35. 強盗犯
俺ってもしかして、もの凄く……抜けていたりするんだろうか。
そんな事をうっすら感じながらも、落ち着いて目だけを動かしてみる。と、今いるこの狭く細い通路には三人の人間がいる事が分かった。
銃を向けられている自分。向けている黒いパーカーを着た男。それからもう一人は、通路脇の小さな部屋で無惨に撃ち殺されている、警備員服の男性だ。
やったのは目の前のリボルバーだろうか。それとも二回目に聞こえたオートマチック銃? ……それを持つ二人目の人間がいたとして、そっちが殺人犯なのだとしても、どうせ目の前の男とは仲間に違いないだろう。危険性にも、きっと違いはない。
焦点が合わせづらいほど間近にある銃口に、は視線を戻した。
ん、そういや俺って……"テン"ってヤツしてるんだっけ?
一瞬ナイフを防いだシャルを思い出したが、同じ頭の中で、首を横に振った。
あれはきっと、ちゃんと念を使えている上での芸当なのだ。今自分が、こんな至近距離から銃の弾が当たっても平気なんていう事は絶対にありえない。
となるとやはり、ここは不意をついて、入ってきた通用口から逃げるが得策──
ガシャンッ、という大きな音に、不意を突かれたのはこちらの方だった。
ちょっと作戦会議をしている間に、男が銃を構えたまま後ろへ回り、カートを蹴り飛ばして扉を閉めてしまったのだ。そして金を保管する銀行の門たる扉は、ありがたくもオートロック仕様のようだった。 鍵のかかる音が耳に、実に冷たく、響いた。
……やっぱり俺って、抜けてるんだ。
色々と退路が断たれてしまったところを、後ろから銃でつつかれた。前へ歩けという事らしく、二度三度と乱暴にせっつかれ、渋々重く一歩を踏み出す。
「用があるのは金だけだ。大人しくしてりゃ、清掃業者まで殺しはしねーよ」
男は背後でそう言った。が、何のことだかよく分からなかった。"金"は、やっぱりコイツ銀行強盗なんだなと再認識させてくれる言葉だったが、"清掃業者"とは?
首をひねりそうになった時、丁度こつんと靴先に当たる物があった。
木製の棒……モップだ。
下を向いてそれを視認すると、自然と自分の服装も目に入った。作業着。
モップ、掃除用カートに、清掃業者、で、この作業着……
……俺か!!
と口走りそうになったのを、どうにか飲み込み、は再びせっつかれるままに歩き出した。
誤解を訂正しても良かったのだが、じゃあ何だと返されても、自分には"求職中のハンター試験浪人"という難儀な肩書きしか無かったからだ。
つつかれ急かされ辿り着いた銀行ロビーは、天井が高く広々として、シャッターとブラインドさえ下ろされていなければ実に開放感に溢れた空間に違いなかった。
外観と同じくクラシックな匂いのするカウンターに、待合い席。だがそこに人はおらず、奥の壁際に押しやられ、一様に顔を強ばらせている客と行員達の心中は、ロビーに負けず劣らず閉塞しているように見えた。
無理もない。すぐ傍で派手な赤いジャケットを着た男が尊大な態度でうろついているのだから。
格好をつけているのか、寝かせた形で振りかざしている武器はまさにの予想した通りの、大ぶりな自動拳銃だ。ああいうカッコつけた構え方、好かねーんだよなぁなんて観察していると、背中が一際強く突っつかれた。
勢いでつい二、三歩踏み出してしまったその方向で、大人しくしていろと、黒パーカーの男は言いたいようだ。
こらこら、銃はそんな風に乱暴に扱うもんじゃねーぞ、と軽く一瞥してから(ついでにその銃がCP.S50.2インチモデルだとしかと確認してから)視線を前に戻すと、行けと言われた前方の壁に、既に一人の先客がぽつんとうずくまっているのが見えた。
白い三角巾に、汚れても平気な作業服。
明らかにあの掃除用カートの使用者であろう老婦人を見て、黒パーカーがこの方向を指示した理由が分かってしまい、苦笑いした。
……うん、色も似てるし。これじゃあ誤解しない方が無理ってもんだ。
この服装の利便性と問題点を考えながらは鏡のような床をとぼとぼと歩き、ため息を一つついて、掃除婦と新聞ラックに挟まれる形で壁にもたれかかった。
そう、まぁ、人質として。
……何やってんだかな、俺。
世界中の人達に「まったくだ」と頷かれる想像が過ぎった。……それに文句は言えなかった。
事実、壁際で落ち着いて思い返してみると、は銃声を聞いてからそれを突き付けられるまでの自分の行動を、あまりはっきり覚えていなかった。
手にしていたはずの求人情報誌は、一体いつ、どこへ?
