72. 川辺
朝を迎えたには、六点分のプレートと、約六日という時間があった。
プレートの保管場所はつなぎのポケットで大丈夫だろうと早々に判断したが、残り期限の長さには少々頭を悩ませた。
を標的にしているのはリリンと仮定しても、他の受験者に一点狙いで狩りに来られたりしたら面倒くさい。
それがヒソカやギタラクルだった場合さらに面倒くさい。
が、襲撃が無かったら無かったで、暇だ。
そう、警戒する以外にすることがないというのは、なかなかに……暇だ。
「どーしよっかなー……」
口にしなくてもいい独り言まで出る始末。日差しに輝く木々の中で自分の手持ち無沙汰加減を嘆き、行動指針の定まらぬまま枝を蹴った。
ハンゾーにはある意味感謝しきれない恩があるし、彼の標的捜しでも頑張ってみようか。
そう、手近な依頼に方針を固めかけたが、それをきっかけに、は他の受験者のことへと考えを移していった。
標的、か。
誰が誰を、狩るんだろう。
ポンズには、何番を引いただとか具体的な話は聞かなかったが、勝算はあるような口ぶりだった。今頃はもう六点分集まっているだろうか。
あとは気になるのは、レオリオ、クラピカ、ゴン。互いが標的になってなければいいが、彼らならそれを巡って争いあう、なんてことはないだろう。そして、キルアは――
自分で、自分の出した名前に動揺するのも何だかバカらしかった。移動を止めてしまった体を、再び動かす。
の心配など、キルアにとっては余計な気がした。マラソンでは先頭集団を危なげなく走っていたし、マフタツ山からも平気で飛び降りた。トリックタワーでも、集団行動のせいかゴールこそギリギリだったが笑顔で無傷で下りてきたじゃないか。
飛行船では……その高い技量も大人びた精神も知った。
「っ!」
飛ぶ先を見誤ってしまった。根元が脆くなっていたらしく、体重をかけた途端その枝はへし折れ、は落下を余儀なくされる。
元々着地の体制をとっていたので不様な落ち様にはならなかったが、たった今欠如していた集中力が戻ってくるきっかけにはならなかった、。地面に降り立った姿勢のまま、は、虚ろに下がるまぶたの裏でこの試験で見てきたものを思い返す。
色んな人と関わった。話して、一緒に行動して、仲良くなったり敵対したりして。
でも結局、一番多く視界にいたのは。
ひゅん、と何かが風を切る音がし、そこでやっとは目に光を戻した。その異音はごく小さかったが、木の葉のざわめきや鳥の声といった自然物ばかりの島においては警戒するに足る異常である。
しかしどちらかといえば良い予感がした。
しなった柄が空気を打ち、スピードを乗せて放たれた強靭な糸がどこまでも風を切り裂いて行く――それは、まっすぐな瞳で相手の心を打ち抜いてしまう少年に、とてもよく似た武器。
忍びながらも音の方向に向かったは、そこで一心不乱に武器である釣り竿を振る、ゴンの姿を見た。
「何してんの?」
よほど集中していたのだろう、そう呼び掛けて初めてゴンは川からこちらへ振り向いた。
「!」
「魚釣ってんの?」
再会を喜ぶ笑顔もそこそこに、ゴンは汗がにじんだ顔を曇らせた。
「うーん、練習してるんだけど、うまく行かなくて」
練習? 試験中に? と首を傾げたは、その驚くべき理由を聞くことになった。すなわち、ゴンの標的があの奇術師ヒソカであり、その胸につけたプレートを一撃で掠めとるために竿を振り続けているということを。
「マジで?」
「うん。プレートを取るだけなら、オレにだって勝機はあると思うんだ」
黒い瞳に、試練に立ち向かう熱情が燃え上がるのを見たは、その輝きに圧倒されてこんな言葉を投げかけるしかなかった。
「……取ったら、すぐ逃げるんだよ」
「うん!」
素直ないい子だ。ちょっと素直に試練に立ち向かいすぎてるけど。
「はもうプレート集まったの?」
糸を回収するゴンに、は得意げに二枚のプレートを見せた。
これで六点だと説明すると、ゴンは実に気持ちよく称賛してくれた。すごい、さすが、とこんな純真な瞳で言われたらやはり照れる。
