59.邂逅




「どうぞ、ナンバープレートです」
 見覚えのある、異様に丸っこい顔の人に渡された札の数字は“96”。
 96、96……クロロ……いや、それじゃ966番か。じゃあ……
 苦労?
 ……やっぱクロロでいいや。師匠に見守っててもらおう、うんそうしよう。

 プレートを大事に腰の辺りにつけたは、ふと居心地の悪さを覚える。
 やはり皆やってくる受験者が気になるようで、入り口付近、今のいる場所に注意を払っているのだ。別に自分が特別気にされているわけではないだろうが、このまま彼らの視界に入り続けるのもどうかと思い、足早に彼らの間を抜けていった。
 九十六人しかいない会場は、まだ人を見渡しやすかった。ヒソカの姿もすぐに見つかる。まあ混雑していても目立つだろうが、そうして確認したできる限り関わりたくない殺人奇術師を基準に、彼から遠く離れた壁際を選んで落ち着いた。
 ついでに、早々と会場に到着した優秀な受験者の顔も見ておくことにする。
 知っている顔は……二つあった。
 一つは先述のヒソカ。加えて、あそこで同様キョロキョロしている、でかい鼻をしたおじさんは……
「……あれ、何つったっけ」
 名前が出てこない。でも、下剤入りジュースのことだけははっきりと覚えていたので声はかけないことにした。あれとも関わりたくはない。

 でも去年みたく、仲よくなれる人、いるといいなぁ。

 いなくても、一人で試験を乗り切る自信と覚悟はある。が、やはりほんの少し良い出会いを期待してしまうのは……きっと去年が楽しすぎたせいだ。



 ナイフを磨いたり、銃を愛でたり、皆の装備している武器をチェックしたりしていると案外時間は早く過ぎた。いつの間にか人も増え、ケータイが無いので代わりに持ってきた手のひらサイズの目覚まし時計も、半日以上時を刻んでいる。
 何人くらい来たんだろう、と立ち上がって見渡すが、人口密度が上がったせいですっかり見通しが悪くなっていた。仕方が無いので、うろうろと歩き出す。きょろきょろと、見知った顔が無いか探索する。
 ん、と目に留まったのは、似たような顔をした三人組だった。
 でもあれは……あの内の一人を、去年、鈴の試験で逆さ吊りにしてしまったはずだ、仲よくはしてくれない気がする。
「そういや、マチさん、来てないのかな……」
 その鈴の試験でシャルと共に駆け付けてくれたピンク色の髪の女性を思い出す。彼女もまた不合格者だったのだが、確か受験はあくまでシャルの付き添い。今年一人で来る動機もないのだろう。
 やっぱり独りぼっちかー、と後頭部で手を組んで配管の通った天井を仰いでいると、
「げっ」
 は久しぶりに、明らかに自分へと発っせられた声を聞いた。

 女性の声だったが、タイミング良くマチが、なんていう事はなかった。
 サングラス、赤い口紅、濃いチーク。顔だけ見ても派手だと思う女に、心当たりはない。後頭部できっちり巻き止められた茶髪にも見覚えはないのだが……
「……?」
 しかし女性の方はを見て頬を引きつらせていた。
 そのままゆっくり、ゆっくり、まるで熊にでも遭遇したかのように後ろ歩きで下がっていく。声をかけようと息を吸い込んだが、それを察知したのか、一瞬びくっと肩を震わせて彼女は人ごみの中へと姿をくらませてしまった。
 ぽかんと口を開けたまま、は首を傾げる。
 俺、なんか悪いことしましたか。

 ん? と周りに視線を配れば、同様、彼女の消えた方向を何やら気にしている受験者が数人いた。
 が、彼らは別にサングラス女と関わりがあったわけではなく、ニヤけたその顔を見る限り、単に彼女の容姿に目を留めただけのようだった。
 タイトな膝丈スカートに、胸元のざっくり開いたワイシャツ。そんな挑発的なファッションで会場を歩かれては、無理もないだろうが。

 しかしながら、にはいまいち分からなかった。深い谷間に、腰からお尻にかけての極端なS字。それを強調する格好をする女性の何がそんなに良いのか。
 いや、なんか、怖いじゃないか。
 俺ら男なんて、ぷちっと潰されそうじゃないか。
 俺はどっちかというと、こっちが守ってあげたくなるような、そんな子の方が……
 会場をくるりと見渡す。まさかこのむさくるしい地下に何人も女性がいるとは思っておらず、それは何とは無しにだったのだが――はたと視線を固定した。
 壁に背を預ける、大きな帽子をかぶった小柄な女の子。ふわっとした髪とくりっとした目がまるで小動物。

