66.帰還




 食事をとっている時、パソコンに向かっている時。何となく、左側にケータイ電話を置くのが癖になった。一年、くらい前からではないだろうか。
 別に特定の着信を待っているわけではない。
 断じてない。
 連絡を今か今かと浮き足だって待つような相手などいないのだ。
 そんな相手など――

「!」
 ケータイが鳴って、ディスプレイに現れた見知らぬ番号を目にし、バッと手にとるまでのシャルナークの動作はすさまじく速かった。
 が、通話ボタンの一センチ手前で親指は動きを止めていた。鳴り続ける着信音の中、様々な感情が御しがたいスピードで頭を駆けめぐる。
 ――何をいまさら、でも事情があったのかも、大体これがあいつからかどうか、でもオレの番号なんて仲間以外誰も、にしたって今何月だよ、第一声何て言うつもりだ、こっちは第一声何て言ってやるべき、でも、でも、もしホントにあいつなら――

 頭の中がうるさいまま、ボタンを押し、耳に当てる。
 通話相手は何も言わない。
 仕方なく、おそるおそる口を開きかけて――
『オレだ』
 思考と表情がフリーズした。デジャブだ。
「…………ねえ、なんで最近変な番号からかけてくんの、団長」
『車に置き忘れてな』
 声の向こうがざわざわしているのでどこか外らしいが……解せない。嫌がらせとしか思えない。……まあ、彼がこっちの事情を知っているわけもないのだが。

 ……いや、事情って。
 だから別に、連絡待ってるわけじゃないからねオレ。だから別にね、不意打ち電話に心乱れたりなんかしてないしてない。

 と自分に言い聞かせていたため、『帰る』 という相手の唐突な報告をあやうく聞き逃すところだった。
「え? ここに?」
 驚いてつい大きくなってしまった声に、近くにいたマチも不審そうに視線を送ってきた。もしかしたら“団長”というワードを出した時点から、こちらを窺っていたかもしれないが。
 それはそうだ。幻影旅団の団長、クロロ・ルシルフルが気まぐれに本拠地を空けてもう随分になる。仕事の件で数回電話はかかってきたものの、姿は見せず。旅団メンバーに聞いてもみんな居場所を知らないという。
 クロロが、仲間の誰をも傍に置かず単独行動を取るなんて久しくなかったことだった。パクノダやマチが素直に、あとフィンクスあたりがぶっきらぼうに心配するのも仕方がない。
 その身の心配はせずとも、何をしているのか気にしていたのは蜘蛛全員だ。まあ、帰ってきたとしても本人にその気がなければこちらが何を聞いたって答えないだろうが。

 それにしても、その帰還報告自体が妙である。
 どうせ“突然”ならば、いっそ連絡なしにふらりとこの場に現れた方がまだクロロらしい。
 やや考えた。
 事前に電話を入れたのには、何か意図があるのだ。
「で? 団長が帰るまでの間に、オレは何をしておけばいいの?」
 カマをかけてみれば、『察しがいいな』 と褒められてしまった。嬉しくない。
『一つ手に入れてもらいたいものがある』



「ナイフって、何のナイフ?」
 電話を切ったのを見て、マチが尋ねてきた。
「ベンズナイフ」
 答えたが、彼女は知らないようだった。まあマニアックな代物である、当然だ。かくいうシャルも実物は見たことがない。
 殺人鬼ベンニーが、殺した人間と同じ数だけこの世に生み出したナイフ。それには作品に対する彼の熱情を表すかのようにシリアルナンバーが刻まれており、確か――
「一つとして同じ形状でない物が、1から288まであったはずだけど」
「どれでもいいの?」
「指定はない」
 なら簡単じゃない、と言うマチに、シャルの顔は浮かない。
 指定がないことが、入手難易度を格段に下げていることは事実だ。例えば初期から中期にかけて彼の殺害方法は毒殺へと、そしてそれに触発されて生み出すのは毒を仕込めるタイプのナイフへと移り変わっているが、その際の最初の一振りは億越えの価値がついているらしい。
 そういうものを探し出すよりはまぁ、難易度は低い、が……
「そもそも、ベンズナイフ自体が面倒な品なんだよね。犯罪者の作ったナイフなんて表にはまず出てこないし。闇市やオークションに出展されることはあるけど、今回は団長が帰るまでっていう期限付きだから待ってられないし」
 288本の内のどれか一振り。広い世界において、その所在を突き止めるだけでタイムアップを迎えてしまうかもしれない。
「どれくらいで帰るって?」
「知らない。電話切られた」
「っていうか、なんでナイフなんて欲しがってるの?」
「本人に聞けば。ケータイの電源切ってるけどね」
 本当に何だろう、これは。
 嫌がらせ?

