73. 再会
人違い、と言ったのは本心だ。
そうとしか思えないほど、自分の知っている兄と目の前の人物は違いすぎた。特徴も顔かたちも同じはずなのに、中身が、別人にしか。
記憶喪失。
それなら、仕方ないのか?
そう冷静に受け止め、納得する自分もいるにはいた。
ただそれは、唐突すぎて。
きみ、俺の、弟なの?
キルアにとって普遍的な関係を真面目に問いただしてくる青年から、混乱したまま、冷静さで心を騙しきれないままに、キルアは逃げたのだ。
四次試験、ゼビル島でのプレート狩りが始まってからずっと、キルアをつかず離れずつけまわしてくる気配が二つあった。
一つは、それほど気にしていない。感知できるかできないか、ぎりぎりのところに常にいて、気配の消し方も非常に巧い。加えてこちらを見ているだけのそれは、まったく邪魔にならないため捨て置いている。
試験官かな、あれ。ここじゃトリックタワーみたいにカメラ仕掛けらんないし。
それより、辟易するのはもう一つの気配である。
潜んでいるつもりなのだろうが、足音も衣ずれも消しきれていないわ、視線もがっちりこっちを向いているわ、わざと気配を晒してプレッシャーをかける意図もあるかもしれないが、もう二日もそれを続けているのはご苦労様としか言いようがない。
いい加減ウザいんですけど。
どうせ自分をターゲットとしている受験者だろうそいつに、キルアはもう何度目かの声を投げかけた。
「時間のムダだぜ。いくらつけまわしたって、オレはスキなんかみせないよ」
風が頭上で木の葉を揺らしている以外は、森はしんとしている。返答もない。
「……めんどくさ」
ぽつりと呟いた言葉はごく小さく、相手には聞こえていないだろうが、仮に雑魚ごときに聞こえていたとしてもどうということもない。
試験はどれもつまらない。
もう少し歯ごたえがあれば。今自分を狙っている相手にももう少し骨がありそうなら、全神経をそちらに注ぎ込めるのに。別のことなんて、考えずに済むのに――
思考がそのまま“別のこと”へと、キルアの制御を離れて滑っていくのを感じて舌打ちした。
一人になった時、ゴンといても会話が途切れた時、またはその話の中で“彼”の名前が出てきた時……油断すればすぐにちらついてしまうのは、あの光景。
あの夜、飛行船で、人を殺した自分を前にして愕然と立ちつくしていた彼の姿は、忘れようとすればするほど、思い出すまいと念じれば念じるほど、嫌がらせのようにキルアの脳裏にべったりと張り付いた。
分かる。
分かってる。
オレのことも、殺し屋だってことも、何も覚えていないんだからそんな反応をするのも当然だ。
別人なんだ。もう、オレの兄貴だった人とはまるっきり違う人。
“オレ”とも、もう違うんだ。
――でも。
心がそれを、受け入れたがらない。
ぎしり、と鎖で締め付けられるような胸の痛みを、踏みつけ、ねじ消すように、わざと音を立てて一歩を踏み出した。
「……来ないなら、こっちから行こっと」
あからさまな反応があった。気配の揺らいだ方向へ、普段は立てない足音をまた鳴らして進んだのは、威嚇のためと、それから単に機嫌が悪かったからだ。
いつまでもいつまでも思い出して、引きずって。そんなこと全然気にしていないように冷徹に振る舞ってみても、心の中はるで正反対に軋む音がうるさくて。
あの夜からこちら、ずっと思い通りにならない自分の精神にそろそろ嫌気が差していた。まだ心はどうにもならないが、せめて今、八つ当たりでもしてすっきりしておこう。
苛々している分、遊ぶ気満々で自分を尾ける狩人へと歩み寄っていくキルアだったが、ぴたりと、足から顔から呼吸のリズムまで止めてしまったのはその狩人に先制攻撃を食らったからであった。
「兄ちゃん!」
「…………あ?」
自分でも驚くくらい低い声が漏れた。いや、漏れたことにも気付かなかった。ぴくりと上がった自分の眉も、ひくついた口元も、頭の中が一気に暗い色に塗り替えられたキルアには感知できなかった。
細くつり上げた目で見れば、無防備に姿を晒した尾行者と、その後ろに彼によく似た印象の二人が見える。
ふーん。
あっ、そう。
兄ちゃん。
キョーダイで試験受けてんだ。へーえ。
「あんなガキまでオレ達がいなきゃ怖くて戦えないのか!」 「ち、違うよアモ兄ちゃん」 などと、仲よさげにじゃれあう彼らを尻目に、キルアは感情の温度を下げていく。
肉体操作もフル稼働、右手の先を下手なナイフよりも切れ味鋭く研ぎ澄ます――のは、やめた。
飛行船での一件が過ぎった、のもある。
殺しを躊躇したのと同時に、当初予定していたうさ晴らしも兼ねて、殺さず遊んでやるのも面白い、とキルアは冷たく微笑した。
*
隣のハンゾーがニヤリと笑みを浮かべていた。標的たちが更にもう一人と合流していつもの三人組が揃ったことはマイナス要素ではあるが、彼らが別の受験者と相対し、注意が削がれているのは好都合だったからだ。
「あのガキには悪いがおとりになってもらおう」 とハンゾーは好機に笑む。
だが、さっきから目を見開きっぱなしのにとって、それは受け入れられる作戦ではなかった。いい大人が三人集まって追い詰めようとしているのは、が今一番会って捕まえて話したい、銀髪猫目の少年だったのだから。
「197番がある程度フリーになったらやる。お前は他の二人を軽く足止めしてくれりゃいいが、なに、奴らの注意は獲物に」
「ちょ、だめ! だってキルア!」
きょとんとしたのち、ハンゾーがすぐ察したように「知り合いか」 と問う。
返答をためらったのは一瞬だった。
たとえ嫌われてはいても、こっちはもう女々しく避けたりなんかしない。
「弟!」
「マジか」
ハンゾーが、頼む相手間違えた、と述べるがごとく顔を歪めた時、とハンゾーが潜む木立から臨む先、三人組とキルアの方から鈍い音がした。
キルアが蹴られ、ふっ飛んでいる。
「待て待て待て待て!!」
が飛び出しかかるのを、その一瞬前に予見していたらしいハンゾーが羽交い絞めにして抑えていた。
「ほら、あいつ、全然平気っぽいぞ!」
鼻息を荒くしたは、足蹴にしたキャップの男を睨みつけていた目をキルアに向ける。
仰向けに倒れた態勢から、ひょい、と、まるで逆再生したように重力に逆らって起き上がったキルアに、ひとまず安堵した。それを見たハンゾーがこれまた胸を撫で下ろしていたが、はたとその表情を凍らせる。
ハンゾーが感じたものを、も正しく感じていた。
胸につけている自分の物に加えてもう一枚、別のプレートをなぜか手に持っているキルアが、何か、こう――
こっちがつい背筋を凍らせてしまうくらい、とてつもなく殺気立っているような。
な、なんか、めちゃくちゃ、機嫌わるい……?
