39. 暇潰し




 銀行前はまだまだ人で溢れかえっていた。
 事後処理中か、はたまた消えた宝石についての捜査中か未だにパトカーが数台停まっているようだが、野次馬の人垣に邪魔されてよくは窺えない。
 が、用の済んだ場所に興味もなかった。
 人だかりをちらちら気にする通行人に混じり、片手に本を開いたままのクロロは銀行前を通り過ぎた。そう、今の興味はこの手の中にある。

 上機嫌のまま向かったのはこのカラザ市の中心部とも言える場所だった。
 ボロ宿周辺は勿論、銀行のある通りも比較にならないほど人でごった返した駅ビル。それを反対側へ抜けた先の繁華街で目的の店を見つけたのは、思わぬ拾い物の事を考えていて、ついそこを通り過ぎてしまった後だった。
 看板と、ガラスの向こうに"団員"の姿を認めて引き返す。
「らっしゃいませー」
 だれた店員の声を浴びながら自動ドアをくぐると、ネットカフェの片隅で人待ち顔をしていた彼もこちらに気付いて手を挙げた。
 と、その表情が驚いたように固まる。
 おそらくこの左手に開いている本が原因だろう。スキルハンターで盗んだ能力を発動している間は、本を開いたままにしておかなくてはならない。そんな制約を知った上で訝っている団員──シャルナークに、「ちょっとな」とだけ言って濁しながらクロロは向かいの席に着いた。



 そもそもクロロがこのカラザ市に足を運ぶ事になったのは、思えば、彼がハンター試験を受けると言ったのが発端だった。

『ハンター試験、ねぇ』
『そう。一月の頭から二、三週間。場合によってもうちょっと』
『ふーん……ねぇ、その応募カードまだある?』
『ここには無いけど……マチも受けるの?』
『暇だし。怪我した時のためについていってあげるよ』
『怪我するほど骨のある代物かは知らないけどね。……あ、来た』

 プリンタの音につられてクロロが本を読む手を止めると、パソコンの前で話の続きをするシャルとマチが目に入った。
『試験会場はイルバス国、カラザラン地区カラザ市か……ついでに飛行船のチケットも取っとくか』
『船も出てるって書いてるけど。ほら、マロブ港から』
『そこまでどうやって行くの』
『バス』
『……飛行船の方が早いと思うけど』
『試験一月でしょ? のんびり行こうよ』
『……変化系って、効率を重視しない人多いよね』

 試験会場までの交通機関、クロロが気になったのはそんな事では無く、試験会場としてシャルが口にした"カラザラン"という地名だった。
 以前目を付けた獲物について、最近耳にした噂。そこにそんな地名が無かったか?
『シャル』
 船便のチケット予約画面から目を離して振り向いた団員に、クロロはこう言っておいた。試験が終わったら連絡しろ、と。


 そして昨日、その連絡を受けた時にはクロロも既に、自分でもある程度調べておいた"獲物"の情報を持ってこの地に入っていたというわけだ。
 それに加えてシャルが首尾良く取得してきたハンターライセンスで再調査した後、折りを見て盗る。
 昨日……いや、今朝まではそのつもりだったのだが──



「──間違いないね。確かに"フェルビニア・ブラッド"は先月、カラザランの非公式オークションで競り落とされている。落札者は美術商。転売相手でも物色中なのか、今は市の東通りにある銀行に預けきりだよ。で、その見取り図と預かり番号だけど……」
「それならもういい」
「え?」
 ケースからCD-ROMを取り出しかけていたのをやめて、シャルは目を瞬かせた。
 クロロは丸テーブルの向かいで、ワンドリンク制に従って注文したコーヒーを一口すすり、ソーサーに置いた。
「知らないのか? さっきその銀行で、強盗事件があったんだ」
「……まさか、団長?」
「いいや、関係の無い奴らだ。丁度見かけて、騒ぎのついでに盗らせてもらった」
 胸ポケットからつまみ出した赤い宝石を店内の照明の下で踊らせてやると、シャルはその怪しくも美しい輝きを見つめながら「つまりこれは、用済みってわけね」とため息を吐いた。

「レゾンはどうなってる?」
「ああ……」
 ディスクケースをしまいながらシャルは答える。
「ごめん、まだ。来てるんなら早い方がいいと思って、ここの仕事に集中してたから」
 そう言った表情には、珍しく疲れが見えた。疲れというよりは、少し眠そうだ。
 シャルがハンター試験を終えたと連絡してきたのは昨日の夕方。どんな試験だったかは知らないが、しばらくその身が自由でなかったのには違いない。その直後から今度はずっと旅団の仕事だ、無理もないように思えた。その仕事を命じたのも無駄にしたのも、当の自分だったが。

