49.懇談会




「お宅の、もう手の施しようがないほど武器に心酔しきっているご子息を預かっている。特に返す気は無いが、無事を知りたければ、彼を見失った場所まで来るといい」
 ピッ、と切ったのはケータイではなく。
 弟子が受け取りを拒否した、無線機。



 *



 病院の食堂は、一般にも解放されている。入院患者は病院食があるので、利用者はもっぱら通院患者やお見舞い客だが、今日はそのどちらにも当てはまらない人間もいた。暇なので飯を食いに来た旅行者、だ。
 とは言うものの、ミックスフライ定食のエビフライ、コロッケ、メンチカツを一口ずつかじったっきり、昼食を取る手は止まっていた。

 午前中はずっと宿で練をしていたので腹は減っているはずなのだが。
 どうにも……。
 つけ合わせの千切りキャベツをつつきながら一人で吐くため息は、調理の音や周りのおしゃべりに負けて消えていく。
 ついにそれもやめて頬杖をつき、目の前の、誰も座っていない席をぼんやり見つめていたが、不意に現れた天ぷらうどんに顎から手を離した。
くん、一人かい?」
 トレイを置き、椅子をひいたのは白衣を着た老齢の男性。
「お兄さんは?」
 そう、絶賛誤解中の院長先生だ。
「えーっと……今ちょっと別々です」
 箸を割る先生に合わせて、自分もフォークを握りなおしてキャベツをつっつく。今って言うより、おとといからなんだけど……と心の中で付け加えながら。

 この国に滞在してもう五日目になる。一日目で用は済んだと思いきや、その晩、次の日と連続でソシオシティ郊外に宿泊した。三日目に突然「何日かで戻る」 と言い残したかと思えば、五日目の今も所在不明で……正直、こっちは何がなんだか分からない。
 戻るって言ったから、戻ると思うけど……
 吐く息と共に肩が下がったのはまるで無意識だったが、正面の医者は目ざとかった。
「そうか、さみしいね」
「何がっすか?」
「せっかく会えた家族なのに」
 五秒くらい、いい加減本気で訂正しようかと思い悩んだ。
 しかしクロロも言っていた通り師弟関係なんてうまく説明できそうもなく、諦めて、とりあえず“さみしい”の部分だけは全力で否定しておくことにした。「ふらっといなくなんのは毎度っすよ。あの人は自分勝手が服着てるようなもんですから!」 と笑い飛ばせばこの話は終わると思ったのだが、診察してきてうん十年のお医者さまは何とも観察眼に優れていた。
「でも、食は進んでないみたいだね」
「えっ、いやこれは、師しょ……クロロがどうってことじゃ」
「じゃあ、他に悩みが?」
 指摘に、バカ正直に言葉に詰まらせた自分を格好悪いと思った。今更大げさなジェスチャーを交えていや何もと取り繕っても、院長先生はごまかされてくれないだろう。
くん」
 小さな目を細めて作った皺は、先生の優しさの象徴だ。
「例え記憶が戻っても、家族と会えても、きみが私の元患者さんで、身元引き受け人だったことはずっと変わらないよ。何か力になれるなら、頼ってくれていいんだからね」

 それは、ここ数日一人きりで、悩みを言葉にもできず悶々と抱え続けたにとって眩しすぎる言葉だった。
 相談しても、いいのかな。
 そう思うや話したい欲求は一気にあふれ出て、口は「あの……」 と開いていた。だが――そこからは続かない。続けられなかった。念能力に深くまつわるこの悩みは、“お兄さんってのは嘘っぱち”ということ以上に説明し辛く、一から長々話したとしても解ってもらえる自信はない。
 言いかけておきながら口をつぐんで、食器へと視線を落とすに、しかし先生は嫌な顔一つ見せなかった。
「忘れないようにね」
「え?」
「私よりも、君に一番近い人のこと。きっと私に話せないことも話せるだろうし、力にもなってくれるはずだよ」
「それって……」
「早く帰ってくるといいねぇ」
 はは……やっぱし。
 誤解の影響はどこまでもデカい、とは苦笑する。

