62.詮索
ただでさえ足元はぬかるんで、しかもいつ騙し打ちをしてくるやもしれない動植物に囲まれている。そんな中でのハイペースマラソンだというのに、今度は霧が視界を奪いにやってきた。
急速に白く濁った湿原のあちこち、てんでばらばらの方向から悲鳴が聞こえる。どうやら数々の命が屠られているようだ……が、は幸いそこに加わることなく正しい集団に追いつこうとしていた。
ぬかるみを嫌って木の上を移動していたのが良かったのかもしれない。同じ高さにいるより悲鳴の方角が明確に分かったし、あとは、それが聞こえないけれど人の気配はする方へ行けばいいだけだ。
俺だって、やればできるんだぞ!
後方で、ひときわ激しく悲鳴の嵐が起こった時も、は木の上にいた。
だからそれに巻き込まれることはなかったし、レオリオの叫び声が聞こえたためにユーターンしてそこへ駆けていった少年、ゴンともすれ違うことはなかった。
ようやく固まって走っている一団を見つけ、これが先頭集団だろうとはホッとした。まだ霧は深くその姿はぼんやりとしか見えないのだが、凝をしてみれば、最も先を行く人間が念能力者なのだと分かったのできっと正解だ。
そりゃあヒソカのトランプも受け止められるわけだよな。
試験官サトツを称えつつ、そして凝もせずに彼を猿じゃないかと疑った自分を恥じつつはその集団へと降り立ち、混ざる。
できるだけサトツの近くにいようと前へ、前へと受験者を抜いていく途中で――カツンと肘に何かが当たった。
スケボーだ。
当たったも、当てられたキルアも、しばし無言で目を大きく見開いていた。
霧はまだ深い。
それをいいことにスピードを緩めることで姿をくらまそうとしたキルアを、「待って!」 は腕を掴んで引き止めた。一瞬振り払おうとするそぶりを見せるが、走る速度を落とした上に、悶着を起こしてこれ以上試験官や集団から離れるのを嫌ったんだろう。渋い表情ながら、キルアは腕を掴まれたまま元のスピードで走り出した。
……逃げないで、いてくれるみたいだ。
も、そうっと手を離す。
「キルア」
呼んでみても返事はない。でも、構わず続ける。
「キルアのフルネームって、キルア=ゾルディックだろ?」
表情は変わらない、が、ちらりと猫目だけがこっちを見上げた。小さな反応だが、リアクションゼロの中のイチなのでからすればイエスも同然だ。
「ほら、やっぱり兄弟だ! 俺のファミリーネームもゾルディックらしいから!」
じとっと睨む目で見上げるキルアの顔には、『らしいってなんだよ』 と書いてある。
「あーいや、人に聞いたんだけどさ……あれだろ、えーと、一番上がイルミって人で、二番目が俺で、えっと、キルアが三番目?」
返事無し。
だがめげずに「六人兄弟ってホント?」 や「スケボー好きなの?」 とこの子に関する数少ない情報を総動員して会話のボールを投げてみる。が、キルアのスルーは華麗だった。まるで自分に飛んできた白球を、見もせず首を動かすだけで避けるがごとくだ。
自分の質問の後に、受験者達の走る音だけがひたすら響き渡るのは辛すぎた。
それをかき消すにはまた自分がボールを投げるしかないのだが、しかし、「99番って、みっつしか違わないよな。俺96! 偶然!」 ……なんて言った時の沈黙はとりわけものすごく、『だから何?』 的な空気の中ではごまかし笑いを余儀なくされた。足元おろそかになって躓きかけて、そのみっともなさにまた自嘲気味に笑ってみせるも、キルアの視線はこちらを向かない。
「あー、あのー……」
さすがに気持ちが負けそうになってきた。
兄弟である自信もなくなってきて、キルア、と呼ぶことさえ一瞬ためらってしまう。しかし、『きみは』 なんていうとまた距離が空いてしまう気がして、頑張って、その名前を呼ぶ。
「キルアは、何でハンター試験に?」
またやってくるであろう沈黙のために、その年で受験なんてすごいな! とか、でもヒソカとか危ないのもいるからマジ気をつけて、とか続ける言葉を用意していたのだが、予想に反してキルアはこちらをじっと見上げた。
