46. 残容量




 今、の隣には兄がいる。
 いや……車の助手席で膝に乗せた地図をめくっているのは、ここ最近ずっと行動を共にしているクロロ・ルシルフルその人なのだが、どうも、こちらの言い分などさっぱり無視した形で実の兄になったらしい。
 どうしてそうなったか。
 そしてなぜ、こうして買ったばかりのセダンでのどかな海沿いをドライブしているのかを説明するためには、今から五日ほど遡らなければならない。




 ドライブから、五日前。
 ん? とが首を傾げたのは、レゾンの一件から数えると二日が経過した、昼下がりのことだった。

 レゾン国立記念館から戻った晩はそのまま宿で過ごし、チェックアウトしたのは翌朝。
 街頭モニターに記念館での強盗殺人事件が流れているのを見た時は、え、殺人っていつの間に? と茫然としたが、いいから行くぞと問答無用で引っ張られ。
 着いた先は、空港だった。
 これが世に言う、高飛びか……。
 なんて思いながら、あっけない程あっさりと審査をパスし、出国ゲートもくぐり抜け、クロロに特に行き先が無かったためとりあえずすぐに出る便に乗船した。
 それが、今がいる飛行船である。

 ごうん、ごうんと客室にまで響いてくるモーター音にも、もう慣れたものだった。ゆうべもこの音の中で熟睡。乗船から二十四時間以上経つので、揺れも浮遊感ももはや感じなくなっていた。きっとタラップを降りた時の方が、動かない地面に違和感を覚えるに違いない。
 しかし、それより一足先に、は違和感に首を傾げていた。
 揺れではない別のこと――自分の念能力のことで。

 狭い二等客室いっぱいに、クロロがふらりといなくなったのを見計らって荷物を広げた。念空間にしまってあった物、すべてだ。
 盗んだ歴史書二十二巻セットは部屋の隅っこに適当に積み上げて、武器達は、一つしかないベッドに大事に並べていく。鞭に銃、短剣にナイフ各種……丁寧に置いていくとすぐスペースが無くなったので、自分の寝床である固いソファも置き場所に変えた。
 あとは双眼鏡やら時計やら、宿からパクったタオルに毛布、自分で買った着替えやペットボトル飲料などなどを床にまき散らし、自分があぐらをかいている場所以外足の踏み場がなくなったところで、はもう一度首をひねった。
 空っぽになった念空間に、首をひねった。



「師匠ー」
 売店で新聞を物色している姿を見つけ、呼びかけた。
 飛行船は出発して以来どこにも停泊していないので、売店の品ぞろえは変わっていない。それは何百ジェニーかを支払って今クロロが買った新聞にも言えるはずなのだが。
「……それ、昨日のなんじゃ?」
「読み物としては充分だ」
「盗んだ本あるじゃないすか」
「気分転換」
 活字を活字で気分転換?
 理解不能っす、とお釣りをもらうクロロに目で訴えていると、そんなものを一蹴する睨みを踵を返しざまにきかされた。
「カラみにきたのか?」
「あ、いや、違くて……」
 すたすた歩いていく背中に、あのー、えっと、を繰り返しながらまとわりつく。ちょうど前から人が来て、その二人連れが通り過ぎるのを待って切り出した。
「念能力のことで、なんつーか、相談が」
 結構、緊急。
 そう付け加えると、クロロの視線が一面記事から離れた。まだちょっと面倒くさそうだったが、
「……容量が、減ってる気がするんす」
 おずおず言うと、その目は真剣みを帯びた。



「そういえばさっき、思いっきり広げてたな」
 自販機で買ったコーヒーを片手にクロロが腰を落ち着けたのは、通路の隅に、灰皿と一緒に設置されている長椅子だった。
 脇に畳まれている新聞のせいで椅子にスペースが無くなってしまったので、は通路を挟み、大きな窓を背に手すりにもたれることにした。
 紙カップを口につけ、すぐに離したクロロと向かい合う形で。
「飛行船まるごと、収納する気かと思った」

 彼の言うそれは、まさに先ほど、入れてあった荷物を全部放り出してうんうん唸っていた時のことだった。
 空っぽにしたところで、手の中で作り出した立方体を、今一度限界まで広げてみたのだ。
 それはイコール念空間の大きさ。普通の人の目には見えない空間は相変わらず景気よく広がり、あっという間に飛行船をすっぽり包み込むまでに至ったのだが――
「で?」
 結果を短く問うクロロに、その時と同じようには苦い顔をした。
「なんか、ちっちゃくなってる気がするんすよね」
「具体的には?」
「うーん……ひとまわり、ほど?」

