30. 飛行船 4





「あれは、昔のお前なんだと思う」

 シャルは"結論"としてそう言ったが……首を傾げる事しかできなかった。
 いまいち、いや全く、ピンと来ない。
 顔を斜めにしたままポカンとしていると、まぁ説明を聞いて、となだめられてしまった。

「あの時オレは、校舎から出てきてヒソカに殴られるまで、の様子を見ていたわけだけど……まるで別人だった。雰囲気とか表情だけじゃない。試験官を殺った時のお前の反応速度は、三次試験で囚人と戦った時に見たのとは比べ物にならない物だった。腕力にしても、マチでさえ力負けしてたしね」
「……マジ?」
「うん。他にも上げられる点はあるけれど、とにかく、"オレの目の前で試験官三人を殺した男"は、とは別人だと言っていいくらいの強さだった。いや、実際別人だと言ってしまった方が分かりやすい」

 別人、だとシャルは言うが、それではさっきの説明と食い違う。
 モズと試験官達を殺したのは間違いなくだと言ったのは他でもないシャルであり、彼が起き抜けのを警戒していたのも、だからこそのはずだ。
 ヒソカに殴られたっていう怪我も、こうしてこの腹にある。やっぱり俺じゃないか…、とますます首を傾ぐに、しかしシャルはこう続ける。
は、"ただ自分のした事を忘れただけ"、そう思ってるみたいだけど、オレは違うと思う。あれは、じゃない」
「俺じゃなかったら……」
 誰なんだよ?──問おうとしたが、そこで最初シャルが言った結論と繋がった。

 ──昔の、俺?

「何がきっかけになったかは分からないけど、校舎の中で一時的に過去の記憶を取り戻したんじゃないかな。勿論それも、どの程度かは分からないけどね。で、起きてからのお前の様子を考え合わせると、あくまで一時的だったそれは気を失った事により、こうしてまた消えてしまった、と」

 以上が俺の推察です、とシャルは少し前屈みだった姿勢を戻した。
 逆には考え込むように、背中を丸める。

 ……記憶が、戻った……?


 しばらくして、ゆっくりと枕に身を沈ませた。
 何も覚えていないのだ、困惑は拭い去れない……が、
 ──そう、なのかもしれない。
 それでもシャルの主張は、意外な程にすんなりとの頭に染み込み、そして納得させていった。なにしろ何も覚えていない分、それを否定する根拠がないというのもあるが、それ以上に、自分の中で、『シャルがそう言うのだからそうだろう』という気持ちが大きかったのだ。
 それに考えてみればあの森で、意識を失っていた時に見た夢。あれに少し詳細さが加わっていた事を"記憶が戻った"と考えるなら、こうしてまた同じ事が起こったとしても不思議では──しかしふと、ひっかかった。
「もし、そうだとしたらさ……」
 もし記憶が戻ったのなら。シャルの見たのが、記憶を失う前の自分だとしたら。
 背を枕に預けたまま、部屋の、中空のどこかを見つめたまま唇を微かに動かす。心だけが、酷くざわめいていた。

「……昔の俺って、人殺し?」


「ごめん」
 やや間を置いた後、シャルは、何故だかそう謝った。驚いて振り返る。
「実を言うと、試験中から察しはついてた」
「……昔の俺が、人殺し、だって?」
 シャルは頷いた。
「地下道でも響かないくらい、足音を殺して歩く。そんな習性はスパイや殺し屋でもやっていないと身に付かない。電流や下剤が平気だったのも、職業上の訓練の結果かもしれない」
 そこまで淡々と述べた後、シャルはスッと視線を落とした。
「黙ってて悪かった」
 お前は、昔の自分を知るためにハンター試験を受けてたのにな、とまた謝るシャルを前にしてしまったは、慌てて首を左右に振り、
「ちょ、いいって、そんなの」
 できる限り笑って、言った。
「あんまし、ほら……知って嬉しい過去じゃなかったしさ」

 表情とは裏腹に、心はざわついていた。体の内側、心があるのが心臓だとしたら、その辺りがズキンと痛みを発する。
 なだめるように指の背をそこに当ててやるも、ざわつきは大きくなるばかりだった。
 シャルの言った言葉が、鎖のように巻き付いて離れない。

 殺し屋……

 『シャルがそう言うのだからそうなんだろう』
 その強い信頼が、今は凶器になって鎖の食い込みを強くする。
 俺、人を?
 心臓が軋むほど締め付けられるのを、だが顔には出さないように、は努めて笑った。"殺し屋"の自分をシャルが警戒していたのかと思うと、無理にでも明るく振る舞わずにはいられなかった。
「……俺も、何となく思ってたんだよね。いや、さ、1年前に病院に運び込まれた俺って、体中にナイフやら銃やら、これでもかって程装備してたらしいんだよね。勿論全部本物。ただの武器マニアかとも思ったけど、でも、そっか、やっぱり俺、ヤバイ事やってたんだなぁ」
 言葉を空回りさせながら笑う、その内側で、心は悲痛に叫んだ。


 俺、人を──?