久しぶりに、その声を聞く。
「……あんたは?」
……あ……あん、た……
最初に呼んでくれた“兄貴!”からの壮絶な距離の開き方に、頭が真っ白になってしまった。無視されるよりむしろずっと、ドーンと激しく突き放された気がする。
しばし何を聞き返されたのかも考えられず足を動かすだけの屍になっていたが、徐々に、どうにか、思考回路を回復させる。
「……えーと、そのー……去年落ちて、そのリベンジかな。キルアは?」
「別に、暇だったから。今も暇だけど」
ぶっきらぼうにではあるが、キルアから返ってくるボールが増える。それは喜ばしいことだよな……と気持ちをなんとか持ち直そうとしていただったが、それはあまりに甘い見通しだったと言わざるを得ない。
続けてキルアが吐き出したため息は、呆れと軽蔑をふんだんに含んでいた。
「こんな眠くなるような試験、落ちるとかありえねー。マジでダサイ」
落ちるとかありえねー。
マジでダサイ。
ダサイ。
ダサイ。
破壊力のある爆弾にふっ飛ばされたは、その焼け野原で呆然とその言葉のリフレインを聞いていた。今度こそ、ただ走るだけの屍の完成だ。
今日一番の精神的ダメージを負ったは、キルアが少し薄くなってきた霧に上手くまぎれて姿を消したのにも気付かず、ふらふらと足を動かし続けていた。
*
かの有名な暗殺一家、ゾルディックですか。
ふむ、と、常人ならざる速足で湿原を突き進みながらサトツは納得していた。
霧が深かったせいで姿は視認できなかったが、必死に言葉をつなぐ青年と、それにほとんど応えない少年の会話はすぐ前を歩いていたサトツにはとてもよく聞こえていた。ゾルディック、なんていうワードが出てきて以降、特に耳をそばだててしまっていたのは、試験官としては注意散漫だったかもしれないが。
ゾルディック家――高額な報酬と引き換えに、依頼に忠実、かつ確実に暗殺を遂行する殺し屋集団である。
家とは言うものの、それは例えばマフィアンファミリーのような、一種のコミュニティネームに過ぎないのだろうという見方も多い。サトツ自身、その真偽は今まで知らなかったのだが……
本当の家族、というわけですね。
96番のつなぎの青年、99番のスケボー少年。共にゾルディックというファミリーネームを持ち、サトツの足に一歩も遅れず、また呼吸一つ乱さずついてくる実力者である。
加えて青年の方は纏を見ただけだがかなり優れた念能力者。
それらは、彼が口にする“ゾルディック”という言葉が真にあの暗殺一家を指していることの何よりの証明だった。
もっとも、“兄”の方は暗殺者らしい雰囲気を何一つ持ち合わせておらず、サトツの首を傾げさせた。“弟”の方がむしろ刺々しく、手合わせしたとすれば確実に喉や心臓を狙ってきそうな容赦のなさを感じる。
まあその刺々しさは、会話の中では主に“兄”に向けられていたが。
しかし……兄弟ゲンカをしながらでもクリアできるなんて、もう少し試験の難易度を上げるべきだったでしょうか。
いや、とすぐに考え直す。あれは少しの汗も掻いていないあの二人が特別なのだろう。先頭集団にいた294番や53番はなかなかの実力の持ち主だと窺えるが、そんな彼らでもゴールにたどり着いた今は肩で息をしていて、試験としては妥当なレベルだったといえる。
その“ハンター試験として妥当なレベル”の課題を、肩で息をしつつも百五十名もの受験者がクリアした事実こそ、サトツを驚かせていた。
今年の受験者達は優秀。そう、試験のレベルが低いのではなく、受ける者のレベルが高いのだ。
その中に、更に暗殺一家やヒソカといった抜きん出た者が含まれているわけで――まったく、自分も特異な年に関わったものだ。
霧も湿地帯も抜けた先にあるビスカ森林公園で、サトツはゴールした受験者達に別れを告げた。が、足を止める。仕事はもう無いのだが、気にかかったのだ。次の試験官がクセのありすぎる人物であり、その腹の内次第では十名も合格しないのではないかと。
