56.警備員




「……おいおい」
 誰よりも早く、その青年は招かれざる客の存在を察知していた。
 彼の他の警備員が未だ気付かずのほほんとしているのも、ただの人間なので無理はない。しかし念能力者の彼は、幸か不幸か、誰よりも先に知ってしまった。
 一人はまだいい。だが、もう一人は……化け物だ。

 青年は人知れず持ち場を離れ、ケータイ電話を手に取る。


 *


 美術館を丸ごと盗むに当たり、まずしておかねばならないことがあった。
 中にいる人間の排除だ。
『全部外に放り出せ。殺す場合は絵に中身がかからないように。死体も外に出すこと。以上』
 これが美術館に入る前に受けたクロロからの命令だった。そして今、手分けしてその作業を行おうとしている。
 むやみに殺す気はないけれど。

 暗い廊下を、懐中電灯だけを頼りに歩く人がいる。シャツとジーンズというラフな服装だが、腕に付けた腕章からここの警備員に違いないだろう。その後ろに絶で忍びよっているわけだが、それにしても、こんなに近くにいてよくバレないもんだとしみじみ念に感謝する。
 低い天井にぶつからない程度にふわりと飛び、警備員を追い越して目の前に着地。彼がまだ「え?」 という顔をしている内に木刀を突き出した。みぞおち一発。白目を剥いた彼の膝が落ちる前に腕を掴みとり、懐中電灯も確保して、音を立てないよう静かに床に横たえた。
 外へ放り出すのは後でいいか、と渡り廊下の先へ向かう。
 警備員は六人。三人ずつという約束なので、あと二人。

 さっきまでの建物は本当に民家のような造りだったので、突然目の前に広がった大きな空間に思わず足を止めた。
 夜に馴染んだ目でその大ホールを見渡すと、上方にコの字を描いている回廊が見て取れた。三階分はあろうかという、大きな吹き抜け広間だ。
 唯一回廊の無い壁には、一面にぐるぐる渦を巻くような、抽象的な絵が描かれていた。ああ、このでかいのを展示するために後から造った建物か、と納得する。
 『サマン町ゴミ処理施設の壁に描かれていたモルジュークの作品。悠久の孤独の不安と悲哀を叙情的かつ革新的に描く』とある説明文と合わせ、しばし見つめた後、首を捻る。
 ……よく分からない。

 と、ゆっくり鑑賞していたの耳に、誰かの話し声が届いた。
 夜中の一時。泥棒と、まだそれに気付いていない警備員しかいないはずの美術館は今まで水を打ったように静まり返っていた。そんな中、響く異質。
 務めて気配を消し、はそちらへ歩を進めた。壁に寄り添い、広間から伸びる細い通路をそうっと覗く。

「だから、こんな事態聞いてねえっての」
 そこには、こちらに背を向け、しゃがみ込んでいる男の姿が暗闇に浮かび上がっていた。光源は懐中電灯ではなく、ケータイ電話のバックライト。耳についたリングピアスがその間近で輝いている。
「……ああ聞いてねえよ。こんな辺鄙なトコにあんな化け物が泥棒……え? 遠目でも見りゃ分かんだよむしろ見なくても分かるぞあんなの。あのオーラに殺気に隙の無さ、歯が立つわけ……っていーよ訳分かんなくて。後で“オーラ”でめくっとけよ。とにかく警備員なんて瞬殺レベルなんだよ。俺逃げるからな」
 あ、逃げるんだ。
 腕章してるから警備員かな、俺らに気付いてるんなら電話中に不意打ちしちゃおうかななどと考えていたのだが、自ら出ていってくれるなら願ってもない。
 それに……ぴたりと精孔を閉じきっている様。会話の内容も合わせれば、彼は念能力者。
 さっきの警備員とは明らかに違う敵に、出ていってくれるならそれこそ恩の字と思ってしまうのは……
 ちょっと情けない?

