5. 一次試験





「一体どうなってんだ……! もう三時間は経つぞ!」

 見るからに短気そうな大柄の男が、大きな独り言を叫んだ。
 男の言っている事は事実で、『受付を終了した、もうすぐ試験官がくる』という内容のアナウンス以降何の音沙汰も無いまま、受験者達は地下室の淀んだ空気を、正しくは三時間二十一分吸い続けている。
 ざわつきは、もはや一秒も絶えることがなかった。

 そんな彼らとは違って、の機嫌は時が過ぎる毎にすこぶる良くなっていった。代わりにシャルが眉を寄せて呻っていたが、それこそは彼の予想がはずれた事の証明だった。
「やっぱり、何にも入って無かったんだよ、あのジュース」
「おっかしいなぁ……」
「考えすぎ! あー心配して損した!」
 我が身の健康を喜び、組み合わせた両手をうんと伸ばす。ついでに凝り固まった体をほぐすように上半身をひねると、ぶんっと振った手が誰かに当たってしまった。
「あ、すんま……」
 謝る間など、与えられなかった。
 手が当たった誰か──筋肉を剥き出した男の足が、全く遠慮の無いスピードで目の前に迫る。
「うわっ……!」
 は上半身を反らし、ブリッジのような体勢でそれをかわす。そして耳の横についた手を支えにそのままバック転。トンッ、とシャルの真横に着地した。
 男の舌打ちが聞こえ、彼は苛立ちを全身で表しながら去っていった。

「あっぶねぇなー」
「刺激しない方がいいよ。ほとんどあんな感じだろうから」
 ……確かに。
 周りをよく観察してみたは、シャルに同意した。さっきの筋肉男みたいに眉間に皺をつくり、口を歪め……あとはそれぞれ舌打ちしたり、指で膝をせわしなく小突いたり、頭を掻いたり怒鳴ったり。人によって動作は違うが、皆一様に苛立っていた。

「退屈だろうとは思ってたけど、ここまでとは思ってなかった」
 ため息と共に言ったのは、いつの間にか近くにいたマチだ。
「まぁまぁ。やる?」
 シャルが取り出したのはケータイだった。
 ん? 電波は入らないんじゃなかったのか? そもそもやるって何を?
 マチの手に渡る所を覗き込んでみると、画面には"パッキュマン"の文字が出ていて、その下をホールケーキの一部をカットしたようなキャラクターがピコピコ走っていた。
 あー、もしかしてゲーム?
 ケータイを持っていないは(連絡する人もいないし)こんな事もできるんだなぁと、また1つ学習する。
 しばらくすると、マチの指に合わせてゲーム効果音が聞こえ始めた。

 再び周りを見渡してみた。苛立った受験者達を内包するコンクリートの壁、天井。薄暗さは相変わらずだが、目は十分すぎる程慣れきっているのでヒビの一つ一つまで見える。だが厚いコンクリートにとってはひっかき傷に過ぎないようで、ここがさながら金庫の中のような密室であることに違いはなかった。
 視線は最後に、天井の真ん中にあるスピーカーを捉えた。達を見下ろすそれが、音を発する気配はない。

「何かあったのかなぁ?」
 沈黙する箱をぼんやり見つめていたが、ふと思った事があってまたキョロキョロし始める。その目はある物を探していた。
「監視カメラとか、どこかね」

「何であると思うの?」
 シャルのその尋ね方には、分からない事を訊く純粋な質問とは違う色があった。先生が生徒に、どうしてそう考えたのかな?と正解へ誘導しようとしているような、そんな感じだ。
「だって、『342名の皆さん』って言ってたじゃん。こっちの様子は分かってるって事だろ?」

 "先生"は眉で八の字を作った。
「残念でした。番号札を配ってた奴がいたろ? 人数はそれで把握できる」
「あ、そっか」
「でも監視をしているのは間違いないだろうね。そしてヒントは放送にある」
「何、何?」
「ここから先は情報料、いただきましょ」
「えーっ! 俺、金なんか持ってねーよう!」
「対価は何も金だけじゃないよ。そうだな……また一つ訊いてもいいか?」
 それで教えてくれるなら何なりと、とは素早く頷いた。

「ほんっっとに、どこも異常無いのか?」
「……しつこいっ!」

「はぁ……ショックだな、読み外すなんて」
 そんなに俺に何とかなって欲しいのかっ?
 しかし放送の一体何がヒントなのかが気になる欲求には勝てず、複雑な思いはどうにか押し込んで、シャルにさっきの続きを促した。