「ん、ありがと。でも、やることなくなっちゃったんだよね。誰かの手伝いでもしよっかなーとは思ってるけど」
「あ……なら、キルア、手伝ってあげて」
プレートをポケットに戻す手を、中途半端に止めてしまった。
「ターゲットの番号が誰のか分かんないって言ってたから。もう、会った?」
さっきまで呑気に照れ笑いしていたの様子の変化に目ざとく気付いたのか、ゴンはもしかしてもう手伝ったのかと尋ねてきたが、は首を横に振るしかない。
その動作も無言で行ってしまっため、ゴンの疑念を深めてしまったようだった。
「」
覗きこんできた瞳は、直球をど真ん中に放り込んできた。
「キルアのこと、避けてない?」
「えっ」
ひっくり返った声は、自白そのものだ。
「いやあ、ほら、それは……向こうがさ、俺のこと」
徐々に口ごもり、言い切らないまま文末は川の音に紛れて消える。
取り繕うこともろくにできない情けないお兄さんを、十二の子供がまっすぐ見上げていた。
「トリックタワーに行く飛行船でね、キルアと話した時に聞いたんだ。キルアのこと、それからのこと」
「……俺?」
「ずっと行方不明だったこと。試験会場で二年ぶりに会ったこと。記憶喪失だってこと」
ゴンが挙げる間違いのない事実を肯定しようとして、はたと思い返す。キルアが? 俺のこと? 話してた?
「あ、え、えっと」
にわかに落ち着きをなくし始めたは、逸る気持ちに邪魔をされつつも、どうにか問いかける。
「キルア、俺のこと、他に何て」
「特に何も」
「え」
無情な返答に、……いや、そうだそれが当たり前なんだ、と落ち込んだ心をなだめすかした。
飛行船といえば、あの、血で手を染めたキルアに会った場所だ。ゴンが一緒にいたのはその前か後かは知らないが、どちらにしてもだ。とっくに興味をなくされてるのに、何を期待したんだろう。
苦笑気味に肩を落としたのは、何とも諦めの悪い自分への嘲笑。そうやって、今度こそ拒絶された現実を受け入れようとするを、ゴンは目を厳しくして見つめていた。
「……はきっと、知らないんだね」
それは呟くような声だったが、川のせせらぎを押しのけての耳にはっきりと届いた。
「キルアってよく笑うし、よくしゃべるんだ。でも、のことはあんまり話さない。オレがの名前出したりするとね、キルア、寂しそうな目をするんだ」
それは――
反論しかけて、しかしやや感情的になってしまいそうだったので自制した。
それは、ゴンがそう受け取っただけだろ?
まるで頭を押さえつけるような大人げない反論だが、そのまま本心でもあった。のことに触れたくないキルアが、見下すようにあざ笑ったキルアが、“寂しい”なんて、ゴンの主観以外の何ものでも――
「オレにはさ、ミトさんっていう、親戚だけど母親みたいにオレを育ててくれた人がいるんだ」
突然、表情も声も懐かしむような暖かいものに変えたゴンは、言いながら水辺に腰を下ろした。
話の中身もがらりと変わって呆気にとられるだったが、ゴンが釣り竿も脇に置いて対岸を見つめているので、それに倣うことにする。
遠くを見つめたまま、また口を開いたゴンに、は話が変わっていなかったことを知った。
「もしミトさんが急に二年もいなくなって、帰ってきた時、オレのこと分からなくなってたら寂しいと思う。悲しいと思うよ」
「……でも」
俺らと、ゴンは違うよ。
また反論は飲み込んで、は水面をチカチカ走る日の光をぼんやり追いかけていた。違ったんだ、実際。キルアは、俺を拒んで……
「はどう? 大事な人から、覚えてないって言われたら」
水面から、視線を離した。
大事な人。そう言われて、すぐさま脳裏に過ぎったのは師匠と友人だった。
試験の合格を、真っ先に伝えたい二人だ。
「寂しくない? 悲しくない?」
もし、次に会った時に彼らが、という人間のことを忘れてしまっていたら。交わしてきた言葉も、一緒に見たものも綺麗さっぱり忘れて、『お前、誰だ?』 なんて初対面のように言われてしまったら。
が何を言っても、覚えてないと、突っ撥ねられてしまったら。
「……ん」