 か……かわいい。

 が我に返ったのは、会場に響いた叫び声によってだった。女の子も驚いた様子で顔を上げている。
 人垣のせいで何が起こったのかは確認できなかったが、ざわめく周囲をよそに、はちょっと冷めた目でどうせヒソカじゃね? と思った。絶対に、見に行くより、離れるのが吉だ。
 奥を窺う受験生に逆らって、ちょっとごめんよ、と入り口の方へと退散する。ナサケナイ? いやいや、これも立派な生存戦術! ……で、ですよねー師匠。
 言い訳しつつとんずらした先で、は気になる後ろ姿を見つけた。
 大きな鼻を見なくても分かる。ずんぐりむっくりした体形はあの新人潰しのおじさんだ。だが別に彼自体が気になったわけではない。関わるのはやめておこう、そう判断したばかりだ。
 む、とが眉を寄せたのは、彼が性懲りもなく手に持っている缶ジュースだった。それから――
 少年。
 見た感じ十二か三か、せいぜいそのくらいのまだ幼い少年に、卑劣極まりないおじさんは今まさにジュースを渡そうとしていたのだ。

 毒牙にかかろうとしている少年に去年の自分がダブり、その記憶の中でおじさんの名前も思い出した。
 許すまじ……トンパ!
 そのジュースで、俺が前回どんなに悩まされたと! しかも今年はそんな子供に……!
 トンパはなんと四本ものジュースを差し出し、それを何も知らず、嬉々として受け取ろうとする少年。飲ませてなるものか、と去年の自分を守るつもりで、は奴の背後に立った。
「ト、ン、パ、さーん」
 え? と振り向いた彼は、こちらを見上げるや否や げっ、とうめいた。を覚えていたらしい。
「俺は去年、被害なかったし、そもそも試験は潰し合いだろうし、いいけどさ……」
 ちらり、とトンパの向こうにいる少年を見る。
 99番の番号札を服につけたその幼い顔は、突然割って入ってこられたことにか、驚いた表情のまま固まっていた。
 きっとトンパに何の疑いも抱いていなかったに違いない、うん。
「こんないたいけな子供にってのは、酷くない?」
「な、何のこと……」
 じとーっと睨んでいると、彼の顔から冷や汗の噴き出す様子がよく見て取れた。
 既に少年の手に渡っていた一本を「ごめんね」 と声をかけて抜き取ると、トンパに突き返す。それでもう潮時だと感じたのだろう、彼はそそくさとジュースを抱えて逃げていった。
「はぁ……あれ、毎回仕込んでくんのかな」
 退治した悪党をしばし見送って、は少年へと向き直る。
「飲んで、ないよな? あいつさ、どうも毎年新人に嫌がらせしてるみたいなんだよね。去年はあれに下剤が入っ」

「あに、き?」

 少年が突然発した言葉に、は思わず、ぱちぱちとまばたきした。
 ……え、何?
 よく聞いていなかったので、自分にじゃないかもしれないし、聞き違いかもしれなかった。しかし少年の目はこっちを向いていて、後ろには誰もいなくて、それでいて自分の耳とあらためて相談してみても“あにき”と聞こえたような……
 いやでも……と色々困惑しているとは正反対に、少年の顔はみるみる喜色に満ちていった。
兄貴! 何でっ? 何でここに、っていうか今まで、何でっ」
 湧き上がってくる感情に言葉が追いつかないようで、一度口を閉じて頭を掻く。柔らかそうな銀髪が、ふわふわ揺れる。
 少し落ち着いた少年は、それでも抱えているスケードボードを強く握りながら言った。目を伏せて、どこか拗ねたような言い方で。
「いきなりどっか行ってさ……すげーびっくりしたんだぜ。二年も、何してたわけ? 全然帰ってこないでさ」

 二年。
 兄貴。
 帰ってこない。
 それから少年自身の声、背格好……様々な要素がぐるぐると、の中で渦を作って混ざり合おうとしていた。
 痛いほど音を立てる、心臓の鼓動と一緒に。

