48.忘れ物




「ここじゃないか?」
 助手席からの声に、アクセルを緩める。

 海沿いのバイパスを、地図を眺めるお兄様と二人でドライブ――をしているわけではないは、ため息まじりに空き地へと車を乗り入れた。
 さっき病院を訪ねたのは、この場所を聞くため。
 “全身に武器を装備した記憶喪失患者が病院に運び込まれた際、彼が最初に発見された場所、及びその詳しい状況”。
 それを先生に教えてもらうためだったのだが……実を言うと初めて来たわけではないその場所を、アイドリングさせたまま車内から眺める。

 この空き地を包み込むように、一車線の道路が大きなカーブを描いている。高速コーナーというやつだ、ゲーセンのレーシングゲームでしか走ったことはないけれど。
 カーブは海に張り出していて、ガードレールの向こうはすぐ岩場だ。そこにつなぎを着た男がひっかかっているのを、朝方通りかかったタクシー運転手が見つけて救急車を呼んでくれたらしい。
 勿論それは、一年前に既に聞いていた話だった。記憶を取り戻したがってたその頃の自分は当然、外出を許されてすぐにその場所へと足を運んでみた。しかし――

 今こうして眺めていても何の感慨もないように、その時も、そこで倒れていた理由なんてこれっぽっちも思い出さなかったのだ。
 だから、今更ここに来たってなぁ。
 なんていうこっちの気持ちは察してくれず、クロロはさっさと助手席から降りていってしまった。

 ……まあ、あの病院に久しぶりに帰れたのは良かったけど。
 暖かい歓迎を一人シートに沈み込んで思い出していると、来た道から走ってきた一台の車が同じように空き地に乗り入れてきた。
 停車したのは、パトカー。
 シートに沈んだまま、身体が凍る。

 え、この国ではまだ何もやってないはずだけど……はっ、無免の件!?

 パトカーから降りて真っ直ぐ近づいてくる制服警官に緊張するも、コンコンと窓を叩いたその表情は柔らかく、そして微かに見覚えがあった。
「院長先生に連絡もらったんですが、場所、分かったみたいですね」
 かつて、武器を大量に所持した怪しい患者だったを調べに来て、そしてトラブルも報告されていないので交通事故にあった武器マニアだろうと結論づけたおまわりさんだった。犯罪者を取り締まるにしては人が良すぎるように思えた彼は、やっぱり今日も、巡回がてら迷ってないか見に来てくれたらしい。
 この小さな海辺の町は本当に、なんてあったかい所なんだろ……
 ……と、浸る間もなく、辺りを一通り歩いて戻ってくるクロロが見えた。

「前にお世話になったおまわりさんっす」
 説明すると同時に、“くれぐれも何かやらかしたりしないでくださいね……!” と精一杯目で懇願したが、聞き入れてくれる素振りはまったくなかった。
 というか、朗らかに挨拶するおまわりさんさえ視界に入れないで、「地図」 とに手を伸ばす。どうやら頭の中が忙しいらしい。

「彼が、お兄さん?」
 どうやら狭い町に広まりつつある誤解に苦笑いで答えつつ、薄っぺらい地図を窓から差し出す。
「髪の色は違うけど……うん、よく見れば口元なんかが……」
 似てるわきゃないっす。
 心の中だけできっぱり否定しながら、ボンネットへ視線をやる。そこに広げた地図の上で、クロロの指が動いていた。滑らかに何かを辿るそれが、地図の上辺に突き当たる。
「他に地図は?」
「ないっすよ。でも、先生に貸してもらったヤツだから、この辺全部載ってるだろ?」
 そう返しても、不満そうに目を据わらせるクロロ。いつもなら本が出てきそうな雰囲気に脊髄反射で窓を閉めかけたが、
「地図ならありますよ」
 お人よしおまわりさんが割って入ってくれた。
「それは……国南部の地図ですね、中部と北部、持ってきます」

 元気にパトカーへ走っていくおまわりさん。そんな彼を初めて認識するように見送っているクロロに訊いてみる。
「何なんすか、地図って」
「勿論、お前が夢で見た場所を探してるんだ」
 ぎくりとして、目を逸らしてしまった。ごまかすように窓枠に寄りかかり、乗せた両腕の中で息を吐く。……やっぱり、倒れてた場所に来たけど何も思い出せませんでしたー、じゃあ終わらないのか。
「だがこの地図にある広い土地と言えば、学校に畑に空き地ばかり。のどかなのは結構だが、大きな屋敷を構えていそうな金持ちの邸宅か美術館の類、それらが無ければこっちとしては骨折り損だ」

