54.数える




 背後から迫りくる気配に、自然と体が反応した。
 素早く反転し、バックステップ。そうやってに避けられることを予期していたのだろう、空振りに終わる攻撃などせず、クロロも地面だけを蹴って追ってくる。速い。しかしすぐさま距離を詰められるのを、今度はの方が予期していた。もうこれを何十回、何百回と繰り返しているのだから。
 二十四時間、攻撃を避け続けること。
 最初こそ初撃を察知することに多大な神経を注いでいたが、数日が経つ今では様相が一変していた。

 風を切り裂く右手の突きを、紙一重で避ける。次に来ると予想される左からの攻撃に備えるためだ。が、思惑とは逆に空気を介してちりちりと伝わってきたのは右足からの圧力だった。
 おとりの右腕の裏から、追撃してくるひざ蹴り。
 そっち!? と慌てたが、当たるわけにはいかない。積み重ねた二十一時間が無駄になる!
「くっ」
 運動能力を総動員して無理やりひねってかわす――しかしクロロもまたコンマ一秒も間を置かず反転、刃のようにオーラを研ぎ済ませた左手を武器に突っ込んできた。
 明らかに喉元を狙った高めの手刀を、下に安全圏を見出してしゃがんで回避、そのまま両足をバネをフルに使って真横へ緊急離脱。
 しかしクロロは追ってくる。息をつく暇もなく、離脱、回避、また離脱。

 二十一時間の内訳には、クロロが飽きたりおなかが空いたり飽きたりして一人で勝手に町へ戻っていた空白の時間も存在する。
 とはいえその間もはいつ襲撃が始まるかという緊張状態にあり、そしてこの二時間は、ほとんど休まず攻撃の嵐にさらされていた。それだけ避け続けられるようになった証でもあるが……さすがにもう集中も切れぎれ。頭と体の連携も、理想にはとても及ばないくらい機能不全に陥っていた。その結果。
 右の拳が来ることは分かっていたのに、体が追いつかず不様な避け方になってしまった。バランスを崩したのに気をとられ、今度は次の攻撃の予測が立たない。
「っ……」
 頭と体が足を引っ張りあう中、向かって右下からオーラの圧迫感を感じた。
 感じただけだ。避けられない。
 ほとんど死角から飛んできた膝蹴りは、為す術もなくの頬にクリーンヒットした。


「いー……」
 口元から、手を離すことができなかった。
 痛いのは当たり前。さらに血の味が気持ち悪い。口内を切ったどころか、奥歯まで逝ってしまったのかもしれない。
 二十一時間がパァになって、しかもこの有様……。
 絶望にも似た落胆の中、とりあえず歯の生存状況だけは確かめておこうと血の海を舌で探ろうとし、だがやめて、クロロの方を見た。
 変だなと眉を寄せる。いつもなら嬉々として言う『はいリセット』 が、今回はまだ聞こえてこない。
 代わりに、
「この辺にしておくか」
 クロロがズボンの汚れを払いながら零したそんな呟きに、は、両手を患部にやったまま瞳を輝かせた。
「え、お……」
 うまく喋れない。もごもごした後真っ赤な唾を吐き出して、喜び直す。「終わりっすか!?」
 しかし、そうは問屋が卸さなかった。
「ああ、避けるのはな」
「……ん?」
「逃げるのは上手いぞお前は。一度逃亡した時も、ビューティフルストーカーを使わないと見つけられなかったからな」
 それは出会ったあの日に宿の窓をぶち破って逃げ出した話ではなく、この二十四時間回避ゲームの中で、『俺もどっか隠れれば、時間稼げんじゃね?』 と気配を絶って逃亡した件だ。
 かなりすぐ見つかった。そしてただのリセットなら一発殴るだけでいいはずのに、主旨と違うことをするな、と言わんばかりにあのおぞましい花で必要以上に絞め上げられ、ズッタズタのボッロボロにされたのだ。もう逃げたりしないと決めた。百倍酷いことになるだけだと学んだから。
 次に何をするかは知らないが、ひとまずこの地獄から解放されるならいいや、と心から思い、クロロの言葉を待つ。