そんなぴりぴりした空気を纏う少年を無謀にも取り囲もうとしていた三人組だったが、木の幹を駆け上がるようにして飛び上がったキルアを一瞬にして見失っていた。上か、と彼らが見上げた頃には、すでに銀色の影はニット帽をかぶった男の背後に舞い降りており、膝裏を小突き、指先を首筋に当てるというごく小さな所作でその自由を奪い取った。
ハンゾーがぴくりと眼尻を動かした先で、ニット帽の、197番のプレートがキルアによって押収される。残る大柄な男も、いとも簡単に仲間を制圧されてしまった現状を受け、渋々といった様子でプレートを差し出した。
キルアはその札だけは懐にしまうと……ニッ、と口端を上げた。
何やら、機嫌の良さそうな笑顔だ。
が、真に苛立ちが解消されるような事が行われるのはまさにこれからだとは、誰が予想できただろうか。
キャップの男と、ニット帽の男。二人のプレートを持ったままキルアは腕を大きく振りかぶった。あ、と誰かの口が動いた時にはすでに遅し。すさまじいスピードで右腕が振り下ろされると共に、プレートは弾丸のごとく空の彼方へ放たれていた。
そして、きらりと星になる。
茫然としてそれを見つめていなかったのは、投げた本人と、ハンゾーのみであった。
「お前の弟、強くてラッキーだったわ。じゃな!」
それは即座に“次”を予想したハンゾーの、別れのセリフだった。
キルアが二枚目を、さっきとは別方向に嬉々として投げ放つのに合わせてハンゾーの姿がかき消える。プレートの行き先と同方向の木の葉が次々と揺れるのを見る限り、それを追っていったらしい。
は、ぽかんとしてそれを見送っていた。
正直、どっちが197のプレートか、には判別できていなかった。しかし迷いなく二投目を追跡し始めたハンゾーには区別がついていたのだろう。
いたんだよな?
果たして彼が、まさかとは思うが実は判断を間違えていて、両手両膝をつくはめになるのか否か――その心配に時間を割いている場合ではなかった。
「くそぉ!」
だん、と地面を叩いて呻いた三人組に視線をやると、そこにはもう、今最も大切な少年の姿が無かったのだ。
ハンゾーなどにかまけた自分を頭の中で殴り倒し、は枝から飛び降りる。
その一秒後には、一様に顔を歪めきった三人組に飛びかからん勢いで問いかけていた。
「キルアどっち行った!?」
どっち! と再度これ以上ない剣幕で問えば、最も気弱そうなキャップの男が目を丸くしたままゆっくり人差し指を上げた。それが上がりきらない内に、方向だけはしっかり見定めたは放たれた矢のように走り出す。
あまりに立て込んでいた状況にすっかり傍観者になりつつあったが、この機会を逃すわけにはいかなかった。
広い島でまた会えるとは限らない。ああやって華麗に敵を倒したキルアだ、四次試験もパスするとは思うが、次の試験で話せる機会があるという保証はない。
試験が終われば、話せない。
それきりになってしまう。
それだけは。
神経を研ぎ済ませれば、あらゆる音の中から、自然環境において異質な存在だけが浮き彫りになる。やがて小さく背中が見え、それを、その子だけを見つめてはひときわ強く地面を蹴った。
一瞬膨れ上がった気配にか、遥か前方で敏感に猫目が振り返った。が、彼が驚き、離脱するよりの方が速い。
さっきのプレート狩りで彼の身体能力の高さは分かっていたため、スピードを一瞬足りとも殺さず、ほとんど体当たりするように突っ込んだのだ。
「な――」
叫びかけて、しかしそれすら出来なかったキルアを衝突の寸前でがしりと抱き、その勢いのまま一緒にふっ飛んだ。地面にバウンドして、滑って、十メートルは土を掘り返してようやくとてつもない運動エネルギーが死ぬ。
「な、ちょ……」
途中で体を反転させたために、地面に接触した面はの肩と背中だけだった。無傷のキルアが唖然をする表情を隠さずの腕の中で身を起こす。
その胴回りに、がっちりしがみついた。
「てめ、何すん」
「だいすき!!」
たっぷり数秒間、鳥のさえずりが響き渡った後、
「はあああ……!?」
キルアの困惑めいた叫びが木霊した。
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