64.寿司
立派な腹を持った大食漢は、それをさらにはちきれんほど膨らませて豚の丸焼き七十頭を平らげた。
つまり七十名の受験者が、第二次試験、第一課題を通過したのである。
レオリオとクラピカの焼き上がりが少し遅くなったので、たくさん通過させてもらえたのはこちらにとってありがたい、が……七十もの豚さんがどうやって胃袋に入ったのかは永遠の謎だ。
でもまぁ、キルアも合格してるし、よかった……。
合流し、ゴンと談笑している銀髪の少年を、は離れたところから眺めていた。
ゴンとは仲よくなれたが、かといってその輪の中には入っていけなかった。自分が行った途端、キルアは今浮かべている楽しそうな笑みを消してしまうだろうから。理由は分からないが、疎んじて、背を向けてしまうだろうから。
ゴンに励ましてもらったけれど、折れた心はそのままだ。
あともう一回くらい突き放されたら、立ち直れない自信がある。
とりあえずキルアの『マジでダサイ』 の言葉に思い出し落ち込みをしていたが、気の強そうでファッションも攻め気味な女の試験官、メンチが試験課題を告げるのを聞き、顔を上げた。
「二次試験後半、アタシのメニューは――」
スシ?
スシっつった?
自分の耳の正しさを確かめようと周りをキョロキョロ見てみるも、受験者達は全員それを教えてくれなかった。皆が皆、半開きの口で『スシってなにそれ』状態だったからだ。
あ、キルアとゴンもおんなじ顔してる。
そんな反応を予期していたように、メンチが意地悪く笑った。
「ま、知らないのもムリないわ。小さな島国の民族料理だからね」
そうして「ヒントをあげる」 と開け放ったプレハブ小屋の中には、第一課題合格者の人数に足るだけの調理設備がずらりと並んでいた。調理台の上には、重要なヒントとなるだろう各種包丁と……酢飯。
そして、
「スシはスシでも、ニギリズシしか認めないわよ」
というメンチの大ヒント。
それを聞いても受験者達は途方にくれた様子だったが、桶を開け、冷めたシャリの香りを嗅いでは一人確信を深める。傍に置いてある緑色の薬味の名前と使い方も、自分はしかと心得ていた。
スシって、やっぱ、寿司のこと……!
周りの反応から考えるに、これは知らない料理をいかに再現するかという試験のようだった。だがしかし、は寿司という料理を知っている。
なぜなら広い世界には、こっそりジャポンブームが沸き起こっている国があって、そこではジャポン料理を出す店も多く、スシバーなんてものも存在し、その国で――
――まかない目当てでバイトしといて、俺、グッジョブ!!
にへら、と笑いそうになったのをこらえて、はあらためて調理場を見渡した。器具はいたれりつくせり揃っているが、食べられるものはシャリしかない。
上に乗せるネタは、自分で調達しなければならないということだ。
豚肉……も、変わりダネとしてなくはないが、あいにく受験生が持ってきた丸焼きはすべて試験官の胃という異次元に放り込まれて残っていない。
また豚を狩ってくるか、それとも、もし水場があるのならベーシックに魚を釣ってくるか。
釣り。
釣り竿。
そうだ、ゴンにも教えてあげよう。
と思ったのだが、レオリオがでかい声で「魚ぁ!?」 と叫んだせいで受験生全員が川へ殺到した今となっては、必要のない情報になってしまった。
「うわー、って器用だねー」
調理台の向こうから顔を覗かせるゴンに感心され、ちょっと得意になってしまった。用意されていた包丁で、捕獲した川魚を捌く手もうきうき踊る。横からクラピカにも「確かに上手いな」 と頷かれ、内臓を取り除きながら照れた。
しかし褒められて当然なのである。
「刃物は友達だからね!」
「すごいなー!」
何でもきらきら反応してくれるゴンにすっかり気を良くしていただったが、体の角度を変えて身を薄く下ろそうとした時、キルアとばちっと視線が合って魚臭い手を凍らせた。
『ガキに褒められて何浮かれてんの』
……と言わんばかりの、実に冷たい目である。
「オレも頑張ろうっと!」
張り切るゴンが自分の調理台へ走っていくのを、固まったは見送れなかった。上がっていたテンションはすでに見る影もない。
……が、キルアの視線はなかなか離れなかった。
まだ非難しているのかとビクビクしたが、そういうのでは、ないらしい。
の顔から逸れた青灰色の目は、一定の距離を保ったまま、まな板の上に横たわる魚を見つめている。
……あ。
「あ、あのさ!」
話すきっかけを見つけた心は、うれしさと、期待と、不安がないまぜになって高鳴った。
「寿司、知らないんなら教えるよ! 魚捌くのも手伝うし!」
「いい」
玉砕した。
またふわりと上昇しかけていた気持ちは、思いきり地面に叩きつけられて、死んだ。
いつの間にかまな板の上にとり落としていた包丁さえ、何とあるまじきことに、もう一度握る気力が沸いてこない。
以前バイト仲間が失恋し、頭を壁にひたすら擦り付けるという行動に走ったが、今なら彼の心のダメージを理解してあげられると思った。もっと優しくしてあげればよかった。
彼の再来のようにまな板に突っ伏して萎れるが今一番知りたいのは、なぜ最初は自分に兄貴と笑いかけてくれた子が、急に背を向けたかである。
――だが。
『いい』、とを拒否したはずの瞳が、まだその萎れる姿を見つめていたこと。
