74.同じ
だいすき!! と抱きつきながら叫んで、
はあああ……!? と目を剥いてドン引きされて、
かく言ったも、間違えた……! と寝そべった状態でキルアをホールドしたまま焦っていた。本当は行かないで! とか、話聞いて! とか言うつもりが全部すっとばして本題を叫んでしまったけどまあいいやだって本心だもん!
「すき! すっごいすき! だいすき……!!」
「な、キメェ! 意味わかんねーし、離せって!」
「だって離すと逃げちゃうじゃん!」
「決まってんだろこの変態!」
「うっ」
ぐさり、と胸を貫いた暴言という名の槍に、やっぱり間違えたことを悟った。
どうしても試験中に話をしておきたくて捜し回った結果、会えたのが嬉し過ぎて急ぎ過ぎてしまった。いきなり抱きついてだいすき! じゃあ、確かに通報されるレベルだ……さめざめと反省するに、「いや、だから離せよ……」 とキルアの辟易した声が降る。
「だって……」
逃げるじゃん……としがみついたまま見上げると、諦め気味に目を閉じ、力を抜いたキルアがいた。
「逃げねーよ」
ため息を吐くように言うキルアに、目を丸くしながらも、は腕の力を緩めてみた。起き上がり、体を離す。だらりと足を投げ出すキルアと向かい合う形で、瞑目したままのその顔を見つめて正座した――
途端、すさまじい瞬発力に物を言わせてその場から逃げ出そうとしたキルアの腕を、少なからず予想していたはぱしりと掴んだ。
「やっぱり……!」
人を疑うということは、クロロで学んだのである。
舌打ちどころかはっきり「ちっ」 と口にしたキルアは、しかし振り切れないと判断したのか顔をそむけたきり黙りこむ。
そんな彼の腕を掴んだまま、は、中腰で言葉を探していた。
何とも空気は悪いが、話を聞いてもらえる状況は実現した。
しかし、勢いに任せてならともかく、いざキルアを前にすると何から言えばいいか分からなくなり、せっかくの時間が腕を掴み続けることだけに費やされていく。
……いや、いいのか、考えなくて。
ふとそう気持ちが切り替わったのは、目の前にいるキルアの様子をいつの間にかびくびくと窺っていた自分に気付いたからだ。そんな今までと同じことをしに来たんじゃない、と自分を叱咤する。
嫌われてるのは承知の上。
ただ、会えなくなる前にキルアに伝えたいことがある。そのためだけにここにいるのだから。
「えっと……“ごめん”」
伝えたいこと。
大きく分ければそれはたった二つで、その内の一つを潔く口にした。
「最初に、会った時。俺、なんも考えずにきみのこと覚えてないとか言って……そんなの、家族から言われたら、その、悲しいよな」
言われた方の痛みと、言ってしまった方の後悔。
言葉にするたびにその両方が胸を刺して、ごめん、ホントにごめん、と感情の昂ぶるままに謝罪を重ねたが、キルアの方はまるで反応を見せなかった。手を掴まれた状態で最大限そっぽを向いているので、せいぜい頬のラインしか見えない。しかしそれも、声を発する時にやっと微かに上下する程度だった。
「謝られても。実際覚えてねーんだからしゃーねーじゃん」
一瞬それは許しの言葉にも聞こえて目を瞠ったが、「別にいーよ」 続けられたのは、やはり、を拒絶する文言だった。
「大体、あんたのこと、家族って思ってねーから」
どんなに研ぎすまされたナイフより、それはの内側を深くえぐってみせる。腕を掴む手に力が入りかけて、だが、耐えた。
「うん、分かってる」
心の痛みを無理やりねじ伏せ、は笑みを浮かべた。ちゃんと笑えている自信はないが、その点、キルアが向こうを向いていてくれてありがたいと思う。
「キルアの知ってる俺と、今の俺が全然違うってこと、知ってるよ」