「でも……」
 戻ってきたおまわりさんが持つ空港のあるソシオシティ方面、さらに北部の山手方面の地図を見て、首をひねる。
「俺、倒れてたの、ここだよ? 北の方の地図にそれっぽい場所あっても、遠すぎて関係無くない?」
 言って、すぐに「あっ」 と身構えた。顔色を窺う。べ、別にちょっと疑問だっただけで師匠に反論してるわけじゃ……!
 しかしクロロは眉を顰めることもなく、それどころかよそ行きの笑みを作っていた。その嘘っぽい笑顔で、今まで挨拶もしていなかったおまわりさんに声をかける。
 カーブの向こう、岩場の方を指さしながら。
「随分と廃棄物が多いようですが、あれは?」

 そういえば、一年前に見た時も木材やタンクや段ボールがそこかしこに引っ掛かり、潮風を浴びて朽ちていた覚えがあった。
 も同じようにあれは? と思う。が、どうもよくよく見てみれば、クロロは答えを知っているような顔だった。弟子はそうピンと来たが、おまわりさんは気が付かず丁寧に説明してくれる。
「ああ、ここはトラックがスピードを落とさないで曲がるもんで、よく積み荷が落下するんですよ。でも、交通課と景観整備課のどっちが撤去費用を出すかでもめてるみたいでほとんどそのままに――」
「ありがとう」
 興味のない部分はばっさり遮って、クロロはこちらを向いた。聞いただろ、とその目が言う。
「カーブの外側は北部からの車線。ここの落下物は総じてその方面から運ばれてくる。だから、関係無くはない」
 そうしてクロロは北部の地図を持ち、またおまわりさんに何か尋ね始める。
 車内でしばしポカンとしていただが、ゴミが引っかかってる岩場と、北へ伸びるバイパスと、たまに北から来るトラックを見ている内に、え、と窓から顔を出し、もしかして、とクロロの背中へ眉を寄せた。

 落下物って、俺のこと言ってんの?




 海沿いのバイパス、街中の幹線道路、そしてまたスピードの出せるハイウェイと、北部に向かってたっぷり車を走らせ続けて、夕方。
 山手の別荘地に入ると、侵入者除けに尖がった飾りをつけた高い塀に寄せてエンジンを切った。
 空家ながら、立派な邸宅だ。
 鉄の門扉に門番小屋を設けているところからして、かつての持ち主の裕福さが漂っている。塀の上の泥棒除けも立派で凝ったデザインだ……が、クロロは舗道を一蹴りすると、あっさりそれを飛び越えていった。

 別に泥棒しに行くんじゃないけど、本職に簡単に乗り越えられてたんじゃあちょっとかわいそうだなこの塀も。
 つーか、俺もやっぱついて行かないと怒られるよな……。

 相変わらず気は全然乗らなかったが、車を降りて塀の高さを確認する。
 ふと、ある想像が過ぎった。
 作業つなぎにニット帽の男が、力無く、しかし何かから逃れるようにどうにか塀を乗り越え、目の前を通るトラックの荷台に転がり落ち……やがて南部で落下物になる。
 そんな、あくまでもクロロの仮定による想像だ。

 振り払うように、は愛着のないセダンを踏み台にして夕空に飛び上がる。
 降り立った敷地内には――背の高い木々が、乱立していた。


 二階部分をぐるりと囲むバルコニーを見ていると、そこでお茶でも楽しむ幸せそうな家族が思い浮かぶ。個人の所有だとは信じられないほど広大な林では、きらきら降り注ぐ木漏れ日の下、子供や飼い犬が存分に走りまわれそうだ。
 だが、実際にそうだったとしてもこの家に限ってはもう過去の話だった。
 一年前、塀と林ときれいな庭に囲まれたこのお屋敷で、陰惨な一家心中事件があったという。
 主人が家族全員を銃殺し、自らも首を吊った。そんな悲劇が起こったのは、正確には、が病院に運ばれた前日の夜。
 北部に別荘地があると聞いたクロロがおまわりさんにした、「こいつが岩場で見つかった日の前後、大小問わず、そこで何か騒ぎはありましたか」 という質問から分かったことだった。おまわりさん……管轄外だろうに調べてくれてありがとうそして顎で使ってごめんなさい。

「敷地内で侵入者が鏡とどんぱちやらかしたんなら、警察か警備会社くらい呼んでるだろうと思って聞いたが……一家心中とは、派手な騒ぎがあったもんだ」
 ここへ来るまでの車の中で、クロロにそうちくりとやられた。
 夢で見た記憶の中には、話していないこともある。特に、自分が屋敷を振り返って、“生きてる人間はもういない”と思ったことや、それが“仕事”だと認識していたことなどは。
 昔殺し屋だったかも、と話しても、きっとクロロはふーん程度で済ませるだろう。そうは思っても、まだ自分から言葉にするのは抵抗があり、車でも運転に集中するふりをして何も返さなかった。
 まぁ、口ぶりからして、何か気付いてるのかもしれないけれど。

 でも、一家心中……自殺じゃあ、俺とは関係なくないか?
 やっぱ、ここじゃないんじゃ?