「あ、もしかして……オレのこと分かんないとか言う? 二年で結構背、伸びたし」
 オレオレ、キルア。
 笑いながら、茶化しながら、まるで猫の目のように表情を変えて話す少年は、がやっと「あ……」 と声を発すると、ぴくっと嬉しそうに反応した。
「あの、さ……変なこと、訊くかもしれないけど」
「何?」
「靴、買う約束とか、した……?」
 きょとん、とした少年は、一拍置いたあとすぐに笑い出した。
「びっくりした、兄貴そういうの律義に覚えてるんだ。あ、怒んないでよ? でも二年も前のことだしさぁ」

 ……二年も前の、ことじゃない。
 俺にとっては何度も何度も夢に見る、まさに昨日のような約束なんだよ。

「……おとうと?」
 少年は笑った顔のまま、え? と返す。
「きみ、俺の、弟なの?」
 まだ笑顔のまま、しかし少年は、最初に兄貴と呼ばれて耳を疑ったのように、ぱちぱちとまばたきを繰り返す。
「俺ら、兄弟?」
 少年からの答えはなかったが、その確信はの中で大きくなっていくばかりだった。この子は――あの、夢の。

『いってらっしゃい』
 あの子なんだ。

 鳴り止まない心臓の音と、そこに満ちる感情はバカみたいに正直だった。
 思い出したくないと願ったはずだ。
 思い出さないと決めたはず。
 けれど…………無理だ。
 ずっと夢の中で、拗ねて、ねだって、なついて、笑顔でいってらっしゃいと言ってくれていたあの子が目の前に現れて、こんなに嬉しそうに兄貴と呼ばれてしまったら。
 知らないふりなんて、できるわけないじゃないか。

 今この瞬間も“思い出すこと”は怖いけど、でも、本当はずっと、ずっとずっと。

「えっと、名前……そうだ」
 ずっと――会いたかった、話したかった。そんな万感の思いを込めて、口にする。
「キルア」
 ぴくん、と震えた少年からはいつしか笑顔が消えていた。強張ったその顔を、覗きこむようには膝を折る。
「俺ら兄弟なんだよな? キルアは、俺のこと知ってるんだよな、兄貴って呼んだもんな? あ、いや俺、記憶喪失で――」
「記憶……?」
「そう、だから、昔のこと全然覚えてなくて、きみのことも正直……あっ、でもなんか夢で見てたっていうか、きみがいってらっしゃいって言って靴買ってきてって、それだけは何度も繰り返し見ててあの子って弟かもとはずっと……」
 こっちも感情が昂ぶって、何を喋っているのか段々分からなくなってきた。一度落ち着こうと頭を掻いて――あれこの仕草同じかも、と一人嬉しく思う。

 すでにあのぼんやりした夢は、目の前の少年がはめ込まれ、くっきり鮮明なものになっていた。思い出したというわけではなく、自分で勝手に編集したに過ぎないのだが、もはやあれは単なる映像ではない。
 記憶だ。
 あれは確かに、自分の思い出なんだ。
 この子との、唯一の。

「会えてほんと嬉しい。ほんとに――」
 しかし。
 いくら胸を熱くしてその顔を見つめようと、少年は『うん、オレも』 と笑ってはくれなかった。
 その変化にが気付いたのは、キルアの腕に触れようとして、びくり、と条件反射的に振り払われた時だ。
 驚くに、それ以上に動揺を露わにしているキルアは――やがてそれを無表情の内側へと隠した。

 さっきまでの年相応な生意気さが抜け落ち、あらゆる感情が見えなくなった少年は、無機質に言った。
 唇と、冷たい視線だけを動かして。
「悪い、人違い」

「え?」
 問い返そうとしたを、けたたましいベルの音が遮った。
 会場中の受験者を振り向かせたそれは受付時間の終了を知らせており、同時に、壁に伝う配管からふわりと飛び降りたスーツの男性が試験開始を告げた。
 どうやら、受験者をどこかへ案内するらしい……が、彼に気を取られている場合ではなかった。
 動き出した人々の中で、ガシャン、と音が鳴る。
 キルアが地面にスケボーを置いたのだ。そしてこちらにはもう目もくれず、片足を乗せ、一蹴り。
「え、ちょ」
 人の波に合わせて遠ざかる小さな背中に叫ぶ。

「キルア!」

 だが一度たりとも振り向くことなく、の心にその存在を深く刻みつけるだけ刻んで、少年は人ごみの中に紛れてしまう。
 何やら急ぎ始めた受験者達に肩を当てられたが、突然残されたにそれを認識する平静さはなかった。
 人の流れの中で、一人呆然とする。
「……なん……」

 なんで――?




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えーと、ちなみにあれはポンズ。