……熱に浮かされた、が一番しっくりくる表現だった。例え自分の分身と離れたばかりだったとはいえ、遠くの町に置き去りにしてしまった事に打ちひしがれていたとはいえ、結果この状況ではフォローにもならない。
最終試験まで残ったのは、結局友人のおかげだったのか。一人ではこんなもんなのかとがっくり頭を下げると、ふと隣の掃除婦が目に入った。
自業自得なとは違って不可抗力で巻き込まれてしまった彼女は、若い男達の横暴な振る舞いを前に小さな肩を縮こまらせて、組んだ両手に祈りめいた呪文を吐きかけている。
は男達の動向に目を配った後、音を立てずに腰を屈めた。
どこの御利益のない神様にすがっているのか、震えの一向に止まらないその肩を「大丈夫っすよ、清掃業者まで殺さないって言ってたから」と黒パーカーの言葉を借りながら叩いてやるつもりだったのだが、
「捕まえないの?」
反対側から降ってきた声に、は伸ばしかけた手をびくっと止めた。
強盗犯だと、反射的に思った。ひそめもせず、こんなに悠々と声を発せられる人物など、この空気の張りつめたロビーでは他にいるはずがない。
しかし声と同時に跳ね上げた視線は、強盗犯は二人ともカウンター近くでうろついている事をあっさり確認してしまった。じゃあ?とクエスチョンマークを浮かべるに、未確認人物は再び声を降らせてきた。
「聞いてる?」
犯人じゃない、と思って聞いてみれば、なるほどその声質は、黒パーカーの乱暴な物とは違って滑らかで穏やかだ。人の良さそうな声に誘われるように、それでもうっすらと不審さは感じながらそろっと隣を窺ってみると、まず、黒いスラックスが目に入った。
丸椅子で組んでいる足の上には、見出しが読める程度に折りたたんだ新聞紙が。今の今まで読んでいたのだろうか。ロビーの状況を一瞬忘れさせてくれるような、あまりの腰の落ち着けように、は疑問を禁じえなかった。
この人、本当に、人質……か?
心の中で好感よりも不審さの方が上回ろうとした時だった。
視界の中でスッと新聞紙が動いた。
膝を離れ、まっすぐ縦向きになり、それを摘むしなやかな指先によって、ストン、とラックに落とされる。何となく引きつけられてしまった動作の向こうで、彼が口元に笑みを作るのが見えた。
「あいつらの事、捕まえないの?」
「……はぁ?」
「おい、うるせーぞ!」
突然割り込んできた赤ジャケット男の苛々した口調に、は自分が口を開いてしまった事にやっと気が付き、慌てて手で押さえた。
……って、散々喋ってたのは俺じゃねーじゃん。
真っ直ぐにこちらを睨んでいる自動拳銃の銃口に、ちょっと納得がいかないながらも、は苦笑いとホールドアップを返してみせた。
緊張が走ったロビーに、少しして短い舌打ちが響いた。赤ジャケットの自動拳銃、ワールドアームズ先々月号でピックアップされていたシーズバレーMM52も向きを変え、どうにかやり過ごせた、と判断したところでホッと肩の力を抜く。
そして両手を下げながら、もう一度右隣を仰いだ。笑顔で遠慮無しに喋っていた張本人を、じろっと睨んでやるために。
丸椅子で足を組み、先程新聞を戻した手を膝の上に落ち着かせている黒髪の男。
年は、幼くも見える顔立ちだがよりは上、二十代の半ば程だろうか。白いカッターシャツと黒い細身のスラックスがその落ち着いた雰囲気を後押ししているが、耳たぶを覆うような形の一風変わったイヤリングだけは服装とは少しミスマッチで──いや、そんなものよりも。
男の容姿の中で何よりもを引き付けたのは、とても深い、漆黒の双眸だった。
睨む事など忘れ、額に巻かれた白い布の下で存在をありありと主張する黒に見入ってしまっていた。
「ここに雇われたハンターかと思ったんだけど」
彼が口を動かした事で我には返ったが、何に文句をつけようとしたのかまではすぐには思い出せず、流されるようにぼんやりと相手の言葉に耳を傾ける。
「違うみたいだね。でもそういう気、全然無いの?」
「……え?」
「捕まえる気」
そういえば、最初話しかけてきたのもそんな質問だった、と思い返して、ようやくその道ばたで立ち話でもしているかのような呑気な喋り声のおかげで銃を向けられた事が蘇ってきた。
そうだ、またとばっちりを食うのはゴメンだ。
はしかめ面の横に、カウンター方面からそれを隠すように手を添えた。そしてできるだけ小声で、それらの動作に「あんたもアイツらに目をつけられんのは嫌だろ」という意味を強く込めた上で、質問をはねのけた。
「何で俺が」
「捕まえないの?」
「いや、だから……」
声をひそめないのも頑ななら、質問も然りだ。この男は、何がどうあっても強盗犯をに捕まえてもらいたいらしい。
だから、何で俺?