「は、ふざけんなよ、何とかって……抵抗ってあのな、したら死ぬっつーの。なっ、ちょ……おい!」
 ずっと小声で話していた彼だが、徐々に懇願の地声が混じりだす。
 やがて耳から離したケータイを、苦々しく見つめ、パタンと二つに折った。そこで真っ暗になって表情が窺えなくなったが、代わってため息混じりの独り言が聞こえてくる。
「……バイトで命懸けるとか……あーでも借金……」
 はああぁ……と床に沈殿しそうなほど重苦しく吐き出されていた息が、止まった。青年がぎこちなく頭を上げる。ぎこちなく、こちらを向く。
 目が合った瞬間、顔をひきつらせた青年は五メートルは飛び退いた。

「――って、なんだ、化け物じゃない方か」
 ホッとされるのも何だか癪だったが、比較対象の化け物とはきっとクロロのことだろう。だったらしょうがない。
 その化け物の命令を、弟子の身としては早いところ遂行することにする。
「あのー、危害とか加えるつもりはないんで、どうぞ、外へ」
 道を開けて、一番近い出口のある大広間へと促す。
 そんなを警戒していた青年だったが、「いやホント、盗めればいいんで、外へ出てってさえくれたらもう」 と言葉を重ねれば、ゆっくりと一歩を踏み出してくれた。よかった、平和的解決。
 から目を離すことなく近づき、傍を通り過ぎ、後ろ歩きで大広間に足を踏み入れる青年に月明かりが差す。
 明るい色の茶髪が細いカチューシャでオールバックにされている。さっきも見たリングピアスに、Tシャツの上の二連ネックレス、左右二つずつのごつい指輪、七部丈ゆえにむき出しの足首にはアンクレット――とにかく装飾品の多い男だった。
 年は、俺と同じくらいかな。
 そんな風に色々な感想を持っていたせいで、彼が広間中央で足を止めていたことに気が付くのがやや遅れてしまった。

 オシャレな青年はおもむろに、斜め上空を見た。
 何か思案する風に目を細め、その目を、今度はを値踏みするように動かす。
 それらが出した答えがこの表情なのだろうか――青年は、軽く口角を上げた。
「俺、ここのバイト警備員」
 二の腕にぶらさがる腕章を示す。
「楽で暇で、服は自由、金払いもいいっていうから引き受けたんだけど。このままおめおめと逃げるなら、給料払わないとかぬかしやがってさ」
 さっきの電話のことかと察したが、それ以上に、平和的解決路線が逸れつつあるような、そんな不穏な気配をは感じ始めた。
「だからまぁ……こっちも“抵抗はした”っていうポーズはとらなきゃマズイわけよ」
 話し続ける相手の挙動に注意しつつ、木刀に、手を添える。

 利害が噛み合わなくなったことを、互いが認識する。
 そして二人の内、より戦闘の意思のある方が先に動いた。装飾品まみれの青年だ。
 薄っぺらいナイフが、月明かりの下で彼の手を離れた。
 迫る二本を木刀で難なく叩き落とし、こちらも前へ駆けようと――したが距離を詰めるのは青年の方が速かった。懐に飛び込まれ、繰り出される三本目のナイフの一閃。
 それは頬に触れた気がしたが、せいぜい糸みたいな傷だろう。苦しい初撃を回避したは、続くナイフの横薙ぎを二回弾き、その間に右手にオーラを集める。
 いつもは拳のみを覆うオーラを、木刀の先端まで、伸ばす。
 瞬間、目を見開いた青年はナイフを引いた。
 二連ネックレスを鳴らしながら後ろへ跳躍。木刀の間合いから逃げるように広間中央へ降り立った彼を、今度はが逃さなかった。
 彼もとっさに体を引いたが、木刀の、それを包んで尖る“周”の切っ先がほんのわずか左肩を掠めた。腕章は切り裂かれ、鮮血が噴き出す。
 顔を歪めながらも青年はナイフを振るうのを忘れなかった。はそれに牽制され、互いに退いたことで距離が空く。