「……あーっ」

 むしゃくしゃしたような声に、は驚いた。ともすると自分だって過去の自分にそんな声を上げたいくらいで、しかし先にそうして金髪をくしゃくしゃと掻いたのはシャルだった。
 はぁ、と苛立ちを吐き出すように息をつき、少し落ち着きを取り戻した所で、彼はこう呟いた。
「やっぱり、ズルイよな」

 ……何が?
 と問うまでもなく、シャルは続けた。
「地下通路だったかな、お前訊いただろ。オレやマチやヒソカが、何の仲間かって。でもオレは答えなかった。家族の事もだ。オレはに何も答えていないのに、オレばかり、のプライバシーに踏み込んでる。自身が知らない事まで、勝手に探ってさ」
 その事が"ズルイ"と言うように眉をしかめる。
 いや、そんな事は、別に全然構わないけど…とが言う前に、シャルはちらりと視線を送ってきた。

「友達って、対等であるべきだろ?」

「……ともだち?」
 思わずオウム返しをしてしまうと、途端、デコピンが飛んできた。
「って!」
「何だよ、オレが友達じゃ不満だって言いたいのか?」
「いえ、そんな、滅相も……」
 おでこをさすりながら、涙目でシャルを見る。
「ないんだけど……」
 目の前にいるシャルは、もう警戒なんてする様子は微塵も見せていなかった。試験を受けていた今までと全く変わらない態度で座っている。こうして話をしてくれて、友達だとさえ言ってくれている。
 ……嬉しく、思う。
 だが今は──"自分"の一端を垣間見てしまった今は、それを素直に受け止める事ができなかった。

「俺、人殺しで飯食ってたかもしんないんだぞ……そんな奴と友達で……」
 友達でいいのかよ?
 そう言い切るつもりだったのだが、目の前に差し出された人差し指によってストップさせられてしまった。指はすっと下へ下がり、代わりにその向こうから、何やら含みのあるような笑みが現れた。
「それ、後でこっちが使わないといけないセリフだから」
「……へ?」
「さて何から話そうか。あ、それとももう興味ない?」
「え、あ……」
 トントンと、少し強引に思えるくらい進めていくシャルに、戸惑いつつも……は結局ふるふると首を振った。
「……んな事無い。聞きたい」
「約束だったもんな」

 あ、と思い出した。
 いつか、ゆっくり話す。
 覚えててくれてたのか。

「じゃあまず出身から」
 嬉しい気持ちを噛みしめるように口を閉じ、は頷いた。
「うん」
「驚かれるのも嫌だったからあの時は言わなかったんだけど」
「うん」
「オレ、流星街の出身なんだ」

「……って、どこ?」
 世界地図を頭に浮かべながら、そう純粋に質問したが見たのは、一瞬目を丸くし、その後思い切り笑い出したシャルの姿だった。
「な、何だよ……俺、行ったことない場所は知らねーもん。どこ?」
 再び質問する間もシャルは笑い続け、ようやく一区切りつこうという頃には横腹まで押さえていた。
「分かってたけど忘れてた。が記憶喪失だってこと」
 驚くも何も知らなかったか、と笑いすぎて滲んだ涙を指で拭く。……なにもそこまで笑わなくてもいいじゃないか。口を尖らせるに、流星街っていうのはさ、とシャルは説明を始めた。脇腹を押さえたまま。

 公式には無人の、廃棄物処分場。
 けれど実際には八百万人強の人間が住んでいると、シャルは言った。
 何を捨てても許され、受け入れられる土地。赤ん坊でさえ、というのを聞いてが「じゃあ……」と窺うと、シャルはさらりと答えた。「多分」
 捨てられて、受け入れられた。そんな人間を含め流星街の全ての住人は他人のような、家族のような不思議な絆で繋がっているらしく、はふと、それがあの時彼の言った抽象的な表現に繋がっているのだと思い当たった。
『いると言えばいるし、いないと言えばいない。多分、の概念からすると、いないって事になると思う』

 確かに、自分が想像する家族とは全く違う。八百万人の住人の、細いようで太い連帯感というのは、今こうして聞いているだけのには理解しきれない。
 でも──
「羨ましいかも」
 が言うと、シャルはどうして?と訊いてきた。
「だって、全然いないよりいる方がいいじゃん、家族」
 帰る家もさ。それらが一切無い中で一年間暮らしてきた自分の事を滲ませながらそう付け足すと、シャルは面食らったようにまばたきを繰り返したのち、ふっと笑みを浮かべた。「やっぱりお前、変わってる」
 そしてこう続けた。シャルにとっての帰る家、本拠地、それをこの街にかまえるのが、彼の属する"幻影旅団"なんだ、と。