 コーヒーをすするクロロの目が、"具体的"の意味を知ってるか? と冷ややかに訴えていた。ため息のあと、湯気の向こうにその視線が諦め気味にたゆたう。
「……"気がする程度"だというのも加味すれば、一割か、それに満たないかくらいか……」
 ちらりとこちらを見る。
「容量の減少が確かなら、だが」
「確かだって!」
 でなけりゃ相談なんかしてない! と強く言い切ると、クロロは半信半疑の様子ながら話を先へと進めた。
「心当たりは?」
「あったら相談なんてしてないっす!」
 またまた強く言い切ると、クロロの肩がわずかに上がって、大げさに下がった。
 いちいちため息をつくのはやめてほしい。

 これでもちょっと不安なのだ。
 容量が減ってるのは間違いない。自分の能力なのだ、それくらい分かる。以前空間の大きさを"庭と林含め、記念館の敷地がすっぽり入る程度"と表現したが、今ではそれは無理かもしれない。林のてっぺんくらいは、入りきらずにちょんぎれてしまうかもしれない。
 なんで、そうなったのか。
 理由が分からないことは、次またいつ起こるかも分からない……不安なのだ。

 それでもすぐに相談できる相手がいることには心強く感じつつ、
「最後に容量を確認したのは?」
 というクロロの質問に、即答した。
 きっと、師匠なら解決してくれるはずだから。
「盗みに行く時確認しとけって言ってた、あの時っす」

「三日前……」
 期待して見つめる先で、クロロは端正な顔を手の甲に乗せた。深く考え込む表情で、「……言い換えると」と独り言のように呟く。
「記念館の一件の、前日か」

 言い換えたことに何の意味があるのか、尋ねたい気もしたが、なるべく邪魔はしないことにした。
 クロロが思考の海に潜ってしまったので、手持ち無沙汰になってしまったは何となく通路を見渡す。カップルが仲良く通り過ぎたり、老人がパンフレット片手に杖をついていったり……
 それにも飽きて、でっかい街の上飛んでんなー、と真後ろに広がる大パノラマを眺めたりしていると、
「……ところで」
 ようやく待っていた声がかかった。

「お前の念能力で、ひとつ不思議なことがあるんだが、気付いているか?」

「えっ……容量がなぜか減っちゃった、以外で?」
 相変わらずの冷ややかな目が、今度は「当たり前だろ」と訴えてくる。
「お前が自分で話したことだぞ、あの晩に」
 そう、言われても。
 勿論ここ数日で印象的な晩というと記念館の夜だけ。話したことと言えば暗い林と鏡のこと。それは分かっても、ピンとこなくて眉根が寄ってしまう。
 まあ、尋ねた当のクロロも弟子が答えられるなんて微塵も思っていなかったらしい。の無言には特に表情も変えず、自らこう続けた。
「言ってただろう、ナイフのこと。昔の自分は随分器用に扱っていたとか」

 ……今だって器用は器用っすよ。
 ムキになりかけて、やめた。歩きながら肩の上で武器をクルクルなんて、器用とかいうレベルじゃない。

「ナイフを空中に留め、自在に操る……まあ、その芸当自体はどの系統の能力者でも訓練次第で出来うるし、実際、自分の能力を補うために別系統の修業をすることは珍しくない」
 俺も、それなりには。
 そう言って右手を軽く上げたかと思うと、突然、がもたれていた手すりがガタンと落ちた。
 クロロが指先に集めて飛ばしたオーラが、一カ所、二カ所と金属製の手すりを破壊し、の肘もろとも通路の床に落下したのだと。びっくりし過ぎて無言で尻もちをついたが把握するのには十数秒かかってしまった。
「放出系の基本」
 事もなげに言うこの念能力者に、ここは公共の場所だと伝えたい。器物破損って犯罪だということも。

「ただ……何かを警戒、迎撃するにあたって、片手間に習得しているような別系統の能力を使用するとは考えづらい。少なくとも自分でナイフを振るうより"待機"させた方が速いと判断した昔のお前は、よほど操作系寄りの人間だったようだ」
「操作系、寄り、すか」
 おざなりに復唱する。ただのパイプと化した手すりを拾い上げて、むしろこっちを『どうすんですか』と暗に訴えたつもりだったが、
「俺は特質でも、どうやら具現化寄りらしいがな」
 綺麗にスルーされた。ホントにこれどうすんの、と困るなど無視するようにクロロは話の筋をずらした。
 少し、真面目な方向へ。

