33. 念能力
「……何、その、ネンノウリョクって」
初めて聞く言葉を、辿々しく拾い上げて尋ねてみる。が、テーブルを挟んだ向かいの友人は答えてはくれなかった。
「ね、何」
重ねて訊くも、シャルは金属音を鳴らしてスプーンを操り、それを口へと運ぶだけだ。口をもごもごと動かし、そしてまた何も言わないまま次の一口をすくう。ただ視線は、まるでを観察しているようにこちらに定まっているのだが──あまりにもそれが続くので、仕方なくは自分で考え始めた。
「ネンノウリョク……ネン、能力?」
言ってちらりと向かいを窺うも、答え合わせはまだ早いとでも言わんばかりに無言で水を飲まれてしまった。仕方なく、続ける。
「ネン能力……ネン……」
自動ドアが開いて店内にいらっしゃいませの声が響き、店員に案内されて近くのテーブルを囲んだその四人の女性客がやがてメニューを片手にすいませーんと注文取りを呼び止めた頃、やっと長考を終えたが、
「ネンって、年齢の年?」
と口にした予想はおそらくとんちんかんな物だったのだろう。そこでようやくシャルは口を開いた。
「やっぱり知らないか」
「……知らないよ! だから訊いてんだろ!」
開き直るように背もたれにふんぞり返り、ぞんざいにフォークでぐさりと付け合わせのにんじんを突き刺して口に放り込むに、ごめんごめんと大して心のこもって無さそうな言葉を吐きながら、シャルはスプーンを置いて座り直した。
「年齢の年でも、燃焼の燃でもなく、念じるの"念"」
「念……?」
「そう、念能力。オレがについて知っている、最後の一つ」
「え?」
「オレが、お前は強いって言った事覚えてる? マチやヒソカもそれに気付いてるだろうって言った事。それは、がこの念を習得しているからなんだ」
……習得、と言われましても。
ぽかんとしているの、その反応などシャルは予測済みだったようで、「順を追って説明する。まずは念能力の事から」とアンケート用紙をもう一枚抜き出すと、裏にペンを走らせ始めた。
描かれたのは、人の形をした絵。
彼はそのかなりデフォルメされた人型(こういう形のクッキーを見た事があるような)を芯を引っ込めたペン先でなぞりながら言った。
「人は誰でも、オーラと呼ばれる生命エネルギーをその体に持ち、常時微量に放出しているんだ。あの店員も、あのサラリーマンもね。だけどほとんどの場合はそれに気付かず、垂れ流し状態」
店内を指していたペンがテーブルに戻り、コンッ、と人型を叩く。
「これを自在に操るのが、念能力。オーケイ?」
「え、ああ、うん……」
オーラ? 生命エネルギー?
この一年、色々な所を回ってきたが聞いた事も見た事も無い語句に少々戸惑いながら、もう一度さっきペンが指した店内の人たちを見回してみた。
……何を放出してるって?
と、掘り下げたいのは山々だったが、とりあえず「……オッケー」と返した。"順を追っての説明"の、まだまだこれは序の口のように思ったからだ。
案の定、そんな頼りない返事を聞くなりシャルはペン先をカチッと出して、人型の周りを、それに沿うように線で囲み始めた。
「念能力の基本の基本は、まず、垂れ流し状態のオーラを体に留める事だ」
言いながらぐるりと一周させた線は、完全に人型を包み込んだ。
「この技術を、"纏"。これだけでも、普通の人より防御力は随分上がる」
「ふーん……」
半信半疑で相槌を打つに、何故かシャルは苦笑した。それに疑問を覚える前に、シャルは"纏"をしている人型の横に、新たに人型を書き加えた。
「オーラを感じ、留められるようになれば、その放出を絶つ事もできる。これが"絶"。気配を消したり、疲労回復を早めたりする時に主に使用する」
ただの人型を指しながら言った後、その周りに、今度はほとばしるように線──オーラとやらなのだろう──が描かれる。
「逆に、通常以上のオーラを放出する技術。これを"練"。"発"に繋げるのに必要不可欠な技術だ」
「ハツ?」
「そう。まぁ……なんて言うか、それぞれの固有の技かな」
器用にくるりとペンを回した後、シャルはそれを置いた。
「四次試験で、マチがの鈴を鳴らなくしただろ? あれがマチ固有の念能力。詳しいネタは企業秘密。ばらまけない個人情報ってやつだよ」
「あれが?」