「げんえい……りょだん」
「やっぱり知らないか」
 辿々しい復唱に、シャルは可笑しそうに肩を揺らした。
「……だから、そんなに笑わなくてもいいだろ!」
「ごめんごめん。でも、この一年で、本当に全然聞かなかった?」
「有名なの?」
「A級賞金首」
「……え」
 マジ……? と訊いて返ってきたのは、実にさっぱりした返事だった。
「マジ」

 賞金首……つまり、犯罪者。
 それくらいは知っている。ましてそのA級ともなると、捕まれば長期刑はまずまぬがれないという事も、さすがに知っていた(ちなみにそれは、武器だらけの患者を見た病院の医師が、警察にその辺を相談したという経緯を後で聞かされたからなのだが)。
 犯罪……者。
 まばたきも忘れ、乾いた目をまん丸くしてその"A級賞金首"を見つめる……が、笑顔で足を組むシャルに、何か追われたり、それから逃げたりしているような感じは一切見受けられない。
 A級の説明はしなくてよさそうだな、なんてどこか呑気な調子で言うこの青年が、本当にブラックリストの上位も上位に名を連ねるグループの一員だというのだろうか。

「賞金首って……その、何とか旅団って、何やってんの?」
「幻影、ね。一応盗賊集団だから、主な活動は盗み。それと」
 意味ありげな間の後、彼はゆっくりと続きを紡いだ。
「それに付随する殺し」
 殺し。
 ハッと目を見開いたに、シャルはその反応を待っていたように言葉を重ねた。
「だから、俺のセリフだって言っただろ?」
 組んでいた足をはずし、こちらに真っ直ぐ向かうように座り直す。そうして一呼吸置いた後、彼、シャルナークは言った。
 幼げだが綺麗な顔立ちを、更に映えさせるような微笑みを浮かべて。

「オレ、人殺しで飯食ってるけど、こんな奴が友達でいい?」


 嫌だ。
 ……なんて、思うはずもなかった。

 にとって、シャルはシャルだ。
 試験会場で出会って、二人で地下通路を進んで、森で助けてくれて──彼がいなければ、自分はきっと、とっくの昔に落ちていたことだろう。
 今まで誰にも話した事のなかった夢の話、記憶の話。それだって真剣に聞いてくれてどんなに嬉しかったか。
 そして何より、二人で話す事が何よりも楽しかった。

 俺にとって、こいつはこいつだ。
 例え、何をしてきたとしても。これから、何をしようとも。


 ……同じように、思っていてくれているのだろうか。
 シャルも、俺が何をしてきたとしても──


 も、ベッドの上でできるだけ体をよじり、丸椅子のシャルへと向き直った。
 一度ためらうように口を結ぶ……が、意を決した。
「俺、人殺しで飯、食ってたかもしれない。……それでもいい?」
「A級首に聞くなよ」
 即答したシャルも、されたも。
 顔を見合わせるように沈黙した後、同時に吹き出し、堰を切ったように笑い出した。




 試験を受けて良かった。
 俺、今、本気でそう思ってる。

 ──こいつと会えて良かった。




「あ」
 カラザ市の空港へ到着するというアナウンスが流れる中、つなぎに袖を通しかけていたは不意に思い出した事があり、その動きを中断した。
 隣でニット帽を持ってくれているシャルに、尋ねる。
「俺は……試合相手を殺しちゃったから失格なんだよな。でもお前は?」

 シャルは、おもむろにポケットに手を入れた。そこから引っ張り出したのは、手のひらに収まるくらいの薄いカード。一見地味だが、そこに刻まれているのは紛れもなくハンター協会のマークだった。
 これが、ハンターライセンス。
 合格したんだ、と胸が躍る一方、それを知ったのが今になって申し訳ないという気持ちが頭を下げさせた。
「悪い、真っ先に訊く事なのにな」
 その頭が、ぺしっとライセンスで弾かれた。そんな事気にすんな、と言うように。

 急いで袖を通し、ファスナーを上げ、ベッドから降りた。靴が揃えられていたが、は裸足のままで床を踏み──
 右手を差し出した。
「合格、おめでとう」

 それは、快く握りかえされる。
「ああ」
 初めて会った時と、同じように。


『よろしく!』
『こちらこそ』




 窓から見える景色が、下降し始めた。
 試験を受けるために利用したカラザ空港。大きな敷地のその片隅へと、飛行船は緩やかに着陸した。






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殺し屋と盗賊の友情。