「しかし、昔のお前が"操作寄りの特質系"だったとは、どうも――言い難いらしい」
 なんで、と尋ねる間もなく、クロロは続ける。
「特質ですら、なかった可能性が高いから」

「は……あ?」
 何言ってんだこの人、という心地でまばたきした。
 師匠が言ったんじゃないか。水見式の時に俺が、系統って生まれつきのもんなのって訊いたら、そうだ、って。記憶喪失になったとしても、本人の生まれ持った性質は変わらないだろうって。
「多分、とかおそらく、とか付けたと思うぞ俺は」
 そんな無責任な、と声を上げたかったが、問答無用で喉の奥に押し戻されてしまった。思考渦巻く黒い瞳の、圧倒的な存在感に。
「実際ある。環境の変化などで後天的に特質系へと変わるケースは。……ごく稀で、俺もあまり例は知らないがな」
 殺した中には、そういう経緯の特質系もいたかもしれないけど。
 なんて物騒な独り言が周りに聞こえていないかヒヤッとするも、周囲を確かめるより、今は自分の念能力のことの方が大事だった。
「でも、なんで俺が……そのケースだって?」
 通路を挟んだクロロへと、無意識にパイプを強く握りしめて訊く。

「記憶の中で、空中に浮かべたっていうナイフ。どこから出した?」
「そりゃあ……」
 着ているつなぎに視線を這わす。あの時とは別物だが、ポケットの配置は大体同じだ。
「太ももの両側から一本ずつ」
「今は?」
「へ?」
 ポンポンと叩いて場所を示した手をもう一度ポケットに乗せてみれば、そこからは布の感触しか伝わってこない。当然だ。さっき部屋に並べた武器はまたぬかりなく念空間にしまっておいたのだから。
「しかし昔のお前はそうせず、ナイフだけでなく全身に様々な武器を装備していた」
 なぜだろうな。
 クロロはそう問いながら、もう飲む気はないらしいコーヒーを脇へと追いやる。

「立方体を具現化させる、などの収納方法は記憶のないお前の後付けだが、"広大な念空間を持つ"という能力の根幹に変化はないはずだ。昔のお前も同じ特質系だったのなら……な」

 つまり、記憶を失う前から特質系なら、広大な念空間を持っているにもかかわらず、たくさんの武器をそこにしまうことなく装備しているのは不自然。それがクロロの主張のようだ。
 武器の重みを肌で感じる、装備欲ってのは今の俺もあったりするんですけどね。
 と、ちょっぴり異議を唱えたい気持ちもあったが、少し考えて、結局しなかった。
 あの時、記憶の中で自分は、念空間の存在などほんの一ミリも頭に過ぎらせなかった気がするのだ。

 その上、鏡を警戒するにあたってナイフを操作することを選んだ。
 すなわち昔の自分は特質系ではなく、むしろ操作系に長けた能力者――だった可能性が高い。そう、考えられるのか。

「後天的に特質系に変わるのは、具現化系や操作系能力者だった者が多いらしい。ちなみにそのきっかけは、俺が聞いた話だと例えば目や心臓の移植、仮死状態からの蘇生、人格が変わるほどの拷問……」
 重すぎる人生のターニングポイントを並べたクロロは、最後にを見る。
「お前の場合は、何が考えられる?」

 それらに匹敵するほどかは判断しかねるが、自覚している限り、自分の身に起こった重大な事件といえば一つしか思い当たらない。
「……記憶喪失?」
 それを聞いて、クロロは満足そうに頷いて言った。
 じゃあ、話を戻そう、と。
 勿論それは、今を悩ませている念空間の減少についてだった。

「記念館侵入の前日から、異変に気付いた今日までの三日間で。お前の能力に影響を及ぼすような大きな出来事と言えば」

「…………あの、晩っすか」
 クロロが先を言わないので、自然が言葉を継ぐ。結果、彼が何を言わんとしているのかが自分でも見えてきた。
 あの晩は色々あったが、自分に大きく影響したと言われれば――あの夢。ありありと蘇った昔の記憶しかない。
 思い出した、せい?
 そのせい、で?
 そう考えを進ませると、同時に曇った胸がどくんと音を立てた。

「記憶を失うことで発現した能力が、記憶を思い出すことで減少していく。……なかなか、筋の通った仮説だと思わないか」

 筋って、そんな。
 そう、すぐさま反論したかったが声は出てこなかった。通路を挟んだクロロに身を乗り出したまま、その距離を埋められない。
 自分が元々は操作系だったんなら、系統が変わるほどの大きな出来事は記憶喪失に違いないだろうし――今回のことにしたって、あの晩以外の心当たりは見つからない。
 クロロの言うことを否定できない、でも。

