36. 金庫室




「……は……?」
 起こった事があまりに突然すぎたためか、気の抜けた声を漏らす赤ジャケットを着た強盗犯。そんな彼と同じく豆鉄砲を食った鳩のような顔をしている行員達の視線が集まる中で、
「……謝れ! 今すぐ! 土下座して!」
 は一人、跳び蹴りをくらって床でぴくぴくしている黒パーカーに激昂し続けていた。
 あまつさえその背を「シーズバレーの痛みだ!」とげしげし踏みつけるの、その怒りの理由など、周りは全くもって分からないに違いなかった。分かる人がいれば、きっとその人も武器マニアだ。

 しかしさすがに黒パーカーの手足が何度目かに跳ね上がった頃には、赤ジャケットもこれだけははっきり認識したようだった。仲間が、蹴り倒されたのだ。
「て、てめぇ!」
 奮い立って構えたのは、黒パーカーによって蹴られ、踏まれ、そして持ち主の手元に戻った大ぶりな自動拳銃、シーズバレーMM52。彼はそれを、突然の反逆者に見せつけるように突き出した。
 片腕の先で、横に寝かせた形で。
 ……それがまた、の地雷を踏む事になるとは露と知らずに。

「……こんの、素人め……」
 ゆるりと顎を上げたの、帽子の下の目はしっかりと据わっていた。
 思えば"それ"は、最初見た時からマニアとして気に入らなかった事だ。まして一度キレてしまった今となってはスイッチが入るのは簡単だった。
「映画か何か見たりして、横撃ちがカッコイイとか思ってんだろうけどなぁ……」
 歯の奥で震えていた声は、次の瞬間。
「それって、ありえねーんだよ!!」
 目の見開きと共に、ロビーの隅々にまでこだました。

「そんな構え方じゃ撃った時の反動抑えきれないし、そしたらいくら性能の良い銃でも狙いは外れるし、大体薬莢だってその向きじゃ顔に向かって跳ねんだろうが! ちょっと考えれば分かんのにカッコばっか気にしやがって性能を最大限生かしてもらえない銃が可哀想だとは思わねーのかこのやろう!!」

 とどめとばかりにビシィッ!と人差し指を突き付けたを中心に、ロビーは再び水を打ったように静まりかえった。
 言うまでもなく、唖然としているのだ。

 やはりこのロビーには他に武器マニアはいないらしい、が、賛同者がいないからといって熱弁をやめるではなかった。もとよりキックを見舞った時点で、行員達の存在など、その身の安全も含めて頭からすこーんと抜けているのだ。
「ましてや銃を踏みつけるなんて、そんなのは問題外だっ!」
 ヒートアップするテンションのままに容赦なく右足に体重をかけると、その下で黒パーカーが「ぐあっ」と蛙のような声を出した。
 それでも更に足をぐりぐりねじり、「シーズバレーはもっと痛かったんだ!」とが鬼の形相で真下を向いたのを、"隙"と見たのか、
「わ、訳分かんねー事、言ってんじゃねえぞ!」
 相変わらず銃を寝かせて構えている赤ジャケットは、荒い気性のままにそのトリガーを引いた。
 だんっ、と低い破裂音と共に、女子行員達の悲鳴がわき起こる──が、高速で吐き出された弾丸はてんであさっての方向、の遥か上を通過してロビーの壁へとめり込んだ。
 沸々と、怒りが沸いてくる。

 だから……
 それじゃ狙いが定まらないって言ってんだろーが……!!

 赤ジャケットがろくでもない構え方のままもう一度引き金を引く前に、ボルテージの上がりきったはその懐へ潜り込んでいた。
 こういう奴が大概見せる、銃に頼りすぎてがら空きになっている腹へ肘打ち。力の緩んだ腕を蹴り上げて銃を空中へと放り出させると、とどめにもう一発、彼が意識を飛ばしてしまう程の回し蹴りを脳髄へと叩き込む。
 小さな呻き声を空中に残し、既に夢の世界に旅立ちながら床に倒れ込んだ犯人に人質達から「おお……」と小さく歓声が上がるが、知ったことではなかった。
 は残る一人、上の重しが無くなって、手を付いて立ち上がろうとしている黒パーカーへとその目を向けた。