「しくった。化け物の連れもそれなりだった……」
 青年の心底だるそうなため息は、にとってはちょっとした賛辞だった。
 それなり、という言葉自体より、“師匠の連れとしてそれなり”という意味が嬉しくて調子に乗りそうだったのだが、しかし、褒めたはずの青年自ら水を差す。
「まぁ……もう食らわねーけどよ」
 何を思ったか彼はナイフをジーンズの後ろにしまって――手ぶらになったそのオーラが、増した。一瞬だ。すぐに収まったかと思えば、今度は周囲に何かが渦巻いたように感じられた。
 こいつの発?
 クロロの持ついくつかの能力が過ぎり、身構える。……が、そうしていても相手は何も仕掛けてこない。なら、愛刀と共に行くしかなかった。

 床を蹴り疾走、何物をも切り裂く木刀を斜め下に構え、微動だにせず笑っている青年めがけて振り上げる。
 それは、避けようともしない彼の大腿部から腹にかけて裂傷を負わせるはずだった。
 だが。逸れた。
 何か見えない力に押し戻されたように、刀は遥か下をふらりと空振りし、のバランスを失わせる。
 やば――!
 ヒヤリとしたのは、杞憂だった。青年が余裕綽々の笑みを浮かべたまま動かなかったからだ。それを幸いと体勢を立て直し、再度木刀を振るった。
 やはり強い力に押し返される。
 今度は真正面からその衝撃を受け、やむなくそれに逆らわずに後ろへ飛んだ。

「“絶対無敵の防御壁(ディフェンサー)”」
 青年が左腕を伸ばし、目の前の空気を撫でる。
 いや、そこにあるのだろうか。
「ムリムリ。この壁は打ち破れねーよ」

 は困惑していた。壁。二度の攻撃はそれに阻まれたのだろう。それは分かる。
 だが見えない。
 目にオーラを集めて凝らしても、彼の周囲にそんなものは存在しないのだ。
 じゃあ何に? 何に阻まれた?

 ここへ来る前にクロロが言っていたことが思い出された。
『相手の知らないことは、こちらの武器になる』
 今さら実感できた。相手を知らない自分は、確かに手も足も出ていない。
 知らなきゃいけない。
 でも考えても分からない。
 ……だったら、単純明快だがもうやることは一つだった。

 とにかく、なんか試みる!
 再び走り出したは、ポケットに手を突っ込んで佇む青年へと直進、はせずに、見えない壁が展開されているだろうその直前で絶と共に姿をくらませた。一瞬も置かずに彼の死角へ。その背中へと木刀を見舞う。
 だが切っ先を拒んだのは、ギイインッ、という甲高い衝突音だった。まさに鉄壁を刀で切りつけたような不快な音。それに守られているという安心感からか、青年は後ろを振り返りもせずに攻撃を退けた。

 何度もあらゆる角度から攻撃し、それがダメならいっそ力づくで防御壁とやらを破ってやろうと渾身のオーラを木刀に込めるも、しかし今度は力比べをしたという感覚さえ得られなかった。太刀筋が逸れる。青年に向かわない。彼は突っ立ったままあくびをしているだけだというのに。

 そう、そういえば、動かない。
 能力を発動してからこちら、青年のローシューズはあの場所に張り付いたまま、一歩たりとも動いていないのだ。
 それが、何か、秘密――
「あー、疲れたろ、休むかい?」
 なんて嫌味を言いながら、にとってちょうど良いことに青年はアンクレットを揺らしてコツリと足を踏み出した。
 今ならどうだ、とはすかさず木刀を投げ放つ。弾丸よろしく闇夜を裂く刀は、しかしまぁあっけなく、歩き続ける青年の前で弾き飛ばされてしまった。
 ……防御したまま動けんのかよ! 何なんだよもう! まぎらわしいよ!
 思考が八方塞がりすぎて半泣きになりながら、宙を舞う木刀だけはジャンプして回収する。
 動いていても、いなくても防御可能。ただもしかすると防御中の攻撃はできないのかもしれない……が、突破口を見いだせるほどの情報でもない。

