65.闇夜




 全員不合格で今年の試験終了!?
 と、ざわめき、戸惑い、その決定を変えるつもりのないメンチに一部殺気立ち始めた受験生達を救ったのは、プレハブ小屋上空に現れた一隻の飛行船だった。
「合格者ゼロはちとキビシすぎやせんか?」
 にとっては一年ぶりにその姿を見る、どこか飄々とした高下駄の老人、ネテロ。さすがのメンチも、ハンター協会会長の前では借りてきた猫へと変わり果てた。
 我を忘れて熱くなりすぎてしまったことをしゅんとして反省し、試験の無効を申し出た彼女には胸を撫で下ろす。
 よかった……寿司が美味しく作れなくてハンターになれませんでしたなんて、師匠にもシャルにも報告できたもんじゃねーや……。

 隣で、と似たように息をつく禿頭がいた。
 目が合うと、相手の目がなんだよ、と細まる。
 いやそもそもお前が怒らせるからこんなことにだなぁ。
 は? お前だって消しゴムでキレられてたじゃねーか。
 作り方バラして試験めちゃくちゃにしたのはそっちだろ!
 そ、それは……でもこっちだって被害者だっつの!

 ……という応酬を無言で交わしている内に、会長に指示を受けたメンチが新たな課題を提示していた。短い空の旅の後に到着したマフタツ山で、課題に従い――
 は断崖から身を投げた。

 底の見えない深い谷を、猛スピードで落下していくの姿は、もう上からは見えないはずだった。先に手本を示して見せたメンチがそうだったからだ。
 見えなかったのでここからは耳で聞いた情報に頼るしかない。
 メンチによると、この外敵が寄り付きようもない谷の間にクモワシは糸を張り、孵化前の卵を吊るしているらしい。そのレアな食材を採り、崖をよじ登って戻ってくるのが新しい課題なのだが……
 あれ?
 谷風プラス落下の抵抗を受けながらも目をこらしていたは、落ちていく先の景色に嫌な予感がした。とはいえ高速での落下中。それが確信に変わるまでには一秒とかからなかった。
 卵を採るために、とりあえず谷に張られている糸に掴まらなければならない。
 でも。
 おい。
 待て待て。
 俺の真下に糸、なくね?

 コンマ一秒ごとに焦りは高まり大慌てで再確認するが、手を伸ばして届く範囲にも糸はない。見事にの落下していく先だけぽっかりと空いていて……ちょ、クモワシ! そこは空気読めよ……!
 悪気のない鳥を恨んでも仕方なかった。
 もう、しゃーない!
 とっさに作業つなぎの胸元に手を突っ込むと、メモリーボックスを発動。使い慣れた鞭を引っ張り出すとそのまま手首をスナップ。高速で通り過ぎるところだったクモワシの糸へと鞭の先端を絡み付かせた。
 腕にぎしりと手ごたえを感じて、ほっとしたの体がブランコのように揺れる。無事を喜んだのも束の間、
「かっこいー!」
 もはや聞き慣れたゴンの声に、びくっとして鞭にぶら下がったまま首を回した。少し下方に張られた糸に、両手でしっかり掴まっているゴンがいる。
って何でも使えるの? 刃物も鞭も」
「え? ああ、まぁ……あはは」
 変なとこから鞭が出現するところは見られていなかったようだ。いや、見ていたとしても、服の内側なんて変なところに入れてるんだなー程度に思われるだけか、とほっと息をつく。
 ナイフを出す時もポケットの中でやるようにしているが、そういう癖付けをしておいてよかった。
 だって、何も無いところから物体出現なんて普通の人に見られれば、ブハラの異次元胃袋以上に『!?』 な反応されるに決まってる。

 ……いや、いっそ俺、手品で食っていけるかも……。
 と妙な将来図を描きかけていたのを止めてくれたのは、ゴンとは違う、一切褒めてくれる様子のない視線だった。
『また調子に乗ってるよコイツ、去年の試験落ちたくせに』
 とその目は言っているのだろうか――判断ができない間に、キルアはふいっとクモワシの卵の方を向いてしまった。
 無視られた、という事実だけが、から鞭をよじ登る力をごっそり奪っていった。寒い……マフタツ山の谷は、寒いっす……。