 ……でも、あの、プレハブの管理小屋。
 鏡こそ置いてないけど、そっくりすぎ……と複雑な心地で林の中に佇んでいると、ぷらぷらと散策していたクロロに背後から声をかけられた。
「どうだ?」
「え……何が」
「遊びでお前の思い出巡りをしてるわけじゃない。何か思い出したことは?」
「……なーんにも」
 目を合わせないまま答えるも、それでクロロがめげた様子はなかった。
「夜まで待つか。それと、鏡でも置いてみるか? そうだな、屋敷からまっすぐ管理小屋に歩いた先……あの辺か」
 さくさくと、軽快に落ち葉を踏んでいくのをこっちは苦い顔で見送る。

 何も思い出しはしないものの、さっきから腹の中がざわざわとうるさかった。
 風が爽やかに吹きぬけるこの林に身を置いていると、一見似つかないはずなのに、あの林が過ぎる。血の匂い漂うあの真っ暗な林が、隙あらば重なろうと目の前をちらつくのだ。
 ここだっていう証拠は……と目をつぶっても、
『ここじゃない証拠もない』
 そんな、まるでクロロのように冷静な否定が自分の声で聞こえてくる。
 そりゃ、そう、だけど……と弱気になって目を開ければ、見えてくるのは針葉樹林や管理小屋、事件のあったお屋敷だ。自分の見つかった場所や位置関係まで含めて考えると、ここなのかも……という方へ傾いていく。
 体の中で騒ぐ不安が、胸の辺りまでせり上がってくる。
 ……嫌だ。
 ここにいたら、ホントに、また――

「やっぱさ、無駄だって!」
 はやるようにクロロの姿を探し、声を張り上げた。
「俺、全然ピンと来ないし。日が落ちる前にせめて市街地まで戻んないと、宿だってさ……」
 そう訴える傍ら、他にいくつもいくつも帰る理由を考えていたのでしばらく気が付かなかった。肝心の相手がまるで聞いておらず、別の何かにご執心だということに。
 無視されるのは慣れたものだが、今ばかりは焦燥感に駆られる。ずるずるとこの国、この屋敷まで来てしまったとはいえ、あの夜の記憶に肩を叩かれた今はもう一秒だってここにいたくない。

 自分の手に、視線を落としているクロロ。
 その鋭く細められた眼光の意味も考えず、「何やってんすか」 とは急かす。
 遠目に、手から細い紐がこぼれているのが見えた。
 それがくっついている小さな物体を、親指で転がしたり、裏返したりする動作は品定めでもするかのようにとても緩慢で、の焦燥に火をつける。
 苛々と息を吐く。
 何だよ、そんなの――
「そんな落ちてたやつなんか通じないって。いいからもう行きましょーよ」
 早く早くという思いだけで一気に言ったので、特に意味のあることを言ったつもりも、変なことを口走った意識もなかった。
 ただ、クロロは顔を上げた。一度手の中の物を確かめると、何か確信したような顔でこちらに向き直る。
「通じないって?」
「ん?」
「これが何か、そんなところから判断できたのか」
 手のひらを下に向けて開くと、クロロの中指に丸っこい物がぶらさがった。つるっとした卵型。何か模様が描いているようだがはっきり視認はできない。
 あれ、と思う。
 確かに、一般的な形ではない。しかもこんなに離れていて、更には手の中に隠れてしまっていたのだから通話ボタンもマイクも見えるわけがなく、クロロが指摘するのも最もだ。
 しかしは当たり前のように認識していた。
 それは、無線機だ。
「あ……」
 どうして分かったのか、どこでそれを見たことがあるのか、思い至って胸が大きく音を立てた。
 林だ。
 あの真っ暗な林を、けだるく歩いていたその時、電子音が鳴った。