 ……てめーは銃を踏みつけた張本人だ。

 なんていう怒りの声を読み取ったかどうかは知らないが、やっとの事で両足で床を踏みしめた彼はびくりと肩を震わせ、焦りを帯びた表情でジーンズのポケットを二、三度まさぐった。が、すぐに諦めた様子を見せてその手で武器を構えた。
 カッコつけな赤ジャケットとは違い、きちんと両手で固定された小型のリボルバー拳銃。それを認めたはちょっと感心しつつも、直ぐさま横へと跳ね、そのままロビーを走り出した。
 ぱんっ、と銃弾が床を穿つ。次弾はソファ、その次は受付カウンターと、なかなか正確にを追ってくる。すぐ傍で空気がひゅんと呻ったのを聞きながら、はカウンターの内側へと身を滑らせた。

 向こうは飛び道具、対してこっちは丸腰だ。
 何か武器は……と。

 一時止んでいた銃声は、弾を装填する音の後、すぐにまた鳴り響いた。
 カウンターの上から銃弾に弾かれたペン立てが転げ落ちてくる中、目に付いた物を2つばかり手に取り、直後、六発目の銃声が響いたのをきっかけには飛び出した。月刊ワールドアームズは、総弾数情報もばっちりだ。
 案の定、再び弾切れに陥ってしまっている黒パーカーに、がサイドスローのフォームで放ったのは円形の物体だった。すなわち、事務机の下に落ちていた携帯用灰皿。高回転を加えられたそれは見事にリボルバーを弾き飛ばし、に黒パーカーとの距離を詰める隙を与えてくれた。
「がは……っ!」
 みぞおちに重い蹴りを食らった黒パーカーは軽々と吹っ飛んでいった。
 背中を強打したのち、痛みに歪んだ顔が壁に沿ってずるっと崩れ落ちていく。その様子を見ながら、人差し指でくるくる回していた物をがさっきと同じフォームで投げ放つと、
 カッ
 小気味よく、とどめの音が響いた。




 首に触れるか触れないか。黒パーカーのそんな位置に突き刺さったのは文具用のハサミだった。
 自分の冷や汗を映してきらりと光る二本の刃を、下あごを震わせて見つめるしかできない彼を余所に、はリボルバー、ついで意識の無い赤ジャケットの手元から自動拳銃を拾い上げていた。
 よしよし痛かったな、と靴で踏まれた汚れを袖で拭ってやっていると、沸騰していた怒りは徐々に鎮まってきた。あれだけ言いたい事を言い、思い知らせたい事をぶつけまくったのだから当然だろうが、それでもまだ、すっきりするにはまだ足りないものがあった。
 謝罪だ。心からの謝罪の言葉を聞くまでは、このシーズバレーの恨みを晴らしたとは言えない。

「おい、こら。謝る気に……」
 言いながら振り向くと、黒パーカーは先程の勇敢な行員たちによって取り囲まれていた。正気に戻る間も与えられないまま組み伏せられた彼に、口を閉じたが思ったのは、今更ながら、こんな当たり前の事だった。
 そっか、あいつ、銀行強盗だったんだよな……
 それからハッと手の中の二丁の銃に視線を移し、テンションの下がりきった頭で自分の行動を顧みてみるまで、そう時間はかからなかった。

 ……もしかして、俺、また……

 やったのか、と、自覚しきる前にの手はもう額に押しやられていた。
 ああ、確かに壁際から、今いるロビーのど真ん中へ飛び出したその瞬間の事は……そんな、よく覚えていない事の説明はちょっとできない。
 ……俺には記憶も無ければ、学習能力も無いのか。
 自己嫌悪、というより自分への情けなさに、床に膝と両手をつきたい衝動にかられていると、後ろから「あの」と、おずおずとした女性の声がした。
「ありがとうございます……!」
 緊張から解かれた反動なのか、泣き顔のような笑顔で頭を下げる女性行員の後ろでは、赤ジャケットもまた元人質達によって拘束されようとしていて、いつの間にかロビーには和やかな空気が流れつつあった。
 目をしばたたくの前に、再び女性行員の笑顔が現れる。
 悪い気は、しなかった。
 こんな事で気分を持ち直すなんてあまりに単純で、我も周りも忘れてしまった阿呆な自分に対して本当はもっともっと激しく反省すべきなのだろうが、だが……
 ……結果オーライ? で、いい、のかな?