 こっちの知らないことは、あっちの武器。こっちの、致命傷。
 だからってどうすりゃいいの、ししょー……。

 打開策の見いだせないまま木刀を握り直すの先には、再び立ち止まり、腕時計をちらりと見やっている青年がいた。二本の足は動かない。
 動かない。
 ――なら、もうしばらく動かないでいてくれるだろうか。
 相手の知らないことは、武器。
 こちらにもそんな武器があったのを、露と忘れていたのだ。
 ただ……好ましい使い方ではない。しかしあっちが余裕たっぷり、こっちは手も足も出ないというこの膠着状態を警備員の三人くらいさっさと片づけてくるだろう師匠に見られるよりは、もはやなりふりかまわず決着をつけたかった。

 今までで一番、激しい攻撃に打って出た。
 無論どこから何を繰り出そうとも弾かれ、阻まれ、逸らされるわけだが、そうしてまさに名前の通りの“絶対無敵の防御壁”が機能していると見せることで、青年が油断し、その場を動かないことをは望んでいた。
 動くな、あと五秒。
 背後に回っての攻撃は、またギインッと嫌な音を立てて跳ね返る。だが木刀での攻撃はもう通らなくてもいい。とにかく動くな、あと三――
「っ!」
 今までにない威圧を青年に感じ、は“堅”、全身を満遍なくガードする体勢に転じる。
 だがを襲ったのは、オーラの鎧をいとも簡単にぶち抜くほどの一撃だった。右腕を何かが貫通。肉と血と、利き腕の自由をある程度持っていかれたことを、どうにか二本の足で踏ん張りながら悟る。
「じゃあ、そろそろ終わりってことで――」
 これ以上ない優位に笑む青年、その足元で、五秒は密かに経過していた。

 左膝、ちょうど関節の部分から突然噴き出した血に、青年は笑みを消した。がくりと崩れ、床に手を付いたその表情は、苦悶と、困惑。
「な……?」
 何が起こったのかと素早く思考しているようだが、完全なからくりを知るための材料は、が“消失”させてしまっているので得られないだろう。
 知るためには、もう少し探りと時間が必要……しかし片足の自由を失った青年がそのリスクを嫌ったことは、彼の周囲の威圧感が消えたことで窺えた。
 何かを決めるように、ため息ひとつ。
 血に濡れた足をかばい、青年はもう片方の膝と右手を床について体を安定させる。
「えっ」
 すると、その格好をまったく崩さないまま、青年の体が浮上した。
 何かに引き上げられている風でも、掴まっている風でもなく空中を移動した彼は、二階の回廊部分へと飛び移った。
「もう十分。好きなだけ持ってけ泥棒」
「は? え、おい」
 一矢報いてこれからという時に戦闘を切り上げられ、不完全燃焼にくすぶる闘争心。だが持ってけ泥棒というのなら、これはすなわち最初に喜んだ平和的解決に違いなく……
 複雑な思いで見上げているの視線の先で、回廊の窓から出ようとしていた彼は、それを跨ぐ足を止めた。いや、彼のひきつった頬を見るに、固まったと言った方がいいかもしれない。

「……出ていけば、用はねーんだろ?」
 ではない、誰かに言う。
 やがて一点を警戒しながら、青年は闇のとばりに消えた。装飾品の擦れる音を見送るように、回廊の陰から現れたのは。

「……師匠」
 鮮血の滲む腕を押さえ、は眉を八の字に下げた。戦闘の経過も結果も、あまり見ていてほしくないものだった。




  back  
------------------------