 ピピピピ――
 誰かからの呼び出し音が、記憶の底から蘇る。

 側頭部が痛んだのと、クロロが手首をスナップさせたのは残念ながら同時で、投げてよこされたそれを受け取ることはできなかった。
 雑草に埋もれた無線機の傍に、膝をつく。拾おうとしたのではなく、単に頭痛に耐えかねただけだ。
「……っ」
 奥歯を噛んだ。
 だから、帰りたかったのに。

 狭まった視界が、無線機に描かれた六芒星でいっぱいになる。
『言っただろ、仕事一つ終えるたび逐一連絡入れろって』
 機械越しに聞こえる単調な声が、頭痛と相まって渦を巻く。痛い、気持ち悪い。こっちがそんな状態だというのに、足音すら立てず傍観を決め込んでいるクロロがムカつく。

『……の言う通りだ、連絡は怠るなよ』
 次いで唐突に降ってきた声に、もう泣きたくなった。
 低く、ある程度の年齢を感じさせる落ち着いた声音。
 まったく聞き覚えのないような、でもよく知っているような。そんなもどかしい感覚は、次第に無線機を握るゴツゴツとした手の映像へと結びついていく。
 誰?
 ……いや、いい、知らなくていい。思い出さなくていい。
 最悪だ。
 泣きそうだ。
 だから、俺は、来たくなんか――



* * *



「無線機は?」
 歩く背後から、声が投げかけられる。面倒くさいと思いながらも、左の腰ポケットから丸っこい機械をコード伝いに引っ張り出し、ぷらぷら揺らしてみせた。
「分かってるよね。仕事が一つ終わったら完了の連絡入れること。クライアントへの報告もあるんだ、お前が殺ってハイお終いじゃあないんだから……聞いてる?」
 聞いてないね、と背後の人物は自己完結する。
 それに肯定も否定もせず、変わらぬ速度で石造りの廊下を歩き続けていたが、「あ。親父も言ってやってよ」との声には体が反応した。

 止まり、つま先の向きを少しだけ変え、視線をゆるりと動かす。石床に伸びるくねった髪を持つ影と、その人の手元が見える程度に。
「イルミの言う通りだ、連絡は怠るなよ」
 その人が示すように握る、自分と同じ無線機。
 殺し屋の証。家族の証。
 それをゆるく開いた視界に収めたまま、ひとつ、小さく頷くと、つま先を戻してまた歩き始めた。「連絡すると思う?」 「さあな」 という会話を後ろに聞きながら。



* * *



「で?」
 助手席にゆったり沈み結果の報告を求めるクロロを、ハンドルに突っ伏したままじろりと睨む。こんな心身にダメージをくらった涙目なんかに、攻撃力は無いのだが。
 せめてもの救いはみっともなく意識を失わなかったことだ。しかしそれ以外は、まんまとクロロの見立て通り、そしての願わなかった通りになってしまった。
「……ちっちゃくなってましたよ、飛行船で確かめた時より確実にね! これで満足ですか! ひどい……ひどすぎる……俺の大事な武器庫を、師匠が勝手にどーにかする権利なんてあんのかよ……っ」
「確実とは、どれくらい?」
 さめざめとハンドルにすがりついた後半は、やはりスルーされた。
 むすっとした顔で起き上がり、コンコンと窓ガラスを叩いてみせる。
「この、余計な買い物のスペース分くらいは、がっつりいかれちゃったんじゃないんすかねっ」
「そうか」
「……一応いやみなんですけど」
「そうか」
 不発に終わりすぎて、再びしおれるようにハンドルへと逃げ込む。
「あー……だから来たくなかったのに。もう帰りたい、こんなトコもういたくなんか」
「ああ、そうしよう」

 数秒、それが空耳でないことを確認したあと、えっ、と目を丸くした。
 そうしようって言ったの?
 帰郷騒ぎが持ち上がって以来、こちらの要望を快く飲んでくれたことなんて無かったのに。引っ張り続けていた紐を急に離された感覚に、拍子が抜け、「いいの?」 とつい心を弾ませかけたが……
「確かめたいことは確かめた。もうこれ以上無駄に容量を減らす必要もない」
 瓢々と言ってのけるクロロに、すぐさま自分の間違いに気が付いた。

 単にやりたいことやっちゃっただけじゃねーか!
 自分勝手なのには変わりないのに、何ちょっと喜んでんだ俺のアホー!

 顔を押し付けすぎて盛大に鳴るクラクションにもかまわず、自己嫌悪。
 気持ちの浮き沈みに振り回されるに、当然気付けるはずが無かった。
 当初のやりたいことはもうやってしまったが、新たに、この国でやっておくことが増えたクロロになど。




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昔の夢主の優先度。兄<<<<<<父。