「あんた、96番!」
 卵を採って帰ってきた合格者を乗せ、ふわりと浮かび上がった飛行船内にて、いきなり呼ばれたのは自分の受験番号だった。
 は、はい、クロロ番号ですが何か。
 ネテロの挨拶を経て解散を伝えられたばかりだったので、まだその場にはほとんどの受験生がおり、当然のごとく彼らは一斉に声を上げたメンチの方を向いた。ついでに、彼女が指さす96番ことの方にも。
「それから294番、あとであたしらの部屋に来なさい、いいわね!」
 くびれた腰に手を当て、彼女が指さしたもう一人。メンチのマシンガン語りの被害者である禿頭と、は顔を見合わせた。禿頭は露骨に嫌そうな顔をしていたが、おそらくこちらも似たような表情になっていただろう。心なしか、周囲の視線も同情的である。
「あっ、一時間後ね。こっちも色々準備があるから」
 しかしそう付け足したメンチにあの時のような怒気も苛つきも見られず、はもう一度禿頭と目で会話した。何の準備だ? と。



 一時間後、訪問した試験官控え室にて、とハンゾー(同じ妙な境遇に置かれたので、とりあえずドアの前で自己紹介しあった)は二人して呆気にとられていた。
 ドアを開けるなり待ち構えていたメンチに椅子に座るよう命じられ、サトツやブハラが遠まきに眺める中、やがて彼女にこう言い放たれたのだ。
「ほうら、これが鮨よ! 食べてみなさい!!」
 彼女の言葉通り、目の前のテーブルには第二次試験で目にした酢飯とワサビ、加えて海苔に卵焼き、いくつかの刺し身、色濃く煮付けた魚なんかもずらりと並んでいた。そして二人に一番近い場所には白い切り身の乗った寿司が二カン。
「本職には及ばないけど、それでも回転寿司のシャリ成形ロボットなんかに負ける腕じゃないわよ、さあ、握りたてを食った食った!」
「い、いや……オレは忍びで、人から貰ったものは喉を……」
「あ?」
 途端部屋中に黒いオーラが充満し、ハンゾーはびくりと口をつぐんだ。
「あたしの料理が食えないと。へーえ。そう。食えないの」
 命の危険すら感じるこの空気を打破すべく「いっ、いただきます!!」 と先んじたに、同じものを察したらしいハンゾーもそろりと箸に手を伸ばした。「それは海水魚よ。調理用に持ち込んでたの。港で下ろしてすぐに特殊冷凍してるから鮮度は――」 と説明するメンチを聞き流しながら、醤油をつけて、しぶしぶ口に放り込む。

「…………むまい」
 咀嚼途中でそう漏らしたハンゾーの言いたかったのは、の感想と同じなんだろうと思った。
 これは、美味しい。酢飯がほろほろとほぐれることによって広がる甘み、そのおかげなのか、本来淡泊なはずの白身魚の旨味がぐっと濃く芳醇なものに――! と、グルメ漫画的なことを叫びたくなるくらいに、これはとにかく、とにかく美味しい。
 これが寿司なんだとしたら、かつて回転寿司屋でつまんでいたあれは、ただご飯の上に刺し身が乗っただけの食べ物としか言いようがない。
「ふふ、どう? お手軽料理だなんてもう言えないでしょ」
 得意げに、それ以上にとても嬉しそうにメンチは次の一カンに向けて手を拭いていた。
「自分で握るつもりなかったからネタは揃ってないけど、ここに並べた分どれでも選びなさい。美食ハンターのプライドにかけて、鮨の前に屈服させてやるわ!」
 いえ、もう屈服してます。
 試験とそれに付随する様々なことが詰め込まれた一日が、ようやく終わろうとしている午前零時。夕食時もとっくに過ぎたこの時間、テーブル狭しと並んだ具材を前に二つの胃袋がきゅーきゅー鳴かないわけがないのだった。


