67.塔 1




 飛行船内のこま切れ死体は、朝にはきれいさっぱり消え失せていた。
 きっとハンター協会の人間が片づけたのだろう。
 が一睡もできなかった、夜のうちに。




 船が着陸したのは、マフタツ山よろしく断崖絶壁を伴う高所だった。
 下船した受験者から見えるのは、平らな床と、空、遥か下に広がる森林のみ。どうやらバカ高い円柱形の塔の、何もない屋上にいるらしい。
 72時間以内に、ここから一番下まで下りること。
 豆みたいな顔をした案内役の説明はとてもシンプルだったが、正直、うわの空だった。
 飛行船が受験者を残して再び空へ舞い上がっていく間も、ある方向ばかりが気になって――でもそっちを向けない、見れない。さっきからその繰り返しである。
 塔に入り口らしきものはなく、屋上から飛び降りるとか、外壁をつたうとかいう方法が議論されているようだが、にその輪に入っていく勇気はなかった。キルアのそばに、行く勇気は。

『怖い?』
 それは、決定的な拒絶に思えた。

『記憶喪失だか知らないけどさ。便利だよなー、こーいうの全部忘れちゃってんだろ?』
 そう、その通り、何も覚えてない。親のことも、兄弟のことも、家のことも。
 キルアが、自分が、家族みんなが殺し屋だっていうことも。
『けど、キレイさっぱり忘れちゃったら、そこまでビビるようになるんだな』
 “殺人”に動揺したに向けられたキルアの嘲笑は、何もかも忘れてしまった、殺し屋らしさのかけらもない兄に対する、完全な軽蔑にすら感じられた。

 ……ああ。
 別に、今さらじゃないか。
『悪い、人違い』
 最初に態度が急変したあの時から、キルアははっきりと溝を刻んでいたんだから。

 今朝、モーニングコールがてらに到着を告げた船内放送に従って搭乗口に向かう途中、一度、出くわしたキルアと目が合った。多分、だ。ああも自然に逸らされてしまうと、果たして本当に目が合ったのか自信がなくなってしまう。
 ただ、合っていなくても、合ったうえで逸らされたのだとしても、どちらにしろキルアの中にへの興味は無いということだ。
 呆れや、冷たい視線すら、あるだけそこには“関係”があったのだと遅まきながら思う。
 おはよう。そんな短い言葉もかけられないでいた自分は、遅れてやってきたゴンに、うまく笑い返せただろうか。


ー!」
 快活な声にどきりとした。たった今頭の中にあった少年が、屋上の強い風に吹かれながらに手を振っている。
「ちょっと来てー!」
 振っていた右手が手招きに変わる。何だか嬉しそうだ……あ、もしかすると塔への入り口を見つけたのかもしれない。
 が、は躊躇した。ゴンの隣で感心なさげにポケットに手を突っ込んでいるキルアの傍へ、行っていいものかどうか迷ったのだ。

 ……そりゃあ、気まずい。どう接していいのか分からないし、それどころか接すること自体、きっと向こうは望んでいない。
 でも、そんなこっちの都合でゴンを無視するのは、大人げない。情けなさすぎた。

「何ー?」
 できるだけ大きな声で、できるだけ明るく。自分の中の気力を総動員してゴンへと笑顔を返す。
 ゴンはさらに手招きを大きくして、けれどキルアは少しも反応を見せない。胸がチクリと痛んだが、顔に出してはいけないと、笑顔のままで一歩踏み出した――時だった。

「キミはこっち

 真横にぐん、と引っ張られたのはあまりに突然で、前に進もうとしていた右足は空回りした。一歩、二歩とよろけ、そして三歩目。
 がくんと足元が傾いた。
 それだけならよかったが、何だ? と思う間もなくの体を浮遊感が襲った。下に、下方に引きずり込まれていく。え? 床は?
 いきなりの転落に訳が分からず、結局、呼んでくれていたゴンどころかキルアまで驚いた顔をしていたなあと思い返したのは、不様に落下した後だった。


