47. 里帰り
「むー……」
こめかみをぐりぐり押しながら、顔をしかめる。空港のアナウンスが頭に重く響き、パンフレットの文字が読みにくい。
長い飛行船生活が体にきたのか、はたまた三日も意識不明だったせいなのか。
……絶対に後者だという疑いを強めながら、空港の周辺地図に視線を落とす。
あまりに理不尽すぎる暴力を受けて意識がすっ飛んだ後、飛行船は着陸。しかしすぐさまもっと大きな空港へと行く船に乗り換えテイクオフ。たどり着いた都市空港でまんまと目的地への便を見つけ、乗り込んだというのが目が覚めるまでの三日間のいきさつらしいが……
三日も意識不明なんていうのも重大問題だが、それ以上に乗り換えを二つも済ませているという事実が腑に落ちなかった。
航空会社も乗客も、なぜこの傷害、拉致現行犯をスルーしてくれたのか。
世間の冷たさの風に吹かれながら、やや小ぶりの飛行船はの意思など関係なく旅を続け、そして二日後、見覚えのある海沿いの町を遠くに見せながら滑走路へと降り立った。
今がそのロビーで無料配布のパンフレットを広げている、ソシオシティ空港にだ。
一年前、この国にいたの行動範囲は海沿いの田舎町ソシオタウンに終始していた。国を出る時もヒッチハイクだったので、空港周辺の土地勘などまったく無い。なのでパンフレットで地図を確認していたのだが、郊外へと伸びるバイパスに目を走らせただけで中断し、顔を上げた。
「どこ行くんすか」
離れていくクロロに問えば、「足の調達」だと言う。
バスとかじゃねーんだ……タクシーかな?
そんなことを考えながらまた地図を見ようとしたが、ふと、嫌な予感がして後を追いかけた。そうして良かったと、はすぐに思うことになる。
「……師匠、なんか、よからぬこと企んでません?」
だだっ広い駐車場で、そこに停まっている空港利用者の車一つ一つに目を光らせているクロロに呼び掛ける。と、こっちの質問は無視した上で別の質問が返ってきた。
「どれがいい?」
「はい?」
「軽か普通車、四駆に……ワゴンが多いのはここの流行りか? ボードバインも目立つな。燃料食いのローパフォーマンスもこれだけ並ぶと爽快だ」
「……なんすかそれ」
「歴史と値段だけは大層な自動車会社だ。この辺はステータスを転がしたがる金持ちが多いと見える」
「……じゃなくて」
「まあ俺は何でもいいさ。あ、選ぶなら乗り手が近くにいる車にしろ。キーも奪えた方が乗っていきやすい」
やっぱりか、という眩暈に耐え、はこの窃盗常習犯の前に回りこむ。
「犯罪っすよ」
「何を今更」
「そーいうことじゃ……なくてっ!」
近くにいた家族連れが振り返るほど力いっぱい言うと、さすがにクロロも流すのをやめてわずかに目を丸くした。
「一応、ここ、俺が一番長くいた土地なわけで、地元っちゃあ地元なわけで……着いていきなり俺を犯罪者にすんの、やめてもらっていいっすか……!!」
人目を気にして声は抑えたが、その分切実な思いがこもって涙目になってしまった。最近ちょっと涙腺が弱いようだ。
果たしてこの人にそんな腺はあるんだろうか? と疑いたくなるクロロ・ルシルフルは、やはりたいして心も動いていない様子で「ふーん」と鼻を鳴らした。
そのままの表情で、こちらの顔をじーっと見る。
しかしその後の言葉は、予想とは違う意外なものだった。
「まぁ……お前の能力があれば乗り捨てずに済むし、買ってもいいか」
買う? 車を? 即決で!?