それから――
サトツは人知れず姿を消し、絶。二次試験会場であるプレハブ小屋をぐるりと囲む木々の一本から受験者達を見下ろした。その目が探し当てたのは、96番、つなぎの青年。
未だ呼吸の整わない受験者の中、彼は別の理由で疲れているようだった。湿原でたっぷり会話を聞いていたサトツは、99番に邪険にされたからだろうと難なく察する。
試験中は霧で見えなかった分、そのしゅんと萎れる姿は大変興味深かった。
ふと、独特のオーラを感じ取ってサトツは視線をずらす。遅れて、その人物に呼び掛けられた96番もそちらを向いた。その先でにんまり笑っていたのはヒソカだった。なぜか、長身半裸の男を肩に担いで。
「……ん、あれ、その人」
「知り合い?」
「あ、やっぱそーだ。ゴンの友達のレオリオ……って、顔!」
半裸の男を覗きこんで驚くつなぎの青年を通り過ぎ、ヒソカはその男を適当な木の幹に預けた。なるほど、右の頬が見るも無残に腫れあがっている。
「……これ、やったのって……」
にっこり、うさんくさく微笑むヒソカ。
「でも殺してないよ 彼は見込みがあるからね 」
「殺さなきゃ褒めてもらえると思ったら大間違いだぞ……」
脱力気味に膝をつき、403番、レオリオというらしい男の右頬を気の毒そうに窺う。
と、彼がびくっと体を震わせて目を覚ました。
「おっ!? えっ……あれ?」
「あ、大丈夫か? いやどう見ても痛いとは思うけど」
「ん? あんたは……ああ、えっと、?」
案外大事ない様子で、レオリオは傍にいるつなぎの青年に応える。
しかし逆に、次のレオリオからの質問に96番、は言葉を詰まらせた。
「ここは? ……あれ、試験官が猿で偽物だっつって……ん? その後、どうしたんだ? 、何か知ってるか?」
加害者である当のヒソカは、いつの間にか姿を消している。
そんな中で「さぁ……」 と苦く笑うの、その曖昧な返事にサトツも同調した。断片的に衝撃的な内容を語るよりは、濁しておくのがいいでしょう。……怪我にも触りかねませんし。
その怪我に、は冷やした方がいいと判断したようだった。いつの間にやら手に持っていたペットボトルの水で、ポケットから引っ張り出したタオルを濡らし、レオリオに手渡す。
「ああ、悪ぃな」
「いや、手当てにもなんないと思うけど」
「そんなことねーぜ、立派な応急処置だ……いてて」
顔の左半分を歪めながらタオルを当てるレオリオ。うわぁ痛そうとつられて顔を歪めながら、気の毒そうに付き添う。それを、サトツは複雑な思いで見つめていた。
不可解だと言っていい。
まるで信じがたい。
今ここにいるを見て、果たして誰が納得するだろうか。
彼が、去年の試験において一人の受験者と三人の試験官を殺して不合格になったという事実を。
一癖も二癖もあるのがハンター、またはハンター志望者であるが、裏に闇を孕ませている者は表面でどんなに笑っていてもそれを隠しきれないものだ。同業者の間でなら、なおさら。
しかし多くのハンターを見てきたサトツからしても、いまいち、目の前の青年と“試験官殺し”の情報は一致しえなかった。
それはマラソンの最中に彼に感じた、“暗殺一家の人間らしからぬ雰囲気”にも言える。
彼に闇が、見いだせない。
ふと、第三者の視線が達に注がれているのを感じた。
怪我人レオリオと付き添う、その状況をサトツと同じく信じがたいような表情で見つめるその少年は、もしかするとサトツと同じ不可解さを胸に抱いているのだろうか。
よく落ち込みよく笑う、とても人懐っこそうで、怪我人を放っておかない優しい青年。
99番の少年、キルアにとっても、その姿はとても意外な――
想像と詮索を、サトツはやめた。
プレハブ小屋の中から盛大に鳴り始めた怪音。それはいよいよ、二次試験開始が近いことを告げていた。
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