ゴンが言いたいのは、まさに今が感じた胸の痛みなんだろう。
「悲しい、かな……」
覚えていない方からすればそんな気はなくとも、忘れられた方から見ればそれは拒絶だ。こっちがどんなに覚えていても、あんた誰? そう見知らぬ人間のように扱われてしまったら、もうそれ以上踏み込みようがない。
悲しくても、もう、どうしようもない。
自分が“忘れられた方”の想像をして始めて知りえた喪失感を、そっくりそのまま、自分は、キルアに与えていたのだろうか。
『全然覚えてない』
『きみのことも、正直……』
試験会場で初めて会った――キルアにとっては再会した時、自分はあの子にそんなようなセリフを言った覚えがあった。
何の気なしに、だ。
心臓が、握り潰されるように痛む。それは言われた方の気持ちを慮った痛みであり、言った自分を責めるものでもあった。
バカだろ。
君のことは知らない、なんて。
夢の中の少年に会えて嬉しい、その思いでいっぱいだったからって何も考えないまま、なんてひどい言葉を吐いたんだろう。
俺の方じゃないのか? あの子を最初に突き放したのは。
唇を噛みしめるほど後悔して、だからと言って、すぐさまそれを償いに走れはしなかった。
「でも、そうやってキルアのこと傷つけたんなら、余計、もう関わんない方が」
だって、キルアの望むようにはしてやれない。
「記憶も、無いし……俺は、結局前の俺とは違うんだから」
覚えてるなんて言えない。すぐさま思い出してやることもできないのだ。
「そんなことない! はだよ。記憶が無くったって、家族であることに変わりはないでしょ?」
ゴンは身を乗り出して食い下がるが、の視線は水面をなぞるばかりだ。
でも、記憶の無い俺は、家族なんかには……
「キルアも絶対そう思ってる。だから寂しいし、悲しいんだよ」
そう……だろうか。
でも、だからって俺には何も……
「行ってあげて? ちゃんと話さなきゃ」
そりゃあ俺だって……でも――
「…………もう!!」
ついに立ち上がったゴンの迫力にたじろいだ。
思わず仰け反ったの頭上から、打ち下ろされる剣かと見紛うような視線が降る。
「はどうしたいの! キルアのこと好きなの、嫌いなの!」
「……え、え?」
「言っとくけど、オレ、ミトさんに嫌いって言われたらめちゃくちゃ悲しいからね!!」
それって選択肢無いも同然じゃあ。
思ったが、しかしの中でも最初から選択の余地は無かった。
嫌い?
そんなわけ。
嫌いだったら…………試験中、ずっと見てなんかない。
を見下ろす格好だったゴンは、やがてその表情を、雲間から日が差し込むように輝かせていった。
さっきの答えとして、がこくん、と一回頭を縦に振ったからだろう。
「だったら」
「え?」
「好きなんだったら、このままじゃダメだよ」
何を求められているのかポカンとしていると、一転してゴンの顔色が曇る。突然のスコールのように雷雲が立ち込める。
「……こんなトコにいて、話もしないなんてダメって言ってるの!!」
「あ、はい、ごめんなさい……!」
剣幕に圧されて土下座する勢いで謝ってしまった。
ゴンの、ゴン先生の求めることは分かった。が、散々膝を抱えていた分バツ悪く、ニット帽の縁をいじりながらぽつぽつと言う。
「キルア……捜そう……かな?」
雷雲は霧散し、うん! と晴れ間が覗いた。
「でも、やっぱり、無視とかされるかも……」
「大丈夫!」
まったく揺らぎのない自信をほとばしらせるゴンに、もこれ以上弱音は吐けなかった。というか、冷静になってみればキルアと変わらない年の子に叱咤されて説得されて自分は今腰を上げようとしているのか。は、恥ずかしい。
「あ、その……」
「ほら早く行って!」
一応お礼を言おうとしたのだが、両手を捕まれ引っ張り起こされ、さらに背中を押されてよたよたと川辺から遠ざけられた。
「キルアによろしくね!」
そのまま森へと歩いて行く。途中振り返ると、先んじてゴンに手を振られた。苦笑して、もそれに応える。
……俺とキルアに、仲良くしてもらいたいんだな。