 ……と、「できるだけ早く調べるから」と言うシャルの首もとがふと目に付いた。
 包帯。
「試験でか?」
 自分の首を指して訊くと、あ、と声を漏らした後、シャルはそれを取り外し始めた。
「かすり傷。もう治ってるよ」
 彼の言う通り、包帯の下から現れた肌はもうどんな怪我をしていたのかさえ読み取らせてはくれなかった。
 だが、そこをさするシャルの表情には何か含む物がある。少し気になり、クロロはコーヒーカップへ伸ばす手を休めて話を続けてみた。

「マチもついて行ったようだが」
「ああ、落ちたけどね。あれは棄権、かな?」
 しこたま儲けて帰ってったよ、と待っている時から頼んでいたらしい緑色の炭酸水をストローでかき回しながら、シャルは苦笑気味に言う。
「そうだ、ヒソカに会ったよ。あいつも落ちたけどね。まぁライセンスだけが目当てじゃ無かったみたいだけど。それから……」

 手から離れたストローが、炭酸の水流に乗って一人カラカラと回った。
 そのコップに映るシャルの顔は──自然な笑みをたたえている。
「どうした?」
 尋ねると、シャルはすぐに「何でもない」と答えたが、そこから笑みは消えなかった。



 仕事の話も一通り終え、コーヒーも飲み干したところで席を立とうとすると、
「あ、そうだ」
 シャルにそう呼び止められた。
 いかにも今用件を思い出したような口ぶりに聞こえるが、どうも何かのタイミングを計っているような彼のそぶりには会話中から気付いていた。やっとか。そんな思いでクロロは空のコーヒーカップの前に再び腰を下ろした。

「レゾンの仕事、オレ、実働しなくてもいいよね」
「……ん?」
 今日、何度か彼の仕草や表情に見慣れない物を見てきたが、これが最も妙だった。
「……ああ、元々シズクと、状況次第でその時暇な奴を連れて行くつもりだったから問題ない」
 大抵の小さな仕事の場合はそうだ、実働要員はそのつど手の空いている奴の中から選ぶ。その場に居なければ選ばない。暇でなければその時断ればいい。
 それはシャルも分かっているはずだ。分かっていて、それでもこうしてまだいつ盗るかも未定の仕事にNGを入れてくるのは──それ程に重要な用事が控えているという事だろうか。
 それ以外にも、今抱えてる情報収集が済んだら体を空けたいと言う。それにも了承すると、目的を達したようにシャルは笑みを漏らした。更には「助かる」というお礼の言葉まで。……それほどまでに、重要な?
「先約か?」
「ちょっとね」
 その返答が『詳しく説明する程じゃないし、そのつもりもない』という意味を持つ事は、誰より、ここに来た時に同じ言葉を使ったクロロが一番よく分かっていた。
 今日の"見慣れない言動"全てがその先約に繋がっているような気がしたのだが、まあいいかと諦めて椅子を引き、今度こそ席を立った。

「本拠地に戻るの?」
「いや、しばらく留まる」
 一瞬意外そうに目を開いたが、シャルはすぐにクロロの左手を指差した。
「それ?」
 "スキルハンター"を携えたまま、クロロは笑みだけを返した。
 詳しい事は訊き合わない、そんな空気が出来上がっていたためかシャルも会話をそれ以上発展させず、「オレは戻るよ、レゾンの件はまたこっちで」とケータイを示した。
「ああ」
 短く答え、歩きざまに透明の筒に刺さっている領収書を抜き取った。「あ、払ってくれるんだ」というシャルの弾んだ声を背中に支払いを済ませて店を出る。思考は既に、この街に留まる理由を置いてきたボロ宿へと飛んでいた。




 ロビーに入ってきた時から、妙な奴だと思った。
 そこそこ"やる"気配の念能力者が、一般人に銃ごときで脅され連行されている。
 絶ですんなり侵入し、誰にも気付かれることなく壁際に落ち着いている自分からすればとても奇妙な光景だったが、妙、の一言では片づけない事にした。警備として雇われているハンターが、わざと間抜けな行動を取っているという可能性もある。
 しかしその仮説はすぐに疑わしくなってしまう。もの凄く共感しがたい激昂と……それから、強盗達に彼が示した身体能力を目の当たりにして。
 唖然とした。
 何なんだろう、あの、一般人に毛が生えた程度の戦いぶりは。

 いや、とまた考え直す。
 いかにも動きやすそうなナリをしているが、ああ見えて戦闘以外の能力に特化しているタイプなのかもしれない。
 ……そういう能力は往々にしてレアだ、と銃声がパンパン鳴る中でクロロは一人目を光らせ、そして地下で見極める事にした、その男の念能力の形態と質を、しかし──
 オーラが見えないなんてほざかれて、いよいよ腑に落ちなくなったのだった。