三人で出口へと歩いていた、真っ暗な森の中。どうしても鳴ってしまい困っていた鈴をマチに渡したところ、彼女が針を数周させるや全く鳴らなくなったあの時の事は、今思い出しても狐につままれたような思いがするばかりだが……
オーラとかいうヤツで、何かしたのか。
目には見えない不思議な力で。そう考えると、あの摩訶不思議な現象もある意味納得できる……ような気もするが……しかし、なにせ見えないのだ。
やはり手品でも見たような気分が取れないは、「はぁ」と曖昧な返事を零すしかできなかった。
それに、シャルは説明しがいの無さを感じてしまったのかもしれない。うーん、と唸り、「何か、分かりやすい方法ないかな」と考え込み始める。
二人して難しい顔で黙り込み……先にそれを壊したのは、シャルだった。
「それ」
彼はの前にある、使っていないステーキナイフを指差した。
「持って」
言われるがまま手に取ると、シャルは自分の前にある皿やコップをどけ始めた。空いたスペースに、自分の右手を、手のひらを下にして乗せる。
そして言った。
「それを、ここに突き刺して」
「……はあっ!?」
"それ"ってこのナイフで、"ここ"って……シャルの手!?
「なっ、んな事、できるわけないだろ!」
「大丈夫だから。それとも友達の言う事が信用できない?」
「えっ、う……」
そう言われると信じないこちらが悪いようにも思えてくる。が、しかしたとえ食事用とはいえ、肉を断ち切るためにギザギザに加工されている刃先を見てしまうと躊躇わずにはいられない。
「いや、でも……」
やっぱり無理!と引っ込めようとした手から、シャルは痺れを切らしたようにナイフを奪い取った。それを、自分の手の甲の上空に持っていく。
刃先を、下にして。
「え、ちょっ、待っ──!」
思わず立ち上がりかけるの叫びもむなしく、銀色のステーキナイフはシャルの手めがけて突き立てられ──
──る事なく、パキィンッ、と硬質な音を響かせて、柄と刃の分かれ目辺りで真っ二つに折れてしまった。
「……へ?」
当然のように無傷な手で、シャルは床に弾き飛んだ折れた刃を拾い上げ、店員を呼ぶと「新しいのに」と平然と交換を要求する。
目を丸くしながらもナイフを取り替えに戻った店員がやがて新しいナイフをテーブルに持ってくるまで、は目をしばたたかせていた。
ナイフを折ることは、可能といえば、可能だ。
ただしそれは、両端を固定した上で横から固い物で叩き割ったり、あるいは頑強な鉄板に力任せに振り下ろしたりという場合の話であり、真っ直ぐに、人の無防備な手に突き立てたナイフがあっさり折れることなんて──
ありえない。
「……って表情だけど、聞くより、見た方が分かりやすかっただろ?」
新しいナイフをハンバーグの脇に戻しながら、シャルはにっと笑ってそう言った。
「あれはただのナイフ。対してこちらは練を応用する事により、防御力を高めていた。よって、負けるのはあっち」
"練"の応用。
その言葉にぴくりと反応したはようやく、華麗な手品に呆気にとられるばかりの観客の立場から戻ってきた。──じゃあ、これも、念。
「ただしあちらが勝つ方法もある。ただのトランプが人を切り裂く武器になるように、ナイフをオーラで強化すれば、念による防御を打ち破る事もあるいは可能だ」
「トランプって……ヒソカの? あいつも念を?」
「言っただろ、オレもマチもヒソカも、お前の強さに気付いてるって。それは、同じ念能力者だからだよ」
「同じ……」
それって──と、その続きはシャルが繋いだ。
「も、念能力者」
シャルは皿と一緒に片づけていたアンケート用紙を引き寄せた。その裏に書いてある人型の一つ、周りにオーラを留めた"纏"を彼は指す。
「は今、この状態だ。記憶を失う前は"絶"や"練"、それらの応用、そして自分なりの技も持っていたんだろうけど、今のお前はその何もかもを忘れてしまってる。でも、体は本能的に"纏"の状態を保っているんだ。武器の扱い方を、その手が覚えていたように」
人型の絵の周囲を、ぐるりと取り囲んでいる線。それをじぃっと見た後、は自分の手を、腕を、膝を、とにかく座っている状態で見渡せる所全てをまじまじと見つめてみた。触ってもみる。が、普通だ。普通に肌や服があるだけだ。オーラなんて物が体を覆っている気配は無い。無いのだが……
……シャルの言う事が本当なら、今の自分には気付けない、と言った方がいいのだろうか?