そればかりは希望に添えるかどうか分からず、右手は小さく左右に揺らすにとどまり、まだためらいを残したままは手近な木へと跳躍した。
その日は暮れて、次の朝を迎え、その際昇った太陽も中点を過ぎて下り始めた頃。
ゴンと別れて丸一日。
その時間の経過を感じたは、木々の間を縫っていた足を止めた。
捜して、捜して、いなくて。自分と同じ銀の髪は島のどこに行っても視界に映らなくて。求めて、捜して、会いたくて、でも見つからず、捜して捜して深い森を駆けずり回って――
一日という時間は、から余計な迷いを取り払うには十分な長さだった。
飛行船の出来事があってから、会い辛いとすら、思い始めていた。
無視されるのは辛い。
冷たくあしらわれるのも、冷笑されるのも、拒絶されるのも。
だから避けていた。
……でも。
ゴンの「好きなんだったら、このままじゃダメだよ」 が何度も脳裏を巡る。
そう、このままじゃ、ダメなのだ。
顔を見るたびに辛くて視線を逸らしてしまうのも、“今だから”起こることだ。どんな形であれ二人の、もしくはどちらかのハンター試験が終われば、その時点でキルアとの繋がりはなくなってしまう。不意にはち合わせるなんて偶然も起こり難い。
会わなくなる。会えなくなる。
嫌だ。
それは勝手なこちらのわがままだが、嫌われても突き放されてもどうしたってそれだけは、本当に会えなくなってしまうことだけは諦められなかった。
ずっと、文字通り、夢見てきたのだ。
ぼんやりとでも、たった一人覚えていた、家族のことを。
やっと会えたのに。
会えなくなるなんて、嫌だ――!
「おいってば」
「わきゃあ!」
ごくごく近い背後からぼそりと声をかけられては、かけがえない弟のことばかりを考えていたは飛び上がるしかなかった。木刀まで構えて飛びのいたその先で、ハンゾーがこっちこそ驚いたという顔で固まっている。
「何回か呼んだぞ? ぼーっとしやがってプレート奪うぞこら」
「な、なんだハンゾーか……何か用?」
俺、今すっげー忙しいんだけど、と付け加える。
「んだよ、このハンゾー様のおかげでプレートは集まってるだろ? ちょっと付き合えよ」
ちょいちょいと手招きしたかと思えば、身軽な動作で木に飛び上がり、枝を渡っていく。忙しいのに、と眉をしかめたが、恩着せがましいことを言われては立ち去りにくくもあった。
少し、のつもりで彼の後を追い、やがて気配を消したハンゾーと共に同じ枝に潜むと、その先で動く二つの影を指で示された。
「お前のターゲット?」
「ニット帽の方だ」
ああ、去年やっつけた奴だ、と、どこか意気揚揚と移動している二人の男を見る。
「ずっと二人組で行動しててな。様子を見ていたんだが、ちょうどいい、手伝え」
「いいけど……リリンは?」
手伝いなら気心知れた幼馴染みの方がいいのでは、と尋ねたが、ハンゾーはつと真顔になって重々しく言った。
「痴漢とは一緒に行動できんと言われた」
「あ……」
頼んだわけではないが自分の代わりに手を汚してくれた勇者が、石を投げられるのは見るに耐えないものがあった。うん、手伝ってあげよう。
それに、と獲物を追って枝を移りながら思う。
「一回あいつら見失ったのって、俺がリリンやっつけたの見つけたからじゃねーの?」
一つ前の枝で止まったハンゾーが、無い髪を掻いた後、降参したように飛んでくる。
「……まあ、気になったのは確かだ。合否はいいとして生死はな。……私語は終了だ、もうちょっと近づくぞ」
いい奴だなお前。それは彼の言に従い、口には出さなかった。
今、ものすごく会いたくて捜してる子がいる。
プレートを奪取した後なら、そう言えば、良い性根を持つハンゾーは手伝ってくれるだろうか。
打算上等。この寄り道にも見返りを求めるくらい、キルアに会いたい。会えなくなってしまう前に、言いたくてたまらないんだ。
どんなに避けられても、興味をなくされても。
俺はきみのこと、大好きだって。
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