 今は全て納得している。
 記憶喪失。そう告げられた時の事を思い出してつい口元に笑みを含ませた。
 それは、それまで点々と散らばっていたあのニット帽に作業着の男──の持つ不審点が、気持ちの良いくらい一つにまとまった瞬間だった。
 それもこれも、"記憶喪失だから"だったわけだ。
 念能力者だった頃の事を忘れ、念そのものについても忘れ、使い方も忘れてしまったせいで硬や流を行うどころかオーラを見る事すらままならないが、纏など、体が覚えている部分もある──今まで様々な能力者に会って殺したり奪ったり仲間にしたりしてきたが、こんな例は初めてだ。
 面白い。
 そうして興味は揺り動かされた時、幸か不幸か、クロロはとても暇だった。
 シャルに頼んだ"レゾンの仕事"は目当ての物の所在すら分からない状態で、それが判明するまでは動きようがない状態だ。フェルビニアが予定外に早く手に入ったおかげでする事もない。あるのは時間だけ──
 世にも珍しい記憶喪失の念能力者を捨て置く理由など、そこには存在しなかった。


 来た道をそのままなぞって駅ビルを抜けると、丁度広場の時計から音楽が流れてきた。午後三時。そろそろまずいな、と足を速める。
 記憶を取り戻すことはできなくても、本人が念の存在を自覚できれば。
 ……と言うよりも、せっぱ詰まれば火事場の何とやらで何かしらの変化があるのではないかという、かなりアバウトな発想でそういう状況をセッティングしてきたわけだが、死んでしまっては意味がない。
 スキルハンターを片手に人混みをすり抜けながら、クロロは笑む。


 たとえまだ生きていたとしても、何の変化も起きておらず、オーラは見えないままかもしれない。
 それはこれから先何を試みようと同じかもしれず、仮に記憶や念能力が彼の身に戻ったとしても、それが"使える"能力である保証はない。
 ようするに、こうしてあいつに関わっている時間が徒労に終わる可能性は非常に高いが、暇潰しだと思えばそれでも良かった。
 その上でもしも──彼が念能力を思い出し、その時現れた物がこの本の一ページに加えたくなるくらいに有用な物だったら?
 その僅かな可能性に期待してしまうと、宿へと急ぐ足を止めることはできなかった。
 簡単にくたばってもらうわけにはいかない。

 奪う前も、奪った後も。
 "盗賊の極意(スキルハンター)"の制約上、死んでしまっては意味がないのだ。




 狭く、汚れた階段を三階フロアへと上がっていく。
 自分の足音しかしない。静かだ。
 死んだか? まずいな。
 目的のフロアを踏みしめるなり、借りている部屋へと急いで向かう。

 しかし鍵を回す瞬間、気配に気付いたクロロは立ち位置をずらしてからドアを開けた。
 内側に寄りかかっていた大きな物体が、間抜けな響きの声を上げながら廊下へ倒れ込む。生きていたのは何よりだ、しかし……
 未だ彼の身体を拘束している"念"を見て、内心苦笑した。
 この具現化系能力"ビューティフルストーカー"は、時間と、そして執着心をエサに成長する。すなわち能力発動者の、標的に対する、だ。今この青年を締め上げて放そうとしない念の成長ぶりがイコール自分の執着心かと思うと、具現化されたその欲深さに自分でも呆れてしまった。
 つなぎに巻き付くそれは、発動時はバイオリンの弦程度だったのが今や人の腕以上。鋭い棘を何十本も携えているのを除けばさながら大蛇の胴体のようで、更に頭に当たる部分に目を向ければ、そこには凶悪な歯を剥く大輪の──

「……は、な……」
 足下からの声に、クロロはぴくりと眉を上げた。

「……花……黒い、花、に……」
 その辿々しい掠れ声が、果たしてクロロに投げられているのかは疑問だった。虚ろながらも目は開いているが、呼吸と一緒に漏れるような声はまるで熱に浮かされた病人のよう。
 だが、言っている事は正しかった。
「……く、食わ、れ……」
 る、と最後に言い残してはばたりと力尽きたが、クロロは見開いた両目で一心に、まだ彼を見つめ続けていた。

 期待はしていたが、これは予想以上に──

 しばらくして、本を閉じた。
 閉じた瞬間にそれは消え、同時にどうやらをせっぱ詰まるまで追い込む事に成功したらしい念能力、"花言葉は純情一途(ビューティフルストーカー)"も消え去った。
 正解。そう心の中で呟きながら、元々あまり綺麗ではなかった作業着を更にボロボロにしたを室内に蹴り込む。口角を上げて扉を後ろ手に閉めるクロロは、自分が昂揚しているのを感じていた。

 予想以上に、有意義な暇潰しになりそうだ。




  back  
------------------------
みんな知り合いですけど……だーれもそれを知りません。