしきり呻いた後、痛みに屈したは元通りベッドに沈み込んだ。

 目だけで覗き込んだ腹部には、包帯が派手に巻かれていた。シャツは着ておらず、つなぎも履いてはいるものの、袖は通していない。
 もしかして、と頭にやった手は、少し湿った髪に直接触れた。ずっとニット帽のような適度な圧迫を感じていたが、これも包帯によるものだったようだ。
 そうやって自分をあちこち確認して回るを、じっと、一対の目が見つめていた。

 四次試験の時と同様に、目覚めてすぐに呼びかけてくれたシャルナーク。
 だが気付くと彼は、それきり口を閉ざしていた。
 ベッドとその脇の丸椅子はいくらも離れていないはずなのに、距離を感じるのは気のせいだろうか。

「……えーと……」

 聞きたいことは色々あった。
 だが、異様なくらい真剣な表情にそれははばかられてしまう。
 の指の動き一つまで注意深く観察するようなシャルの目は、三次試験で、五十万ボルトの電流を浴びてしまったに対して見せた物と少し似ていた。

 あの時は、俺がまだ帯電しているんじゃないかと用心していたんだよな……じゃあ今は……何を?

 気まずいものを感じてウロウロと彷徨わせた目が、ふとある物に留まった。シャルの首に薄く巻かれた包帯。自分の事は後回しにして「それ……」と尋ねようとしたが、はすぐに呑み込んだ。
 シャルが、笑ったからだ。

「大丈夫そうだな」
 そう言って姿勢を崩す様子は、何だか安堵しているようにも見える。が……
 一体、何に?

 とはいえ、せっかく笑ってくれたのをどうこうするのも気が進まず、とりあえず「あ、はぁ、どうも」と頷いて返した。
 …一体、何が大丈夫なんだろう?
 戸惑いはすぐには消えなかったが、その後「武器は別室に保管してるから安心しろよマニアくん」と爽やかに揶揄してきたシャルにはもう、さっきまでの"警戒"と取っていいくらいの厳しい眼差しは無かった。

 ……俺の思い過ごしかな?

 遠く感じたベッドと丸椅子の距離も、すっかりその配置の通り、ごく近いものになっている。
 ……やっぱり気のせいか。
 ようやく安心したは、早速訊きそびれた質問に手を出してみた。
「首んとこ、どうしたの?」

「……覚えて、ないのか?」

 これ以上ないほど目を丸くしたシャルに、は悟った。さっきの気まずさが、決して思い過ごしでは無かったことを。





 独特なエンジン音が壁越しに聞こえる、飛行船の狭い一室。元のカラザ市に向かっている事、そして最終試験から5時間くらいが経過している事をまず前置きした後にシャルが語った事実は、を愕然とさせるものだった。

「……ころした?」

 俺が? 試合相手だったモズを?
 そう何度訊き返しても、シャルは神妙に頷くだけだった。
 しかし、信じられない。

 嘘だろ、だって、こてんぱんにやられてたのは俺の方だ。

 『弱いな』『どんな実力があるかと思えば』『殺しはしない』──床に這いつくばい、掴み上げられて聞いたモズの声。それが思い出せる限りでの最後の記憶であり、それ以降は全く思い出せない。だとしたらこう考えるのが妥当ではないだろうか。明らかに劣勢だった自分こそモズに気絶させられて、こうしてベッドにいる、と。
 なのにシャルは、そうじゃないと言う。
 いくら訴えようとも、彼は全て否定し、そして最後にもう一度、強く自分の主張をなぞった。が、モズを殺したのだと。

 あまりの信じがたさに、言葉を失ったまま、背もたれにしている枕に沈み込む事しかできなかった。シャルが嘘を付いているとは思わない、だが、しかし……

 の混乱が落ち着くのを、シャルは待たなかった。そしてその口から告げられる衝撃はもっと、こちらの心の準備など待ってはくれなかった。
「試合相手の受験者を殺し、校舎から出てきたは試験官の一人に斬りかかった。マチの制止も効かず、結局試験官三人がお前に殺された。覚えは?」
 呆然としたまま、首を横に振る。
「じゃあその後、ヒソカに殴られた事は? さっき痛がってたの、多分ヒソカにやられたヤツだと思うけど」
 言われて、おそるおそる腹をさすった。それだけの刺激でずきんと走った痛みと一緒に、覚えがないながらもこれを与えてくれたという奇術師の顔がちらりと過ぎる。
「それでは気絶。ここに運び込まれて手当てされて、五時間後の今、こうしてやっと目が覚めたってわけ」
 ……ヒソカめよくも!と怒るべきか、あの殺人ピエロ相手に命があるだけマシと思うべきか……いや、そんな事はどうでもよかった。それよりも。