「じゃあ、一字一句よく思い返してみよう。覚えてる?」
「……えーと、『もうすぐ試験官がそっちに行くから、試験が始まるまでもうちょっと待っててね』……だっけ?」
 シャルは心なしか呆れ顔をした。
 あれ、違ったっけ?
「……まぁ、要点は押さえてるから、いっか」
 呆れ顔は次第に、しょうがないなぁというような表情に変わり、「いいかい?」の言葉を合図に先生の講義が始まった。

「ここで大事なのは、"試験"という言葉だ。ハンター試験というのは通常、五、六個のテストが用意される。第1次試験、第2次試験という風にね。ああ、これは来る前にちょっと調べてきたんだけど」
 新人潰しのトンパさんの情報を見かけたのもこの時さ、とシャルは苦笑いをする。
「番号札を配っていた奴も"第一次試験"という言葉を使ってた、にもかかわらず、放送では、"試験"。アナウンスの口調がかしこまっていた事も踏まえると、こういう場合は、あえてそう言ったと考えた方がいいね」
「何で、そう言ったの?」
 訊いた後、はすぐに「ちょっと待って」と口を開きかけたシャルを制止した。
 自分で考えるから、自分で。えーと…
「……第一次試験、とは言えなかった?」
「という事は?」
「……第一次試験は、始まらないって事?」
「残念。正解は、しばらく待って始まるのは第二次試験、です」

「……ええ!?」
 心底驚くの斜め上で、少し残念そうな音階のゲーム効果音と、マチの「あー」という声がした。

「それ、放送聞いた時から分かってたの?」
「まさか。でも、三時間も待たされちゃね。そっちの線が濃厚になってくる」
「ってことは、今まさに試験中ってことか……」
 そこでようやく、この話題が始まるきっかけになった疑問が解消された。
「そっか、だから監視してるのは間違いないってことなんだな」

 出来の悪い生徒の頑張りが嬉しいのか、それともさっきの読みはずれを挽回できた事が誇らしいのか、「そゆこと」と言う顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「あえて試験としか言わなかったことから、嘘をつく気はないらしい。だからじきに試験官は来るはずだよ。それまで大人しく待ってるのが得策だね」
 と言ってから、シャルはふと視線をずらした。
「あいつらみたいにね」

 つられてその方向を向くと、確かに目に付く人物がちらほら存在していた。苛立ってそれぞれの癖を路にしている受験者達とは明らかに違っている人たちが。
 壁にもたれて、パイプを吹かしている年老いた男。
 周りの騒々しさにはぴくりとも反応せず、ただただ座禅を組んでいる、やせ気味の長髪ヒゲ男。
 鏡を手に、念入りに化粧直しをしている女性。……水着のようなトップスとミニスカートは、必要以上に肌の露出度が高い。
 他にも、帽子を被った三人組や、黒い肌のサングラス男、体格のいい武闘家風の男なども落ち着いて、それぞれ騒ぐことなく時を過ごしているようだった。

 ああいう奴らなんだろうな、きっと、ライセンスを手にしていくのは。

 彼らと、周りの喧噪との間には確実に見えない"壁"があった。それを感じた時、は漠然とそんな事を思った。
 こんな奴らのいる中で合格していくのは、本当に雲を掴むような話なのかもしれない。ルーキー合格率は三年に一人……トンパの言葉が頭を過ぎる。

 ……でも。
 は拳を握りしめた。

 俺にだってここにいる理由がある。
 自分の過去を探し出す。あらゆる情報が入手できるハンターライセンスがあれば、それも可能かもしれない。それが譲れない俺のハンター志望動機だ。

 俺の周りには壁は無いかもしれない、でも、譲るわけにはいかないんだ。


「ま、もし我慢比べっていうんなら、二、三日このままかもね」
 僅かに立ちこめた暗雲を取り払おうとしていたへ、シャルはさらりと雷を落とした。
「……マジ?」

「飽きた」
 マチが放り投げたケータイを、床に落ちる寸前でシャルが機敏にキャッチした。
 危ないなぁと文句を飛ばす彼の横で、はまたルーキー合格率に不安を覚え始めていた。






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帽子の3人組→アモリ3兄弟、黒い肌のサングラス男→ゲレタ、武闘家風の男→チェリー。
原作でトンパが紹介してくれる常連さんたち。
その前の老人・ヒゲ男・化粧女はオリキャラで……。