 だが、先生はクロロをお兄さんだと誤解しているから一番近い人と称したのだろうが、それは、全部が全部間違っているのだろうか。
 クロロになら話せる。
 答えもきっと……示してくれる。
 自分にとって、“師匠”というのは、“実の兄”に劣るものなのか。

 うどんをすすり始めた先生にならって、自分も食べかけのエビフライにフォークを刺す。少しだけ出てきた食欲に従って、しっぽごと口に放り込む。
 今、何してんだか。早く帰ってくればいいのに。



 *



 一家心中という惨劇と、ついでに念能力者が一人記憶喪失になるという出来事がここで起こってから、一年。
 立派なお屋敷といえど、電気の通っていない空家は物悲しささえ感じるほどに薄暗かった。また、人の手が入らなくなって久しいリビングは少し身動きするだけで埃が舞い上がる。
 だが特に気にせず、クロロはソファに腰かけていた。空気の悪さには慣れている。ソファの埃だけは服が汚れない程度に払ったので問題ない。
 それからカーテンを少し開け、本が読める程度の明かりも採っている。昨日と今日で、三冊消化。現在四冊目の既に後半――
 それを、閉じた。
 上げた視界には、埃まみれだが豪奢さが伺える調度品と、黒い染みがそのままにされている壁、ベランダへと続く窓と、風に泳ぐカーテン。
 そして、感じた気配通りに男が一人立っていた。
 知らない顔だ。予想していた銀髪でもない……自分が呼んだ人物には、違いないのだろうが。

「思っていたより早かったな。パドキアからなら明日になると思っていたが、近くに?」
は?」
 長い黒髪をなびかせる青年に、世間話をする気はないらしい。一方でクロロは相手の質問には答えず、ふぅん、と眉を動かした。
 銀髪ではないが、やはりあの家の人間のようだ。そう確認すると共に、“”、は本名だったのかと少し意外に思った。
 しかし本人は偽名だと思っている。どこで、どんな経緯で知ったのやら……
「どこ?」
 青年が言葉を変えて再度問う。表情こそ能面のようで声にもさして抑揚がないが、わずかにオーラが波立っている。そんな彼に、クロロはテーブルを挟んだ向かいのソファを示した。
「まあ座るといい。オレの家じゃないし、お茶も出せないが」
「誘拐犯とお茶する趣味はないよ」
「人聞きが悪いな。オレは預かってると言っただけだ」
「どこにいる?」
 あくまで会話のキャッチボールをするつもりはなく、そしてどこまでも“誘拐犯”への警戒を解く気はないとみえた。バルコニーと部屋を隔てる境界を決して踏みこえようとしない彼に、やれやれと苦笑する。
「ゾルディックの人間らしい警戒能力の高さだな。と言っても、他に一人しか知らないが」
のこと?」
「いや。年齢からして、キミらの父親じゃないか? 流星街に仕事に来たことがある。オレの仲間が依頼人を消したから、互いに命のあるまま終わったが。ここへ来るのも彼かと思っていたよ」

 無表情なのは変わらないが、青年は何か考えるように長く沈黙した。やがて、変わらぬ表情をほんの少し傾けて、口を開く。
「……クモ?」
「ああ」
 驚いたのか納得したのか、よく分からない顔で青年はへぇ、と唸る。
「あの時親父、お前のこと褒めてたよ。よほど強い相手でなきゃ、オレたちに近づくななんて言わないから」
「意外だな。あの時は、わりと半殺しにされたんだけど」
「でも、近づいたんだは」
 ここに来た目的を忘れようとしない青年に見習い、こちらも思い出話は早々に切り上げることにした。
「記憶喪失なんだから不可抗力だろ」
 青年の、感情のない目がつと細まる。
「ホントにそうなんだ」