その時初めて、キルアの腕がわずかに緊張した。
それは、やはりキルアも“以前の兄とは全然違う”と感じていたことの証明だ――ならば余計に、続けなければならなかった。
「だから、家族って思えないのも分かる。避けるのも分かる。兄貴って、もう、呼べないのも分かる」
堅くこわばった少年の腕、背中、頬の輪郭へ、は投げかける。
伝えたかったもう一つの言葉を。一度真っ先に叫んでしまった気持ちを。
「でも俺は、キルアのこと大好きだから。弟だって、思ってるから」
返事はなく、こちらももう言いたいこともなく、当然訪れた沈黙の中では手を離した。
自由になった腕をゆっくりと体に添わせるキルアが逃げなかったのは少し意外だったが、かと言って顔を見せてくれる様子もない。
用事の終えてしまったにこの場にいる理由はもうなかったが、正直なところ寂しかった。言いたいことを言って、それでもキルアの反応が変わらなかった時は、これ以上無理やり関わるような真似はやめようと決めていたからだ。つまり、これでもう、最後。
嫌だなぁ。話したい。あの夢で見たみたいに、笑ってもほしい。
でも、迷惑だろうしなぁ。
傍にいたって嫌な思いさせるだけだろ、と往生際の悪い自分に言い聞かせ、さっきまでキルアに触れていた手をポケットに突っ込んだ。
「えーと、プレートはさっきので揃ったんだよな?」
首を振ることさえしてくれなかったが、きっとそうなんだろう、と肯定に受け取っておいた。
「じゃあ、手伝いもいらないな。試験、残りも、頑張ろうな」
名残惜しくも、いつまでもうじうじ留まっているのは格好が悪い。潔く踵を返し、手近な木の上にでも飛び移ろうとさざめく木立を見上げる。
適当な枝に当たりをつけ、嫌がって軋む心臓は無視して足に力を入れたところで、待てよ、と、声が聞こえた気がした。
「待てって」
今度は疑いようもなくはっきり耳に届き、振り返れば、さっきまでは窺えなかった青みがかった灰色の瞳が片方だけ見えていた。
ゆら、とその視線を木の葉をかぶった地面のどこかに泳がせた後、
「あ……あんた、さ」
辿々しく、言葉を選ぶようにキルアは言う。
「何も覚えてないくせに……なんにも、思ってないわけ?」
選びすぎたせいかそれはあまりに奥歯に物が挟まったような物言いで、本人としてももどかしかったようだ。しばしためらうように歯噛みしていた後、キルアはぽつりと、核心に触れる単語を並べた。
「……飛行船の、オレの……」
そこまで首を捻っていたも、瞬時に思い当たった。
同時に少々気まずく思ってしまう。それが、キルアに声すらかけられなくなってしまった最大の要因だったからだ。
怖い? と嘲笑されて。
過去のこと全部忘れていいご身分ですね、と皮肉たっぷりに突き放されて。
あの時にこそキルアは、ああ、こいつ俺の知ってる兄貴じゃないや、と見限ったんだと、は胸に走る痛みと共にそう思っていた。
だから。
「……人殺しに、免疫ないって顔してたけど」
目を伏せて。
唇をほとんど動かさず、木立の擦れ合いにさえ負けそうなほど頼りない声で言ったそれがキルアの本心なのだとしたら、やはり突き放したのは自分の方だったのだ。
「オレのこと、怖くないの」
――――『怖い?』
あの夜、あざ笑うように鼻を鳴らした少年の姿が、鏡面に映ったただの映像だったかのように瓦解していく。
粉々にくだけ散った向こうで、消え入りそうなほど儚くたたずむキルアを前にして、
「……っ」
理解しきるのにそう時間はかからなかった。
同時に、は自分の浅慮さに殺意すら抱く。
覚えてないと言われることが、あんなにも辛いのだ。
ならその人に、“怖がられたら”?