 腹一杯になった後。怒りからではなく燃え上がる愛ゆえに寿司について語ろうとするメンチから逃げるように、まずハンゾーが部屋を出た。
「あーうん、もうオレが悪かった! 寿司はすごい料理すごい! ついでに美食ハンターもすごいすごい!」
 とにかく言葉を並べ立ててメンチを振り切るハンゾーにならい、も「いやあホントの寿司はマジでうまかったっす! ごちそうさま!」 と褒めたたえて逃れようとした……が、
「96番、あんたはちょい待ち!」
 ガシッと肩を掴まれた。
 ご愁傷さま、俺は寝るぜっ、とばかりに晴れ晴れと笑むハンゾーに置いていかれ、手を伸ばした先で閉まるドア。
 バタン、という絶望の音に、引き続き料理愛トークという名のマシンガンをくらうことをは静かに覚悟する。しかし、そのまま肩を引っ張りを椅子に座らせたメンチが切り出したのは、鮨職人に直接技術を習った話でも、シングルハンターに昇格するきっかけになった未知の食材を発見した時の話でも、密猟者どもをちぎっては投げてボッコボコにした話でもなかった。
「あのハゲはホントに鮨に屈服させたくて呼んだけど、あんたに食わせたのはついで。あんたには、別に言っときたいことがあったのよね」

 どうぞ、と気をきかせてお茶を出してくれたサトツにぺこりと頭を下げるの、その向かいにメンチは陣取った。
「あんた、念使えるでしょ?」
 一瞬身構えたが、相手もそうだし、使えませんと言っても「嘘つけ!」で一蹴されることなので素直に頷いておいた。
「念はハンターとしてやっていくのに必要不可欠な力。プロハンターであることの必須条件。だから合格者が念を習得できるどうかが、もう一つのハンター試験でもあるんだけどさ。あんた、もう修めちゃってるでしょ?」
「え……え、なんか、都合悪いの……?」
 おっかなびっくり尋ねたが、「いんや、別にいいんだけどさ」 メンチの返答はあっさりしていた。
「ただ、他の受験者にぺらぺら喋んじゃないわよって、釘刺しとこうと思って」
「喋んないよ、俺だって頭おかしい奴なんて思われたくないし。……え、念能力者はこうやって釘刺されんの? 毎年?」
「あんただから刺そうと思ったのよ、間抜けそうだし」
 ……ひでえ。
 じとっと睨んで非難するが、メンチは悪びれずに続ける。
「99番だっけ?」
「えっ」
「あの子は念知らないみたいだけど、あんたぺらっと言っちゃいそうじゃない。嫌われてる弟の気ぃ引こうとしてさ」
「そ、そそそんなことしねーよ! 俺どんだけ必死だよ!」
 はた、と気付く。
「つーか何で俺らのこと! べ、別に嫌われては、ないけど!」
「え? 嫌われてんでしょ? ねえサトツさん」
「嫌われてましたね」
「そっ……そんな、こと……」
 ないわけがなく、事実なだけに力強く否定できなかった。
 しおしおと萎み、結局お茶だけいただいて、「念のことぺらぺら喋んじゃないわよー」 というメンチの声を背中には部屋を後にした。


 *


 お茶をすすりながらそれを見送った後、メンチはことりと湯飲みを置いた。
「サトツさんの言う通り」
 試験官だけになった部屋で、ため息まじりに腕を組む。
「全然想像つかないわ。あいつがゾルディック家で、暗殺者で、去年も試験で人殺してるなんて」
「うん。殺し屋なんて独特な匂い、そうそうに隠せるもんじゃないと思うけど」
 そう言ったブハラに同意する。自分達の、まして先輩ハンターのサトツの目が節穴であるとは思えず、しかし情報と96番の人物像は驚くほど一致しない。
「会長は? その時その場にいたんでしょ? 詳しいこと聞けるんじゃない?」
「そう思ったのですが、聞きそびれました」
 自分の分のコーヒーを入れながらサトツは続けた。
「なにやら、球技に忙しいようで」
「はあ?」


*


 どうせ嫌われてるよ。
 どうせ拒否られてるよ。
 その理由もちゃんと訊けないいくじなしだよ俺は……!