 再び口を閉ざした彼は、傍目にはただただつっ立ってるようにしか見えない様子でこちらを凝視する。その実、きっと様々な要素を天秤にかける作業を忙しく行っているのだろう。
 やがてリスク計算に彼の基準で折り合いがついたのか、何の前触れもなしに線を踏みこえた。床をぎしりとも鳴らすことなくリビングを進み、向かいのソファに腰かける。
 そういえば、いつもボロ宿に泊まっていたはずだが、あいつも足音は静かだった。
 暗殺者っていうのはそんなものなのかもな、と考えながら、「クロロ・ルシルフルだ」 と名乗る。
「そっちは?」
「全部調べ上げて誘拐したんじゃないの」
 誰が好きこのんであんな万年作業着の武器マニア男をさらう。
 クロロの中の常識が突っ込みの声を上げたが、特に微笑は崩さないまま、ジャケットの内ポケットに手を入れた。
「ゾルディックに関しては、暗殺を家業としていること、それから、仕事中の連絡にはこれを使うことくらいしか知らないな」

 まずは取り出した無線機を、ガラステーブルの上にこつんと置く。
 かつて流星街を訪れたゾルディックの殺し屋が、依頼者が死んで仕事が無くなったことをこの機械で知らされているのを、霞む目で見た。こちらの劣勢が変わる一報。それをもたらした無線機の、印象的だった六芒星。
 五日前の夕方、『もしかして?』 と思わせたのは、その記憶だった。

「ここに落ちてたやつ?」
「ああ、だがオレが見つけた時は木に引っ掛かっていた。いや……」
 無線機と一緒に取り出していたものを、指を開いてからんと転がす。
「木に刺さっていたこの鋲に、引っ掛けられていたんだったな」
「うん、それオレの」
 ゾルディック家の青年は鋲がまだ転がっている内に手を伸ばした。拾い上げ、慣れた様子で服に刺す。その手で、今度は無線機を摘まみ上げる。
「ここが消息の途絶えた場所だから一度捜しにきたんだよね。けど、これが落ちてただけ」
 顔に近づけ、コードを指に引っ掛けゆらゆらさせる。
「持って帰ろうとも思ったけど、やめて、オレが来たってメッセージに引っ掛けといた。まぁ記憶喪失じゃ意味なかっただろうけど」
「そうでもないさ。おかげでこうして消息が掴めたろう?」
「感謝しろって言いたいの」
 誘拐犯のくせに、とまた続く前にクロロは、
「あの夜」
 自分の用意していた話をそこに被せた。
「念能力者に襲われたようだ」

 どうしていなくなったか。
 きっと、家族にとっては居場所の次に知りたい情報だろう。口をぴたりと閉ざした青年が望む通り、クロロは知りえるすべてを口にする。
「無線を切った直後のことだ。どうにか命は永らえ、トラックの荷台にでも倒れこんでこの国の南部、八十キロ離れたソシオタウンにまで逃れ、翌朝バイパス沿いで発見されたんだ、記憶を失った状態でな。病院までは捜さなかったか?」
 背もたれに沈む朴念仁が、気持ち不機嫌そうに見える。
「その後一年各地をふらついてたらしいが、オレが会ったのは一ヶ月前。本人がすっかり忘れた念の扱いを教えて、その延長で少しばかり記憶を取り戻せないかとこの地に戻り、この場所までたどり着いたというわけだが……」
「思い出したの」
「今話した“記憶をなくす直前の出来事”、それ以外はまったく」
 今回また何か思い出したようだが、内容は聞いていないし、細かい説明も面倒くさいので省略。しかしその他彼にとって有益な情報は積極的に伝える。
「襲ったのは鏡を使う念能力者だ。あるいはそいつが直接的に記憶喪失に関わっている可能性もある。捜してみるのも一つじゃないか?」
「親切だね」
「下心があるだけさ」
 青年にやや警戒色が滲んだ気がするが、構わずクロロは続ける。
「有益な情報には、それに見合う報酬が発生するものだろう?」

 死んだ魚のような目が、ゆっくりとひとつまばたきする。
「……クモってみんな似たようなこと言うね」
 少し首をひねって訝しんだが、彼は別に、と足を組んだ。
「お金? それともウチに仕事でも頼みたいの」
「いや、こちらも情報が欲しいだけだ」
「何」
・ゾルディックの、記憶喪失以前の念系統について」