『それキレイさっぱり忘れちゃったら、そこまでビビるようになるんだな。血にも、死体にも』
『オレにも』
飛行船の通路での、通り過ぎざまのキルアの表情をは思い出せない。
しかしあの時からずっと、怖がられてしまったと、一人で抱えていたのだとしたら――あの時何の言葉もかけてやれなかった愚かな自分は、ここから立ち去るわけにはいかなくなった。
草を踏んで歩み寄れば、キルアは肩を震わせてわずかに後ろへ下がった。それでも遠慮無く、その子の前に両膝をつく。
見上げても、視線は合わない。さっきまでのようにぎりぎりまで顔をそむけているせいだったが、はキルアの腕を取ると、その視線を追いかけ、覗きこんで無理やり目を合わせた。
さっきはしなかったことを強引にしたのは、目の前にいる彼が放っておけないくらい、胸を締め付けるくらいに年相応の子供に見えたからだ。
「……キルアくらいの年の子が人を殺すとこ、見たことなかったし、びっくりしたのは本当。俺が殺し屋ってのは大体知ってたけど、キルアもそうだとは思ってなかったし」
でも、とは眉を下げて笑った。
「俺も去年の試験で、おんなじことしてるんだ」
また逃げようとしていたキルアの視線がぴたりと止まり、戻ってくる。
キルアが手なみぐさに人を切り刻んだのは、あまりに突然で、想像だにしていなくて。茫然とするばかりで何も言えなかったことが、キルアを傷つけていた。
結局突き放したのは、全部こっちなのか。
そう思うと後悔で目の前が霞んだが、自分の感情なんて優先している時ではなかった。
違うよ。
人を殺すことは忌むべき事だけど。
そんなキルアにおびえるなんて。
そんなキルアを突き放すなんて。
“同じ”俺にはする権利なんかない。できっこねーんだよ?
『怖い?』
『オレのこと、怖くないの』
全力で、否定する。
「怖くなんかねーよ」
笑顔で。
ただキルアの瞳の揺れるのが収まることだけを思って、その銀色の髪に手を置いた。
*
あの夜、苛立ちのままに通路にまき散らした血肉の向こうで、彼は信じがたいものを見るような顔で立ちすくんでいた。
自分の指先から他人の血が滴るのを感じながら、ああ、違うんだ、と冷えていく頭で思った。
こいつと、昔の兄貴とは。
それから――人殺しのオレとも、もう違う世界の人間なんだ。
その彼が今、目の前で膝を折り、上から降る木漏れ日に似た柔らかい笑顔でこちらに腕を伸ばしている。その手は、キルアの髪をふわりと撫でていた。
やはり、目の前の男と兄は、別人なんだと思った。
本当の兄はひどく口数が少ない。人と視線を合わさない。笑顔なんて見たことがない――でも。
何度か無言で、こっちを見ないまま無造作に頭に手を置いてくれることがあって。その手のひらの感触が、どうしてこんなに同じなんだろうとキルアは奥歯を噛んだ。
「それに俺、殺し屋だった記憶もちょっとだけど戻ってるんだ。あー、それから、うちの師匠もほっといたらサクっと殺ってるし、友達もそういうことしてるって言ってたし、慣れてるっていえば慣れて……いや、慣れんのはどうかと思うけど……」
人なつっこく笑んでいた顔を、うーん、と苦く変えながらも、彼は頭に置いた手をどけない。それどころかぽふぽふ、なでなでと動かすのをやめず、目鼻の奥に痛みを感じていたキルアもさすがに、うざい、しつこい、やっぱ兄貴と全然違うわ、と心の中で息を吐いた。
まるっきり、違う人間だ。
なのに、どうして。
怖がられていなかったことに、自分と違う人間じゃなかったことに、こんなに安堵しているんだろう。
なんで、嬉しいんだ、オレ。
いい加減頭を這いまわる手を乱暴に払いのけたのは、半分は、じんわりと瞳を多い始めたものが溢れるのを防ぐためだった。