空いている調理台へとキルアが踵を返すまでに少し時間を要したことに気付けなかったは、その心の内を知るチャンスを逃したのかもしれなかった。
生魚を酢飯でコーティングしたもの。
何のことだか分からないかもしれないが、そうとしか形容できない一品をメンチに差し出し、レオリオと同レベルという烙印を押されたクラピカ(教えてあげれば良かった……) と入れ替わりで、は自信の一皿と共に審査に向かった。
一口で放り込める程度の大きさに握ったシャリに、乗せた川魚の切り身は青く、ワサビよりショウガを添えたかったがあいにく持ち合わせてもいなかった。若干心残りではあるが、これはどう見ても寿司だ。魚の飯包みでは決して無い。
実際、「お願いしますっ!」 とが差し出した皿を見て、今まで見るなり門前払いしかしていなかったメンチも眉を上げた。
ふーん、と今までとは違った反応でショートパンツから生えた足を組み直す。
「く、先を越されたか……」
という悔しげな声が後ろから聞こえたが、は目の前のメンチの審査だけを待った……が。
まるでうさん臭いものを見るように寿司に顔を近づけていた彼女は、箸も握らぬままソファへと身を沈めて手の甲を振った。
「鮨は知ってるみたいだけど、ダメ。やり直し」
「ええっ!? なんで!」
「じゃあ聞くけど」
不機嫌そうにの皿を指さす。
「その消しゴム、何」
「消し……え、いやいや、シャリ」
「どこの世界に、飯粒の形もなくなるほどねっとねとに握りつぶされたシャリがあんの! 工作じゃないのよボケッ! っていうか工作レベルのくせにいっちょ前にシャリとか言ってんじゃないわよむしろ腹立つわ!」
「ひ、ひどい……! これでも寿司屋でバイトしてたんだぞ!」
「働いててこの出来ってどういうことなの」
「う、だって、シャリはスシ田次郎くんが握ってくれてたから」
「だ……誰それ」
「次郎くんはすごいんだぞ! 一分間に六十個ものシャリが握れるスーパーマシンで、人件費も抑えられるから、スシ次郎の一皿百ジェニーっていう激安価格はこの辺に秘密が」
「回転寿司の話かよ! 何が働いてただ、おととい来やがれこの消しゴムニット帽!」
「に、ニット帽は関係無いだろ!!」
「取り込み中悪いが」
肩で息して睨み合う受験生と試験官に、割って入る声があった。
「いい加減こっちの審査もしてくれねーか。ほれ、消しゴムはどけ」
「消しゴム言うな!」
勢いで振り返れば、何やら自信に満ち溢れた顔のスキンヘッド男が立っていた。の抗議を無視してずいっと示した皿には……完全に寿司と呼べる物体が。
こいつも知って……!
ついライバル視したが、直後、早くも完全敗北することになった。消しゴムを出されて苛ついた分か、やっとお目にかかった寿司に感心したメンチの箸が躊躇なく伸びたのである。
ショックで固まる。
ニヤリと笑む禿頭。
が、両者の表情はメンチの一言で逆転した。
「ダメね、美味しくないわ」
「なっ、なんだとー!?」
思わずへへっ、と他人の不幸を喜んでしまったに油を注がれたように、禿頭が喚いた。
「メシを一口サイズの長方形に握ってその上にワサビと魚の切り身を乗せるだけのお手軽料理だろーが! こんなもん誰が作ったって味に大差ねーべ!」
通り過ぎた沈黙の中、少なくともとメンチの頭には同じことが浮かんでいたに違いない。
何この盛大なるネタバレ。
「ちょ、おま……!」
「え、はっ、しまったー!!」
なるほどーと頷き合う受験生達に、唯一寿司を知っていたと、そしてこの禿頭はアドバンテージが消えたことを知る……が、本当の不幸は禿頭の背後から忍び寄っていた。
それはには向けられていなかったが、
「――お手軽? こんなもん?」
ぞっとした。
メンチから膨れ上がるオーラに一瞬思い出したのは、スキルハンター片手に黒く笑むクロロの姿。
後ずさり。他人のふり。お、俺はお手軽なんて言ってないし。
と早々と危険を察知したおかげで、彼女に胸ぐらを掴まれるのは禿頭だけで済んだ。
「ざけんなてめー!! 鮨をまともに握れるようになるには十年の修業が必要だって言われてんだ!! キサマら素人が形だけ真似たって天と地ほど味は違うんだよボケ!!」
ならそんなもん試験にすんなと禿頭も言い返すも、燃え盛る火に小さじ一杯の水をかけるようなもの。いやむしろ、かけたのは油かもしれない。さらにヒートアップして寿司がいかに奥が深いものかを怒鳴り散らす美食ハンターメンチとその被害者を、は少し離れたところでため息まじりに眺めた。
嫌だよなぁ、マニアって。
熱くなったが最後見境なくなるんだから。
やがて禿頭は精神に重症を負うとともに解放されたが、ともあれ、作り方がバレ、受験者全員がスシと呼べるものをこしらえられるようになってしまったわけで。
メンチはそれを味で審査するしかなくなってしまい、しかし彼女の腹はもう一人のように異次元ではなかったようだ。
審査の終了は思った以上に早く訪れた。
もご飯をぎゅうぎゅうに固めないようにもう一度作ってみたが、なお固い、粘土かコラと一蹴されてやり直し。そして次を審査してもらう前に、
「わり! おなかいっぱいになっちった」
第二次試験は合格者を出さないまま、打ち切られたのだった。
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