自分の体から視線をはずし、は向かいの、肘をついて組み合わせた両手の上の笑みを見た。やや幼めだが綺麗な作りの容貌が描く、聡明で、確信的な笑み。
シャルの言う事は、いつだって本当だ。
「……なぁ!」
水の入ったコップをぐらつかせる程の勢いで、はテーブルに手をついた。
「オーラが見えるようになるのってどうすればいいっ? 念ってやつ、どうやったら使えるようになるっ!?」
ナイフを防ぎ、トランプを武器に変え、鈴を鳴らなくするなんて不思議な芸当もできてしまうという念能力。それを自分も使えたなら、ハンター試験に役立つ事といえばケータイなんかの比ではない。
「お前も念が使えるんだろ、だったらさ──」
身を乗り出し、はやる気持ちのままにそう急くも、シャルはスッと、人差し指を自分の口の前に持ってきた。
……静かに?
仕草に従って口を閉じると、の耳にはざわざわとした、元のレストラン内の喧噪が戻ってきた。それらに首を巡らせた後、なぜ静かにしなければならないのか、まだ掴めないままにとりあえず席に腰を下ろす。
そんなに、シャルは声をひそめてこう告げた。
「念っていうのは、数限られた人間しか使えない力だ。普通の人はその存在を知りもしない、さっきまでののようにね。だから今みたいに大声で念だのオーラだの騒ぎ立てると──」
はごくり、と喉を鳴らした。
「立てると……?」
「頭のおかしい人だと思われる」
「…………」
うん、それは嫌だ。
は苦い顔つきで、静かに水をすすった。それを可笑しそうに見ながら、よけていた皿を元の位置に戻すシャルに、コップを口から離したは必要以上に声のボリュームをしぼって言った。
「……でさ、念能力、お前も使えるんならさ……」
「うん、教えるのは構わない」
は表情を明るくしかけたが、すぐに「ただ」という言葉が続いた。
「ちょっと待ってくれる? そうだな、一ヶ月くらい」
「何で?」
「仕事があるんだ」
「……ああ、もしかして、何とか旅団の?」
「幻影、ね」
苦笑気味に指摘した後、シャルはポケットからカードを取り出した。ハンターライセンスだ。
「これを手に入れたのも、そのためだからね。情報収集を頼まれてる件がいくつかあって、それを片づけた後なら体が空く」
「そっか…」
一ヶ月。その期間を思い浮かべながら、久しぶりにハンバーグを口に入れた。
「じゃあ、俺はその間バイトに明け暮れるかな。一ヶ月もあれば十万くらい何とかなるだろうし!」
「そう、それなら……」
シャルはスプーンをペンに持ち替え、反対の手を催促するように伸ばした。
「さっきの紙、貸して」
言われるままにつなぎの胸ポケットからヒソカのケータイ番号が書かれた紙を手渡すと、その下に新たな数字がさらさらと書き加えられた。
「オレの番号。金貯めて、ケータイ買ったら連絡して」
ひらり、と紙は再び差し出された。
それを受け取るは、ヒソカの番号だけが書かれていた時とはまるで違う感覚を覚えていた。ただの紙切れ一枚が、一万ジェニーの札束何百個以上の価値があるように、自分には思えて仕方がない。
……だから。
友達のケータイ番号なんて貰うの、初めてなんだってば。
大事にそれを胸ポケットに収め、きっちり丁寧にボタンを閉め。は放っておけば浮かんでくる満面の笑みを抑えるように、ハンバーグの残りをまとめて口に放り込んだ。
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番号ゲット。
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