 公にはどこにも所蔵されていない、競売にもいつ出るやも分からないナイフ。
 通話できる環境にあるのなら、早くて数日で帰ってくるであろうクロロ。
 マウスとキーボードを引き寄せつつ、憂鬱に息を吐く。何か良い情報収集手段は無いものかとネットをふらふらしつつ思案していると、
「ナイフよね?」
「そーだよー」
 マチがそれを覗き込みながら提案してきた。
「だったらアイツ、詳しそうじゃない」
 誰のことを言っているのかは首を傾げる間もなく分かってしまったシャルだったが、しかしその口は「アイツって?」 ととぼけていた。
「もしかしたら持ってるかもしれない」
「だから――」
 マチから名前が出ないかぎりとぼけようとしたが、諦めた。何かと察しの良い彼女は、こっちの小さなプライドなどお見通しのようだ。
「オレ、あっちの電話番号知らないし、連絡取りようがないよ」
 それを聞いたマチの、驚きようったらない。
「じゃあ、いつもどうやってるの? 向こうからの連絡待ち?」
「……」
 “いつも”。
 そのマチの重大な勘違いが、わずかにシャルの胸を刺した。その痛みを顔に出したつもりはなかったが、彼女は即座に勘の良さを発揮する。
「もしかして、あれっきり会ってない?」
「……」
「へぇ……なんか意外」
 何が。
「気が合ってるように見えたからさ、今も連絡くらい取ってると思ってたよ」
 別に気なんて……。
「そうか、だからかい、しばらくずっと機嫌が斜めだったの」
 そ、そんなことない――
「もう会わないの?」

 ディスプレイと向かい合ったまま、シャルの表情はこわばっていた。
 もう会わないの。
 会わないのだろうか。

 この一年、さして自分の生活に変わりはなかった。
 会わなくても、特に支障はないということだ。
 ニット帽につなぎ姿の、記憶喪失の武器マニア。ついでに素直で明るくてちょっと間が抜けているという人間となんて、別に、このまま、二度と会わなくても――

 自然と伏せられはじめていた目が、
「あ」
 唐突に上がった。
 念を教えてと向こうから言っておいて勝手に音信不通になりやがった奴のことはさておき、今、何より優先しなければならない仕事についての糸口が見えたのだ。




 約束を破ったことはムカついて――いや、全然気にしてはないけど、ホントに全然気にしてなんかないけど、人としてどうかと思うよね。
 だけどまぁ、自体がヒントになってくれたおかげで、こうしてターゲットを拝めていることについては感謝してもいい。

「いやあ! シャルナークさんは本当にナイフへの造詣が深くていらっしゃる! そう、最近は何かと銃器の方がもてはやされるが、刃物こそ、武器の原点であり、古来から我々に忠実に寄り添ってきた、最も身近なパートナーなんですよ!」
 昼下がり。豪奢なホテルの最上階スイートルームで、ブランド物のシックなスーツで身なりを整えたシャルはとある男の熱弁を聞いていた。
「同意見ですね。銃器を愛する人間はただ戦争が好きなんでしょう。武器特有の、洗練された機能美を追及していけば、やがては一振りのナイフに行き着く。メディールさんこそ、信頼に足る審美眼をお持ちですよ」
 すらすらと彼を喜ばせる相槌を打ちながら、笑顔で。

 彼はこのワンフロアを、丸々趣味のコレクション部屋として借り切っているとある財閥の御曹司である。勿論その支払いは親の財産からという、言ってしまえば残念なボンボンだ。
 まぁしかし、自分の欲のままに金銭をつぎ込み、地下競売で五千万の高値でベンズナイフを競り落としたというそのナイフマニアっぷりは称賛しよう。おかげで、団長命令を果たせそうだ。
 だだっ広いスイートルームの真ん中で、ソファの後ろにボディガードを従えたメディールは何の危機感もなくナイフへの愛を語り続ける。
 自分と同じ“武器マニア”であると信じているシャルナークを相手に。

「ああ! そうだ、あれをお見せしなければいけませんね。殺人が最も猟期さを帯びていたベンズ後期の中でも一、二を争う一品、ナンバー273です」
 瞳と表情をより一層輝かせ、メディールはボディーガードに指示する。
「私はこれをラックリバーの地下競売で五千万ジェニーで……っと、これはメールでお話しましたよね」
 うきうきと身を乗り出す彼の前に、用意されるジェラルミンケース。
「旧バンゼラ国軍の精鋭のみが携帯した軍用ナイフ、あれもこの目で見れるかと思うと身震いしますが、このベンズも、それに負けじと劣らない品ですよ」