と、訊き返すとまた同じ質問が返ってきそうだったので、やめた。やめて、代わりにわずかに語気を強めて、こう言い放った。
「捕まえません」
それでこの状況にそぐわない会話は終わらせたつもりだったのだが、男は尚も「何で?」と身を乗り出してきた。 その小首を傾げる様は、"落ち着いた人"という第一印象を180度変えるような人なつっこさを兼ね備えていて……
……いや、フレンドリーな人って、嫌いじゃないんだけどさ……。
は困り顔で、帽子越しに頭を掻いた。
赤ジャケットも黒パーカーも、カウンターの奥にご執心のようだった。もうちょっとくらいなら大丈夫そうだ。は再び口に手を添えて、黒パーカーの言葉を引用した。
「金さえ盗ったら出てくって、言ってたしさ。ほっときゃいいっしょ」
わざわざアクション起こして、流れ弾が壁際の誰かに、なんて危険を冒す必要はない。静かに待って済むなら、それが一番。
そんな続きも全部小声で伝えると、男はまぁ一理あるというように身を引いてくれた、が、足を組み直した後「でも俺は困るんだよな……」と小さく呟いた。何か、急ぎの用でもあるのだろうか。何にしても彼が自ら黙ってくれたのは良いことだ。
耳にはせわしなく歩き回る赤ジャケットの足音しか届かなくなった。しばらくはこの静寂の中で休憩か、と自分も前を向いてあぐらをかこうとしたが、ふと、丁度片膝を立てた姿勢で動きを止めた。
隣の男の、端正な横顔を仰ぎ見る。
──そういえばこの人、いつから隣に?
微かに浮かんだ疑問は、鋭い破裂音と一緒に弾け飛んだ。
音で直感した通り、視線を走らせた先では黒パーカーのリボルバーが白い煙を上げていた。遥か頭上の天井に、よく見ると穴が空いている。
どうやら一部の行員が不穏な動きをしていたらしく、少し短気な性格らしい赤ジャケットがその二人に銃を振り回して吠えていた。
……だから、撃退とか考えないで、大人しくしてればいいのにさ。
隣の男も含めてそう思った矢先だった。壁にもたれようとしていた背を、は引き剥がした。別の若い行員が、見つけなくてもいい隙を見つけ、しなくてもいい突進を行ったのだ。
あっ、と口を開きそうになったが、意外にも無謀なタックルは成功した。
勢いに押されるまま下敷きになった赤ジャケットの手は開いて、脅威の源である自動拳銃は床に放り出された。
からから回転しながら、鏡面のような床を滑っていくスピードは衰えない。そのままいけば女子行員の足下だ。この形勢逆転劇にはさすがに腰を浮かせてガッツポーズをしそうになったが──
「……!!」
固めかけた拳もそのままに、は目を疑った。
拳銃が、宙を舞うという光景に。
「あーあ、失敗した」
状況は、隣の黒髪が呟いた通りである。
機敏に走り込んできたもう一人の強盗犯、黒パーカーのごついブーツによって拳銃はあらぬ方向へと蹴飛ばされてしまったのだ。
ガツンッ、とカウンターにぶち当たって再びこちらへ転がってきた銃は、同じ男によって今度は踏みつけられ、停止した。その際のガキッという音は、おそらくブーツの底に鋲でも付いているのだろう。二つの乱暴な音が、の目と、心臓を突き抜けた。
……なっ……
同じ頃、赤ジャケットもタックルを見舞ってくれた行員を蹴り飛ばしていた。「てめぇよくも!」と怒鳴る後ろから黒パーカーに無造作に拳銃を放られ、ついでに「油断してんじゃねーよ」となじられて彼の心中は更にいきり立ったようだ。
気にくわなそうに眉間に皺を寄せ、奥歯をギリッと軋ませる。
しかしそうしているのは、赤ジャケットだけではなかった。
ふと隣に視線を落とした黒髪の、妙なイヤリングの男が首を傾げたのは、その黒い瞳で見たからだろう。
同じような形相をした作業着の青年が拳に血管を浮き上がらせ、その一瞬後、陸上競技でもするように床を思いきり強く蹴ったのを。
「……捕まえないんじゃ、なかったのか?」
彼がそう呟いた時には既に、の右足は黒パーカーのこめかみにクリーンヒットしていた。
派手に倒れ込んだ標的の傍らに着地し、
「謝れ……」
ゆらりと立ち上がったは、ただただ怒りに突き動かされていた。
大人しくしていれば済むという判断も、周りの人質たちへの配慮も、左隣の掃除婦への気遣いも右隣のお喋り男への煩わしさも、全部全部吹っ飛んで真っ白になってしまう程の怒りだ。
足蹴り。踏みつけ。
……ふざけんな。
「……謝れ、シーズバレーMM52に……っ!!」
作業着の青年が叫んだ瞬間、ロビーはあらゆる意味で静まりかえったという。
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前回に続いてマニア落ち。
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