「ホントに……」
 うまく動かない口で問う。
「俺、四人も殺した?」

 自分は、一体どんな顔をしてそう尋ねたのか──少なくともシャルに、即答をためらわせるような物である事は確かなようだった。
 彼は数秒、黙ってを見つめていた。
 その後の浅い頷きには、彼なりの気遣いが垣間見えた。が、もたらす衝撃に変わりはなく、打ちのめされたようには視線を落とした。

 俺が、殺した……

 自然と、掛け布団の上に乗っている自分の手が、目に入った。
 右手を裏返す。現れた手のひらを包み込むように握る。左手も、何度か指を曲げ伸ばした後、やはり同じようにした。
 自分の手だ。
 いつもと変わらない、思い通りに動く手。この手が、また、人を殺した。
 人を──

 ぎゅっ、と二つの手を強く握り合わせた。

 殺した事が、ショックなんじゃない。
 何も殺さなくても十分あしらえたのに、命まで奪う必要なんてなかったのに殺してしまった四次試験の受験者。彼らはもう、二度と試験を受けられない……そう思うたびに心の奥深くに後悔が落ちるのは事実で、その上また四人も殺してしまったのだというこの手には、正直嫌悪感すら過ぎってしまう。
 しかもシャルの話からすると、今度はの方から斬りかかっていったのだ。マチが止めようとしてくれたらしいが、それにもかかわらず三人──まるで、ヒソカだ。いかれた殺人鬼じゃないか。
 自分がそんな事をしたのなら、この二つの手がとても恐ろしい。だが、それだけがショックなのではない。
 何よりも、心を抉るのは──

 何も覚えていない事だ。

 シャルやマチに記憶喪失グセとからかわれた頭だが、ヒソカに殴られたせいなのかは知らないがその程度で殺人の記憶までをもすっ飛ばしてしまうなんて、クセどころの騒ぎではない。

 四人、殺したんだぞ。それを覚えていないなんて、そんな事──

 握り合わせた手が、こもる力に耐えきれずにふるふると震えだす。無意識に食い込む爪が皮膚に赤い溝を作り──それを見たせいなのだろうか。シャルが、顔を覗き込むようにして名前を呼びかけてきた。
 ハッとして、慌てて両手を離した。

 今なら分かる。
 目が覚めたばかりの時、なぜシャルが自分に距離を置いていたのか。

「あ、いや……」
 こちらを覗くシャルの視線が、まるで窺っているように見えた。ともすると、次の瞬間にまたそれが警戒の色を帯びそうで、またベッドと丸椅子が離れてしまいそうで──

 そ、そんな事しない! 俺は、お前に斬りかかったりなんか…!

 焦りにも似た思いが、強ばる頬に無理矢理笑顔を作らせた。必死で笑う。必死で、いつもの自分を作ろうとした。
「……あ、あはは、マジで、何にも覚えてねーの。記憶喪失グセもここまでくると、ホントに病気だねこりゃ! 何で、何で、覚えてないんだか──」
 作ろうとしたが、長くは続かず、語尾が次第にしぼんでいく……と、
「ん、そうじゃなくて」
 彼から返ってきたのは予想外にあっさりとした、そして意味の計りかねる言葉だった。

 ……そうじゃない、って?

 シャルは組んだ両手に顎を乗せ、思案するように目を逸らす。その後の言葉を言おうか言わまいか、それを迷っているようだ。
 彼はやがて、目を丸くして待っていたと視線を合わせた。
が寝てる間、ちょっと考えてた事があるんだけど」

 いつもならそのまま"考えた事"を述べそうなものなのに、「聞く?」とこちらの同意を求めてきたのには、その内容に特殊な色を感じずにはいられなかった。はなから拒否するつもりは無かったものの、頷いて返す動作は恐る恐るといったものになってしまう。
 そして受けたシャルもまた、重々しく了解の意を示した。

「結論から言うと……」
 は、固唾を呑んで続きを待った。

「あれは、昔のお前なんだと思う」






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