 腹だけは満たされて、けれど寒風吹きすさぶ心を抱えたままは飛行船の通路をとぼとぼ歩いていた。
 もうすぐ一時半。マラソンや料理で疲労困憊の受験者達はそのほとんどがすでに眠っているのだろう。通路には誰もおらず、気配もせず、ただ船の駆動音が足元から伝わるだけだった。
 独りぼっちな静けさに、いっそう気は滅入った。
 どこか、場所を見つけてさっさと寝よう。
 ちゃんと休んでしっかり試験に臨まないと、落ちたりしたら、それこそありえないほどダサくて嫌われちゃうよな……。

 思ったこととは裏腹に、はふと、通路の真ん中で足を止めた。
 ……合格すれば、少しは見直してくれるだろうか。

 キルアの急な態度の変化を思い返せば、はたしてそれだけで態度が和らぐかは分からない。それでも、あの子の心の内がつかめない以上、できる限りのことにすがるしかなかった。

 受かればまた、兄貴と、呼んでくれるだろうか。

 あの子は記憶の無い俺の中に、唯一最初からいた子だ。
 話したい。
 仲よくなりたい。
 兄貴って呼んでもらいたい。
 ずっと夢で見てきたみたいに、また、笑ってほし――


 の願いを蹴り飛ばすような、怒号が聞こえた。
 角を曲がってその先を覗いてみれば、二人組の男が、ぶつかってきた受験者に文句を言っているらしかった。二人に見下ろされているその小さな背中を、は見る。
 なぜか上着を脱いで、汗だくで、おい謝れよと声を荒げる男達を意にも介さず素通りしようとするその銀髪の少年を。

 キ――

 名前を呼ぶ間もなく、彼の左手が動いた。
 それが鋭利な刃物と化していることを肌で感じた時には、男二人は顔を、体を、こまぎれに切り裂かれていた。いくつかの肉の塊がぼたぼたと通路に崩れ落ちた後は、もはや男達の声も無く、一悶着などなかったかのようにエンジン音がゆるく、響く。
 しかしその一瞬の殺人は、目に焼きついて消えなかった。

 喉を鳴らしてしまったへ、
「――!」
 少年は機敏に振り返った。

 目を見開き、赤く色づいた左手を警戒するように構えたキルアは――しかし相手がだと気付くと、殺気だった表情を平常に戻して手を下ろした。
 そんなキルアとは、こちらは対象的だったかもしれない。
 鼓動が速い。頭が働かない。
 漂ってくる血生臭さと今も視線の先にある肉塊によって、ただただ通路に縫いつけられるばかりのは、いかにも平静を欠いた顔をしていたのだろう。それを無言でじっと、じっと見つめていたキルアが、大人びた笑みで鼻を鳴らしたくなるほどに。

「怖い?」

 何もかも見抜かれたようで、肩が震えた。
 船内は昼間のように明るくて、死体も血濡れの手もなんだか場違いで。
 十二やそこらの子が息をするように人を殺したなんて嘘みたいで。
 それがキルアだなんて。
 かつて自分の中で屈託無く笑っていた、あの子だなんて。

「記憶喪失だか知らないけどさ」
 動揺の静まらないに、キルアは嘲笑うように続ける。
「便利だよな。こーいうの全部忘れちゃってんだろ」
 俺は、この子のお兄ちゃん。
 それは避けられても避けられてもずっと強く言い聞かせていたことで、その自負が、かろうじての乾いた唇を開かせた。
「こういうの、って……?」
「うち、みんな殺し屋。人殺し。オレも、あんたも」
 ぎくりと顔がこわばったのを鋭く読み取ったのだろう。キルアは鼻で笑った。
「けど、それキレイさっぱり忘れちゃったら、そこまでビビるようになるんだな」
 両手をポケットに突っ込み、キルアは肉くずを乗り越えて近づいてくる。
「血にも、死体にも」
 通り過ぎざま、キルアは一瞬歩調を緩めた。
 銀髪が揺れる。その表情を隠すように。

「オレにも」




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