 ガコン、という音につられて真上を仰げば、斜めになっていた天井の一部が、元通り平らになるところだった。あの落とし穴に落ちたのか。
 尻と背中から着地した格好のまま、考える。
 ……俺落としたの、ヒソカ?
 まあ……何でもいっか、と床に張り付いていた後頭部を剥がした。
 一階まで下りるのが試験なら好都合だし、そもそもこれが正式な入り口なんだろう。ああ、ゴンもこの落とし穴を見つけて呼んでくれたのかもしれない。
 そのゴンとは勿論のこと、キルアともろくに話せず落ちてきてしまったが……まぁ歓迎してくれたかは怪しいが……何にしてもいずれ、一番下でまた会えるはずだ。
 進もう。
 そう気を取り直して立ち上がった部屋は、高い天井と、広い空間でできていた。四方とも、屋上と同じざらついた石造りだ。
 ただ、一辺の壁の中央に貼り付けられているプレートだけは鉄製だった。
「……ん?」
 そこには進もうと思ったの気を削ぐ文言が書かれていたが、皆まで見ない内には再び天井を仰いだ。ガコン、とまた落とし穴の開く気配がしたのだ。
 受験者? さっき近くにいた奴かな?
 はっ、まさか、ヒソカ――
 ぞわっと駆けあがった寒気は、すぐに消えた。ただ、苦みばしった表情だけは顔から消え去らなかったが。

 わぁ……ヒソカ……の、友達だぁ……

 顔中服中鋲が刺さりまくっている301番は、その図体に似合わず機敏な動きで音もなく床に降り立った。そして、さっきの同様部屋の四方を見回している。
「あ、あのー……」
 荒い造形の顔が不気味な薄笑いでこちらを振り返った瞬間、声をかけたことを後悔した、が、そうも言っていられない状況に耐え忍ぶ。
「あそこに、何か書いてたっす」
 そう、壁のプレートにあったのだ。
 この、ヒソカ以上に百パーセント職質対象な人物とコミュニケーションを取らざるをえない内容が。
 カタカタカタ、と、本当に人間なのか疑いたくなるような音と共に首をぐりんと回す301番、ちょっと回しすぎじゃないかなーというホラーな姿に戦慄を覚えていると、また、天井で気配があった。
 違う方向から、同時に、二つ――
 あ、揃うかもしれない、とは二カ所を交互に見た。
 “四人の受験者がこの部屋に入るまで待て”
 やっと、プレートに書かれていた第一条件がクリアされるのだ。

 新たな二人は、それぞれ器用に床に着地した。尻から落ちたのはだけだ。よかった、最初で。
 そしてどちらも女性だった。……本当に最初でよかった、不様なところを見られずに済んで。
 しかも。
 その内の一人は。
 大きな帽子に小柄な体。くりんとした大きな目で辺りを警戒しているふんわりした雰囲気の彼女は、マラソン試験が始まる前にが『か……かわいい』 と目を留めた女の子だった。
 降って沸いた幸運にどぎまぎしたが、彼女の目はそんなを素通りし、奇怪な301番に固定されたっきり強張ってしまった。まあ……無理もない。
 そんな彼女を助ける意味でも、話し掛ける絶好のチャンス的な意味でもは鋲男にどん引きしている彼女へ歩み寄ろうとした。
 のだが。
「げ、な、何で……!」
 反対方向から浴びせかけられた、どう考えても非好意的なうめき声に邪魔をされた。まぁ、もう一人も301番の存在感に圧倒されてしまったのだろうと振り返ったが、予想に反して声の主と正対することになった。
 ……え、俺?
 どう考えても自分を見ているその女性の姿に、やがて、あ、と思い出す。
 サングラスに濃い化粧、黒いセミショートヘア、明らかにワンサイズ小さい挑発的なシャツとタイトスカート。小動物美少女と同じく、試験が始まる前には彼女を見ていた。そして確かその時も、ひきつった顔を向けられていたのだ。

「俺が、何……?」
 意味も分からず敵意を向けられて、困惑するのはこっちだ。なのに、その訳を問おうと声をかけただけで、今度は後ずさりされてしまった。右手を後ろに回しているのは、隠してある武器でも構えているのだろうか。徹底した拒絶態勢である。
 ……。
 キルアといい、この人といい、もう……

「何だよ! 俺が何かした?」
「何って、別に……そ、そう、ヒソカ!」
「え?」
「あんたヒソカの仲間よね?」
 グラサン女が指摘した瞬間、小動物少女も「え……!」 とさっき以上に顔を歪ませた。
「あんなヤツの連れなんて、警戒するに決まってるでしょ」
「つ、連れなわけ……!」
「試験中よく話してるじゃない」
「は、話してない!」
「妙に親しげに!」
「親しくない!!」
「親しいじゃない、前だって――」
「は?」
 前?