 肘掛けに頬杖をついて、しばらく黙っていた彼がやっと言ったのは、「何それ、流行ってるの」 という感想だった。次いで唐突に、知った名前を口にする。
「ヒソカってクモだろ? あいつに聞けば?」
「ヒソカ?」
 約一年前団員の一人を殺し、その空き番に座った男。自分にとってはそれなりに耳馴染みのある名前だが、弟子の実兄から聞くとは予期していなかったためついオウム返しをする。
「機会があって、が記憶喪失だってことだけは彼から聞いてたよ。その時に同じようなこと訊かれて答えたから」
 一体ヒソカはいつのことを知ったのか、機会とは何なのか、そしての方もヒソカを知っているのか――
 短い時間で次々疑問が沸いてきたが、とりあえずは蓋をした。知りたいのは念のことだけだ。
 関係性が不明瞭で、かつ新たに見返りを求められそうなヒソカに訊く、なんて選択肢は無い以上、余計な質問をしてはぐらかされるのはごめんだ。予定通り目の前の彼と情報交換を進めるため、クロロは微笑を浮かべる。
「旅団に近づくなって、言われてたんじゃないのか?」
「なら、この席も立った方がいいかな」
「それは困るな、報酬がまだだ」
 笑みを崩さないクロロに、青年は肩を下げ、なんだかわざとらしいため息をつく。「系統だけでいいの」 との確認ににこやかに頷いてみせると、みんな系統聞くの好きだねとの独り言に続いて思っていたよりさらりと報酬を口にしてくれた。
「操作系」

 貰った答えと共に、ソファと思考の海に沈む。
 ……これで、の念能力のことで“こうなのかもしれない”という仮定や仮説はもう無い。
 特質系でも、特質寄りの操作系でもなく、やはりあいつはただの操作系能力者だった。あの念空間は元から持っていたのではなく、操作系能力に代わり、まるで失ったものを埋めるように発現した、いわば仮りそめの能力なのだ。
 だから、思い出せば徐々に消えていく。
 特質系なのは、今だけ。
 今だけだ。

 無線機のこと、念のこと。クロロが確かめたかった二つの用件は済んだ。もうやることは何も――
「けど、こっちも肝心な情報がまだなんだよね。、どこにいるの」
 気持ちは既にこの屋敷を後にしかけていたクロロは、ああそうだっけと青年にピントを合わせ直した。
「無線で言っただろ、“特に返す気はない”って。……いや。今じゃないが、近いうちに返すさ」
 そう言い直しても、青年の疑うような視線が絡み付く。表情も声も単調だが、性格は割と粘着そうだと勝手に分析していると、それに反して青年は、視線をあっさりはずして席を立った。
 埃をかぶった固定電話の横の、メモ用紙にペンを走らせる。
「じゃあ、その気になったら連絡してよ」
 破り、テーブルの上に滑らされたそれには携帯番号が書かれていた。が、番号だけだった。名前は書かれていない。
 困ったような顔を作って、ケータイを取り出し大げさに悩んでみせた。
「顔の似てないブラコン兄貴とでも登録しておこうか……」
「イルミ」
 肩越しにそう名乗った時には、彼は部屋とバルコニーの境界を踏んでいた。
 風になびく黒髪の、その傍の、血染めの壁が目に入ってついでに問う。
「そういえばここであった一家心中は……」
の仕事」
 まぁそうだろうな、とは思っていた。ゾルディックは高い請負料をとる分、ただ殺すだけでなく依頼者の要望にも臨機応変に応えてくれるというネット情報だ。
「自殺に見せかけることができるような、操作系能力か」
「ヒソカに聞けば」
 最後にそう言って、イルミの姿は屋外へ消えた。

 客人のいなくなったリビングで、ヒソカか、と考える。
 確かに気になる点はあるが、連絡は、やはり取るまでもないと結論付けた。
 まず、の昔の能力にこれ以上の興味はない。ナイフをくるくる、とか言っていた記憶の話を合わせて考えれば、操作対象はどうせ武器なんだろうと思うから。
 また、仮に二人が知り合いだとしても、もっと仮に、ヒソカが何かしらの執着をに持っていたとしても、それが自分に何の関係があるというのだろう。

 あいにく欲しいものを盗むのに、他人に伺いを立てたことなど一度もないのだ。




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捏造ファーストコンタクト