 それを肯定してくれるように、他の元人質達もわらわらと笑顔で駆け寄ってくる。
「すごいな、あんた!」
「君のおかげで助かったよ」
 彼らの笑顔に、反省は……後でちゃんとすればいいか!、と単純に気分を持ち直す事にしたの耳に、ふとこんな感嘆の言葉が聞こえてきた。
「清掃業者とは思えないよな」
「いやぁ、全くだ。でもこんな若い人いたかな?」
 ……それはもういいっての。
 そろそろ本当に抗議すべきか、苦笑いで考えかけたが、不意に何かが頭の中でひっかかった。何が、何に対してひっかかりを覚えたのか。それを突き止める前に、意識は突然鳴り響いた電話の呼び出し音へとさらわれてしまった。

 和らぎかけていたロビーの雰囲気を切り裂いた音はどこかおもちゃじみていて、銀行の固定電話では無さそうだった。反響の中できょろきょろと発信源を探す内、自然と辿り着いたのは、床に取り押さえられている二人の強盗犯の内の黒パーカーの方。
 そのジーンズに、見覚えのあるしなやかな指先がスッと伸びた。
「仲間からかな?」
 ポケットから着信音をまき散らすケータイ電話を引きずり出したのは、あの──何故か片手にモップを携えている──黒髪黒目の男だった。

 こうして他の人間の中にいるのを見ても、存在感が際だっているように感じるのは果たして美形だからという理由だけだろうか。思い出された彼の黒い瞳に、つい電話の事を忘れそうになったを、近くにいた男性行員がこう説明して引き戻してくれた。
「五人なんだ、押し入ってきたのは」
 彼の話では、この赤ジャケットと黒パーカーが人質達の見張り役としてロビーに残り、その他の男達は、責任者に位置する年配の行員に先導を命じて地下の金庫室に向かったという。つまり強盗犯はあと──

「あと三人」
 割り込んできた声の方へ向き直った瞬間、ずっと鳴り響いていた呼び出し音が、ぴたりと止んだ。
 広いロビーに電子音の余韻と、沈黙が広がる。その中心で、黒髪の男は平然とした様子で鳴らなくなったケータイを手に収めていた。

 目が合った。向こうがわざと視線を合わせてきたのだ、その親指を、ケータイの保留ボタンに押しやったまま。そう、彼が電話を切ったのだ。
 ……って、ちょ、そんな事したら──
 "そうだね、電話の相手が下の奴らなら、不審に思って上がってくるね"……黒髪の男は口を結んだまま笑みをたたえているが、その目はまるでそう言っているように思えた。
 確信犯的な態度に、一番初めに聞いた、彼の声が蘇る。
 "捕まえないの?"

「……っと!」
 突如眼前に迫ってきた物を、は慌てて受け止めた。
 そのせいで取り落としてしまった二つの銃も床に着く寸前でどうにか掴み取り、ホッと息をついた後でようやく、受け止めた細長い物がモップだったという事に気が付いた。そして放り投げてきたのが、黒髪の彼だという事も。
 いきなり何だ!と文句を言おうとしたのも束の間、
「これは預かっておくね」
「へ?」
 いつの間にかすぐ目の前に立っていた彼の手に、これまたいつの間にかさっき自分が掴み取ったはずの二つの銃があって、は軽く混乱した。が、これだけははっきりと分かった。つまりはやはり、彼はこう言いたいのだ。"この調子で、残りの退治にもいってらっしゃい"
 ……この、モップでか?
 元は誰の物だったのか、考えなくても分かるような代物と、奪われてしまった銃とを交互に見やるに、彼は目ざとく微笑んだ。
「流れ弾は困るから」

 ああ、確か行員が一人連れてかれたんだっけ……
 犯人の前でくつろいだり電話を切ったり、かなり迷惑な人だけどそれなりに人の事を考えているんだな……そう納得しかけるも、「いや、俺は」とはモップを突き返そうとした。
 さっきのあれはまぁほぼ自分のためであって、結果オーライとは言いつつも深く反省すべき事柄であって、そもそも強盗退治なんてするつもりはこれっぽっちも──
 しかし、は周りの視線に気が付いた。
 心からのお礼を述べてくれた女性行員、大げさに褒め称えてくれた客達、その誰も彼もが今、願いと期待を込めた視線でを見つめている。
 いや、そ、そんな目で……
 モップを盾にしてたじろぐが、その分だけを囲む輪は狭まった。