「今度は、オレの攻撃から逃げないこと」
 その意味を自分なりに噛み砕いて……愕然とした。

「……な、殴られろって、こと?」
「防御しろっていうことだ」
「あ、そ、そっかよかった……」
 てっきり師匠が攻撃を避けられるのにストレスが溜まってきて、『ちょっとお前サンドバッグになれ』 ってことかと……。
 が安堵している隙に、シャツの袖をキレイに折り直したクロロはスキルハンターを具現化していた。気付いて、びくっと三歩下がる。
「避けられなかった判定は簡単だが、避けてしまった判定は面倒だからな」
 言いながら左手をかざした、その先の地面に妙な物が現れる。
 一見、植木鉢からにょろっと生えた植物……だが花の部分が決定的におかしかった。目だ。でっかい目が一つ付いている。
 ぎょろ、ぎょろ、と生き物のように辺りを見回すそいつから、はまた三歩下がった。
 断言できる。こいつも絶対、ろくな花じゃない。

「“あなただけ見つめてる(カウント・カウンター)”。使用者を主語にして指定した事象を、正確にカウントする」
 植木鉢に掲げられている、カードがぱたぱためくれる形式のややアナログなカウンター。その横のボタンに触れて、告げる。
「“オレが、に攻撃を避けられた回数”」
 瞬間、目玉の植物が強いオーラを纏った。
 八桁分のカードがカシャカシャ音を立てて回り、並んでいたゼロが右端を残して消える。まつ毛の生えた目玉がせわしなく黒目を動かしたかと思えば、最後に、に焦点を合わせた気がした。
「さて」
 何やらセットを終えたクロロが立ち上がる。
「こっちも手加減はやめることにする」
「え、あれで、してたんすか手加減……」
「少なくとも、威力の方はな」
 目玉植物から離れ、攻撃を仕掛けるのに良い間合いまで歩を進めたクロロの右手には、未だ分厚い本がページの開かれたまま乗っていた。
「それ……」
 そういえばクロロが念能力を使っている間、あの本はいつも開きっぱなしだった気がした。……いや、色々けしかけられている時はこっちの命が危機に瀕している時なので、毎回確認したわけではないのだが。

 の視線を追ったクロロは、不敵に笑む。
「ハンデだ」
 まだその声を聞き取らない内だというのに、クロロの笑みは眼前に迫っていた。その陰から槍のごとく突き出される左腕。ヒヤリとして、思わず避けた。連続で襲う槍の切っ先にもはや考える暇は与えられず、避ける、避ける、避け続ける。
 最後に横から飛んできた回し蹴りをジャンプして避け――って避けちゃダメなんだっけ。
 攻撃が止んだ刹那に思い出し、ちらりと目玉植物を見ると、カウンターは“6”という数字を刻んでいた。え、もう六回? そう思う以上に、嫌な感じがした。
 あの数字を、むやみやたらに増やしてはいけないような気がする。
 そういう修業だから、ではなく、クロロの出す念能力にまともな物などないことを体が覚えているからだ。

 着地する前に、視界からクロロがいなくなった。
 代わりに背中全体が突き刺すような殺気を受け止め、やばい、と身を縮める。避けてはいけないと思う以前に、これは回避不能だった。急所をかばう右腕に、クロロの蹴りが叩き込まれる。
「――――っ!」
 気がつけば数メートル先の木に激突していた。
 着地もままならず、どさりと根の上に墜落するの脳裏にさっきのクロロの台詞が過ぎる。
『手加減はやめることにする』
 あれは真実なんだと、この一撃で悟った。
 二十一時間の最後に頬にくらった膝蹴り。あれだって、クロロが本気だったならきっと歯が折れるどころか、頬骨、鼻骨まで粉砕コースだったに違いない。
 いや……今くらった蹴りが、百パーセントの本気である保証はどこにもないけれど。