 疑問は、きゃあ! という可愛い悲鳴にさえぎられた。
 少女が総毛立たせて怯える方向から、ビキビキと異様な音がした。カタカタという音も不気味だったが、今度のは輪をかけて生理的に不快だった。
「さっきから呼んでるのに」
 まるで骨や筋肉が引きちぎれるような――実際にその光景を目にすれば、それが比喩ではなくほとんど事実だということが分かったが、も、グラサン女も、小動物少女も、言葉を失ったまま驚愕していた。
 刺さっていた鋲がすべて抜かれたその顔が、骨格やパーツ、あらゆる組織が音を立てて大移動をしている様子に。
「また元に戻すのは面倒臭いけど、いいや。オレも、そっちもこの方が話しやすいだろ」
 モヒカンだった頭も、何の手品か、黒くて艶のある髪が勢いよく増えたかと思えば、さらりと背中を覆い隠した。落ち着きを見せ始めた顔面はあんなグロテスクな過程を挟んだとは思えないほど端正に整い、無表情も相まって人形のような顔がこちらを向く――
 って……
 この声、この顔。
 半年前以上前に一度しか会っていないが、自分の師との悶着が強烈すぎて忘れるはずがなかった。
「ギ、ギタラクル、さん!?」
「うん、久しぶり」
「な、なんでこんなトコに、え、顔、全然」
 あまりに突然再会し、そしてあまりに相手が平然としているものだからしどろもどろになってしまったが、しかし混乱の中でもは意外に早く、付き刺さる二つの視線に気付くことができた。

 二人の顔が言っている。
『え、知り合いなんですか……』
 どん引きしている顔が語っている。
『ヒソカだけじゃなく、顔ぐっちゃぐちゃに変形するヤツとも知り合いとかマジ……』

 ち、違……!
 と、否定する気力ももはや削がれてしまった。前途多難な今試験を憂いて、はうなだれる。
 壁のプレートによれば、ここは“話し合いの道”。
 詳細は不明だが、揃うまで待てと定められていた“四人の受験者”――そう、このムード最悪な四人での“話し合い”を、この先強制されるに違いないのだ。

 帰りたい。


 *


 か、帰りたい……

 前の大きく開いたブラウスにおいて、存在を主張する豊かな胸――の奥で、彼女の心臓はずっとパニックを起こし暴れまわっていた。
 い、いや、バレない。
 髪型も髪色も、服装も去年とはがらりと違うのだ。バレるわけがない、と言い聞かせて言い聞かせて、ようやく彼女は平静を装えている。
 彼女の名前はナナリナ。
 今期ハンター試験受験者であり、前期、第286期試験不合格者でもある。

『俺が何かした?』……?
 ふっざけんなボケェ!
 最終試験で試合相手殺してきた後、問答無用で黒服の試験官惨殺しといてよく言うわ!!

 っていうかあんな派手なことしといて、よく今年の試験受けられたなお前ら(ヒソカ含む)神経疑うっつーの……!!


 片足に重心をかけて胸の前で腕組み。クールに装いつつも心中で盛大にツッコんでいたところに、耳触りなノイズが響いた。
『数が揃ったようなので、説明をしよう』
 どこかにスピーカーがあるのか、96番のニット帽つなぎ殺人鬼でも、301番の顔面変形男でもない男の声がする。二人の動向に注意はしつつ、ナナリナは始まるであろう地獄の三次試験に意識を向けた。
『このトリックタワーにはいくつものルートが用意されており、それぞれにクリア条件、難易度は異なる。君達には、ゴールまでの道のりを、話し合いにて乗り越えてもらうことになる』
 ……こいつらと、話し合い。
 ぴっちり揃った前髪の下で、ナナリナは眉をひそめた。
 ……無理ゲーだろ。