 でも、やっと形になったものが、思い出したら、なくなってくって、そんなの――

「そんな……の、そうだって、決まったわけじゃ」
「ああそうだ、仮説に過ぎない」
 やっと絞りだした抵抗の言葉を、クロロは思いがけないくらいあっさりと肯定した。
 余裕たっぷり足を組みかえ、目をやや細めるその表情は……
 そら恐ろしい寒気に、身震いした。
 あれは何か、"本人にとってだけ"ものすごく楽しいことを計画している時の顔だ。

「だから、確かめる必要がある」

「確か……めるって?」
 これから悪いことしか起こらなさそうなのをひしひしと感じるせいか、尋ね返す顔がひきつってしまう。
 対してクロロは生き生きと続ける。
「以前お前に言ったな。一週間経っても能力が形にならない時は最後の手段を取ると。あれはお前の記憶をどうにか少しでも取り戻せればと考えていたんだが……ところで」
 生き生きと、威圧感たっぷりに身を乗り出す。
「記憶を失ったお前が最初にいたのは、どこの病院だった?」

「ソ……ソシオタウンって、とこですけど」
「ソシオ……聞き覚えのある地名だ。ソシオ……シティ?」
「あ、多分、その……」
 その都市の郊外にある、海の近いのんびりした町がソシオタウンで――と、丁寧に説明しようとした自分にストップをかけて口を結んだのは、嫌な予感のせい。
 しかしそんな小さなストライキなど無いもののように、クロロは口端を上げた。
「なら、そこまで行けば後は案内できるな?」

「そ、それって……行くってことすか?」
「記憶を失った状態で運び込まれた病院なら、その近くに林に囲まれた屋敷もあると考えるのが普通だろう? 実際にそこに足を運べば、また何かのきっかけで戻る記憶もあるかもしれない」
 記憶が、戻る。
 ぞくっと肌寒さを感じたのも、気付いてくれないようにクロロは笑む。
「もし今度何か思い出した時、同じように空間の容量が減れば仮定は正しいということだ」

「そっ……」
 あまりに簡単に物を言うクロロに、思わず怒りの波が押し寄せてきた――のを、どうにかこらえ、やり過ごす。
 感情むき出しで怒鳴ってしまえば、自分が何に怯えているのか、一発で悟られてしまいそうで。
 だから一呼吸ついてから、口を開いた。
「やですよ、容量減るのなんか……うん、すんませんでした。相談したけど、やっぱいいです、このままで十分です!」
「よくない。自分の能力に知らない部分があるなんて、能力者としては愚の骨頂だ。さて、そうと決まれば到着するまでに、空路の確認と予約を済ませておくか」
「ちょ、俺、行くなんてまだ――いっ!?」
 立ち上がろうとしたクロロを引き止めたのを、はものの二秒で後悔した。
 思えば自分勝手に足が生えているような男を引き止められたことなんて一度もなく、また彼も弟子に言うことを聞かせるには言葉以上に有効な手段があることを充分知っているわけで。
 そんなクロロが立ち上がりざまにが手にしていたのは新聞でもコーヒーでもなく、スキルハンターという名の具現化した本だった。

「い、や、あの……」
 しかも掴んでいるのはその分厚い背表紙ではなく、その反対側。明らかに打撃に使う気なのだと、は敏感に察して這うように後ずさった。
「大丈夫」
 こちらを見下ろしながら近づいてくるクロロの笑みは、どこまでも優しかった。
 うすら寒いほどに。
「寝て、起きれば、ソシオシティだ」

「い、ちょ、冗談じゃ……俺の、俺の大事な武器庫を減らす権利なんて、いくら師匠でも無いんがふッ!!」

 ぷっつりと。
 それきりの叫びも意識も途切れ――次に気付いたのは、飛行船の大部屋だった。

 エンジン音に、窓から見える一面の空。つまりまだ空の上だということには胸を撫で下ろす。が、いくら寝起きといえどその認識は甘いと言わざるをえなかった。
 この船が、すでに乗り換えを二つ済ませた後の、ソシオシティ行きの便の中だと。
 そうクロロに笑顔で告げられ、声も出せずに絶望することになるのはこの後すぐのことだった。

 向かった先で探すのは……あの林、あの屋敷。




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次回、第二のふるさとへ里帰り。