……と、クロロの思い切った行動におろおろしながら、彼と共に空港近くのショールームの自動ドアをくぐった。
店員、いや、ディーラーさん方の挨拶はとてつもなく丁寧だ。クロロが金持ちの車と揶揄したボードバインの店舗は気に入らないらしく避けたが、ここのメーカーも大概立派な店構えで、光る床、高い天井にキョロキョロしてしまう。
対象的に悠々と商品を物色するクロロは軽を二つ通り過ぎ、売約済みの札がかかっているファミリータイプのワゴンの奥にある、セダンを指さした。
「あれにしよう」
やはり即決。
そしてクロロが手渡した黒いクレジットカードに、ディーラーの腰がさらに低くなったような気がした。
「師匠って……お金、持ってたんすね」
が自動販売機でジュースを買う感覚で、クロロがぽんと買ってみせた二百三十万の車をしげしげと見つめて言う。
黒カードがどういうランクの物にしろ、思い返してみれば彼は飛行船代だってぽんぽん払っているし、銀行から盗った宝石だって手元にないところを見るといつの間にか売り払っているはずだ。こんなにやりたい放題の盗賊が荒稼ぎしてないわけないよなぁと、ドアにキーを差し込んでいる件の彼に視線を送る。
「あるなら、もっといい部屋泊まればいいのに」
「借り物の居住空間にこだわっても仕方ないだろ」
「……せめてベッド二つあるとこがいいんすけど」
そんなささやかな要求を封じるように、キーが投げてよこされた。本人は助手席のドアをもう内側から閉めている。
……はいはい、今すぐ出発いたしますよ。
ため息まじりに、お抱え運転手は座席へ滑りこむ。なかなかゆったりとした広い運転席で、シートを調節、ハンドルを握ってみる。
キーを差し込む前に、ひとつ断っておかなければならないことがあった。
「俺、免許持ってないんすけど」
「できるんだろ」
「……まあ」
各地放浪中に一度、『店の車移動してきて』とキーを渡されて乗ってみると、すんなりバックで駐車できてしまったことがあった。武器と一緒で体が覚えているというヤツだと今では理解してる……が、確か車って免許がいるんだよな? と気付いて、けれど店に無免なのを黙っていたのは小さな悪事だ。
それを話すと、クロロは一言。
「免許なんて、その国に定住する人間が取る物だ」
もそう思っていたので、今までどの国でも取らなかった。
ハンターライセンスがあればどこで何を運転してもオッケー、という噂を聞いて、実はその辺も夢見ていたのだが……結果はまぁご覧の通り、いまだノーライセンスなわけで。
無免、だが、はミラーを調節してキーを差し込んだ。
隣の男の命令に逆らえるわけがない。
……と同時に、どうも、彼の派手な犯罪行為のおかげで無免許くらい大したこと無いかも、なんて思い始めている自分がいた。悪影響だ。
「……あ、シートベルトしてくださいよ」
小市民の心を思い出そうとしてそう注意してみたが、
「必要か?」
全開にした窓に肘をついて、すっかりくつろぎモードで返されてしまった。
確かに……トラックと正面衝突しても、ガソリンスタンドに突っ込んでも、いっそ世界が終わっちゃってもこの人は死にそうにない気がする。
言った俺が間違ってました。
は無言でエンジンをかけ、車を発進させた。一応、自分はベルトをして。
一年前。
自分の名前も、出身地も、何もかも忘れて目を覚ましたのは、老医師の経営する個人病院の一室だった。
個人と言っても、他に医師三人、看護士や医療スタッフ十数人を抱えるそれなりの大きさの医院で、評判もよく、それらは今でも変わっていないらしかった。
なんか……増築してねえか。
海沿いのバイパスから逸れに逸れ、住宅と緑が増える内陸部に建つ病院は、セダンを停めた駐車場と共に一年前よりその規模を拡大しているように思う。まぁ、商売繁盛で何よりだ。
自分にとっては人生の始まった場所。
その受付へと向かうと、この身なりだけで気付いてくれたらしいスタッフがすぐに老医師こと院長先生を呼びに走ってくれた。
真っ白いロビーを、一人見渡す。
クロロは車で待っているので、誰にかまうことなく、ここで過ごした最初の一ヶ月に時を巻き戻せた。何も覚えていなくて、そりゃあもう途方に暮れていた自分に治療はもちろん、働き口まで紹介してくれて。