 痺れ、感覚のない右腕をぶら下げてようやく立ち上がったは、二本の足で地面を踏みしめ――オーラをほとばしらせた。
 それで正解と言わんばかりに、佇むクロロは小さく笑む。
 クロロの攻撃は念の攻撃。蹴りの重さはオーラの重さ。ならオーラで防御するしかない。
 “堅”という名前は頭に浮かんでこなかったが、ともかくこれで仕切り直しだとクロロと向かい合う。その彼が、消える。

 ……だっからもう! なんで避けちゃうかな俺!!
 真上からの落下による襲撃を、意表を突かれたとはいえ横に飛んで逃げた自分に舌打ちした。不気味なカウンターが“7”に増えたことを自覚しつつ、次いで追いかけてきたクロロの拳は意識して左肘で受け止める。
 接触した部分がみしっ、と痛んだことに眉を寄せた。全力の練で、まだ足りない?
 勢いに押されて屈み込んでしまったところへ、影が落ちる。クロロの左手が、本を開いた右手と合わさっての頭上への高速落下を目論んでいる――これは無理!
 早々に諦め、飛び退いた後の地面が派手に抉り取られた。オーラを収束させた、クロロの両手によって。
 それをバックステップで遠ざかりながら見つめていたは、そうか、と理解した。
 クロロは今、全身のオーラの半分以上を両手に集めている。
 それを防ごうというのなら、万遍なく守っていては到底無理だ。

 両手の土汚れをぱんぱんとはたき落とし、余裕たっぷりに笑みを浮かべるクロロとの再びの接近、交錯の中、はどこから来る攻撃を、どこで受けるかを考えていた。
 脊髄反射の防御ではなく、斜め下から突き上げてくる拳を、オーラを収束させた腕で迎え撃つ。
 ずん、とのしかかる負荷、ビリビリとした衝撃を感じながらも攻撃を受け止めた、その腕の向こうで黒い相貌が細まったように見えた。
 耐えた。
 耐えた!
 初めて感じた手ごたえへの喜びは、「うごっ」 練の薄くなっていた脇腹への蹴り一発で吹き飛んだ。
 口内に残っていた血が飛び散るほど咳き込むが、黒い悪魔は待ってはくれない。
 彼が振りかざすとんでもない威力の手刀を、どう受け止め、どうオーラを配分し、どう次の攻撃に備えるべきか。素早く判断しなければならないのは分かっていたが、痛みと息苦しさですっちゃかめっちゃかな頭はカラカラ空回りするだけだった。
 よって取れた行動は、まだオーラの多く集まっている左手をほとんど反射的に動かして、弾き、どうにか手刀の軌道を変えただけ――瞬間、の耳はカシャッとカウントアップする音を捉えた。
「ちょ、今の! 避けてないだろ!」
 思わずレフリーに抗議した。しかし試合は続行中。よそ見をしたその後頭部をばちこーんっと揺らしたのは、ハンデのはずの本の角だった。
 ハンデじゃねえ、武器だ!
 右腕や脇腹とはまた別次元の痛みに、もはや耐え切れずに撤退する。左手で頭をよしよししながら涙目でジャンプ。しかしそのスピードは甘く、易々と追いつかれたその脇腹にクロロの悶絶キーック。「げほっ」 血反吐を吐きながら転がったの真上からきりもみ降下。「ちょ、タイム……!」 青ざめて必死に回避するのを逃がすまいと、拳と足蹴りの乱打、乱打、たまに本という名の凶器攻撃。「だ、だからそれ反則……!」


 訴えも空しく、そんな一方的、かつ暴虐的な攻撃が続いた――二時間後。

 吐く血も胃液も無くなったは、ただゼイゼイと呼吸をするだけの物体として地面に倒れ伏していた。
 なけなしの気力を振り絞って片腕に力を込めてみるも、上半身は角度にして約十度しか持ち上がらない。俺のオーラどこ行った。
 もう防御どころか、避けることすら不可能だ。
 それをさすがに察してくれたのだろうか。ろくに開かない目の先で、クロロは攻撃に転じる様子も見せず、ただサクサクと草を踏んで歩いていた。
 黒い靴が立ち止まったのは、この一方的なゲームをずっと見つめていた目玉の植物の前。
 が霞む目を凝らしても見えないそのカウンターの数字を、クロロは植物ごと持ち上げて読む。
「“1084”……随分上がったものだな」