しかし目の前の男が大きくうろたえ、やがて「ご、ごめん」 としょげたことで、妙なバツの悪さが残った。これまで散々キツく当たってきた自覚があるだけに、弱いものいじめでもしたかのような罪悪感の針先が心をつつく。
彼の落ち込み方が、あからさますぎるのも要因だった。
……なんでそんな叱られた犬みたいな顔してんの。年いくつだよ。兄貴ならそんな顔ぜってーしないっての……
そうやって眼つきを悪くしていたのが、相当機嫌悪く見えたのだろう。そして調子に乗って撫ですぎたことでも反省しているのか、武器を扱う者なりにしっかりした体つきのくせにしゅん、と縮こまってしまっている姿は……キルアに悩むことを放棄させた。
あー、くそ、めんどくせぇ……
キルアがいくら悩んだところで、二つの事実は変えられない。
この男がまったく兄らしくないこと。同時に、彼が間違いなく兄であることだ。
記憶が戻れば全部解決するのだろうが、それがいつになるのか、そもそもちゃんと戻るのかすら分からない。いくら今、キルアの気持ちが色々追いつかなくても、どうすることもできないのだ。
なら……待つしかねーじゃんか。
あのさ、と呼び掛ける。
「オレだって子供じゃない。記憶喪失なら覚えてないの仕方ねーし、それはあんたのせいじゃないって、理解は、してるよ」
視線を上げた彼は疑うような顔を見せた。いや、疑って、なおかつ心配しているような目だ。まぁそんな反応をされるのも無理はない。最初に受け入れられなくて全力逃走、その後はとにかく気まずくて、避けて無視して強がってを繰り返したのは当の自分だ。
今とて、平気では、ない。
理解はするが、やはり割り切れない部分はあった。
「でも、やっぱ前とめちゃくちゃ違いすぎて……あんたのことは」
兄貴とは呼べそうにない。
うっかりそう続けそうになり、見るからに不自然だっただろうが寸でのところで口をつぐむ。そんなことを言えば、またしょげられるのは目に見えている。
だが、キルアが切った言葉の続きが、また彼を突き放すような内容であることは予想できただろうに――いや、だからこそ、なのだろうか。
彼は目を細め、にっ、と歯を見せて笑った。
「俺、元から嫌われてるの覚悟だぜ? それがこうやって話してくれて、記憶ないのは、俺のせいじゃないって言ってくれて……それだけで十分だって」
しかしその視線がふと落ちる。
「でも、さ、キルアがもう口きくのも辛いんだったら、俺……」
「別に、そんなことねーけど」
そこまで拒否ったらまたしょげんだろ。
とキルア自身は軽く返事をしたが、想像を遥かに超えて表情を輝かせたのはだった。目を見開いて、ぷるぷる震えて、「いいの? いいの?」 と連呼してくるその子供みたいな様は――
うっとうしい!
「……勝手にしろよ」
きらきらした嬉しそうな顔に背を向けて、特にあてはないがずかずか歩き出す。
いつか記憶が戻って全部解決するまで、兄とは呼べないものの、もう突き放したりする気はなかった。家族として、待つつもりだった……のだが、何だか言いようもなく恥ずかしくて歩幅を大きくする。
だから、兄貴の顔でそんな表情すんなっての、気持ち悪ィ!
とはいえ彼がそういう顔をする理由も、どれだけ喜んでいるかも分かっているキルアは、だからこそ余計に心の奥がこそばゆい。
『でも俺は、キルアのこと大好きだから。弟だって、思ってるから』
それは、さっき目にした木漏れ日と同じ温度でキルアを包みこむ。
「……ったく、さっさと記憶戻せよな」
心が勝手にふわふわ浮つくのをごまかすように漏らしたその言葉は、キルアにとっては独り言のようなものだった。
だから、後ろを振り向くことなく歩き続けた。笑顔のまま少し表情を陰らせたにも、気付くことなく。
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