「アーチくん!」
そう、そんな仮の名前もつけてくれた。
両目を大きく開いて、驚きの感情いっぱいに駆けよって来たのはまさに恩義のある院長先生で、しわの多いその手を取ると、先生の目は嬉しそうに細くなった。
「本当に、よく帰ってきてくれたねぇ」
顔中をほころばせてそう言われると、覚えていてくれたこと、“帰ってきてくれた”なんて言ってくれたことが心をくすぐり、ついこちらまで破顔してしまう。
……と、何よりもまず報告しなければいけないことを思い出し、先生の両手をゆっくりほどいた。
「俺、あの……今はアーチじゃないんです。って名乗ってて」
ヒソカが最初に呼び始めた、というのはちょっと忘れたいきっかけだが、シャルがと呼んでくれていたから、もう自分は以外の何者でもない。
ああ、名前ついでにハンター試験の話もしようかな。
なんて積もる話に思いを巡らせ、一人ほっこりしてしまっていたために、
「き、きみ、もしかして……」
驚いて目をしばたたかせる先生の様子には、彼が大声を上げるまで気付けなかった。
「記憶が、戻ったのかい? そうなんだね?」
「……へ?」
「それで本当の名前を思い出したんだね、そうかそうか……! そうだよねぇ、今度帰ってくる時は家族と一緒に、なんて言ってたもんねぇ!」
「……俺、そんなこと言っちゃってましたっけ」
空笑いを洩らした後、「いやぁ残念ながら……」と続けようとしたの横を、突然「んっ?」と声を上げた院長先生がすり抜けていった。
「もしや……ご家族の方でっ?」
「な、車で待ってるんじゃなかったんすか師しょ」
いぎゃっ! とが叫んだのは、足を思い切り踏んづけられたから。
しかもかかとで、ねじるように。そうしての口を封じたクロロは、スーツ姿という一見好青年風な格好で院長先生ににこりと微笑んだ。
手を差し出す。
「はじめまして。うちの弟が大変世話になったそうで」
だれが、だれの、おとうとだって?
しゃがみこむの声にならない訴えは、「これはこれは!」と盛り上がる院長先生にかき消されていった。
「なんで来ちゃうんすか」
「ん?」
「つーかなんでわざわざ家族とか言っちゃうんすか」
「向こうからそう訊いてきたんだ。師匠と弟子なんて関係を説明するより簡単でいいだろう?」
「だからって……ああ俺、院長先生に嘘ついちゃったよ……」
「姓は俺ので統一な」
「……なんか妙にノリノリ?」
「気のせいだ」
そうかなぁと疑いの目を向けるも、クロロは涼しい顔でドアの方に視線を送る。ノブが回るのが見え、も慌てて何事もないような顔を作り、院長室の皮張りソファに座り直した。
自ら飲み物を置いたトレイを持って入ってくる院長先生から、つい、目を逸らす。
そんなに俺たちを見てニコニコしないで先生……後ろめたいから。つーか何で信じちゃうかな、髪の色とか全然違うじゃないか。
「いやあ、本当に良かった。ずっと心配していたけど、それが元気な姿を見せてくれるだけでなく、こうしてお兄さんと一緒に訪ねてくれるなんてねぇ」
いえいえ、とクロロが笑顔で握手に応えちゃってる光景を眺めながら、トレイから下ろされたコーヒーを引き寄せ、砂糖の袋を破る。苦さが消えるまでぶち込む。
「弟が世話になったお礼は勿論のことですが」
まあ平然と嘘を並べるクロロだったが、次に口にしたのは、ホントのことだった。
「今回伺ったのは、お訊きしたいことがあるからなんです」
エセ爽やかに微笑むクロロだが、弟子として横から見れば、そこに本来の目的をさっさと遂げようとする貪欲さが見て取れる。
きっと病院訪問をに任せてくれず、自らこうして切り出しているのも――能力と記憶の関連性、とやらを少しでも早く確かめたいから。
ため息をつきたかった。
思い切り顔を歪めてやりたかった。
隣で黙って弟のフリをして、砂糖を溶かし続けるしかできなかったけれど。
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シートベルトはしなきゃいけないが、きちんと道交法を守っているクロロは見たくないという事実。
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