 一人はいい。たいして脅威でもない女の子だ。
 問題は、男共。
 さっきまで薬の中毒者のごとくカタカタ怪しく揺れていた顔面のがたついた男(今はわりとイケメンだが)が話の通じるやつだとは思えないし、もう一人に至ってはいつナイフで頚動脈を掻っ捌きにくるか分かったもんじゃない。
 そして特に自分の場合、その切っ先がこちらを向くであろう後ろめたさがある。

 ……ああ。去年のアタシはバカだ。
 どうしてよりによってこのヤバイ殺人狂の、不意を打って、鈴奪って、あげく気絶までさせてしまったんだろう……!
 去年とは服のテイストが違うし、黒のウィッグと、サングラスまでしてる。けど、もしアタシだってばれたら殺さ――

『なお、この試終了時まで、“この四人の間における暴力行為は禁止”である」
 試験官!!
 アンタは神か……!!

 まあそうでもないと話し合いなどすぐ殺し合いになるだろうから当然のルールだが、ナナリナには願ってもないことだった。
 試験官側がそう判断した場合のみならず、被害者・第三者の申告によっても暴力行為は認定されるらしい。
 ただし、いずれの場合も罰則は“四人全員の試験失格”。
 もう一人の女の子や96番は戸惑っていた。確かに最悪他人の巻き添えで失格になるのは怖いが、見張り合うことにより、互いに牽制は強まるだろう。加えて連帯責任が発生することによって、誰か一人が陥れられる心配もない。ナナリナには何の異議もなかった。

 後は、話し合う議題によるが――

 スピーカーの声は、それ以上のルールを何も告げることなく、『それでは健闘を祈る』 と締めくくった。
 プレート付近の壁が動き、通路が開ける。それを黙って見つめたまま、四人は各々困惑、または思案にふける。……いや、違う。三人だった。
 自分が呼んだエレベーターに乗り込むかのごとく、開いた途端に歩を進めるイケメン鋲男301番。それを驚いた様子で止めたのは96番の殺人狂だった。
 名前は、そう、だ。
「何?」
「何って、いや、話し合いって言ってたじゃん」
 鋲男は無表情で首を傾げる。
「一本道に、話し合いが必要?」
「じゃなくて……話し合って協力してくんなら、名前くらい言っとかねえ?」
 のまっとうな提案に、「そうね」 と同意したのは小柄な女の子だった。
「246番、ポンズよ」
「あっ、えっと、俺は。96番ね。よろしく!」
 まるで、“かわいい女の子とお近づきになれて緊張してマス!” とでもいうように赤くした耳を掻くその姿は、残酷な人殺しの顔とは驚くほどかけはなれている。
 ……自分を隠すのが上手い、恐ろしいまでの狡猾さだ。
 ただどう隠そうと、ヒソカと301番の連れという時点でアウトだが。
 ほら。よ、よろしく、と返すポンズも微妙な顔だ。

 さて、あまり非協力的な人間と思われてもまずかろう。
「173番。……リリンよ、よろしく」
 本名をもじった偽名を名乗れば、もポンズも好意的な表情を示した。……ああ恐ろしい、しかし騙されるものか。

「ギタラクル」
 番号は見れば分かるでしょ、と言わんばかりの簡素な挨拶だけして、さっさと通路の向こうに消えていく。協調性皆無な彼もまた厄介だ。
 しかも、強い。
 おそらく並みか、それ以上。
 あー、俺らも行こうか、と苦笑いでナナリナ達を促す。願わくば、この二人が何よりも試験合格を優先し、ルールを順守してくれればいいのだが……
 油断はしない。警戒は怠らない。それに越したことは無いだろう。
 二人が自分よりも強いことは分かるが、常に気を抜かなければ、瞬殺されることくらいは回避できるだろう。それくらいの能力はある。
 この一年、自分は運よく、念の扱いを覚えられたのだから。

 ナナリナの目的は彼らに勝つことではない。ハンター試験の合格である。
「ポンズ」
 が先に進んだのを認めてから声をかけた。
「少ない女の受験者同士、よろしくね」
 振り向いた少女に、サングラスを少しずらして笑いかける。他の二人が二人な分、どこかホッとした様子でポンズは表情を崩した。
 好感は高いに越したことはない。
 その方がいざという時場を操りやすい。
 自分が悪い立場になりかけた時に、唯一の非念能力者をスケープゴートにすることだって。

 合格できれば最高、だが、最優先すべきは――自分の命だ。




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