 ガシャンと開いたケースには、異形のナイフがうやうやしく収められていた。
 触れることを断ってから、自分の持つ眼とすべての知識をもって確かめる。本物だ。
 ナイフを戻し、汚れないようにケースの蓋を閉めてから、
「あ、ちょっといいですか」
 呼び掛けた。
「残念ですが、バンゼラナイフは持ってきていないんですよ」
「え?」
「というか、あんたに話したこと大体ウソかな。オレは金持ちのコレクターじゃないし、バンゼラナイフも所有してない。そもそもナイフにも興味ないし、だから勿論、コレクションを見せびらかしあって自慢して優越感を得るためのコレクター仲間もいらない。あ、ベンズが見たいっていうのは本当」
 態度を変えたシャルに、唖然とするメディール。彼より、後ろに控えたボディガードの方が異常を察知したように前へ出、シャルを威嚇した。
 ところで、こちらにも後ろに控える黒服が二人いる。金持ちコレクターという設定上、ボディガードのふりをしてスタンバっているのだが、人を守るというよりは壊す方が得意な二人である。
 シャルが彼らに視線を送るや否や、メディール側のボディガードの首がへし折れ、あるいは首から上が離れて飛んだ。血しぶきを浴びてなお、メディールは事態が掴めず呆けている。
 シャルは血まみれになったジェラルミンケースを下げ、ソファから立ち上がる。
「じゃ、あとヨロシク」
 フェイタンは頷き、物音を聞いてか隣の部屋からなだれこんできた黒服へと歩いていった。シャルとはち合わせるようにホテルの廊下から飛び込んできた別の黒服は、「おう」 と返事をしたフィンクスによって文字通りひねり潰された。
 そしてシャルは、メディールがようやく上げ始めた悲鳴を背に、死体を跨いで部屋を出る。



「あいつらは?」
「久しぶりの仕事だし、しばらく遊んでるんじゃないかな。別に待たなくていいと思うよ」
 後部座席で待っていたマチの隣に滑りこみながら、そう答えた。
 不意に、クスリと笑う声が。
 運転席のパクノダが、どうせこの“金持ちのご子息”ルックに素直な感想を漏らしたのだろう。悪かったね、コスプレで。でもフィンクス辺りがやるよりずっとらしく見えると思うけど。

「意外にあっさり手に入れたじゃないか」
 マチにひょいっとジュラルミンケースを奪われたのをきっかけに、シャルはムスッとしていた顔を元に戻した。
「うん、だいぶアングラサイト回って武器マニアとチャットやメールしまくったけど、ベンズを持ってる奴さえ特定できれば、あとは簡単だよね」
 本当に、くったくたに疲れたのは情報収集の段階だ。
 金の力にあかせて欲望を満たすコレクショニアが、次に欲しがるのはその価値を理解し、自分を羨望の目で見てくれるマニア仲間である。
 ベンズナイフのコレクターだと言ってうまく近づけば、その持ち主は目を輝かせて自慢の品を披露してくれるだろう――というのが、身近にいる武器マニアから思いついたアイディアだったのだが、そう易々とは行かなかった。
 二、三人、ベンズをオークションで手に入れたと吹聴していた奴がいたのでIPやアドレスからリアルを割り出してみれば、なんともはや、オークション会場にすらとても入れてもらえなさそうな庶民である。こうして何度となく振り出しに戻ってはマニアのふりをして、何の興味もないナイフへの愛情を語ってみたりして――メディールにたどり着くまで結局それが三日続いた。

 つかれた。
 簡単だよねとマチに言ったこととは裏腹にシートにずるずる沈み込む。車は戦闘班二人を置いてホテルの駐車場を出発し、マチはベンズをじろじろと鑑賞していた。
「あいつは、こういうのも興味あるのかな」
「あいつって誰?」
「シャルの友達」
「ああ、連絡待ってるっていう子?」
 待ってないってば。
 女同士で進む会話が気に食わなくて、仏頂面で窓の外を見、マチの質問にだけ答えた。
「興味はあるんじゃない。節操なかったし」
 ところが女子二人はシャルそっちのけで「どんな子?」 「あー、なんか明るくて、なんか抜けてる」 この場にいない人間のことで盛り上がっていく。
「でも殺し屋なんだっけ、確か」
「へえ、そうなの」
「っぽくないけどね」
「ん、でも殺し屋だって分かってるなら、こっちからコンタクトとれるんじゃないの?」
 不意なその提案に、視線を上げた。バックミラー越しにパクと目が合う。
 実際にはは殺し屋ではなく、ただの記憶喪失の放浪者なのでパクの言ったことの実行は難しい。しかし調べて探せるのでは、という意見自体は正しかった。

 多分可能だ。例えばはオレと別れた街でバイトをすると言っていたから、あの日付近で人を雇った店を特定、そこに残っている情報を元に足跡を辿れば――

 そこで考えるのをやめ、また窓の外を見た。
「こっちから連絡するのが癪なんだろうさ」
 的確すぎるマチの指摘に、ぐっ……と唸らされた。



 かくして二日後、幻影旅団の団長は帰還することになる。
 が、どこで何をしていたのかは語らず。
 シャルは眉根を寄せるが、それどころかクロロが既に一本ベンズナイフを所持していることを知って、さらに険しい顔で悩むことになった。
 なんでもう一本盗ませたわけ?
 え、本気で嫌がらせなの?

 ――それは今のところ、クロロのみぞ知る理由である。




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