 ……いや、その判定には、かなり異議が……
 あったが、声は出せなかった。それにもういい、どうやら今日のところはこれで終わりのようだから。
 揺らぐ意識に従って、目を閉じかけて……
 ばちっ、と見開いた。
 クロロが「カウント終了」 と口にした途端、目玉植物からおぞましいほどの量のオーラが立ち上ったのだ。
 さらに恐ろしいことに、その唖然としてしまうほどの膨大なオーラが、目玉を掴むクロロの手へじわりじわりと移動していく。
「“あなただけ見つめてる(カウント・カウンター)”。使用者を主語にして指定した事象が、困難であればあるほど。そして数えた数値が上がれば上がるほど、より多くのオーラが蓄積されていく具現化系能力」
 目玉植物が生産したオーラがクロロへ移っていくごとに、植木鉢のカウンターはその数字を減らしていく。やがて、ゼロになったのを境に左腕のオーラは爆発的に膨れ上がった。
「数える事柄の難易度が低すぎるかと思ったが、塵も積もればなんとやらだな」
 さらに、さらに末恐ろしいことには。
 今まで開いていた本をパタンと閉じ、本と目玉植物が共に消え去ったかと思えば、ただでさえ信じがたいオーラ量がまた増した。
 スキルハンターを介して別の念能力を使うのに裂いていたオーラが、加算されたのだ。

 ほら、言った通りじゃん。
 師匠の持ってる念能力で、まともなのは一個もないって。

「さぁ、今日はこれで終わりにしよう」
 左腕に凶悪な攻撃力を携えて、出会ってから今までで一番綺麗な微笑をたたえて歩み寄る美形の怪物。
 一つ訂正しなければならなかった。
 まともじゃないのは念能力ではない。クロロ・ルシルフルその人だ。

 防御や回避どころかまるっきり動けない弟子に、トドメを刺そうとしているその修業の意味って 何……っ!!

 断末魔にも似た叫びが、ゆるやかに左腕を振りかぶるクロロを前にこだました。の心の中だけで。まあ仮に叫べていたとしても、それで何が変わったわけではないだろうが。
 拳にたいした速度はないが、触れるだけでの下の地面に亀裂が走るほど傍若無人なオーラ量。
 唯一幸いだったのは、腹がねじ切れんばかりの痛みを感じることもなく、すぐさま意識が遮断されたことだった。ブツンと、まるで死の瞬間のように。




 死んでは、いなかった。
 目が覚めて初めに見たのは白い天井、それから見知った看護婦さんで、彼女の連絡を受けて駆け付けてくれたのは恩ある院長先生だった。
 あの雑木林からそうは離れていない、ソシオタウンの病院。
 絶対安静の重傷を告げられたのち、は自分がここにいる理由を教えてもらった。
 黒髪の、看護婦さん達の説明によればたいそう美形な青年が、ズタボロ雑巾のと金を病院の玄関に置いて去っていったそうだ。

 色々、我慢した。
 横になっているだけでズキズキと軋む満身創痍な体を、絶で懸命に休めている時も。
 黒髪の男をクロロお兄さんだと察した院長先生に「大丈夫かい……? 何か、酷いことをされてや……」 とめちゃくちゃ心配された時も。
 見舞いに誰も来ない時も、我慢して耐えて飲み込んだ。

 ……だが、二週間後に退院して戻った安宿で、読書の合間にうとうとと昼寝をしているクロロを見た時は、さすがに「あんまりだろ……」 と一人ぐすんと泣いてしまったのは許してほしい。




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カウント・カウンターのモデルは、○ちゃイケの寝起き早食いのヤツなんですが……分かる人どのくらいいるんだろう。