 そんな目で、見ら、れても……





「お前も横撃ちか、このやろーっ!!」

 吠えながら、は地下へ続く階段の、最上段から飛び降りた。
 階下からの銃弾は堂々と空中を飛ぶ体を掠めもせず、天井や手すりばかりを穿つ。あげくに弾切れを起こした銃の引き金を、それでもがむしゃらに引き続ける小太りの強盗犯と同じ高さに降り立つなり、接近──
 いや、そう近付く必要はなかった。何しろ黒髪の男が渡してくれたこの武器は、リーチの長さが何よりの長所なのだから。
 床と水平に構えたモップを、重心移動と共に一気に突き出す。柄の先端が犯人の腹を抉り、彼が白目を剥くとすぐさまモップを引いて、角を曲がって駆けつけてきた別のひょろっと細長い犯人めがけてその体を蹴り飛ばした。

 ……えーい、くそ、成り行きだこんちくしょーう!!

 やけくそ気味に、小太り男の体を追いかけるように走り出す。
 自分めがけて飛んでくる仲間を、細長い強盗犯は武器を取り落としながらもかろうじて受け止めていた。が、詰め寄りモップを振り上げるには対応しきれなかったようだ。
 金属部分の角っこをがつんっ、と脳天に受けた彼は、その衝撃のまま下へと沈み、せっかく受け止めた仲間の下敷きになって動かなくなった。

「……さて」
 顔を上げると、通路は二手に分かれていた。
 左には何もないが、右にはロープを張ったポールが立っていて、"関係者以外立ち入り禁止"という札がかかっている。細長い強盗犯が現れたのもこっちだ。
 はロープを跨ごうとして、ふと足を引っ込め、それをほどきにかかった。当分目は覚めないと思うが念のため、後ろに回した二人の両手を仲良く縛り上げると、
「あと一人、と」
 何もなくなったポールの間を進む。

 早いとこ片づけよう。
 一つ頷きながらそう決め、走り出したに躊躇は無かった。それは通路が行き止まり、その突き当たりの壁に金属製の、いかにも銀行で一番大切な物を保管していそうな分厚い扉が現れても変わらない。
 そして、こちら側に少し開いたその扉に手をかけた途端、すぐ傍の壁に銃弾が跳ね、ほぼ同時に「動くな!」とだみ声に威嚇されても全く変わらなかった。

 早いとこ片づけて反省会、それからバイト探しだ!

 ポールの辺りから走り始めて、金庫室の扉をくぐり、広い室内の中央で中年男性に銃を突き付け盾にしようとしていた男に跳び蹴りをくらわせるまで、決意とスピードは一切緩まず。
 正確には「動くなごぶぁ!」と叫びながら吹っ飛び、紙幣の散乱したアルミ棚に頭から突っ込んだ最後の強盗犯の手前に着地。糸が切れたようにへたりこむ男性行員を横目で認めて、の強盗退治は終了したのだった。



「く、くそ……ぐあっ!」
 起きあがろうとした男──鼻の下の髭が高圧的で、何となくリーダーに思える強盗犯の右腕を背中へとねじり上げて組み伏せると、彼は再び真っ白な床に頬を付けた。
 抵抗の余地が無い事を悟ったのだろうか、力の抜けた手からこぼれ落ちた銃を、はしっかり受け止めた。これで本当に終了だ。

「く、何で、こんな清掃業者ごときに……」
 髭男は苦しげに悔しげにぼやいたが、もう三度目の話だったので苦笑いさえ浮かべる気にもなれず、無言でモップを後頭部に振り下ろしておいた。
 顎を床に打ちつけたっきり静かになった強盗犯を見ながら、やっぱ「これでもハンター志望だ!」といい加減訂正しておけばよかったかな、と軽く後悔したが、それを遮って頭をかすめたのは、微かな違和感だった。ロビーで同じ事を言われた時も、確か感じた物だ。
 ……何だろ、何かひっかかる……でも何が?
 しかしまたしても、違和感の正体をつかみ取るまでには至らなかった。

 大きな破壊音が、突発的に鼓膜を震わせたのだ。




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たまには一人で頑張る。